7
一週間ぶりの学校。
私が騎士団に連行されたことは当然だが公然の秘密となっているはずだった。
けれど、周りは私を見てヒソヒソと話している。とても感じが悪くていたたまれない気分になった。
「よくも恥ずかしげもなく外を歩けるものだ。姉の誘拐に加担したくせに」
ピシャリと冷水をかけられたような声が投げつけられた。
その声の主は言わずもがな。殿下だ。
それで分かった。殿下がみんなにばらしたんだ。虚言を事実として。
私は周囲に目を向けた。
自分の思い込みかもしれない。でも、みんなが殿下と同じような侮蔑の目で見ているような気がした。
事実とは違う。だから否定しないとと思うのに、私の口は震えるばかりで動いてはくれなかった。
「それは違う」
視界がかすみ、泣かないようにと歯を食いしばっていた時に低い、けれど透き通るような声がした。
私を全ての視線から守るように大きな背中が表れた。
赤みのかかった茶髪に金色の目をした青年。顔は整っているが細められた目は上につり上がり、初対面で神経質そうな印象を与える。
背はルーファス殿下よりも大きく一八〇センチメートルは越えているだろう。
「・・・・マキナー殿下」
イリス・マキナー殿下。隣国の王太子で現在、我が国に留学中。
イリス殿下は私を振り返ると優しげな笑みを浮かべる。
そして、再び前を向いた彼が今はどんな顔をしているか分からない。けれど、醸し出す雰囲気でみんなが威圧されているのは彼の背中越しからでも分かった。
「ヴィオラ嬢は誘拐犯を見つけ、報告をした。だから騎士団から事情を聞かれただけだ。
万が一、誘拐犯の仲間がいた場合、逆恨みで狙われる可能性がある。だから護衛がついただけだ。それが端から見たら連行されているように映っても仕方がないかもしれんが。
あまり信憑性のないことを吹聴しない方が良い」
そういってニヤリとイリス殿下は笑う。
本当は違う。
あながち間違いではないけれど。
実際、騎士団の誰も疑ってはいなかった。
ただララシュ嬢が私も共犯だと言ったから確認のため、というか呼びましたよという建前のために連れていかれただけだ。
でもそれを他の人が知るわけがないし、騎士団は守秘義務は守る。
それを良いことにイリス殿下は嘘を言う。
私を責めていた周囲の人達は隣国の王太子の言葉に戸惑いながらも嘘を言うわけがないので信じ始めてきた。
「世迷い言を。王族ともあろう者が欠陥品を庇うのか?」
周囲の雰囲気が変えられたことに怒りを感じたのか殿下はイリス殿下を睨み付ける。
「欠陥品?」
イリス殿下はピクリと眉を上げた。
「貴族でありながら魔力がない。欠陥品だろ」
何も分かっていないのかと言わんばかりに殿下は補足説明をする。
周囲にいる貴族はそんな殿下に顔を強張らせた。
殿下だけが知らない常識がある。それは・・・・。
「私の妹も魔力を持たない。お前の言葉を使うなら欠陥品ということになるな」
そう。隣国の王女も魔力を持たないのだ。私と同じように。
それは周辺諸国も周知の事実。そのことを恥として隠す家は多いが、隣国の王女は家族に溺愛され、特に陛下と王太子の溺愛は有名だ。それ故に、巨大な魔力を有していることが貴族の証だと勘違いしている貴族でも隣国の王女を無下には扱えないのだ。
ここに来て漸く殿下は・・・・面倒なのでルーファスと呼ぼう。ルーファスは言葉を間違えたことに気がついたのだ。
「お、俺はそんなつもりで」
「ではどういうつもりかな?彼女と同じなのに彼女だけをそのように差別するのか。
まるで砂糖に集る蟻のようだ。強者には逆らえんか?」
「何だと」
狼狽えていたルーファスはイリス殿下の言葉で再び顔を怒りに滾らせた。
生まれながらの王族である彼は生まれて初めて侮辱されたのだ。
「いったい何事です」
バタバタと教師が駆けつける。野次馬の誰かが呼んだのだろう。
やって来た数人の男性教師はルーファスとイリス殿下の一触即発の状況に顔を青ざめさせた。
隣国とは五年前に和平条約を結んだ。イリス殿下は友好の証として王太子でありながら自ら志願して留学に来たのだ。
ここで問題が起これば再び戦争になることもある。教師が蒼白するのも無理からぬこと。
「・・・・イ、イリス殿下。どうされたのですか?」
駆けつけた教師の中で一番年配の教師が笑顔をひきつらせて恐る恐る尋ねる。
イリス殿下は友好的な笑みをその教師に向けた。
「騒ぎを起こしてすまない。ちょっとした行き違いがあったのだ。私はこれで失礼する。おいで」
最後は私に言って、イリス殿下は私の手を引いてその場を離れた。
ルーファスはまだ何か喚いているようだが事を大きくしたくない教師達に必死になだめられているのが横目で確認できた。
イリス殿下に手を引かれて歩く私を周りにいる人達が好奇の眼差しで見てくる。
何だかいたたまれなくて私は立ち止まってしまった。
「どうかした?」
私が立ち止まったことによって前を歩いていたイリス殿下も手を繋いでいるので引っ張られる形で立ち止まることになった。
「いえ、あの、助けて頂きありがとうございました。もう充分ですので。これ以上は殿下のお手を煩わせるわけにはいきません」
私がそう言うとイリス殿下は困ったような笑みを浮かべた。
「好きでやっているんだけど、迷惑だった?」
「い、いいえ、いいえ」
誰も助けてくれないと思った。それが当然の光景だと思った。そんな時に颯爽と現れたイリス殿下が私には光明のように見えた。
「とても嬉しかったです」
「そう。それは良かった」
嬉しそうに笑うイリス殿下。年頃の令嬢が色めき立つのがよく分かる。
だって、とても格好いいから。
きっと、こういう人にはお姉様のような美人の方が隣に立つのが似合っているんだろう。私なんかじゃなくて。
「じゃあ行こうか」
「え?ど、どこへ?」
「休める場所。あんなことがあったばかりだし疲れてるでしょ。ゆっくりできるところへ行こう」
「あ、あの、一人で大丈夫なので」
「私も少し休みたいんだ。だから付き合ってよ。だめかな?」
たぶん、私に気を遣って言っているんだと思う。
本当に優しい方だと思う。
あんなことがあって、たまたまそれを目撃してしまったから同情してくれているんだと思う。
視線をあげてイリス殿下を見ると首を傾けて私の返事を待っている。
これ以上断るのは失礼だと思い私は「ご一緒させてください」と返した。
するとイリス殿下はとても嬉しそうに笑った。
そんは顔に私の心臓はドキリと音をたてる。
今日はやけに私の心臓がうるさい。
私たちは学内にある談話室に行った。
そこは個室になっており、四人は座れる薄いピンクのソファーに長方形のテーブルがある窓際には本棚が二つある。
私とイリス殿下はなぜか隣同士で腰を下ろした。普通は対面に座るものなのだが、別にそういうマナーがあるわけでもないし、指摘する勇気もないのでそのままスルーした。
「大丈夫かい?」
「・・・・はい」
耳元でイリス殿下に話しかけられ、息がかかる。それだけで背筋がぞくぞくする。
嫌な感じではないけど落ち着かない。男の人に免疫がないせいだろう。
かちゃり
茶器がぶつかる音がした。甘い香りが鼻孔をくすぐる。
緊張で回りが見えなくなっている間にイリス殿下の従者の方がお茶の準備をしてくれていた。
ミランダよりは暗めのダークグリーンの髪をした金色の目をした男の人がいた。
「我が国の特産品だ」
私はイリス殿下に勧められて紅茶を口に運んだ。
花のような香りが咥内に一気に広がる。匂いには僅かに甘みがあるけれど、実際に飲んでみるとあっさりしていて、甘みは抑えられている。
「美味しい」
私が思わず漏らした言葉にイリス殿下は嬉しそうに微笑み、自身も紅茶を口に運んだ。
「あ、あの、マキナー殿下」
「イリスで良いよ」
今日初めて会った人をそれも王族の人間のファーストネームを呼んで良いのか迷う。私の気持ちを察してか、イリス殿下は苦笑しながらもう一度「イリスと名前で呼ばれたい」と言われた。
イケメンの懇願はずるいと思う。そんな甘えた顔と声で乞われたら断れない。
「・・・・イリス殿下、どうして私を助けてくれたんですか?」
私がどうなろうが殿下には関係ない。あの場で見過ごすこともできたはずだ。
「君のことは前から知っていたんだよ」
イリス殿下は紅茶をテーブルの上に置き、驚く私を真っ直ぐと見る。
「精霊は好みの魔力の質に寄って来る。加護を与える人間の性格など正直二の次だ」
それは姉のことを言っているのだろうか。
私がリリスの妹だからイリス殿下は私のことを知っていたのだろうか。
それなら今までもあったことだから珍しいことではない。
そう思うと少しだけがっかりした。
「地の精霊が居れば土地が潤う。水の精霊が居れば水害を防げる。だからこそ加護持ちを重宝し、王族に迎え入れたいと思う気持ちは分かる。私も為政者だからね。
でも、彼女は王妃には向かない」
「・・・・え?」
自分の考えに耽っていた私は今聞こえた言葉が幻聴のように聞こえた。
だって、有り得ない。
誰もが姉を優秀だという。姉は在学中は常に首席だった。そんな姉が王妃には向かない。
「勉強ができることと優秀であることは違うんだよ」
そっとイリス殿下は私の頬に触れる。
「私なら仮令加護持ちでも彼女を王妃には迎えない」
「どうしてですか?」
「火種にしかならない」
私はイリス殿下の言っていることの意味が分からなかった。