12
父から許可を貰うことができた。そして、今日は待ちに待った約束の日。
イリス殿下が馬車で迎えに来てくれることになっている。申し訳ないので何度も断ったのだが、イリス殿下の言い方は柔らかいけれど絶対に譲らないという感じだった。なので、私が折れるしかなく、今は部屋でイリス殿下が来るのを待っている。
「ミランダ。髪型変じゃないかな?」
「いつもよりも可愛いですよ」
私は既にこの質問を三回以上ミランダにしている。ミランダの腕を疑っているわけではないけれど、どうしても聞かずにはいられないのだ。
何度も質問してしまう私に嫌な顔一つせずにミランダは微笑ましいように私を見つめ、答えてくれる。
今日の私の服装は水色のドレスで、裾に小さなリボンがついているものだ。同じデザインの帽子も準備している。
髪は三つ編みを一本作って横に垂らしているので少し太めの三つ編みが私の肩から胸にかけて垂れている。
私は椅子に腰かけ、三つ編みを撫でながら何度も外に視線を向けて、イリス殿下の迎えの馬車が来ていないか確認していた。その時、いつものようにノックもなしに私の部屋のドアが開いた。
「ヴィオラ、準備はできているの?」
入って来たのは姉のリリスだ。
今日、姉は王妃教育で朝から王宮に居るはずだった。その姉がなぜか家にいる。それも、いつも着ているものよりかは大人しめのドレスを着て。
「お姉様、どうして家に居るんですか?」
私もミランダも驚き、一度お互いを見合った。にっこりと笑う姉に私がそう聞くと姉は眉間に皺を寄せ、深い溜息をついた。
「あなたが私の言うことを聞かずにマキナー殿下とデートの約束なんかしたからでしょ。だからわざわざ王妃様にお願いして今日はお休みにさせてもらったの。」
「お父様に聞いたのですか?」
私の問いに姉は首肯した。
「デートではありません。イリス殿下にその気はないと思います」
「なら尚更行く必要はないでしょう」
デートでないのなら行く必要がないという姉の考えが分からない。
お友達と出かけることさえ許されないのだろうか。
「外出の許可はお父様に頂いています。お相手の名前もお伝えしています」
「知っているわ。お父様は信じてはいらっしゃらなかったようですけど。仕方がないわ。あなたがマキナー殿下とお付き合いしているなんて確かにちょっと信じられないものね。ヴィオラ、あなたにマキナー殿下は似合わないわ。
あなたにはもう少し大人しい方がお似合いだと私は思うの。私のお友達にちょうどいいのが居るから紹介してあげるわ。私からの紹介だもの。お父様たちも反論しないと思うわ」
どうして、イリス殿下と出かけるだけでそこまで話が飛躍するのだろうか。そりゃあ、いつかは家の為に嫁がなければいけないけれど。でも、今すぐというわけでもない。私はまだ学生だし。
「何度も言いました。イリス殿下とはそういう関係ではありません」
私がそう言うと姉は再び深い溜息をついた。これではまるで私が駄々をこねているようだ。
「まだあなたには早すぎて分からないかもしれないけれど、殿方と言うのは狼なのよ。あなたにその気がなくともイリス殿下は違うでしょう。勿論、あなたに邪な感情を抱いているなんて思わないわ。でもね、万が一あなたが傷つけられることになったらと思うと。私は心配でたまらないのよ」
私の視線を合わせるように椅子に座った私の前に膝を着いた姉がそっと私の頬に触れる。
「姉である私が妹のあなたを心配しているの。その気持ちを無下にしないで」
悲痛な面持ちで姉はそう言った。
「ただ、星を見に行くだけです」
「なら、ここでも見れるじゃない。わざわざイリス殿下と出かけてまで見る必要はないわ。一人が嫌なら私と夜、ベランダに出て見ましょう。夜風は体に毒だけれど、今日は特別よ」
そう言って姉は笑う。
確かに魔法によって人工的に作られた星よりも夜空を照らす天然の星の方が綺麗だし、風情があるかもしれない。でも、違うのだ。お友達と出かけて見ることに意味があるのだ。
私はイリス殿下と星を見たいとは思うけれど、姉と見たいとは思わない。そんなの全然、楽しくない。
「そうしましょう、ヴィオラ。マキナー殿下には私から断りを入れておいてあげるから」
「いいえ、結構です。一度した約束をすっぽかすなんて失礼です」
「大丈夫よ。そんなことあなたが心配することじゃないわ。私がちゃんと誠心誠意、心を込めて謝っておくから」
どうして。そんなことまで姉にさせなければならないのだろうか。
きっと、何を言っても姉にはもう通じない。だって姉の中で今日、私は出掛けないことになってしまったから。こうなったら姉はテコでも動かない。私が折れるしかないのだ。
約束してからイリス殿下と星を見て、他による所とか、食事をするところを一緒に決めた。とても、楽しみにしていたのに。ちゃんと、勇気を出して、父にも許可を頂いたのに。姉と違って滅多に外出の許可なんて出ないのに。全部、姉の一言でおじゃんになってしまうのだろうか。
滲みそうになる涙を堪える為に私は膝の上にある拳を握りしめた。
「・・・・いや、です」
「ヴィオラ、我儘を言わないで。これはあなたの為なのよ」
違う。私の為じゃない。我儘じゃない。
「ちゃんとお父様には許可を貰いました」
「ああ!そのことを心配してたのね、なら大丈夫よ。お父様には私からちゃんと説明をしておくから。心配いらないわ。あなたは普段から外に出たがらないものね。幾ら隣国の王族の誘いだからって無理に聞く必要はないのよ。あなたは本当に優しいのね。大丈夫、マキナー殿下の誘いを断ったからってお父様はお叱りにならないわ」
何を勘違いしているのだろうか。
姉の言っていることは私が言いたかったことの斜め上過ぎてよく分からない。
それに、私は家に居るのが好きなわけじゃない。あまり外に出ないのは、外出の許可が下りないからだ。
姉と違って魔力のない私は家の恥だから。そんな私を父も母もあまり外に出したがらない。社交界だって、必要最低限しか出してもらえないのだ。
「リリスお嬢様」
たまりかねてミランダが口を開いた。侍女という立場を気にして、成り行きを見守っていたミランダだけど、このままでは埒が明かないので助け舟を出してくれた。
「時間的にマキナー殿下は既に王宮を出発して、こちらに向かってきております。わざわざご足労願う殿下にそのような無礼を働けば、差し出がましいようですが、伯爵家の面目を潰してしまうのではないでしょうか?」
「ならヴィオラは今日、体調を崩したことにすればいいわ。それなら急なキャンセルでも仕方がないわよね」
ミランダは引きつりそうになる顔を侍女のプライドで何とか笑顔を保ち、続けた。
「ヴィオラお嬢様の体調は本日良好です。王族の方に嘘をつくのは如何なものかと」
「バレなけば何も問題ないわ。それに乗り気ではないヴィオラを王族の立場を使って無理やりデートに誘う方が悪いのではないかしら」
姉の中での解釈が分かった。私は今日、いやいや行くことになっているのか。これは、正せるだろうか。
私はあまり言葉が達者ではない。ましてや姉相手ではかなり高度な技術を有することになる。
横目でミランダを見ると、彼女はいつも通りの笑顔を保っていた。
「ヴィオラお嬢様は今日、マキナー殿下と出かける日をとても楽しみにしておられました。男女で出かけることが必ずしも恋人のようなものと一致するとは限りません。男女の友情というものもあります。
先程、リリスお嬢様も仰っていたようにヴィオラ様はあまり外出ができません。なので外出ができるのであれば、外出をするのも一つの社会勉強になるのではないでしょうか」
ミランダは凄い。私ならそんなスラスラ言えない。これなら姉も許可してくれるだろうと思い、私は視線をミランダから姉に戻した。
「そうね。あなたの言う通りだわ。なら、何もマキナー殿下でなくても良いわよね。私と行きましょう」
さすがにこの姉の回答にはミランダも顔を引き攣らせた。私もどうしていいか分からずに姉を凝視するしかなかった。
「で、でも、お姉様。その、わざわざ王妃教育で忙しいお姉様のお手を煩わせるわけにはいきません。今日は、イリス殿下と既に約束をしてしまっていますし」
「大丈夫よ。今日のことは、そうね。急なキャンセルが失礼にあたるのもミランダの言う通りだったわ。私の考えが至らなかったわね。あなたは今日、無理だし。仕方がないから私が代わりに行ってあげるわ」
どうしてそうなる!
「その必要はないよ、リリス嬢」
急に割って入って来た声に私、ミランダ、姉の視線が部屋の出入り口に向けられた。
そこには邸のメイドに案内されてここまで来たイリス殿下が居た。
「ドアが開いていたので話は全て聞かせてもらったよ」
そうイリス殿下が言って私とミランダは直ぐに納得した。
姉はいつもドアを閉めない。だからミランダが閉めてくれるのだけど、今日は姉が居ることに驚いて、その後も衝撃的すぎてドアを開けたまま話していたのだ。
これでは聞こうとしなくとも話が全て筒抜けだ。とてもはしたないことをしてしまった上に玄関でお出迎えができずに、ここまでイリス殿下に来させてしまって私は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「リリス嬢、私は今日ヴィオラと約束をしていたんだ。君が来る必要はどこにもないよ」
「ヴィオラは今日は行きませんわ」
私の代わりに姉が噛みつくように答えた。
「そうなのかい、ヴィオラ」
姉に向けられていたイリス殿下の視線が私に向いた。
「いいえ、私は」
「ええ、行きませんわ」
被せるように姉が答えた。
「君には聞いてないよ、リリス嬢」
「マキナー殿下。妹は『嫌だ』と言えない性格なのです。ですから私が代わりに答えます」
「行きます!」
私は今まで出したことがないぐらい強い声を出した。姉もミランダも、イリス殿下もそんな私を見て驚いていた。
私も自分がこんなに強い声を出せるのかと驚いた。その副作用か、体が小刻みに震えている。
「わ、私は今日イリス殿下と一緒に行きたいです」
「ヴィオラ!」
姉の叱責が飛んだけれど、私はそれを無視した。
「決まりだね」
とても穏やかな声がした。イリス殿下はいつもの優しい眼差しで私を見てくる。
そんな目で見られているせいか、頬が熱く紅潮した。熱でもあるのではないかとちょっと不安になったけど、絶対に行きたいので黙っていることにした。
「では、私も」
「リリス嬢、君の妹を今日一日借りるね」
姉が何か言う前ににっこりと笑ってイリス殿下が牽制する。
姉はわずかに青褪め、心なしか姉の周囲にいる精霊が反応しているような気がした。私には魔力が無いので気のせいかもしれないけれど。
でも、姉のついている精霊がイリス殿下に何かをすることはなかった。
「では行こうか、ヴィオラ」
「はい」
私はイリス殿下にエスコートされながら部屋を出た。




