普通に考えたら許されない行為 後編
……まさか、この森川誠一郎ともあろう者があのような小娘になすすべなく弄ばれるとは。あの時、一瞬でも『これで僕も10代で童貞卒業できる! やったぜ!』と思った僕の愚鈍さよ。
おかげで僕のロスト・バージンは最悪だぜ。不幸中の幸いは何とか避妊はできたことか。隣の部屋にあったからな。0.02ミリのが。
完全にトラウマを植え付けられた。僕がこんなに恐怖を感じたのは、6歳の時、昆虫図鑑のクロゴキブリのところに『生息箇所、台所』と書いてあった時以来だ。
こんな将棋と気が強くて美少女くらいしか取り柄が無い女に蹂躙されたなんて今でも信じられない。というか、あの様子から見るにかなめは僕が初めてではなかったのか? やはりかわいい子はみんなそうなのか? 考えただけで震えて涙が止まらない。
「せー開いたよ。早く物色しよ」
「……うん。しかし、家に住んでる人達を全員皆殺しにしてから家財道具やらかっさらうって、冷静に考えたら立派な強盗殺人だよな」
「そーだね。まーゾンビが病人の扱いだとしたら普通に人権もあるから、私達場合によっては死刑かもね。せー高い弁護士雇ってね」
「そういえば、ウチの顧問弁護団の人達は大丈夫かな」
僕がこんなに悩んでいるのに、かなめは何でもないみたいに振舞っている。実際何でもないのか。男として一皮剥けたはずなのに、剥けた後の今の方が悶々として頭痛さえしている。腰も痛いし最悪だ。とっとと済まして一人で寝よう。
僕は破片で肌を切らないよう注意を払いながら、苦労して居住者だった方々を殲滅した最上階の一等室へと入っていった。
「流石にひどい散らかりようだね」
「そりゃ7体の奴らがいたんだからね。まだいるかもしれないから気をつけろよ」
部屋はコの字の革張りの巨大なソファがワインレッドのカーペットの上に置かれていて、何インチかはよくわからないけど、両手を広げた僕の横幅くらいあるサイズの巨大なテレビは煉瓦の壁の窪みに取り付けられている。全体的にヨーロッパ風の内装だ。
だが、ところどころに血で汚れたり歯型の痕がある。それに、全体的に生臭い。
「プラモを食おうとしたのか?」
僕は不自然に砕けたバンドムのプラモデルを床から破片を集めて拾い上げると、ソファ前の花崗岩のテーブルに置いた。踏んだら地獄の痛みが待ってるからな。
「せーここの家主が誰か分かったよ」
同じリビングでも、アイランドキッチンがあるようなリビングは僕の部屋の4倍はあるので、かなめは同室の離れたところで別に散策をしていたが、何かのトロフィーを持って戻ってきた。
「これは……NHD開催テレビドラマ杯 2018年度最優秀主演男優賞。橋爪翔介……あ、あの僕の心のモンスターの羽田二郎役の俳優か!」
橋爪翔介は今をときめく人気俳優だ。まだ27歳ではあるけどダンサーや声優や作家と幅広く活動しており、恐らく名前だけなら日本人で知らない者は皆無に等しいだろう。
「多分NHDのフラミンゴ・フラメンコってドラマで主役やってたからそのトロフィーね。あれ私は見てないけど視聴率平均43パーだったらしいから」
「宇都宮銀行のポスターにも広告塔で出てたこともあったな。そうか、橋爪翔介の家だったのかここ、全然知らなかったぜ」
僕は昨日のことでいっぱいいっぱいの頭をフル稼働させて、昨日殺したヤツの中に彼がいたかを思い出そうと頑張った結果、あの鼻無しがそれに近い気がした。身長が橋爪翔介もかなり高かったはずだ。
「でもショック。こんなたくさん女の子を連れ込んで遊んでる人だとは思わなかった。結構綺麗な子が多かったけど、枕営業とかだったのかな」
「まぁ女性問題で破滅した人は古来より星の数ほどいるだろうし、この人はもしかしたら告発とかされる前に死ねてよかったかもね。名誉は守られたことになる」
「せーもハニートラップとかに引っかからないようにね」
「君も女優になってたら引っかかってたんじゃないの?」
「まぁ私はキャリアアップのためなら考えるよ。マリリン・モンローみたいに」
かなめはそう言って、テレビの前にトロフィーを置いた。金箔を張られたそれは日の光を吸ったように、薄暗い部屋の中でも光沢を放ち輝いている。
悲しいけど、僕はもう既にハニートラップに引っかかったようなもんだから時すでに遅し。何か朝になって冷静に考えたら、何で僕はあんな倒れたドラム缶から溢れる灯油に松明を放り込むような、向う見ずな求婚をしてしまったのか。きっと拘禁障害だ。
「しかし、僕らの階と間取りが全然違うから、どこをどう手を付けていいかわかりゃしない。とりあえず2階は後回しに、まずはここらから……」
僕は縦にも横にも大きいピンク色の冷蔵庫を開けた。電気は生きているから開けた瞬間に冷気が顔を撫でたが、同時にカビの臭いも辺りを立ち込めた。そりゃ1ヵ月以上も食材を放置してたらこうなる。
「なんだこれ? シュークリームか? わたあめみたいになってやがる」
何だか洒落たデザインの紙箱があったから開けてみたら、そこには青白い毛玉がぎっしり詰まっていた。
カビにすっかり覆い尽くされていたが、辛うじてパイ生地のようなものが見えたので、形からして饅頭じゃなくてハンバーガーみたいなタイプのシュークリームだろう。
「もったいねぇな。食い物もほとんど傷んでる。牛乳なんかヨーグルトになってるし……うぇっ吐きそう」
腐った牛乳パックに鼻を近づけたら、ものすごい悪臭に思わず咳き込んで涙が出た。
「というか、流石にゾンビが生息してた場所の食い物って無暗に口にしない方が吉なんじゃないか? どう思うかなちゃ……ってなんで寝てるのよ」
僕が真空パックのサラミを持って振り返ると、かなめがソファーの上で横になってくつろいでた。
「だって眠いんだもん。私外にいた時でも最低1時間は寝てたのに、昨日一睡もしてなかったから眠くて眠くて」
「あ、そう……うぇっ辛ぇ……」
僕は朝から何も食べてないのでそのサラミをかじったが、舌が焦げ付くような塩辛さに顔をしかめ、危うくかなめに向かって吐き出すところだった。横着せずに切るべきだった。
そうか、僕は寝てる時でも彼女に弄り回されていたのか。道理で体が怠いわけだ。もしも僕がテクノブレイクして死んだらどう責任取るつもりだ?
「ねぇ、せーも寝ない? このソファー柔らかくて気持ちーよ」
「寝ない。第一そんなスペースないだろうが。僕がかなちゃんの上に覆い被さるのか?」
「覆い被さるのか? って実際せーそうやって昨日寝てたけど」
「そういうの言わなくていいから」
僕はかなめを放っておいて家探しを続行しようと思ったが、猫みたいにソファーに顔を擦りつけるかなめを見ていると、僕自身も眠くなってきた。ここ、連中も座ってただろうからあんまり衛生的じゃないように感じるんだけどな。
「じゃあまぁ仕方なく……」
「だから私の上でいいって」
足を曲げればかなめの足元で横になれそうだったので、僕はそうしようとしたのだが、かなめに思考を読まれて手を掴まれて、そのままソファに引き寄せられた。昨日もその前もこんなことがあった気がする。
「ふーあったかい。せーの体重はほどよく圧し掛かるから熟睡できそう」
「人を抱き枕扱いするな」
と口では言ったけど、こうしてブラジャーをつけてない素肌に近い胸に顔埋めると嫌なことが全部吹っ飛んで一気に微睡の中に誘われてしまう。何だこの安心感。癖になるわ。
「ねーせー。やっぱり結婚止めてアンタ私の弟にならない?」
「唐突だな」
「だってせーに感じてるこの愛おしさ、昔飼ってたオウムと同じなんだもん」
「え? 僕かなめの中でペットと同格なの? てゆーか初対面の時に僕を30代と勘違いしてたじゃん」
「昔のことじゃん。何か今はせーがやたらかわいく見えるの」
かわいいと言われたことなんて今まで一度もなかったぞ。僕は自分が知らずにペット扱いされていたという胸糞悪い告白に目を瞬かせたが、すぐに正気に戻ってかなめにこう漏らした。
「てか、やっぱりまだこの部屋何がいるか分かんないし、寝るのはせめて玄関の施錠を確認してから……って寝てるし」
かなめの顔を見たら、いつのまにか彼女は眠ってしまっていた。そんなに疲れていたのか。僕は起こそうとはせずに、再びかなめの胸の谷間に頭を落とした。フランネルシャツのボタンが鼻の前にあって邪魔だったけど我慢した。
そうだよ。僕はこういう今日日ライトノベルでも使い古されて敬遠されるような、甘々な純愛を望んでたんだ。決して女の方から一方的に襲われるようなことは望んでない。
僕が自分の真意に気づいて気持ちよく寝ようとしたら、かなめは下に着ているTシャツの裾をジーンズに入れていないことに気づいた。
これが気になったので、僕はベルトの金具を外して裾を入れてから元に戻したのだが、これくらいが一番やってて楽しいのは何故なんだろう。すっかりトランクスを履きこなしているかなめに哀れみすら覚えた。
僕はかなめの口から出たよだれを指で拭き取りながら周りを警戒して、槍とリュックを床からテーブルに置いてから寝た。




