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第五話

 ハルバードの瞳は、余計な事を言ったんじゃないかと少し不安げに揺らいだ。それでもそれを振り払うように高めで心地よい、優しさが垣間見える声で笑うと、ゆっくりと動作を止めた。そして、無自覚なのだろうが、自然な流れであざとく首を傾げる。それがなんとなくサマになっているのがまた反応していいのかどうか悩ましい所だ。オレンジに近い色の髪を無造作にかきあげ、額にタオルを当てたハルバードは人懐こく柔らかい笑みを浮かべて言った。

「いやぁ、身体を動かすと暑いよね。カイルくんは大丈夫?」

 意外に当たり障りのない言葉でカイルは少し躊躇う。だが大丈夫だと言う事を出来るだけ丁寧に伝えると、ハルバードは微かに物寂しそうな表情を見せた。そして、長いまつ毛にふちどられた瞼をゆっくりと瞬かせ、視線を逸らしてしばし考えるような素振りを見せる。その間、カイルはじっとハルバードを見つめていたので、ハルバードが再びカイルを見つめた時、その綺麗な瞳と目が合ってカイルは心底ドキリとした。

「その敬語やめて欲しいな。僕そんな堅苦しいの苦手で」

「あ、すみません」

 そう言うと先程より困った様な顔をしたハルバードは人差し指でツンとカイルの額を弾く。もう一度、今度は語気を若干強めて同じ言葉を繰り返した。

「ハル先輩」

「ん? なんだい?」

「ハル先輩、えっと。これでいいで……これでいいか」

「はい、よくできました」

 ハルバードはまるで幼い子にするようにカイルの頭をくしゃくしゃと撫でる。それがなんだか気恥ずかしくて、カイルは視線を逸らし俯いた。

 年上から甘やかされるのはなんだか慣れない。ましてや、頭を撫でられるなんて論外だ。胸の内がうずうずと疼いて、叫びたくなるような衝動。でも、何かに耐えるようにぎゅっと服の裾を握ったまま動けなかった。やめて欲しいだとか、恥ずかしいだとか、そういう言葉は口から出ずにから回る。音になるのは、あの、とかえっと、等の情けない感嘆詞ばかり。

 その事を知ってか知らでか、ハルバードはさも楽しそうに笑って言った。

「カイルくんはクールな子だと思ってたけど、意外と可愛らしいねぇ」

「かっ……な、なんで」

「さっきまで表情がなかったのに、フレッドくんの事になると不安そうにしたり、今はとっても顔が赤いよ? それが、意外だなぁ、可愛いなって」

 違う、答えて欲しいのはそこじゃない。とカイルは言いたかったが、微塵も毒気のない言い方と表情に言う気が失せてしまった。かわりに頭に置かれたままの手をどけ、カイルがふいと顔を背ければ、それまでも愛らしいかのようにハルバードは口元をほころばせる。この人には敵わないな、とカイルはこの時悟った。


 ふいに、背後でガタリと音が鳴る。恐らくドアを開けた音だろう。はてさて、先程ハルバードが「早くから人は珍しい」と言ったばかりだが。そのハルバードはと言うと、

「今日はたくさんの人が来るね」

 等と全く気にしない様子で佇んでいる。その人物が器具の影から姿を現すと同時にハルバードの目が丸くなる。ハルバードの視線の先には、黒髪を綺麗に整え、細い黒縁の眼鏡をかけた青年。レンズ越しの冷たい瞳がカイルを捉えると、その青年は深い深いため息をついた。

「あれ、どうしてここに来たの? アデル」

 アデルと呼ばれた青年は、どうしてという問いの意味がわからないと言った様子で眉をひそめた。

「どうしたもこうしたも、ハル、貴方が勝手にいなくなってしまうからでしょう」

「でも僕はいつも朝はトレーニングルームにいるじゃないか。探すほどの事でもないよ」

「……はぁ。今何時だと?」

 呆れ返った様に言葉を投げかけるアデルに、ハルバードはくるりと振り返る。背後にある時計の針は、とっくに朝ご飯開始の時間を過ぎていた。

「申し遅れました、俺はアデルバート・ヒューリー。ハルバード・オルドリッジとは同級生です。よろしくお願いします」

 アデルバートは、カイルに向けてキッチリと腰から身体を折り礼をする。下級生に対しても礼儀正しく接するアデルバートの威圧感に押され、慌ててカイルも礼をした。

「えっとね、アデル。この子はカイルくんって言って、可愛らしい子なんだよ」

 ハルバードはニコニコと笑いながらカイルの背中を押す。そして、カイルにアデルに対しても敬語じゃなくていいからね、と言った。

「よろしくお願いします、ヒューリー先輩。俺、カイル・ウォードと言います」

「はぁ……アデルでいいですよ、呼びにくいでしょう。それに、先程敬語でなくてもいいと言われたのを忘れたんですか?」

「……すみません」

「謝る前に実行に移しなさい。ハルの言うことを聞けないと言うのですか」

「やめなよ、アデル。カイルくんも戸惑ってるだけじゃないかな? ほら、君だって敬語だし。……あぁ、カイルくん、アデルは誰に対しても敬語で話すから、別に君の事嫌いなんだとかじゃないよ?」

「……はい」

 二人の返事が重なり、カイル達はハッと互いの顔を見る。それを見て、ハルバードは満足げにニコリと微笑んだ。

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