【依頼0 物語には悲劇がつきもので】
1994年3月9日 アメリカ合衆国 ロースカロライナ州 州立病院にて。
走る音。風を切る。雨が降っている。
雨の音がうるさく耳に刺さる。そんなことを気にしている暇は彼にはなかった。
一刻も早く、一秒でも早く。彼はそこに向かって走る。
「…はぁっ…はぁっ…」
濡れる事すら気にせずに、走っていった先、病院の扉を彼は開ける。
そして彼はそのまま病室へと向かって走っていった。
あたりを埋め尽くす死の匂い。それは彼の不安を加速させるには十分すぎるものだった。
「ルーナ!」
と、名前を呼びながら扉を強く開ける。彼の前に居たのは、顔が布で覆われたひとりの女性だった。
「…ルーナ…?」
彼はその場に呆然と立ち尽くす。静寂が支配するなか、ぽつりと呟いたそれだけが響いていた。
その女性はまるで眠っているようで。眠っていないようで。
ふとした拍子に起きてしまいそうで。けれども彼女は眠ってしまっているままで。
部屋の中に響くのはただの短音だった。
一定の音。心臓が止まったそれを報せる音だけが辺りを支配している。
「…先ほど、神様の元へと」
彼の横、いつの間にか現れた医者が彼に彼女の死を告げる。
その言葉が彼に届いて、彼は初めて現状を理解することができた。
「…なぜだ」
「旦那様?」
「なぜ、先に逝ってしまったのだ?」
答えがない骸に向かって問いかける。しかし返答はない。
「私を置いて、なぜ逝ってしまったのだ」
答えがない骸に向かって問いかける。しかし返答はない。
「なあ、答えてくれ。ルーナ」
答えがない骸に向かって問いかける。しかし返答はない。
「なあ…なあ…」
この物語は想像上の産物である。しかしそれが果たして虚構であると一体だれが言い切れるのだろうか。
これは、あるひとつの悲劇から始まり。ひとつの依頼へ繋がり、ひとつの結末へ向かう。探偵たちの奇妙で冒涜的な物語である。
救いは無くて構わない。贖罪などは求めない。求めるならば、ただ一つの願いだけなのだから。