最近、専属メイドの態度が冷たい
作者は紅茶エアプです。
「お嬢様、紅茶が入りました」
庭のテラスで静かに読書をしていると、わたし専属のメイド、アイリが澄ました表情でワゴンを押してきた。無駄に装飾の施された銀色のワゴンには、一人ではとても食べきれない量のお菓子と豪奢なティーセットが載せられていた。
「そう、もうそんな時間なのね」
わたしは読みかけの本に栞を挟み、テーブルの脇へ置く。すると、アイリは落ち着いた動作でカップに紅茶を注ぎ、お皿に盛られたカラフルなマカロンとともにわたしの前に差し出した。
「どうぞ、お召し上がりください」
「……ありがとう」
その一言を添えたきり、アイリはわたしの斜め後ろに控え、沈黙する。わたしは思わずため息を漏らしつつ、カップにそっと手を掛け、口元へ寄せる。そして、一度深くその香りを吸い込んだ。
……この紅茶だけは変わらない。ずっと昔からこの家に仕えているメイド長の淹れた紅茶。これだけは、他の全てが変わったとしても、決して変わらない。
一口、紅茶を含む。仄かな甘みと、微かな渋みが広がる。わたしはふと瞳を閉じ、少し舌の上でそれを転がした後、静かに飲み下す。そして再び両目を開けば、残っていたのは悲しさと、空しさだけ。
「……アイリ?」
振り返ることなく、そこにいるはずのわたしのメイドに呼びかける。
「はい、お嬢様」
返事が聞こえた。とても、無感情な声で。
胸に爪を立てられるような感覚を覚えながら、わたしは自分を奮い立たせるように息を大きく吸い込んだ。
「この量のお菓子は、わたし一人だととても食べきれないわ。それに……紅茶もきっと、一人より二人で飲んだほうがおいしいと思うの。だから、アイリ? 貴女も一緒にどうかしら?」
心臓の鼓動が早まり、耳の奥でうるさく響く。
返事など初めからわかっている。けれど、もしかしたらと考える自分がいる。その度に傷つくと知っていながら。
そして今日も、わたしは愚かにも同じことを繰り返す。
「申し訳ありません、お嬢様。たとえお嬢様のご命令であっても、それは致しかねます」
そして、この返事も、もう何度目か分からない。わたしは視界が遠のく錯覚を感じ、手に持ったカップを小さく震わせた。
わたしはカップをソーサーの上に戻し、小さく息を二、三度つく。そして、
「……どうして?」
と問えば、これも何度目か分からない、魂の抜けたようなアイリの声が聞こえてくる。
「従者が主と同じ席に着くことは禁止されています。わたしは、この家に仕えるメイドですので」
返答を聞き、わたしは小さく、
「……そう」
と呟いた。
そのまま俯くわたしは、ゆっくりと瞼を閉じていく。やがて暗闇に閉じる世界に、胸の内にしまっていた思い出たちを描いていく。
やがて出来上がるのは、大きく色鮮やかで、とても眩しい絵。わたしとアイリの、二度と戻らない日常の一ページ。
***
わたし、ソフィアとアイリは幼馴染だった。わたしは国を代表する貴族の家の、アイリはわたしの家に代々仕えている家の娘として産まれた。その身分の違いにも関わらず、幼い頃のわたしたちは本当に仲の良い友達同士だった。
「はい、ソフィちゃん。お花のかみかざりよ。わたしが作ったの」
なんて、昔はわたしのことを愛称で呼んでくれるくらい仲が良かった。勿論、たとえ子供だとしても、仕える身分である者がわたしにそんな口を利けるはずは無かった。その話がアイリの両親の耳に入る度、アイリはこっ酷く叱られていたようだった。
それでも、アイリはわたしの友達でい続けてくれた。それが、とっても嬉しかった。わたしの周りには、とても友達と言える人はいなかった。同年代の若い子も、シワの寄った大の大人も、みなわたしの顔色を窺うばかり。それが酷く不気味で仕方なかった。まるで、みんな人間じゃないみたいで。
だから、わたしはアイリのことが大好きだった。アイリだけは人間でいてくれた。わたしと対等でいてくれたから。
「このマカロン、とってもおいしいね!」
「うん! このお紅茶も!」
アイリはわたしのメイドではなかった。だって、メイドと主が一緒にお菓子や紅茶を楽しむことなんてできないでしょう?
だから、メイドなんか要らなかった。アイリがいてくれるだけ、それだけで、わたしは他には何も要らなかったの。
それから数年の月日が経った。その時間の流れとともに、わたしたちは成長していった。もう二人とも、幼い少女ではなかった。
それでもわたしは、アイリとの関係が変わるなんて思わなかった。いつまでもいつまでも、アイリとは仲良しな友達同士でいられると信じていた。
だからこそ、あの日のことは、何があっても忘れることは出来ないと思う。
「お嬢様、おはようございます」
その日、アイリは深々と頭を下げてそんな可笑しな挨拶をしてきた。その場にはわたしたち二人だけ。他の人の目がないのに、どうしてわたしの名前を呼ばず、どうしてそんなに恭しく振舞うのか、当時のわたしは理解できなかった。
いや、実の所、今でも理解できていない。
「ア、アイリ? 急に一体どうしたの? 頭なんか下げちゃって。何かの冗談なら、面白くないわよ?」
わたしの言葉に、アイリは薄い桃色の唇をそっと開いた。
「冗談ではございません」
アイリの紡ぐその声は、とても無感情に、わたしの胸に突き刺さった。
「じゃあ、どうして……?」
うろたえ、戸惑うわたし。そしてアイリは、ゆっくり頭を上げ、冷たい眼差しをわたしに向けた。
「わたしは、お嬢様のメイドですから」
***
紅茶をカップ一杯分頂いたわたしは、カップとお菓子をアイリに下げさせる。お菓子には、結局一つも手をつけることは無かった。
「今日も美味しい紅茶だったわ。ありがとう」
アイリのほうを見ずにそう言えば、彼女もまた、わたしから顔を背けてこう言うだけ。
「いえ、お楽しみ頂けたのなら幸いです」
本当は分かっているくせに。わたしが全く楽しんでいなかったことくらい。
わたしはテーブルの上から本を取り、適当にパラパラとめくる。すぐに、栞を挟んだページが開かれた。
文字の上に目線を滑らせる。内容が全く頭に入らない。背後でカラカラとワゴンを押す音が聞こえる。
次第に、視界が霞んでいく。
昔は、いつも一緒に紅茶を飲んでいた。こっちはとても香り高いだの、こっちは上品な味がするだの、まだ分かりもしていなかった言葉を並べては笑い合っていた。
昔は、いつも一緒にお菓子を食べていた。わたしの為にと用意されたお菓子を二人で分け合って、おいしいねと笑い合った。たまに食べ足りないときは、アイリがこっそりキッチンからお菓子を持ち出して、二人で隠れて食べたこともあった。見つかれば叱られるとわかってはいたけど、アイリと一緒だったから、堪らなく気分が高揚したものだ。
昔は、いつも一緒に遊んでいた。他に遊び相手のいなかったわたしにとって、アイリだけが心を許せる唯一の友達だった。庭のお花たちで遊ぶのも、部屋でお人形遊びをするのも、いつだってアイリが一緒だった。アイリがいてくれただけで、いつだって楽しかった。嬉しかった。
昔は、わたしのことを名前で呼んでくれた。ソフィって、愛称で呼んでくれていた。勿論、お父様やお母様、他のメイドたちの前ではその呼び方は禁止されていた。だからこそ、二人きりの時だけ名前を呼び合う関係が、秘密を共有する関係が、他に友達のいないわたしにとっての宝物だった。
けれど、それらは既に過去のこと。永遠のものだと錯覚していた、かけがえの無いものたち。
そのすべてが、この涙のように両の手の平から零れ落ちて、もう二度と戻ることはない。
アイリはわたしに背を向けて歩き去ろうとする。
「待って! アイリっ!」
わたしは叫び、立ち上がっていた。少しして、ワゴンの音は止んだ。
首だけを回し、アイリを見つめる。彼女もわたしを見つめていた。先ほどの冷たい、ガラスのような瞳で。
その眼差しが、わたしを一層悲しくさせる。
「どうして……?」
それでもわたしは、湧き出す言葉を、感情をせき止めることができなかった。どうしても、彼女の本心が知りたかったから。
「どうして、貴女は変わってしまったの!? 昔の貴女は、こんな風ではなかったじゃない!」
アイリは顔色一つ変えることなく、瞬きを一つした。わたしは彼女と向き合った。
「昔の貴女は、いつも明るい笑顔で、声は豊かで、目はきらきらしてて、それから……」
一度、溢れ出したら止まらなかった。止め処なく浮かぶ昔のアイリの姿を、必死に掻き集めて、繋いでいく。
「草花あそびが得意で、いたずらが好きで、わんぱくで……わたしの知ってる貴女は、わたしの好きな貴女は、わたしのことを『お嬢様』なんて呼ばなかった……ッ!」
次第に彼女の顔を見つめるのが辛くなって、わたしは俯いてしまう。流れ出る涙が一つ、二つと落ちてゆき、石の床で弾ける。
「どうして……? ねぇ、どうしてなの? どうして、貴女は変わってしまったの? お願い、嘘なんて言わないで、本当のことを教えて……?」
「……」
しばしの間、沈黙が降りる。微風が吹き、草木を鳴らした。
「……お嬢様」
やがて、微風がアイリの声を運んでくる。
「わたしは、大人になったのです」
「……え?」
アイリは一体何を言っているの? 大人。大人になるって、どういうこと?
「それじゃ分からないわ、アイリ。大人になったって、どういうことなの?」
恐る恐る顔を上げ、再び問う。アイリは手を前で重ね、瞳を閉じていた。
何かを考えているのか、それとも思い出しているのか。アイリはしばらくの間そのまま目を閉じ、やがて薄く開く。
「お嬢様には、きっと理解し得ないことです。籠の中で、ずっと幼いままであるお嬢様には、外のことなど……」
アイリと目が合った。とても冷たい、人間の物ではないような瞳と。
彼女の言葉の一欠片すら理解できず、わたしは硬直する。やがてアイリは一つ頭を下げ、踵を返してワゴンを押して行った。遠ざかる彼女の背中に、呼び止める言葉を掛けることは出来なかった。
アイリは遠く離れ、遂に館の中へと姿を消してしまった。だだっ広い庭に一人取り残されたまま、わたしは立ち尽くす。空はこんなにも晴れているのに、わたしの頬はぐしょぐしょに濡れていた。
一際大きな風が吹く。ドレスの裾ははためき、本のページは乱暴にめくられる。
それに挟んでいた筈の栞は、気付けば遠い風の中だ。




