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はじめてのあきす 中編

 想像よりずっと頑丈だった。確かにへこむしヒビは入るのだが、壁が貫通して光が差し込む気が全くしない。こんなに丈夫だと火事になっても逃げられないじゃないか。家主がバットやバールとか購入してる前提なのだろうか。


「で? こっからどうすんのよ。もやしっ子のせー君は」


「クソッ……前はもっとタフだった気がするんだけどなぁ……」


 ずっと外に出ない生活を続けていたら確かに体も鈍るか。それに口には出さないがそんなに食事も摂っていないし。


「ほっ!!」


 季節外れの汗を拭いながら、僕は5歩くらい下がって助走をつけてから壁を蹴った。走ったのも何気に久しぶりだ。激しい音はするが、それでも割れる気配はまだない。足も悲鳴を上げている。

 というか。


「せいぜい500円玉くらいの穴が開いたところで、私達が通れるまでどれくらいかかるかな」


 ぼそりと乾パンの氷砂糖を噛み砕きながら、かなめが呟いた。僕が考えてたことをそっくりそのまま言われた。というかその氷砂糖。いや、何も言うまい。


「いっそスプレーで焼いてみたら? せっかく消火器もあるんだし」


「やってみてもいいけど。今日は風が出てるから僕が火だるまになってしまう。それに表面を焦がすだけだと思う」


「じゃあどうする?」


 かなめはコップに入れた水を僕に渡してくれた。そういえば水にしても彼女は体を拭うのにお湯じゃなきゃやだって駄々をこねる。ガスボンベ予備一個しかないから温存したいのに。

 何でこう僕は甘いのか。そりゃDV野郎に比べたら2億倍マシだろうけど、たまにはガツンと言ってやるべきかもしれない。でも、かなめに怯えさせたくないんだよなぁ。この子怯えると暴力的になるし。


「どうすると言われても、この隔壁を破らないわけにはいかないだろ……」


「私が変わってもいいけど、アンタにできないのに私にできるとは思えないし……」


 何でさっきからこんな他人事なんだ? 本来なら一番頑張ってほしいんだけど。


「……あーもういい! こうなったらヤケクソだ!」


 僕はかなめの肩を大股開きで跨いで靴も脱がずに部屋に戻ると、両手に消火器と槍を持って舞い戻ると、消火器の方をかなめに押し付けた。かなめが目を丸くして僕と赤い容器の両方を回し見る。


「え? マジで燃やす気? あれ本気で言ったわけじゃないいんだけど」


「やらないよ。かなちゃんはこれでこっちの方を殴れ。僕はあっちの方から蹴る。二人で左右で攻めよう」


「あっちの方? まさかベランダの手すりから伝って移る気!? やめてよせー君に死なれたら……たら……あーえーっと……たらー……」


「何かあるだろ言えよオラァ!」


 確かに僕が死んで消えたら部屋も食糧一人占めだし楽かもなァ! でもお前一人で寝れないしガスバーナーすら使えないだろ! 孤独に耐えきれず自殺コースだろ!


「ま、まぁ私そばで見てるから注意して行ってよ。隣にゾンビがいないとは限らないんだし」


 かなめはダウンのジッパーを閉めて、頼りないシャドウボクシングを始めた。


「いたらこんだけガンガンやってるんだから、とっくに襲いに来てるよ。じゃあ行くか」


「あ、ちょっと待って」


  僕は手すりから身を乗り出し、クッション代わりに脱いだダッフルコートを折り畳み、隣の何もないベランダに放り投げた時、かなめが僕を呼び止めた。


「どうした、ん……!?」


 僕が振り向くのを待たずに、かなめが僕の顎を掴んでキスをしてきた。20センチ近い身長差があったので、自分がしやすいように強引に頭を引き下げて。

 今まで僕に気があるような素振りなんて全くなかったから、最初は何をされたのか分からず、ぬるぬるした生温かく柔らかい感触に不気味なものを感じて、つい肩を掴んで振り払ってしまった。


「えっ……あ、ごめん。ちょっと驚いたんだ、痛くなかった?」


 かなめは一瞬だけ、悲しそうな顔をしたように見えたが、僕の気のせいだったのかすぐにまた減らず口を叩いた。


「だ、大丈夫よ。乗り移る時にうっかり落ちて死んでも悔いがないよう、チューくらいはしてあげようと思っただけだから! でも気のない女にされてもムカつくだけよね! ハハハハほらさっさと行きなさいよ!」


「う、うん。あばよ!」


 僕はすぐさま手すりによじ登ると、やる前は8階から見下ろす連中だらけの下の景色を想像して怖かったはずなのに、恐怖もなく一瞬で隣に移れた。しかし、落ちた巣から湧き出たスズメバチのような戸惑いが代わりに溢れかえっていた。


 ***


「よし、じゃあやっていくよ!!」


「はーい!!」


 お互いが気恥ずかしさを隠すために、壁越しに気味悪い空元気で話しながら仕切りを攻撃し始めたが、僕は僕でさっきのことが頭を覆っていて何も考えられなくて力が入らない。

 かなめはかなめで1分くらいで力尽きた。なんて貧弱な女なんだ。


「ちょっと何さぼってんの! もっと頑張ってよ、お腹いっぱい食べたいでしょかなちゃんも!」


「これ絶対破れないわよ! 作戦変更しよ? 私がここで受け取り役するからせーが物資を運んできて渡してよ!」


 お、怠けるつもりか貴様。


「ダメです。ここまで来て引き下がれるか! 力尽きてでもブチ破ってくれるわ! もう君には期待しない! 今すぐ消火器よこせ!!」


「あーもう好きにしなさいよ!! アンタ絶対パチスロとか賭博やんじゃないわよ! 破滅しても知らないから……ね、ねぇ、せー」


「あ?」


 僕が怒りに我を忘れかけた時、かなめが僕に何かを尋ねてきた。


「何かこっちのフレームの、よく見たら左端っこにロックみたいなツマミがあるんだけど、そっちにもない?」


「は? ツマミ? あ、ある」


 隔壁を縁取っている黒い柱のフレームに、砂埃で汚れて目立たなかったから気づかなかったが、確かに同色のツマミが右に3つ間隔を空けて並んでいる。何だこれ。


「これ外した?」


「いや、今から解除するから、せーもちょっと外してみて」


「うん」


 僕は膝を曲げて下から順にツマミを回した。長年野晒しだったから隙間にゴミが詰まっていて中々固い。爪が割れそうだったが何とか外した。

 かなめの方も同じく苦労して外す音が内側から聞こえ、3つ外す音が鳴った。


「……?」


 僕は何の気なしに再び壁に蹴りを入れた。

 すると。


「あっ、ちょ……ちょっと!」


 さっきまでビクともしなかった隔壁がフレームからするりと外れ、冷え込んだ空気を押し潰して前のめりに倒れた。間一髪下敷きにならずに済んだかなめが、妙に冷ややかに目を細めて僕を見ている。


「……」


「……」


 どうやら、移る側の家主との合意があった場合はスムーズに隣に移れるよう、ちゃんと救済処置が施されていたらしい。確かにこれか弱い婦女子には絶対壊せないもん。


「ま、まぁ一件落着!」


「……フン」


「鼻で笑うな!」

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