魔王登場
「う……うーん……?」
俺が目を覚ますと、見知らぬ天井……というか、岩だ。
辺りの空気なんかも湿っぽいし、洞窟、だろうか。わからん。
そしてすぐには気づかなかったが、一切光が差すような隙間なんかもないのに明るい。よく見ると、周囲の壁が青白く光っている。何かの鉱石のようだ。
「ここは……何だ? 確か教室にいて、そこから変な所に飛ばされて、それで……」
しばらく自分の置かれた状況を分析していると、不意に声が掛けられた。
「おお、ようやく目を覚ましおったか」
「……っ!?」
少女のような声が背後から聞こえ、反射的に振り向く。
そこに居たのは、黒いドレス? を着た女性だった。俺の顔を覗き込むようにしゃがんでいる。
聞こえてきた声からして年端のいかない少女だと思ったのだが、20代くらいの女性に見えた。
腰まで届く綺麗な白い髪がその服装と対比されて映えている。
「あん、たは……?」
「む? 覚えておらぬか。あの時少し声掛けしたつもりだったのじゃが……」
少し落胆したかのような仕草を見せると立ち上がり、大きく腕を広げ、高らかに言った。
「我は魔王! 魔王アラクネである! しかとその身に刻むがいい!!」
一瞬、その場に沈黙が訪れる。
……え? 何? 魔王? じゃあやっぱここって異世界……いやいやそれよりも……
「はああああぁぁぁぁ!? 」
……俺、魔王に召喚されたの!?
「……えっ、5日も気を失ってた?」
「うむ。恐らくこの場の高濃度の魔素に身体が適応できなかったのじゃろう。普通は急に召喚されても気を失うことはないんじゃがな」
あの後暫くギャーギャー騒いでいたが、アラクネが俺を宥め、岩でできたテーブルと椅子を用意して紅茶 (と思しき飲み物)を出してくれ、そのまま色々と説明をされていた。
口調は高圧的というか偉そうだが、人当たりは良さそうだ。
アラクネの説明によると、俺は異世界から召喚されたらしい。
魔法が実在し、戦争なんかも頻発する世界。まあここは予想通りだった。テンプレだし。いやまあ驚くべきことだけども。
驚いたのは、俺がこの魔王アラクネに召喚された理由だ。
「いや何、気まぐれというか何と言うか……見所があったから連れてきちゃった、みたいな?」
「みたいな? じゃないよ!!」
「いいから聞け。理由はちゃんとあるのじゃ。
まず前提じゃが、お主はお主と同じ場所に居た者達と一緒に、この世界に召喚される手筈じゃった」
「……! そうだ、あいつら! 藤井はどうなった!? 遠藤は……」
「落ち着け。安心しろ、命がないことは絶対にない。
……まあ、今後どうなるかまでは分からぬがな」
「どういう……」
「まあ後で話す。さて、話は戻るが、お主らを本来召喚するはずだったのは我ではなく、セイラム王国と呼ばれる国の王族じゃった。名までは忘れたがな。
我はその召喚術式にちょっと介入して、お主だけこちらに召喚されるよう仕向けた訳じゃ」
「それは分かったが……そもそも何で召喚されたんだ?」
「魔王の討伐じゃな」
がくっ、という擬音が俺から聞こえてきそうなほどあっさり言った。
「魔王の討伐って……じゃあ俺とアンタは敵じゃないか」
「勘違いするでない。一口に魔王と言えども色々ある。そもそも奴らの言う魔王と我のような魔王は種族的に違う。
奴らの言う魔王とは『魔族の王』。他の人型種族より優れた魔力量と運動能力を持つ魔族の中でも抜きん出て強く、魔族を統べる者の呼称じゃ。
対して我のような魔王は『魔物の王』。永き時を生きた強き魔物が意志を持ち、もはや魔物の枠を超えた存在なのじゃ」
「紛らわしいな……」
「まったくじゃ。魔王とは元々我ら『魔物の王』のことじゃったのに、ある時から魔族の小僧共が自らを魔王なぞと自称し出しおってな。数百年しか生きんひよっ子共のくせしてからに……ん? どうした?」
俺が顔を真っ青にしたのに気づいたのか、不思議そうに俺を見るアラクネ。
「魔族の王をひよっ子って……つまり、アンタの方が魔族の王より強い、と……?」
「決まっておろう。元祖魔王はこちらぞ? 我1人と魔王の軍勢全てならば少しは粘れようが、魔王1人なぞ一息に殺せるわ。
まあ、なりたての魔王ならば1対1でもそこそこいい勝負になるやもしれんが、我は太古の昔から生きる最古参『原初の魔王』じゃし」
原初の魔王て……何それかっこいい
「……じゃなくて……結局、何で俺だけアンタに呼ばれたんだ?」
「……その件じゃがな、我は王国の異世界の住民を召喚しようという動きに気付き、どんな人間が来るかと思ってな。我が眷属をそちらの世界に送り出したのじゃ」
「……何気にヤバいこと言ってない?」
「まあまあ……覚えがあるじゃろう、あのクモじゃ」
「あ……あの妙に毒々しい」
「そ、そんなに毒々しいかの? あれはあれで可愛いも思うのじゃが……まあ良い。
元々使い捨てで、我と感覚が共有できるだけの小さき虫だったのじゃ。
クモはこの世界では災厄の象徴と言われておってな、見つけたら即叩き潰されるのじゃが……」
「俺は逃がしたから、気に入った……とか?」
「まあ、平たく言うとそういう事じゃな。まあ他にもあるにはあるんじゃが……この世界を渡り歩けばいずれ気がつくことじゃろう。今は気にするな」
暫く話したが、コイツが嘘を吐いている様子はない。恐らく全て事実だ。
だとすれば目の前の存在は俺を赤子の手を捻るよりも簡単に殺せるような凶悪な存在ということになるのだが、不思議なことにあまり恐怖は感じない。
「……さて、長話が過ぎたの。お主は何時までもここに居ることは出来ん。この洞窟には我しか居らんしの。
じゃが、お主が本来受け取るはずじゃった所謂『チート能力』をお主は受け取っておらん。我が妨害したからの。そこで、じゃ」
「な、何だ?」
アラクネがぐいっとこちらに詰め寄り顔を近づけ、にやりと笑う。少しドキッとしてしまうが、それ以上に何か嫌な予感がしてきた。
「お主がこのままここから出ても、人の居る街に着くまでにお主は死ぬじゃろう。魔物が多く生息する場所じゃからな。我がお主に力を与えてやろう。と言っても、タダとはいかん」
「……」
ゴクリ、と生唾を飲み込む。一体何を要求するのやら……
「そう怯えるな。お主には我が眷属となってもらう」
「け、眷属……? どういうことだ」
「要するに、我と主従関係になるということじゃ。安心せい、お主にはほぼほぼメリットしかない。
お主は力を得る。魔王……あぁ、魔族の王の方じゃな。魔王を超える程の力を得るじゃろう。
この世界を生きていくには過剰な力じゃ。使い方を誤るでないぞ。ただ……」
一拍置いて、悪戯っぽく笑う。
「我の命令は聞いてもらう。まあ基本的に我は自分で何でもできる故、お主に何か命令することはなかろうがの」
「つまり、アンタは命令する気のない部下を作るってことか……?
そんなことしてなんの得があるんだ?」
「お主は打算的な性格なのかの? 単純にお主を気に入ったからなのじゃが……
では、後顧の憂いを断つために一つだけ命令するとしようかの……では、やるぞ」
アラクネが俺の右手を両手で握り込むと、俺達の手元が淡い光に包まれていく。
「少し痛むぞ。我慢せい……ふっ!!」
「痛っ……!」
宣言通り、右手の甲に少し痛みが走る。
アラクネがゆっくりと手を離すと、そこにはクモを象ったのであろう紋章のような物が浮かび上がっており、しばらく痛んだ箇所をさすっていると、いつの間にかその紋章は消えていた。
「今のが我が眷属の証。女王蜘蛛の紋章じゃ。
さて、早速じゃが一つ命令しよう。最初で最後になるやもしれんが」
「……な、何をすればいいんだ?」
「なに、簡単じゃ。コイツを連れて行って欲しい」
そう言うと、アラクネのドレスの袖から1匹のクモが這い出てきた。
例の、妙に毒々しいクモだ。
「コイツは我が向こうの世界に送り込んだ物と同じじゃ。コイツを通してお主と会話もできる。
実はここ数百年ろくに外に出ていなくてな……外の様子が分からぬのじゃ」
「……自分で行けばいいのでは」
「馬鹿者。我直々に外出しては世界が大騒ぎになるわ。世間一般では我は畏怖の対象じゃ。クモが災厄の象徴とされておるのも我が原因じゃし。もちろん一目で我を正しく認識する者は少なかろうが、ある程度見識と実力があればバレてしまう」
「クモとアンタがどう関係するんだ?」
「……? ああ、そうか。この姿は仮の姿じゃ。本来はそのクモを城くらいの大きさにしたものじゃと思え」
「は!? 城って……あの城か!?」
「その城じゃ。要するに人間の姿の方が生きやすいのじゃ。我の元の大きさで住める洞窟なんかもないしの」
……話の次元が違いすぎて言葉が出ない。
俺がポカンとしていると、アラクネがクスクスと笑った。
「何度も言うが、我はお主……というか外界を害する気は無い。
昔は住処を侵され暴れた事もあったが、今はそのような事も無くなった。害する理由もないのじゃ。
お主は自由に生きていくと良い。それこそ世界を滅ぼそうともしない限り、我はお主に知恵を貸してやろう」
……やはり、嘘をついている様子もない。本心だろう。
ならば、これ以上疑うのも失礼というもの。好意は有難く受け取っておこう。
「……分かった。俺の好きにする」
「慎重じゃのう……やっと信じてくれたか。だが力を得て調子に乗る連中より好感が持てる。
では、これより外に転送するぞ。我の『命令』、きちんと果たすのじゃぞ」
アラクネが指を鳴らすと俺の足元に教室で見たような魔法陣が展開され、体が光に包まれる。
こうして、俺は異世界への第一歩を踏み出すこととなった。