出会って半日で同棲 前編
もし、一か月前に戻れるなら、私は私自身にこう言ってやりたい。ちゃんと下調べはしろと。
私の両親は共に大学で知り合ったらしい。いわゆる「できちゃった結婚」ではなく、純粋な恋愛から在学中に籍を入れた。2人が21歳の時だ。
それから38年の月日が経っても、両親は苺パフェにハチミツと練乳と、さらに黒糖を山ほど足してもなお足りないくらい甘ったるく仲睦まじい夫婦生活を送っていた。
だが、学生結婚したにも関わらず、私が生まれたのは入籍してから倍近い年月が過ぎた。19年後だった。
二人にとって待望の子供だったので、私は父と母から娘の眼から見ても分かるくらい激しく溺愛されていたが、私が14歳の頃にストーカーに遭ってからは、それにさらに神経質が追加された。
母と父は私が自分らの知らないところで秘密を作っているというのが怖くてたまらなかったらしい。
母はPTAの役員だったから父兄に幅広い人脈を持っていて、あの家の父親は過去に服役してるとか、離婚してるとか兄が不登校だとか、家庭環境に問題がある家を全てをリストアップし、私にこの家の子とは関わるなと言ってきた。
そして、私が仲良くなる子はだいたい、そのリストに載っている「不穏分子」だった。
母は二言目には「かなめが心配だからなの」と、私の罪悪感を抉った。
父は父で、私がいじめられていないかが不安で仕方なかったらしく、しょっちゅう担任に電話し、ついにキレた先生に娘さんがいじめられてないと不都合でもあるんですかと、怒られたことすらあるらしい。
それはそうと、私は自分で言うのも何だがそこそこ男子から人気があった。小中高で5回くらいは告白されたことがあるし、スタイルもそこそこ自信がある。Gカップで有名な人気グラビアアイドルの菊元白奈とスリーサイズも同じだ。ウエスト以外。
顔も、男子にコクられるくらいだから平均値以上のはず。あれが罰ゲームでの告白だとしても、少なくとも誠一郎は口を滑らして私をかわいいと言ったから、多分かわいいんだろう。異論は認めない。
一度、こっそり買ったマイクロビキニを着て鏡の前で色々ポーズを取ってみたが、思ったよりも楽しかった。
母に見つかり、家族会議が開かれたのは思い出したくないが。
この時の経験から、私はグラビアアイドルに心の片隅で憧れるようになった。他にも惹かれるようなことはあるにはあったけど、不特定多数の人間に肌を見せることは、過保護な両親へ反旗を翻すことのようにも思えた。
しかし、グラドルとはどうしたらなれるのだろう? オーディションを受けるというのは分かるが、どこの事務所が私にとっていいのか分からないし、グラビアも女優の仕事の一つだから、写真撮影以外にもやることはある。何より、売れるかも分からない。
そうした言い訳をダラダラ並べ立て、ろくに行動にも移さずに私は高校生活を終えて、推薦という惰性で短大に入った。
今思えば、人気のグラドルはだいたい高校在学中、もっと言えばジュニアアイドルや子役でさらに小さな時からデビューしていたりもするので、既にもう完全に出遅れたような気が……。
大学の入ってからしばらくは、好きでもない法律の授業を聞き流すだけの毎日を過ごしていたが、ある時に大学帰りにパンケーキでも食べに行こうと、札幌の街中を歩いていると、急に横から見知らぬ人に話しかけられた。
何かの勧誘かと思って聞こえないフリをして通り過ぎたが、その手の勧誘にしては悪質なことに私の後についてきて、5分で良いから話を聞いてほしいと言ってきた。
しつこかったので、一言言おうと振り返ったら、その人は私の前に名刺を出してきて、自分は芸能事務所の者で、あなたをスカウトしたいと言ってきた。
その魅惑的な言葉に、私は何も考えず、とりあえずそこのドトールでという彼女の誘いを受けてホイホイついて行ってしまった。このスカウトが女性だっとというのもあるが、私は昔から不用心すぎる。
その人が務める芸能事務所は、東京の渋谷にあるということだった。東京なんて修学旅行と家族旅行で2回しか行ったことがない。そこで覚えているのは上野動物園のワニとゴリラ。それと東京タワーの眺めくらいだ。
彼女はそこの北海道営業所の人間らしかったが、たまたま休みの日に見かけた私を見て、一目でダイヤの原石だと思ったとか何とか褒めちぎり、とにかく私をべた褒めしてきた。
そして、一度東京の本社に来て面接に来ないか、その面接も形だけで私が名前を通しておくから採用は確実。あなたは輝けるポテンシャルを持っていると、説明の度に私を寺の御本尊か何かのように賛美した。
正直、怪しさは拭いきれなかったが、チャンスには違いないし、まぁ面接を受けるくらいならと思い、名刺を受け取って彼女とメアドを交換した。
私は反対するとハナから分かっていた親には何も言わず、2日後に家出同然で一人東京へと行った。場合によれば、札幌には当分帰らないかもしれなかったが、不思議と郷愁のようなもんは特に感じなかった。
私は調べ物や下準備は苦手なくせに、昔から行動力はやたら高かった。中学生の時に、イルカショー見たさに小樽の水族館にお金を貯めて一人で行ったこともある。
かくして私は、どこまでも広大な農地が広がる北海道から、ビル群に囲まれて空の縮んだ東京へと単身やってきたのだった。
「これか森川誠一郎が言ってたのは……うう……」
そうして、何もプランを立てずに後先考えず動いた結果、私は今毛布に頭の先まで包まって、静かにブルブルと震えている。
***
お湯で体も拭えて、食べ物ももらえて、こうして布団も貸してもらえて、今までろくに食べることも寝ることもできなかった私は、森川誠一郎を警戒して強く当たりながらも、本心ではすっかり安心してしまった。
見ず知らずの男でも、同い年と分かると少なからず警戒心が薄れてしまう。さっき彼の保険証があったから、19歳というのは噓偽りないと分かった。
私にセクハラじみた言動をしてくるが、本当に襲う気ならとっくにやってるし、私に欲情はしているけど、合意なく無理矢理する気はないのだろう。
今後森川誠一郎がどうなるかはわからないから、私も自衛の手は考えなくてはならないが、少なくとも彼は私を命賭けで助けてくれたのだから、冷酷な奴ではない。
と、久しぶりの布団の中で、さっき食べたチキンラーメンは今まで食べたものの中でも5本の指に入るくらい美味しかったなと、その時の味を思い返しながら、彼がどんな人間なのかを自己分析してうとうとしていた。
睡魔が脳を侵食し始めると、思考は鈍るけど聴覚の方は少し敏感になる。私はまどろみの中で、辺りの音に耳を澄ませた。
その時に、何故今まで気づかずにいられたのか。この部屋が道路沿いに面しているせいで、外のノイズがほとんど遮音されないことに気が付いた。
つまり、外で徘徊する無数のゾンビの息遣いと呻き声、靴底を擦る足音が、ダイレクトに鮮明に聞こえてくるということだ。
それに勘付いた瞬間、まるで奴らの群れがガラス1枚挟んだベランダにいるような気がして、急に背筋が冷たくなった。
嫌でも耳を澄ましてしまう。よく聞くと、断片的に支離滅裂だが人語を語っている個体もいた。何? お前がおかげで、田舎に帰らせたくなりかけたい? どゆこと?
何だか風が出てきて、窓を小刻みに震わせるのがまた恐怖と不安を駆り立てる。
考えてみたら、もしゾンビが本当に私の枕元まで接近していたとしても、この暗闇の中では察知することもできずに襲われて食われてしまうのか。
8階までゾンビがバッタみたいに壁を登ってくるとは思えないし、完全に杞憂なのだが、それでも私は眠気など完全に吹き飛び、真っ暗な中で一人怯えていた。
まさか19歳にもなって一人で寝ることがこんなにも怖くなるとは。私が子どもの時はこんな夜、どうしていただろうか。
……父の部屋に行って、一緒に寝ていた。
***
ほーらやっぱり来たか。愚かな小娘め。
廊下で寝袋に入って熟睡していた僕だが、彼女が暗闇を壁に手を置いてゆっくりやってくる足音に反応して目が覚めた。こんなことで起きてしまうのだから、大して深い眠りでもないのだろう。
あのベランダの戸を伝って聞こえてくる奴らの生々しい声は、子どもの頃からボーイスカウトで頻繁にテントやペンションで寝泊まりしていた僕でさえ、怖くて慣れるまでに3日はかかったほどだ。
さてさて、恐怖に屈服したかなめはどんな行動に出るのか楽しみグヘッ。
「……寝てるか」
け、蹴った……? 普通人が寝てるか確かめるのに蹴るか? 品行方正とは程遠い、礼儀のRの字も知らない女はこれだから……。しかも多分本気で蹴ったな。割と痛かった。
急な出来事だったが、運よく声を出さずに済んだ。しかし、今ので僕が起きるとは考えなかったのか? それで、この後どうする気だ?
「……おやすみ」
誰に向けて言ったのか、かなめはそう呟くと、狭い廊下で寝てる僕の背後で満員列車に無理矢理乗り込む乗客のように、ぎゅっと詰めて横になった。衣擦れの音がして、毛布の端っこが寝袋にかかる。
押し殺した吐息が耳元に届き、彼女が僕の足ではなく同じ向きで寝ていることがわかった。僕本人を蹴っ飛ばしてまで隣で寝たかったというのを、喜ぶべきなのか迷う。
僕は隙間を作ろうと寝返りを打つ振りで体を横にした。寝袋に包まっていると、態勢を変えるのに結構苦労する。