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情緒不安定 4

 それからも部屋をごそごそと漁ったけど、あまり物資などはなかった。

 というか本当に物がない。クローゼットに安物のスーツがあったことから恐らく成人男性なんだろうけど、私服らしい私服も4着しかない。

 家具も洗濯機や冷蔵庫とか必要最低限のものしかなく、ストーブや空気清浄機みたいな暮らしを快適にする機能性のものはない。

 いわゆるミニマリストってヤツだったのかもしれない。何だっけ? 断捨離って言うんだっけな。


「チッ……ロクなもんがないな。クソが」


 かなめが台所の棚を引っ掻き回して、マカロニの袋を出して悪態をついた。女の子がクソなんて言うなよ。こういうところで育ちが出るよな。これだから下民は。

 僕がそう思いながらトイレのドアを開けると、腕に何やら黒い粒が落ちてきた。やや大きめな蜘蛛だった。


「うわっ!! ンだよ驚かせんなボケが!!」


「誠一郎さん、口悪いですよ」


 僕が腕から叩き落とした蜘蛛を踏み潰し、壁に靴底を擦り付けていると、その足を跨いで星子さんが下駄箱を開けた。

 斧持ち歩きながら歩き回るのインパクトあるな。槍持ってる僕も彼女には同じように見えてるんだろうか。


「いい年なんですから蜘蛛くらいで騒がないでくださいみっともない」


「急に現れたから驚いただけだよ」


「どうでもいいですけど、この部屋何もないですがこんなもんありましたよ」


 靴箱に目を向けたまま星子さんは僕に何か小箱を渡してきた。もう小箱の時点で何か察せてしまう。


「コンドームねぇ。星子さんは普段彼氏に買わせてたの? それとも自分で?」


「彼氏いたことないです。というかその質問セクハラですよ。まぁ誰にも告げ口できませんけど」


「そうだね。てことはセクハラついでにもう一言聞くけどアレ? 星子さんって親以外の人に裸見せたことある?」


「処女? って聞くのは流石にどうかと思って回りくどい言い方するのが心底気持ち悪いですね。鳥肌立ちました。初対面の時はまだモラルがあったのに輝かしい未来と共に消え失せてしまったんですね。哀れな」


 ボロクソ言われた。いや、やっぱり日本有数の金持ちの息子を振ったわけだし、理由の一つとして考えられるのは彼氏絡みと思ってるから気になっただけだ。


「ま、答えてあげますけど、ないですよ。といっても陸上部ですから大会の時は結構ユニフォーム露出多めでしたけどね。彼氏もいたことないし、欲しいと思ったこともないです」


「そうか。じゃあ何で僕の縁談を断ったのかな? やっぱり縛られたくなかったから? 専業主婦とか嫌だったみたいな?」


「その内答えますよ。今はまだ誠一郎さんともそんな深い付き合いでもないですし。あ、この靴一応サイズ合うか見てみたらどうです?」


 星子さんが安い中国製のスニーカーを僕のイタリア製のハンドメイドの良質な革靴の横に置いた。でも、スニーカーの方が少し小さかった。


「ダメか。この人多分小柄なんでしょうね。誠一郎さん背高くも小さくもないですからね」


 そう言って、星子さんは初めて僕に笑いかけた。と言ってもほくそ笑むような微笑だったけど。やっぱりこの中性的な顔立ちかわいいな。気品も感じる。


「というかさっさとトイレん中探したらどうですか? トイレットペーパーでも貴重なんですし今となっては誠一郎さんより価値あるんじゃないですか?」


 でも、口は全然かわいくない。将来結婚したとして嫁にこんな言われ方されたら旦那はみんな嫌がるんじゃないだろうか。

 いや、まさか僕を拒んだ理由は僕がマゾじゃないからなのか? まさかな。

 僕はトイレットペーパーを両腕に抱えてリビングに出ると、かなめはまだ台所を漁っている。そんなに頑張ったところで何があるわけでもないだろ。


「どう? 何かあったか?」


「あ、せーちょっとしゃがんで」


「?」


 トイレットペーパーを床にばら撒いてから僕が言われた通り屈むと、かなめが四つん這いで近寄って僕にキスしてきた。


「うっ?」


 そして、僕の口の中に唾液と共に柔らかく生温い何かがかなめの口内から流れ込んできた。何だよきったねぇな。何だこの味? ガムなのは分かるけど死ぬほど不味いんだけど。


「かなちゃん、これ何のガムよ」


「深谷市限定、深谷ネギ味のガムだって。ゲロ不味いからこの苦しみをせーと分かち合いたくて」


 そう言って、よだれを拭いながらかなちゃんは私に深谷ネギがプリントされたガムのボトルを渡してきた。これネギ味なのか。傷んだサワークリームみたいな味がしたぞ。


「よくこれ買う気になったなこの家の人、深谷市の人なのか?」


「さぁね。まぁ不味いけどこれも食糧だしね。賞味期限とかだいぶ先だし」


「…そうだね」


 僕はティッシュにガムを吐いてポケットに突っ込んだ。今のが口移しってヤツか。今初めてやられたけど出来るならもっと甘いものでやってほしかった。

 どうでもいいけど、多分コイツは人に自分の分泌液を飲ませると興奮する性癖持ちだ。

 キスの時はよだれ飲ませてくるし、口つけたカップ麺を交換する時は決まってスープ飲むフリして口の中に含んだのを戻してくる。

 生理的嫌悪感を感じるとかいうのはないけど、かなめが風邪とか引いてたら感染るからやめてほしいし、出来るなら母乳とか飲みたいけど彼女の乳首を吸っても出てこない。

 あれって成人に近づいたら勝手に出るもんだと思ってたけど違うらしい。この前グーで殴られたよ。


「あ、そういえばこれあったよ」


「これ、せーのサイズに合ってないからゴミじゃん」


 僕が星子さんから渡されたコンドームをかなめに渡すと、彼女は一瞥して即放り捨てた。え? アレサイズとかあったの? 初耳なんだけど。

 星子さんが消臭スプレーを持ってこっちに出てくる。


「これくらいしか無いですね。ここは外れってことでしょうか」


「そうだね…このガム食う?」


「あ、どうも……おえっまっず!?」


 ガムを口に入れたと同時に星子さんの顔が青くなってトイレに駆け込んだ。そんなにか? 何だか出てきた時に文句言われそうだな。


「そんでもって、どうする? 隣の家とかも入ってみる?」


「そうしよう。また僕があっちに移るから仕切り戸を外して散策するとしよう。でも、この階層にはあまり期待すべきじゃないな」


「そうだね」


 僕が背後に目を向けたその時、下から突き上げるような揺れが突如僕らを襲った。


「何だ? 地震か?」


 僕がしゃがんで壁に背中をつけると、かなめも台所から出て僕の横に座る。地震ではない。揺れは瞬間的なもので、大きいのがガツンと来たら振動は後を引くことなくすぐ止む。

 再び揺れた。地震ではないとなるとこの揺れは何なんだ?

 僕が埃が落ちる天井を見上げていると、かなめが僕の袖を掴んで恐々と呟いた。


「ねぇ、せー……これ、下にいる何かが私達に気づいて天井を突き破ろうとしてるんじゃ…」


「は?」


 床に耳をつけると、かなめの言う通り確かに下から揺れと合わせて何か叩きつけられている音がする。いや、まるで反抗期の中学生みたいにしつこく殴りつけているようだ。

 するとピシリと音がして、フローリングの木材に亀裂が走った。


「な、何ですか? 何か下にいるんですか?」


「おい、まずいぞ一旦退避だ。上に戻るよ」


 僕はトイレから出てきた星子さんの手を掴むと、共にベランダに駆け出して梯子を登った。先に2人を登らせて僕が最後に梯子に足をかけると、特に激しい揺れが来て、尻餅をついた。

 反射的に部屋を見ると、床を突き破って黒いブツブツが浮き出た何が姿を現した。

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