橋爪翔介の手記 後編
「ここからはもう日本語だ」
僕はカラカラに乾いた喉をスポーツドリンクで潤しながら、最後のページまであと残りどれくらいかをざっと流し見た。もう残り僅かだ。
「じゃあ残りはスムーズにいけそうだね」
僕は読んでいて不快になってきたのだが、かなめは何も考えてなさそうなほんわかした顔で僕の膝の上であくびをする。
「だといいんだが、英語の方が遥かに楽だよこれ」
「え? 何、めっちゃ字汚いの」
「そう。ひどいなこれ。殴り書きにしても限度があるぞ。回を追うごとに悪化している。まぁ……もう連中になりかけてたってことがよくわかるぜ。あーやだなーこれ読むのもう」
僕は唇を舐めて濡らしてから、再び手記を読み始めた。
***
日記を書くのも大分期間が空いてしまった。ここのところだるくてだるくて仕方ない。腹も減らないし、性欲も眠気もほとんど意識していない。
トイレ以外はほとんど動かない日々が続いていて、日記も決して存在を忘れてたわけではないが、面倒で書く気が起きなかった。こんなの初めてだ。
太田君や中澤ともほとんど喋らない。女に手を上げた僕を見下してシカトこいているのではなく、全員が誰とも話さないのだ。
これが鉛色の空気と言うヤツか。しかし、身体は熱くて仕方ない。時計は気温10度とあるのに、真夏のくま谷にいるようだ。
クソ、頭がぼーっとしてくまの字を忘れた。情けない。漢検……ダメだ、じゅん二級のじゅんの字も書けない。実は英語もほとんど忘れてしまった。若年性アルツハイマーにでもなったか?
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外で女の子のこえがする。どうやら下の同じ生きのこりのヤツ、どんなしゅだんを使ったのか知らんが彼女を家にまねきいれたらしい。
ここ最近、窓からみたかぎりだと生きた死体のかずが増えてきているというのに、どうやって女なんか連れこんだんだろう。あかるい声が聞こえて、まるでちがう世界のけしきがそこにあるようだ。
つい1か月ほどまえまで、自分がたぼうを極めた人気はいゆうだったことが信じらない。
親はどうしてるだろう。大学まで行かせてやったのにはいゆうなんてとぼくを殴り、さらに一方的に絶えんされた身だが、すこし気になる。
頭がいたい。暑い。
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さいあくだ。おおたくんがかんせんした。いったいどこで……?
成さわが噛まれたことでそれに気づき、前だとふたりがかりで外においだした。ころすつもちだったが、かず少ない友をやることはできなかった。ほかの連中はぼーっと見ているだけだった。
ふざけやがって。バリケードもぼくだけでつくった。
ちくしょう、そうか……あの水だ、あの赤い水を飲んだせいか。この不し然なむしあつさ、だるさ、食よくのなさも、そう考えたらなっとくだ。それとまぁ男女のアレだ。
どうすべきだ。ぼくは。
なりさわはお願いだからおい出さないでほしい、何でもするからとぼくに泣きついてきた。その元きさがうらやましい。ぼくはもういつまでもいていいと言った。
にんげん、心そこぜつぼうすると涙もでなくなるもんらしい。
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みんながかんせんしたことをさとってあばれている。にんげんとはこうもみにくくなれるものなのか。この前まで、すたじおでおもて向きははわきあいあいとしてためんつが、いまではじぶんはかんせんしてないてめーはしてるとどつきあってる。
ぼくはかぎをかけて風呂ばにいる。こうなると下のこをよばなくてやはりせーかいだ。こんなぶざまなざまをみられたくない。
さっきゆぶねにあかいみずためて、ほうちょうでてくびきって死のうとした。こわくてできない。しぬならでんしゃが楽そうだかえきいきてー。
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だついじょでひさしぶりにふくぬいだらわきからよこっぱらかけて、あざがあった。きとこれ、ばいどくだ。そうか。ぼくかんせんしたんじゃなくてせいびょうだったのか。うれしいひさびさにわらた。そうなったらぼくいがいいかすりゆうはない。くらとりのあたまをびんでなぐってやった。くらとりのあたまがわれてちがながれ、それをなかざわがぴちゃぴちゃなめた。なかざわもなぐった。きづいたらびんわれてかけらでゆびがとれた。いたい。しにたくないしにたくないしにたくない。
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ぁぁようじおむつのこまーしゃるをえろいめでみてて、めのまえのれんちゅうはくえなくて、はらへった。めのまえにあかちゃんいたからくったらは、おれた。ちゅうがくのささき、しぼこうにおちてしんだ。せんざいざまぜて。うえぁぁぁぁぁぁぁだれだそとのにくおいしそう。てんもんぶやめなきゃよかたぁぁ。おやじなんでぼくをおうえんしてくなかった。
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何故か知らないが、長い悪夢を見ていた気がする。いや、今でもその悪夢は続いている。どういうわけかぼくは少しだけ正気に返れたらしい。
だが、認めたくないけど感染はやはりしている。顔はひどいひどい見た目だし、何よりなりさわ達が襲ってこない。ペンを持つ力もうまく入らない。
というか利き手の指が2本千切れて左手で書いてる。そこも少しも痛くない。
ぼくの後ろであたまがわれた倉鳥が日記をじっとみているが、内容まだ分かるほどの知能がのこっているとは思えない。
どういうわけだ。梅毒とこの発狂する菌かウイルスがバトルしてすこしだけ感染の進行がよわまったとかなのか? しかしあのアマ、今までどんな男と寝てきたんだ?
ともかく猶予期間をもらえた。これが数分か数日かはわからないが、なにかできることを有益なことをしたい。
下にいる子に何かできないだろうか。そうだ。もし君がこの部屋に来て、この日記を見ることができたら、車の鍵はぼくのスーツのうらポケットの中にある。多分脱ぎ捨ててあるのが廊下とかにあるはずだ。
車ほん体は多分マンションのエントランスの真ん前にある。ガソリンもまだはんぶん以上あるはずだ。可能ならつかってほしい。まぁそのためには僕らを皆殺しにしないといけないから無理かな。
今、あたまのなかがぞわぞわするかんかくがした。何だよ。もうだめか。脳がくさっていくのがよくわかる。したの子よ。できたらぼくを殺さないでくれ。ぼくだけじゃない。おおたくんもなりさわ達もだ。
もしかしたらどっかがワクチン作って全部かいけつみたいなことをゆめみてる。
さいごにあまいものをくいたいかられいぞうこのくさったシュークリームをさっきてに取ったが、もう人の食いものはいがうけつけない。一口食ったはいた。
むかし、おふくろが東京にいったときのみやげもシュークリームだった。しゅーくりーむなんてじもとのケーキ屋にもあるのになんでだったんだろうとその時はおもったが、今なっておもえば、ぼくがシュークリームがこうぶつだったからこそ、こっきゅうてんのをみつくろってかてきたのかもしれない。
これがぼくのさいごか。このよにはかみもほとけもいないことがよくわかった人せいだた。とりあえず、あの子、なぐてわるかた。
あたまのなか、ばくはつおんがしてうるさい。いしきがきえる。あついあつい。まえよくみえない。なんだこれ、ちくしょこんなきぶんか。からすはとむくどり。
うまれかわてもおふくろのこにうまれたい。うまそ。




