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はじめてのあきす 後編

 紆余曲折はあったが、何はともあれ隣に侵入することはできた。しかし、本番はここからだ。


「せー、これ鍵かかってる」


「あ、そう想定内」


 8階にまでベランダをよじ登ってくる泥棒がいるとは思えないが、ベランダの窓には鍵がかかっていた。確かに、隔壁を破ってくるのが避難者だけとは限らないしな。


「ちょっとこれ持って隠れてな」


「え?」


 僕はかなめから消火器を借りて槍を預けると、かなめを一旦僕らの方のベランダに行かせた。次にダッフルコートの襟を掴んで盾代わりに目の前に垂れ下げると、鍵穴辺りのガラスを消火器でぶっ叩いた。

 そうして生まれたヒビをさらに叩いて充分な大穴を開けると、腕を突っ込んで鍵を開けた。

 網ガラスというのは泥棒対策のものだと思われがちだが、実際は火事の時の熱膨張で窓が割れても破片を撒き散らさないようにするためのもので、泥棒的にはむしろ助かったりする。

 正直、割った後で場合によっては居をこっちに移す可能性もあったかもしれないから、窓を割ってしまったのは性急すぎた気がしてきたが、こういうのは勢いが大事なのだ。


「ショーシャンクの空にで似たようなシーンあったわね」


「あの刑務所の映画? 見たことないな」


 僕はコートについた細かい破片を振り落として再び袖を通し、勢いよく窓を開けた。

 これだけ長いこと騒いでいたら、ゾンビだったら間違いなく近寄ってくる。それがなかったから室内は本当に誰もいないはずなのに、かなめは怖がって僕のすぐ後ろをよちよちついてきた。

 入った途端に、何日も換気をしていないせいでうっすらとカビ臭さが漂っていた。


「すいませーん! 隣の者です!誰かいますかーいるわけないけどー!」


 一応、僕らを奴らと勘違いして怯えて隠れている可能性を考えて人語を発してみたが、当然返事はない。

 部屋は引っ越して間もなかった僕のとこと違って、サイドボードや突っ張り棒を用いるほど大きな本棚や棚があり、生活感に溢れていた。でも、整理はされていた。


「せー見て、子どもの写真。この家は子どもがいたのね」


 額縁に入れて飾ってあった写真を画びょうを抜いてかなめが僕に見せてきた。

 飴の入った袋を持った3歳くらいの子を、どこかの幼稚園の制服を着た女の子が笑顔で後ろから抱き締めている。微笑ましい。この二人はどこかで生きているのだろうか。


「子どもがいるってことは、食糧にも期待できそうだな。それに本もたくさんある。これでしばらく暇をまた潰せる」


 僕が分厚い聖書に釣られて本棚に近づいた時、サイドボードにあるどこかの公園で撮られた家族写真が目に入った。

 どこかで会ったかと思ったらこの父親、パンデミックが起きた最初の日に、僕がゾンビと見間違えてフルパワーで蹴っ飛ばした人じゃないか。ここはあの人の家か。

 あの後、娘さんと会えて無事逃げ切れたのかね。他人事のようだけど実際他人事なので心底どうでもいい。


「しかし、部屋の構造こっちと全く同じね」


「まぁ同じ向きの部屋だからね。反対側とかだとトイレの位置が違うかもだし、確か家賃が安いワンルームも中にはあったはず。じゃあまずは台所からだ」


 僕はきっと一番食糧が多いはずの台所に入り、そこの戸棚を適当に開けた。ガラス戸だから中は透けて見えるのがありがたい。

 棚の中にいくつか薬がある。正露丸とか風邪薬や胃薬の数々だ。粉末タイプの葛根湯もある。これ実家の常備してあるけど死ぬほどまずくて嫌いなんだよな。

 そういえば僕ら二人、幸運にも若くて健康優良児だからまだこういうのが必要になったことはない。でももらっておくとしよう。

 あ、この風邪薬、成分の一部効能が麻薬と似通ってて、大量に服用すると似た快楽を得られるから、普通に使えば良薬なのに誤った使い方をする人が多くて中毒者が後を絶たないってヤツだ。

 前にワイドショーでやってた。副作用にお腹が緩くなるって記してあるからたくさん飲んだら下痢になると思うんだが、依存者が考えることは分からん。だが、面白いものを手に入れた。

 他の戸棚を開けると、黄桃や大豆の缶詰やアイスコーヒーや野菜ジュースのボトルや缶ビールが何本か入っている。思ったよりも充実している。鯖缶がやたらあるけどよっぽど好きなんだろうか。無論全ていただく。

 かなめは僕の後ろでぼさっと立っていたように見えたが、振り返って見ると彼女は僕に背を向けて、リビングで見つけたヘアゴムで髪を結ってポニーテールにしていた。

 ベランダから差す日光によってかなめの姿は淡い影法師となり、細い腕を上げて髪をまとめる姿はやけに艶めかしく見えた。ジャージ姿なのに。


「かなちゃん、野菜ジュースあったよ。僕ら栄養偏ってるから飲んでおこうよ」


 僕は彼女に見とれていた自分を誤魔化すために、我ながら気味悪い甘ったるい声でオレンジ色のにんじんジュースを手近なコップに入れて一息に飲む。

 そして別のコップに注いだものをかなめに渡した。かなめも喉を鳴らしてジュースを飲んだ。僕はあまり好きな味ではなかった。元々人参自体あまり好きじゃないからだ。


「あ、ありがとう。どう? 当分はやってけそうなくらいはある?」


「うん。飲み物はこの通りたくさんあるよ。食べ物もまだ見てないところだらけだが、期待していいと思う」


「ところで、せーに聞きたいことがあるんだけど」


「おう」


「せーのこの槍、先端の刃物って包丁よね」


「おう」


「で、台所に置いてある刃物はサバイバルナイフよね」


「おう」


「逆じゃね?」


 なんだそんなことか。


「ははは簡単だよ。包丁は1万円でナイフの方は6千円だから。高い方が切れ味も高いから武器としてこっちを選んだだけ。刃渡りもこちらの方が長いし。何でそんなこと気になったの?」


「いや、前から思ってたんだけど。聞くタイミングが見つからなくて……あはは。ねぇジュースおかわりもらっていい?」


「ああ、いいよ。ほれ」


「……」


「……」


 僕はペットボトルごとかなめに渡した。何だかすごい気まずい。それもこれこのバカがさっき急に小生の唇を奪ったからである。もっかいやり直させてくれとも言えないし、どうすんだこれ。

 こっちはこれまで我慢していたものがはち切れそうだし、下手したら喧嘩別れするよりもつらい。紳士ぶるのもそろそろ限界ということなのか。悟りを開いたとかかっこつけた己が恥ずかしい。


「ちょっと一旦部屋に戻ってカバンもってくる」


「え? 私が持ってきてるわよ」


「思っていた以上にたくさんあるから、僕も持ってくるよ。先に台所の薬とかを詰めててくれ」


 ちょっと性欲を発散させてくる。その過程は極秘事項。


 ***


「やらかしたぁ~!」


 私は近くの椅子に腰かけると、やけ酒と言わんばかりに

 何でさっきあのタイミングで私がせーとチューしようと思ったのか、実は自分でも説明ができない。

 ヤツがたかが10センチくらいの厚さの隔壁の横を手すり沿いに通るのをミスって落ちるほど運動神経が悪くないというのは知っているし、別に景気づけにキスができるほど私は開放的な人間でもない。

 おかげでせーが目に見えて挙動不審になっているし、それのせいで私の方も対応に困る。

 やっぱり、もうこの状況じゃせー以外に選べる男なんていないと、ここ最近思い続けてたから、脳が勝手にせーが私の恋する人だと刷り込んでしまったのかもしれない。

 そうに決まってる……でも、せーのことは信用してる。優しいし、かれこれ1か月は一緒に生活していて、私を襲うこともなければ殴ったことも一度もない。

 こうなる原因になった私のつまみ食いのことも、嫌味こそ言ってきたが別にそれだけで済んだ。優しいヤツなんだというのは分かる。そうでなければ、何の役にも立たない、させてもあげない私を無償で留め置いたりはしない。

 しかし、最初はせーに無理矢理襲われないかということを危惧していたのに、最近は夜な夜なハンドクリームを塗ってくるあの草食動物に少しイライラしてきた。

 この前、自分でも恥ずかしかったけどわざとせーの薄いTシャツを借りて、彼の前で乳首を浮き立たせてみたが、視線こそ感じたけど何もしてこなかった。

 何か私が男でも不細工でも変わらない対応をしてそうなのがムカつく。でも、笑った顔はちょっとかわいいし、顔も見れる方ではあるし、結婚するにしたらああいう人が無難なんだろうか。コンコルド効果にはまりやすそうなのが怖いけど。

 何より、絶対アイツの家金持ちだと思う。高そうな登山用品をたくさん持ってるし、家具も立派なのが揃ってるし、通帳とか見たら私の家より持ってそうだった。同い年なのに。

 割と、せーが私の運命の人なのかも。確かに、迷い込んだマンションで名前も知らない私を助けてくれたせーに運命を感じたような気がしないでもない。

 いや、こんな二人しかいない場所で自分を騙しても意味がない。私はせーが好きだ。選択肢がないから仕方なく好きになったんじゃなく、私を大切にしてくれるからせーが好きになったんだ。

 ちょうどせーが台所から足音を立てて来た、もうこの際言ってやろう。そして、せーが驚いて目を丸くする様子を見て笑ってやろう。


「?」


 いや、せーは部屋に一旦戻ってるはず。なぜ台所からやってきた、いやなぜいるの?

  台所では冷蔵庫が開く音がして、せーは中のものをヒステリックに引っ掻き回しているようだった。だが、せーはものを乱暴に扱うタイプの人間ではないはず。

  イライラしたら筋トレして発散してるようだし。

 私は立ち上がって、台所の方には向かわず、頭だけを恐る恐る動かした。


「ひッ……」


 ヤツらだ。恐らく高校生くらいの血だらけのブレザーを着たゾンビが台所の中の凍った豚肉か何かをトレーごと噛み砕いて食べていた。なぜ、あれほど物音を立てたのに今まで反応しなかった?

  私がせーを呼ぼうと後退りした時、テーブルの脚と私の脚がぶつかって音を立てた。

 それによって私の存在を知ったゾンビは、裂けた口から黄ばんだボロボロの歯を見せてにっこり笑った。

 

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