何が何だかわからない 前編
「オーケーかなちゃん。まず一番大事なことを君に聞きたいんだけどいいかな?」
「言いたまえ」
僕とかなめはテーブルに向かい合わせに座り、かなめのやったことについて彼女に問うた。
「……」
その真横には、四肢をガムテープでぐるぐる巻きにされた後毛布で簀巻きにされ、さらに彼女の体の上からベルトを3本かけ、その両端を釘で留めて床と固定した星子さんが、どことなく恨みがましい目で僕を見ていた。
いやまぁこんな指一つ動かせないくらい縛りつけられたら誰だって怒るよな。それはゾンビでも同じらしい。
「別に怒ってるわけじゃない。ただ純粋な疑問なんだけど、何で星子さんを捕獲なんかしようと思ったのかな」
「だってせーホッシー殺したくなかったんでしょ? それって出来たら生きてほしいって思ってるってことだから、殺したら絶対せー後悔するだろうなーと思ってやりました」
驚いたな。ここまで気の利く人間になれるなんてお兄さん泣いちゃいそうだよ。
本心を打ち開ければ正にその通り。星子さんに生きていてほしいのは事実だ。
「そうか、かなちゃんの気持ちはありがたいし、実際ちょっとホッとしてるのも認める。ただ、問題は」
「私達の身を危険に晒したくない……でしょ」
「そう」
まさにその通りだ。今こそ三重に拘束して、口には靴下を詰め込んでるけど、時間をかけて暴れ続けられたらいつかは抜け出されてしまう。そうなってもし寝込みを襲われでもしたらあの世でいい笑いモンだ。
「僕らは医学なんて1ミリも知らないけど、もしかしたらどっかの大学病院ではもう感染者の治療法が確立されてるかもしれない。もしそうなら万々歳だけど、まぁ現実問題そううまくはいかないと思うわけよ」
「というかベランダから目と鼻の先の自販機にも行けないのに病院になんていけるはずもなく」
「その通り、つまり総合的に考えてこの子を僕らと同じ空間に置いとくのは危険なんだわ。かといって、ここまでされたら殺すのも今更どうかと思うし……どっか隣の空き部屋に厳重に隔離するしかないな」
僕は足をバタつかせて拘束を解こうとするかつて星子さんだった生き物を見たが、やはり恐怖を強く感じる。チーターと同じ檻に入れられた気分だ。
「そーだねーなら、万一抜け出されてもいいようにある程度消毒しとかないとね」
「消毒?」
僕が首を傾げると、かなめは立って脱衣所の方に歩いていった。何を持ってくる気かと思って待っていたが、思いの外早く2分くらいで戻ってきた。何か白濁した液体が入った洗面器を持って。
「私思ってたんだけど、噛まれたら感染するっていうのはゾンビの歯がどうとかじゃなくて、シンプルに歯を磨いてなくて不衛生だからだと思うのよ。つまりキチンと殺菌しておけば噛まれてもモーマンタイってわけよ」
「なるほど一理あるな」
もっとも肉を食いちぎられるわけだから集団でこられたら死ぬことに変わりはないだろうけど。
かなめはテーブルの上のペンチを取ると、それをトングのように扱って星子さんの口から靴下を抜き取り、間髪入れずにその液体を彼女の口に流し込んだ。
「ゴボッ!ガボボボ!! グポッ!?ゲボボボ!?ゲホッ!ガハバ……たすゲボボボポポポッ!!」
「なんか星子さんめっちゃ苦しんでるし、口から大量に泡吹いてるし芳香剤みたいな匂いするんだが、その液体何混ぜたのよ」
「洗顔剤とシャンプーとハッカ油と石鹸と食器用洗剤と歯磨き粉と漂白剤を、うがい薬とモンダミンで割った。これ全部飲ませたら五臓六腑までピッカピカよ。ヘへヘ……ほーら仰向けのまま動けないから飲まないと窒息するぞー?」
何だろう。この人、こんなにサディストだったっけ。やはり外に出ないと人はこうなるのか。半分以上は飲むの厳禁なものだけど、まぁ元から死んでるようなもんだし別にいいか。
僕はボンヤリと洗剤の混合物の鼻が曲がりそうなキツい匂いの中で、そんなことを考えていた。
「よし、ほぼ口から溢れたけどまぁ飲ませるは飲ませたね。ついでに言うと気絶したし好都合だね」
「ぉ……ぇっ」
星子さんは顔が埋め尽くされるほど白い泡まみれになり、痙攣して口から洗剤を咳と共に吐き出すと、ピンクの舌を出したままぐったりと白目を剥いて動かなくなった。
「星子さん、何て無惨な姿に……ん?好都合?運ぶのがか?」
僕は床にこぼれた洗剤が広がらないようタオルを置いて吸わせていると、かなめが意味深なことを言ったので彼女を見上げた。
かなめはペンチと別の家から盗んだ剪定ハサミを交互に仮面ライダーみたいに構えて、僕にドヤ顔を披露してくれた。クソ嫌な予感がする。
「次はこれで歯を引き抜き、指も全部詰める」
「……はは」
どうしよう。僕こんなサイコパスと一つ屋根の下暮らしてるのか。怖すぎて笑えてきた。別の部屋に置いてあったウシジマくんの影響かもしれないが、そうだとしても平気でそれを行動に移せるのが恐ろしい。親の顔が見てみたい。
「私が家に入れたんだからせーに迷惑はかけないよ。あ、爪剥がしてから指切り落とそうかな。でも最初は歯から……せー構わないでしょ?」
一応婚約者なので、かなめは僕に星子さんを痛めつけてもいいかを聞いてきた。
うーむ。仮に人に戻せたとして、義指で見た目は誤魔化せるかもだけど、やはり指は生活に支障が出るな。というか引っ掻かれても感染はしないだろうし、指まではやらなくていいか。
「指まではやらなくていいよ。歯は全部引っこ抜いていい。そのうち僕が金出して全部インプラントにさせてあげたら解決する話だし」
「うーし、じゃあ歯と爪で行くか。まずは下の前歯から……せめて麻酔くらいしてあげよ」
「グボファッ!??!」
かなめも人の心が残っていたのか、橋爪宅にあった日本酒を麻酔と称して無理矢理ラッパ飲みさせた。気絶中にそんな苦しくなることされたら当然起きるわけで、星子さんは目を見開いて口と鼻から酒と洗剤を噴き出した。
吐くたびに泡出てくるの面白いな……。
「これでよし。さぁ行きますか」
かなめが予告通り下の小さく平たい前歯をペンチで挟んだ時、星子さんが何やら低く呻いた。
「わた……し……ふつ、に……なんか……してな、んですけど……」
「え?」
「え?」
なんかほざいてる。僕はペットボトルのお茶をコップに注いで星子さんの顔にぶっかけ、顔に纏わりつく泡を取って口をゆすがせた。
「ゲホッホッ……私はゾンビじゃなくて普通の人間だって言ってんのよ!!! とっとと出してください!! 近い内に訴えます裁判も起こします!!」
「しゃ、喋った」
すごい賢いゾンビだなぁ。いや違う、僕らの勘違いで、まさか星子さん普通に生身の人間のまま僕んちに来たのか?
僕がかなめの方を見ると、かなめはまだ少し中身が残ってる洗面器を傾け、残りを全て星子さんにぶっかけた。
「グギャァァァァ!! 目が!!目が! 何で? 今言ったじゃない言ったじゃない!!」
「今年のノーベル医学賞は私だね。早速調合法メモらないと」
「違う!! 最初から人間だって言ってんの! こっちが何か言う前にいきなり殴ってきやがって!! とっとと解いてください誠一郎さん! 本気で殺しますよ!?」
世の中、よくわからないこともあるもんだなぁ。僕は終始何が何だかわからないまま、とりあえず毛布から星子さんを解放した。




