死ぬ覚悟がある人は死ぬ覚悟があるとか言わない
変だ。梯子の蓋は解放されているのに奴らが来ようとしない。僕に怯えているのか? いや、そうとも思えない。ベランダ周辺に散布された瓶の破片にブルブル震えるくらいなら僕も苦労しないのだ。
「どうなってる?」
僕が気休めに足元のグミの入った小袋を手に取った時だった。
「あぁ!?」
真後ろでやかましい騒音がしたから咄嗟に全身で振り向いたら、真後ろの台所のコンロ真上。換気口のファンを破ってダクトから一匹這い出てきた。
そこって人が通れる隙間あったのか……。しかし思いもよらないところから出てくるものだ。
「オラくたばれ!!」
僕は四つん這いになった起き上がる寸前のソイツの頭を踏みつけると、うなじを4回刺突して無力化した。僕も慣れたものだな。それでも個体によってはまだ息があるので、傷口に向かって両足で飛び跳ねて、勢いをつけて首の骨を踏み潰す。
「全く斬新なスタイルで登場しやがって」
僕は槍に付着した血を振り落とし、倒したゾンビの顔を見た。女だ。若いな。16からハタチくらいか?
だが、最初のアイツといいどうしてかコイツも全裸だ。かなりタイプの顔だし、スレンダーでスタイルもいい。こんな美少女、普通に大学生活送ってた時は見たことない。
なるほど、ゾンビにでもならなきゃ僕みたいなブ男に詰め寄ることなんかできないってわけか。そういうことね。
何だかムカついたので、死体の脚を掴んでM字に開かせようとしてみた時、ふと何か気配を感じて、かなめかと背後を振り向いた。
「うわっ……!」
いつのまにか接近していたゾンビが僕のすぐ眼前にまで迫っていた。背後にもう1匹いる。慌てて槍を振ってソイツを斬りつけたが、狙いがそれて頬を裂いただけだった。
まずい。腕を掴まれる。僕は一旦この場での討伐を諦めて、奴らに背を向けて脱衣所を経由して廊下まで避難した。
「お前ら音もなく人様ン家に来るなや!!」
まぁここ僕の家じゃないんですけどね。
廊下にもさらに一匹いた。ベランダを見るとまだ2匹いるが、片方は上の階から頭から真っ逆さまに落ちたせいで、頭を割って死んでしまったらしい。破片は大した効果はなかったようだ。
えーっとつまり今僕が倒さにゃならない連中の数は何人なんだ? 台所に2匹、目の前に1匹、ベランダに2匹、いや1匹は死んでるんだった。となると何匹だっけ。クッソ簡単な計算なのに気が動転して頭が回らない。
「とりまテメェから先に死ねやボケがァーッ!!」
僕の存在に気づいて掴みかかってきた目の前のチョビ髭のゾンビの髪を鷲掴みにして壁に顔面を力いっぱい叩きつけると、腕を回してヤツの喉を掻っ切った。
切った瞬間に呻き声のようなものが聞こえて、やはりかつては人間だったものを殺しているんだなと嫌でも実感させられた。
背後から残る2匹が追ってくる。この狭い場所で2匹同時は刺し違えるような羽目になりかねない。僕はリビングに移動した。だが、ベランダにもまだいるのだ。
「堀・北・真希!」
僕は助走をつけ、リズムに乗って跳躍すると、かなめのようにテーブルの上に飛び乗った。地の利を得るというヤツだ。足場は不安定だが少なくとも連中の頭を蹴っ飛ばすのには困らない。
「あれ? ふ、増えてる?」
何かゾンビが3匹に増えていた。またファンから出てきたのか。僕達の部屋のダクトが繋がっているのだとしたら、かなめの身が心配なのだが、今は自分の心配をすべきだ。
「A、E、D……」
何でどいつもこいつもスペインもマッパなんだよ。アレか、ストレートに書いちゃうとお子様がググってしまうかもしれないから伏せるけど、多分乱れて交わるパーティをして集団感染したと見た。
呼べよ。
3匹が集まってきてテーブルを取り囲む。コイツらをどうやって殺すかは成功するかは置いといてプラン自体は出来ているのだが、気がかりなのは真後ろのベランダのゾンビ。
「……」
僕をじっと見ているだけでリビングに上がってこない。まるで品定めをされているようだ。生存者をただ見つめるだけのゾンビなど初めて会う。そこが不気味だ。
さっきガラスに顔を押し付けて鼻を潰してしまったゾンビのようだけど、かなりデカい。2m10センチはある。NBAの黒人クラスだ。そして、コイツだけ服を着ている。
「クソッ嫌な予感がしてきたぞ」
そうこうしている内に、1匹が僕の足首に噛みつこうとしてきた。なので、僕はソイツの顔を蹴り飛ばし、熊除けスプレーをソイツに噴射してまず視力を奪う。
その次に近くの椅子を持ち上げると、もう1匹をそれで殴り飛ばして本棚にぶつけた。すると面白いように大量の書籍が雪崩のように降ってきた。
「ウラァァァァァッ!!」
そして残ったヤツに向かって僕は、椅子の脚を向けて雄叫びをあげて突進し、脚の中にゾンビを入れて壁際まで追い詰めると、槍で何度も顔や首を滅多刺しにした。
腐った血がマスクについて、臭いが籠るので取り外すと、すぐに目を潰されてもがいている方のゾンビをまず狙いを定めて斬首した。
そして、本の下敷きになっている方のヤツの上に乗り、首を包み焼きハンバーグのアルミを切る時みたいに薄皮を槍の先端で慎重に裂いてから、ゆっくりと肉に刃を入れていった。
靴底から伝って感じる心臓の鼓動と細かな痙攣は、狩りの実感と言うにはとても気味悪いが、これに快感を感じたら異常者だ。
ともあれ最後はあのベランダのゾn
「う、うおおお!? ビックリしたぞテメェ!」
テーブルに身体がぶつかる音のおかげで間一髪察知することができたが、突然例の鼻無しが僕に向かって一直線に、それでいて無音の速足で迫ってきた。
「コイツ……走れるのか……」
というよりは早歩きだが、それでものろのろ足を捻挫したみたいに引きずって歩く他のゾンビとは全く違う動きだ。こんな個体もいるのか。
僕にかわされたら、家具に激突するかと思ったのだがヤツは大きく足踏みしてから止まって、両足のかかとを付けた状態で、小刻みに少しずつ体勢をこっちに向けてきた。
「そんなお茶くみ人形みたいな動きしないでもいいだろ」
そりゃ考えてみたら僕なんかで無双できるような奴らばっかだったら、こんなに人類が追い詰められるわけがない。数の暴力だけが奴らの強みではなかったというわけか。
人間だった時のポテンシャルが関係してるのか、はたまた細菌への免疫力が関係しているのかは知らないが、コイツは上位種ってわけだ。
有機栽培の果物ってほとんどは虫食いやら何やらでダメになるらしいけど、それと似たような感じで、感染して雑多な雑魚で終わるのが大半の中、たまに少数の上位種が生まれるって感じだろうか。
「面倒なのがご近所さんにいたもんだ」
だが、ただ足が速いだけで注目されるのは小学生までだ。この森川誠一郎を舐めるなよ。
僕は壁にかかったアルフォンス・ミュシャの絵画のレプリカが入った額縁をもぎ取ると、それをフリスビーの要領で鼻無しに向かって投げた。
「おぅ……」
しかし、ヤツはそれをうまく口に咥えると、額縁ごと絵を噛み砕いた。ボリボリと聞こえる咀嚼音はガラス片か。しかし、やはり人肉の代替にはならなかったのかすぐ吐き出した。
そういえば忘れてたが、コイツらに噛まれたら無論感染するが、運よく抗体を持っていても恐ろしいくらい発達してる顎の力で食い殺されるのだ。窓から見える景色にある鳥の餌になってる死体はそれだろう。
「クッ……」
僕を捕まえようと両腕を広げて走ってくる、まるで感動の再会を果たした兄弟のようだ。
ヤツが僕に向かってくる時に攻撃するのは相打ちになる可能性が高い。それに身長差があるので狙いも絞りにくい。ただ素早いだけどこうもめんどくさくなるのか。
というか今気づいたんだが、コイツ首にチョーカーをつけている。肌が色黒だから溶け込んでて分からなかった。いやらしい真似しやがって。喧嘩売ってるのか?
かわした隙をついて殺してやりたいが、どんどん止まってから再び走り出すまでの待機時間が短くなっている。さらに腕を振り回すので近寄りにくい。
最初に蓋を開けてこっちに侵入してきたアイツのように、脳が少なめだから逆に損なうところもなくて僅かに知能が残ってる輩もいる。コイツもそれか。
あの汚く伸びた爪で引っかかれたら感染しないとは言い切れない。
「ええいこうなりゃ奥の手だ!」
室内では絶対やりたくなかったが、ヤツが開いたベランダの前に立ったので、僕はチャッカマンとスプレーの即席の火炎放射を浴びせた。気にすることはない。多少炎が立派なだけでベランダで花火をするようなものだ。
普通に噴霧しても鼻が無いから効果があまりないかもしれないしな。
「よし死ね!」
カーテンに火が燃え移ったが、とりあえずコイツを殺すことが先決。僕は槍を構えると火に包まれて怯んだ鼻無しの顎の真下に向けて槍を突き刺した。
「あっ」
やらかした。口に向かって刺してしまった。苦しみ悶えて頭を大きく動かすから狙いがうまくつけられなかった。
「クソッそりゃそうするよな」
鼻無しは自分から槍を首まで貫通させると、槍の自撮り棒の部分を握って手繰り寄せるように僕に接近してきた。すぐ槍を離そうと思った時にはもう遅い。腕を掴まれていた。
まずい。槍を失ったら他にこれからゾンビを倒せる武具があるか分からない。
というかこれ結構ピンチだわ。高身長のコイツなら僕の頭の先っちょのつむじをガリッとやれる。しかも、掴む力めっちゃ強い。
「そりゃ急に焼かれたら怒るよな!」
僕がポケットからトンカチを抜いた時だった。ベランダからやってきたかなめが鼻無しの後頭部に何かを当てて、その部分から歯医者のドリルのような不快な音を響き渡らせた。
「危なかったね」
何をされたのか分からないが、多分絶命したのか鼻無しが崩れ落ちて僕に覆い被さってきたので、慌てて槍を引き抜いて飛び退いた。
「先輩何スかそれ」
かなめは手にSF映画に出てくる丸みを帯びた光線銃みたいなものを持っていた。
「電動ドリルだけど。そっちの家の工具箱にあったからパクっといて正解だったよ」
本当にドリルだったのかよ。
「あ、まだ息がある」
倒れた鼻無しの尻が持ち上がったので、かなめはドリルを突き付けて無慈悲に幾つも頭に穴を穿った。チュイィィィィンという金切り音が鳴るたびに僕の耳が痺れた。
「……」
中々惨たらしい殺し方をする。そこらへんの子だったら吐いてるぞ。
「君、ゾンビを殺した罪に苛まれているという割には、かなり拷問じみたやり方でゾンビを仕留めるんだね」
「えっ」
言われたかなめが硬直した。やっぱりコイツ自分で言っといてちょいちょい忘れるんだよな。
「本当は普通にゾンビ殺そうと思えば殺せるし、トラウマとかもないんだよね?」
「……はい。本当は1人殺しゃ2人も100人も変わらへんやろって思ってます」
「……!」
テロリストの思想じゃんそれ。怖気がしたぞ。
「ちょ、ちょっとカーテン燃え盛ってんだけど! 何やってんのアンタバカじゃないの!? ほら消火器あるんだから消して消して! あーもう壁紙にも燃え移ってるバカ!」
かなめは真っ青になって室内に戻ると、僕に消火器を押し付けてまた部屋に入っていった。僕が消すのかよ……。
「あーもうしつこいな」
消火器の安全装置を外していると、まだ1匹半死半生のがいて、こちらにハイハイで向かって来たので、消火器の白い泡を浴びせてから首を落とした。
何はともあれ、今日も生き残った。まだ運は使い果たしていなかったようだ。