一難去ったら次は四難は来ると思え 後編
「あの、かなめさん、密着していても構わないので私は寝袋で寝かせてもらってもよろしいですか?」
「ダメです」
添い寝至上主義者のかなめに僕の願いは空しく却下された。
どちらかが子どもなら別に苦にならないのだが、どちらも成長期がほぼ終わってる大学生で、しかも僕は177でかなめは168とどちらも背丈が大きい方だった。
故に、すごくキツい。僕なんか身体半分出してるもん。おまけにかなめは寝返り激しいしたまに歯ぎしりするし。
別に悪いことばかりじゃない。かなめの方が体温が高いから身体を寄せ合っているとあったかいというのはさっきも言ったけど、やっぱり何かミルクみたいないい匂いするし、生あったかい吐息が首や顔にかかるとゾクゾクするし。
しかし、根本的にムラムラして寝れないというのが致命的だった。
いくら自他ともに認める草食系の僕でもちょっとキツい。そして、ここまでされても手を出さない僕の忍耐力はもはや神の領域に達していると言っても過言ではない。
「あの、かなめが寝袋に入って僕がその横で寝るというのは……」
「却下」
「あの……何でそんな僕と寝たいんですかね」
「……寂しいから」
胸を押し付けて僕の腕に抱きつく力をより強めたかなめはこう漏らした。あ、声を。
確かに、僕がトイレに籠っていなければかなめに危険を晒せずに済んだ。そこは僕の落ち度だし、頼れる人も場所もない東京で僕しか頼れないというのは、かなめにとってとても心細いというのは分かる。
かなめは明るく振舞って隠しているが、どうも家族の安否が気になって仕方ないらしい。
寝言でもよく言ってるし、僕の家族写真をこの前パソコンの壁紙で見つけて、自分の戸重ねてしまったのか涙をこぼしていた。そのパソコンも今はネットサーフィンすらできやしない。
そう思うと、何だかんだかなめのわがままを聞いてしまうの僕が甘いからなのだろうが、ここで冷たく突き放すのはたとえ演技でも良心が許してくれない。
しかし、そろそろかなめにも言っておかなければならないことがある。
「かなちゃん、もう離れてなんて今日は言わないから一つ言ってもいいかな」
「なぁに?」
子犬みたいな人懐っこい顔で腕に顔を擦りつけながら、かなめは僕から離れようとしない。明日までこのままだと起きた時に腕の感覚をしばらく失くしそうだ。
「あんまり無防備にボディタッチしないでもらえるかな……その、僕も男なんで」
「そりゃ知ってるけど、せーは今まで私を襲ったこと1度もないじゃない」
「それでも結構耐えるのに必死なところはありますよ。かなちゃんはすごくかわいいから尚更。もちろんかなちゃんを怖い思いをさせたくはない。でも僕には少年漫画の主人公みたいに性欲無視して美少女と普通に接し続けるのは無理です」
「ふぅん」
かなめは、納得してくれたのか絡める腕をようやく解いた。どうやら分かってくれたらしい。
じゃあ僕は安心して寝袋に移らせてもらおうと上半身を起こした時、かなめがすくっと立ち上がった。かなめの方が寝袋で寝たいのかな。相変わらずわがままな。
外ではカラスの声が聞こえた。そういえば連中は何で他の動物は無視するんだろう。ベランダからゾンビの横を通る野良犬をこの前見た。
それはそれとして、暗闇の中でかなめが立って何をしているのかがよく分からない。何か衣擦れの音と共にもぞもぞ動いているが、まさか服を脱いでるのだろうか?
「うん?」
僕がそんな胸が締め付けられる疑念を感じた時、僕の顔を飛んできた何かが覆った。触り心地とサイズからしてかなめにあげた新品未使用の僕のトランクスなのだが、これが僕の顔に当ったということはつまり。
「あーかなめさん? 何ゆえに貴殿は生まれたままの姿になっておられるのか」
僕が今思春期の男子の自制心の脆さについて彼女に説いたというのに、かなめはどうしたことなのか自ら鎧を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿となって再び布団に潜り込んできた。
暗闇だから流石に全てを見ることはできないが、それでもこう密着されると感触として彼女が裸だというのが分かってしまう。どうしよう。
「何、あの時は否定してたが本当は裸族だったってオチ? いいから服着なって。あ、でも一瞬電気はつけさせて」
「ダメです。えーゴホン。流石に明るいと恥ずかしいけど暗闇なら私に好きなことしていいって言ってるんだけど。そんなに溜め込んでるんなら発散してよ。別に無理にやっても警察も来ないのに」
かなめはそう言うと、僕の両肩を掴んでうつ伏せに枕に顔を埋める僕の身体を仰向けに回転させ、その上に倒れ込んだ。
「実はちょっと不安だったの。せー私のことを意識してるなとは思ってたんだけど、全く手を出してこないから私がそう思い込んでるだけで、せーは私のこと好きでも何でもないのかなって」
「好きだよ。好きじゃなかったらこんなに優しくしない」
注釈 好きなのは見た目。
「嘘よ、せーはきっと相手が年寄りでも同じように優しくなれるわ。最近になってわかったけどせーってすごくいい人だもん」
「逆に聞くけど僕が今まで冷酷だった時が少しでもあったかな」
こんなに甘やかしてきたのに、ちょっと前までは卑劣漢か何かだと思われてたのか? この僕がこんなに舐められたのは初めてだぜ……。
「そう卑屈にならないの。せーが見返りを求めずに私を助けてくれたのは分かるんだけど、私はせーに一方的に施されるだけなのは嫌なの。だから私のこと好きにしていいって言ってるんだけど」
正直、かなめを抱きたいという欲求はあったし、男と思われててうれしいという思いは否定しないけど、いざ裸のかなめに言い寄られたら理性がここぞとばかりに前に出てくるのは何故なんだ。
「何かいつもとキャラが違くない? こんな脱ぐ子じゃなかったでしょかなちゃんは。というか風邪ひくから服着なって」
「何か最近、周りにせーしか普通の人間がいないからか、裸でも別にいいかなと思い始めてるのよね。寒いから服着てるけど、夏場だったら躊躇いなく全裸になれる自信があるわ」
「そんなカミングアウトしなくていいから。というか君確かストーカー被害にあってから男怖いんじゃなかったのか?」
「せーは別」
詳しくは分からないが、拘禁障害の一種なのだろうか。長期間屋内の狭い空間にいて、さらに多数の人間と接する機会が無いことが原因で羞恥心が麻痺しているのかも。
と、なるとここでかなめと行為に及ぶのは弱者の弱みに付け込むようなものか。
というか、ここでかなめを僕が無責任に妊娠させても当然中絶もできないし産婆さんも呼べないから、それが一番怖い。嫌だぞ僕はかなめの腹を殴り続けるなんて死んでも嫌だ。
「いいから服を着ろって。風邪ひかれたら看病するの僕なんだぞ」
僕はそう言って、手探りで彼女のジャージの上下どちらかを掴むと、それを彼女の胸に押し付けた。信じてもらえないかもしれないけど胸に触ってしまったのはわざとじゃない。
「ここまでした女の子の誘いを断るっていうのせーは」
語気を強めてかなめは僕の首筋を撫ぜる。すでにもう闇に目が慣れてきて、かなめの淡い乳輪や鎖骨にあるほくろにすら気づけてしまう。Eカップというのは本人から聞いたけど、実際直視すると想像以上に来るものがある。
だが、耐えろ誠一郎。耐えるんだ。
「女の子とそういうことをするからには、責任取って……グッ……ギッ、結婚しなくちゃいけない、グギギ……だろ! 僕はクッ……遊びで女性を弄ぶ……ギギギ……ような真似はしない……の……!」
「そうやって歯軋りして拒むくらいなら正直になってくれていいのに、本当に名前の由来同様に誠実ね」
かなめはそう言うと、苦笑して僕の隣に移ってやっと僕の上から降りてくれた。ただ圧し掛かるだけなら心地よかったからいつもやってほしい。
もっと言うと、ここで欲に動いたらかなめと本当に結婚しなくちゃいけなくなる。言ったら殺されるけど、かなめは愛人とかで本妻にはしたくない。思いっきり今の発言と矛盾している自分の本心に我ながら驚いている。
「分かったわよ。まぁせーと私が両想いというのが知れただけ良いとするわ。あとで後悔しても知らないわよ」
まぁ僕はかなめの見た目、かなめは僕の家の財産という意味では確かに両想いなのかもしれないけど、また今日も僕は弱い自分に打ち勝った。しかし、何なんだこの空しさと喪失感は、そんなにエロい女とやりたかったのか僕は。
「後悔なんかしないよ。自分を律することができない人間が1200人の行員を率いる頭取になるなんてちゃんちゃらおかしいからね、我欲に耐えることが大事……。おい、何で僕の服を脱がそうとする」
僕が自分の心構えを述べる素晴らしいシーンの最中、何故かかなめが僕のズボンをパンツごと下ろそうとしてきた。
「我欲に耐えたいっていうなら、もっと試練を与えてあげる。今晩からは私と素っ裸で寝るということに文句は無いわよね? 自分を律するためには苦しい環境に身を置かねばならないんでしょ?」
「せやね」
何かもう、ただでさえ今日は隣の物資運搬で疲れてるのにこれ以上彼女のわがままと僕の理性に抗い続けるのにもうんざりしてきた。まさかかなめがこんな風になってしまうとは……せめて、悪化しないことを祈るばかりだ。
僕はそう思いながら、立ち上がって衣服を全て脱ぎ捨ててさりげなく寝袋に入ろうとしたら、即座にかなめが僕の手を掴んで引き寄せ、自分ごと毛布で僕を包んでこれ以上ないくらい互いを触れ合わせた。
「アンタ痩せてるわねぇ。毎日の腹筋やスクワットとか本当に意味あるの?」
「そういう君はちょっとお腹周りがだらしなくなってきたかな」
「ひっ」
自分の手が変な方向に向いていたので動かしたら、何かザラザラしてるけど柔らかい部位に触れたのだが、その瞬間にかなめの身体が強張るのを感じた。どこに触れたんだろう?
「意外と人肌に触れあって寝るというのは安心するんだな」
今晩は寝れないんだろうなと思っていたが、こうして互いに全裸で抱き寄せあって寝ると、まるで胎内に還ったような気分がして妙に落ち着く。
かなめは息苦しさから態勢を変えて僕の顔面の真ん前にすぽっと顔を出した。
「何というか私達って友達とか通り越して家族みたいよね」
「君の家では家族が裸で寝るのか、児童相談所に通報しなくちゃ」
「だって、せーがそうやって屁理屈垂れる時はだいたい照れ隠しってのがわかるんだもん、友達とかじゃ中々こうはいかないって」
こればっかりは反論が難しい。擦りつけられるかなめの豊かな胸から感触だけでなく、心臓の鼓動まで伝わってきた。彼女も同じなんだろうか。
きっと、僕はかなめに相当入れ込むことになるんだろうなと、彼女のぬくもりの中で確かな確信があった。いや、もうかなめが僕の宗教になっているのかもしれない。
「失敬」
現に僕は今、自分からかなめの唇を奪い、差し伸べられた彼女の舌に喜びを感じていた。このくらいなら許されると思いたい。
「今日歯磨き粉つけずに歯を磨いちゃったんだけどな」
「そういうの今言わないでくれるかな。あと、よだれ大量に流し込むのもやめて」