情緒不安定 6
「「あぎゃぁぁぁぁぉぁぁぉぁぁぁ!!」」
振り下ろされたザリガニの巨大な鋏を、僕らは互いに突き飛ばし合って間一髪で避けることができた。そうして立ち上がると、僕はザリガニの背中を飛び越えて部屋に入り、カナメの後を追った。
「ちょ、何なのあのデカいザリガニ!? いつから私達センター・オブ・ジ・アースの世界に紛れ込んだのよ!?」
「知るか!? とにかくここじゃ負が悪い!! このザリガニが出てきた下はどうなって……」
僕がザリガニがブチ抜いた穴の下を見下ろすと、そこにはかなりの数のヤツらがこちらを見上げ、よだれを垂らして僕を見つめていた。
何体かは死んでるが、頭や足などが潰されて食われているあたり、このザリガニに殺られたと見ていいだろう。
どうやら下の階は鍵が開けっ放しらしい。ここに飛び降りるのはまさに自殺行為そのものだな。僕が思わずビビって唾を飲むとかなめが僕の襟を掴んで廊下に投げ飛ばした。
「いったいわね! もう何すんのよ!」
背後を見ると、ザリガニが鋏を梯子に叩きつけてあっさりとへし折った。折れた梯子はベランダの手すりに落ちて下へと落下していった。
「ボーっとすんなバカ!! どうする? 外に出る!? ん? 待って今なんでオネェになったの」
「い、いや何でもない。外に出ても僕らの部屋はバリケードで塞いでるし橋爪翔介の部屋の鍵は放置したままだ。逃げても一時凌ぎにしかならないしむしろよりピンチになるだけだ」
実は今人格を分裂させて、自分で自分を話し相手にできればいいなと思って貞淑な女の子の人格を生み出してる最中なのだ。かなめにはまだ言ってないけどまぁ引かれるだろうな。
「じゃあどうすんの!? こんなクソ狭いとこじゃ逃げ場もないし隠れる場所もない!」
「そんなん、これ使うしかないだろうが!!」
僕はズボンに挟んだトカレフを抜き取ると、それをザリガニに向けて3発発砲した。
相当硬い甲殻のようだが、いくら何でもザリガニ程度が銃弾に耐えられるわけない! 余計な損失くれやがって、せいぜいもがき苦しんで死ね!
カキンッ
「え?」
「え?」
気のせいかもしれないけど、今金属音がして弾が弾かれたような気がする。現にピンピンしてベランダの壁殴ってるし。試しにもう1発撃ってみる。
キィンッ!!
あ、ダメだこれ。コイツ銃効かないわ。銃効かないってことは僕に勝ち目はないンだわ。せっかく全弾命中したのになんてこった。
「生まれ変わったらイソギンチャクになりたい」
「せー!? 頼むから私を置いて死を受け入れないで!! 死ぬなら口座の暗証番号言ってから死んで!! オラッ気合い入れてやる!!」
もうダメだよ。こんなん絶対助からないよ。往復ビンタされたところで状況は変わらないよ。こんなB級映画みたいな死に方どっちかと言えばまぁ嫌だけど、死ぬ時は潔く死にたいですね。
すると、あんまり騒ぐので鬱陶しくなったのかザリガニが僕らの方を向いて近寄ってきた。いよいよ終わりですかね。
もう逃げ場もないし武器も効かないし、かなめがもうちょっと僕を溺愛してくれてたら彼女を助けて死ぬという美談的展開もアリなのかもしれないけど、こんなののためには死にたくないし……。
「かなちゃん、ほらこれ」
「え?」
僕はポケットからあるものを取り出して、かなめに手渡した。
「下にある橋爪さんの車、これを君に渡す。君はまぁ頑張ればいいんじゃないですか?」
「いや私丸腰なんですけど。無理でしょ。無茶言わないでよ。ちょっとほらこっち来たから死ぬなら死ぬで逃げ惑ってみっともなく死になさいよ。逃げたら逃げたで運が味方するかもしれないでしょ!?」
「いや、森川家は武士の家系。死ぬ時は潔くか勇ましく死ぬ定めなのです……と、見せかけて死ねェェェッ!」
かなめが再び僕の胸ぐらを掴んでビンタを繰り出した時、僕は接近するザリガニの顎の中へ弾をブチ込んだ。これが最後の1発だった。ケチケチ使うつもりだったのにコイツに何発も使ってしまった。
ザリガニの身体が硬直して、触覚すら動かなくなって沈黙した。相当知能が高いザリガニだったようだけど人の演技を見抜けるまでではなかったか。
「ハッハッハ流石にこれは効いたな、舐めた真似しやがって。おいかなちゃん。コイツベランダから捨てるから尻尾持って」
「あ、うん。せー演技上手いんだ。すっかり騙されたわ。ところで武士ってどのくらいの地位? まさか藩主とか?」
「いやただの下級藩士だよ。金禄公債でもらった金を種銭に金貸しやって一族は連綿と続いて今に至る」
そして恐らく僕が末代。
かなめはザリガニの背後に回り、僕は巨大な鋏を恐々触れた。滑りなどはなくただ硬くザラザラしていてアスファルトの車道に触れているようだ。
「せーの!!」
そして、腕の付け根を両手で掴んで持ち上げた。かなり重いけど何とか持てなくはないレベルの重量だ。これならベランダから捨てられるな。
「よし、捨てる……ん?」
僕がザリガニを持ち上げた時、ザリガニの顎がピクリと動いて目玉が動いた気がした。僕がそれに気付きつつも無視して足を進めた時、尾が動いてかなめを壁へ弾き飛ばした。
「ぎゃぁっ!?」
「うぐっ」
そして、ザリガニは両腕で僕を挟んで締め上げた。コ、コイツ……。大して効いてない。死んだ振りかよ。僕がこうするのを待っていたのか? コイツもうザリガニじゃない。完全に別の生物だ。
「うっ……ぐっぐ……おお……」
アカン、万力みたいな凄まじい力だ。そりゃ怒るよな。持ってる槍で目を突き刺すが、角膜すら硬いのか全く力を緩めず効いている感じがない。
ダメだ……これマジ死ぬ……絶望だ……僕の人生まだ……ザリガニなんかに僕が……。
かなめが助けてくれることを期待したが、かなめは死んだフリをしてやり過ごそうとしていた。こんなヤツに期待した僕が馬鹿だった。




