忘れないシャルロッテ
忘れないでとあの子は言った。
忘れて生きろと父は言った。
忘れてしまえと心が泣いた。
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愛している訳では無かった、ただその子があまりにも不憫で。
その子は何も持たず、何も与えられず、何も知らず無知だった。
自分にも無頓着で、汚れた身なりに骨と皮の身体。
皮膚は傷つき切られる事など無い爪は歯で噛みちぎりガタガタだった。
髪は絡まり伸び放題で木の枝に絡みつき身動き取れずに引き千切る。
汚いボロ切れを身に纏い木の実をキノコをネズミも草も食べた。
彼女はその存在を隠されて、屋敷の裏の林を抜けた小さな廃屋に住んでいた。
父が下働きの女に産ませた女児。
正確には産ませるつもりは毛頭無かった。
妾にもなれない女が周囲の目を欺いてまで守った我が子。
名前も与えられずその女と共に廃屋にひっそりと捨てられた。
その女には身寄りも無く赤子を抱えて独り生きる術がそこしか無かった。
その女が生きている内はまだ良かった。
小さな畑に芋を植え、豆を植えて乳を与えてその子を育てた。
それでも長生き出来なかったのは、誰もそこを訪ねる事もなく忘れられた所為だろう。
使用人は主人の不興を買うのを恐れて忘れた振りをした。
後には不憫なその子だけが残されて、風に乗った臭いで気が付いた屋敷の下男が仕方なく墓を掘ってくれたらしい。
初めは妹と知らなかった、偶々立ち聞きした下男達の愚痴。
下男の一人が母を亡くしたこの家の落とし胤と言っていた。
「落とし胤」
意味が分からなかった僕は友人に聞いた。
「私生児の事だって」
そう教えてくれた。
そして僕は出逢ってしまった、片方だけ血の繋がった妹に、獣の様な妹に。
そして僕は名前を付けた、シャルロッテと。せめて可愛い名前を贈りたかった。
可哀想と言いながら誰も差し伸べる手を持たなかった、父を恐れた弱者達。
それなら邪魔はするなと強い眼差しでにらみを利かせた。
それから時間を見つけては食べ物を持って、古着を持って絵本を持ってシャルロッテを訪ねた。
可哀想なシャルロッテ、獣の様なシャルロッテ、忘れ去られたシャルロッテ。
僕が全力で戻してあげる、あるべき姿、あるべき場所に。
それから暇を見つけてはシャルロッテの元に通った。
髪や爪を切ってやり、体を拭かせて傷に薬を塗った。
字や簡単な計算を教え帰る時には宿題を出した。
父母は王都で社交シーズン、甘えん坊の妹も王都で暮らしている。
誰にも知られる筈はなかった、暫くは。
メイドが気付いて侍従に報告するまでは。
父が慌てて帰って来た。
僕とシャルロッテを引き離す為に。
我が子を見捨てた人でなし、人の皮を被った悪魔。
「あの女の子どもは他所に養子にやる」
父と言う皮を被った悪魔は言う。
「他所って何処ですか?」
僕は信用していない。
「裕福な商人の家にでも養子にやるから安心しろ、悪い様にはせん」
「今迄援助のひとつもしないで信用できると思いますか?」
僕の言葉に顔色を変える。
「お前は子供だ、この件は私に任せろ」
「父さん、あの子の名前を知っていますか?」
「……」
「我が子の名前も知らない親が居ますか?名前は僕が付けました」
「我が子だと?」
「あの子の名前は……」
僕の言葉を遮って父は静かに口を開いた。
「あの女の子どもは私の子ではない、お前は思い違いをしている」
「どういうことですか」
「野菜の納入業者の下働きの男との間に出来たのだ。これを知るのは家令他数人。どこにも行く所が無いと子供とひっそり暮らすと言うので、廃屋に住まわせてくれるだけで良いからと泣いて縋られたのだ」
「なぜ下男達が落とし胤と言ったのですか」
「それは分からん。あの女がそういう事にしたのかもしれん」
「そんな……」
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あの子に残酷な真実が告げられた。
理解できたのは一つだけ。
「お兄ちゃんじゃない?」
「そうだ、残念だ」
誰を恨んで良いのか、拳を握る。
「いやだ離れたくない。シャルロッテお利口さん。シャルロッテお利口さん」
「……」
いつも僕が褒める言葉を言う。
「シャルロッテお利口さん、シャルロッテお利口さん」
あの子は声を限りに助けを求める。
涙が止めどなく流れる。
下男達があの子を引き摺って行く。
馬車に乗り込む前、あの子は言った。
「シャルロッテを忘れないで」と。
あの子の声は頭を何度も駆け回る。
シャルロッテお利口さん……シャルロッテお利口さん……。
ジャンルは迷ったのですが淡い初恋の様な複雑な心情と言う事で恋愛にしました。
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