第一話 人魚姫《前編》
うう…ちょっと風邪ひきで更新遅れております。
申し訳ありません。でも、この話まではストックありますから。
美しい尾鰭長く黒い髪の毛‥とくれば、皆様ご存知のお話は──────そう、人魚姫である。
王子様を助けて、恋をして。最後には自分を選ばなかった彼を殺める事も出来ずに、自ら泡になってしまった悲劇のヒロイン。
「ひゃっほほぉおおおぅ‼︎遂に免許取得ゥ〜」
だが、この人魚にはそんな殊勝な心根は期待出来そうになかった。
歓喜に身体をくねらせ、我慢出来ずに海上まで躍り出た彼女の名前は《スズ》。
蒼いペンダントトップ型免許を握り締め、見事に跳ねて、ビクトリィポーズを鮮やかにキメる。
「これでやっと、七つの海を行き来出来るぜぇ!」
身体に自信の無いスズが身に付けているのは貝殻のビキニではなく、パールのビスチェ。
それが月にきらり、と輝いた。
「長かった。苦節二十年‥あの父親の邪魔を掻い潜り、勉強して試験を受けに行くのは至難の業だった…」
海神ポセイドンの七人目の娘であり、既に行かず後家の域に達しているスズの生きる道はニートか海流調査官くらいしか無かった。
「まあね、幾らあたしでも七つの海を巡っていれば、素敵な殿方との出会いもあろうってモノよ。無いならそれはそれでもイイけどね」
やっと過保護な父親から解放される満足感で、気楽な性格に益々磨きが掛かっていた。
岩場に腰掛けて免許を月に透かし、輝く未来に想いを馳せた。
ゴロ、ゴロゴロゴロ…ゴロゴロ…ゴゴゴ、ピシャーンっ!
どれくらい経ったろう。遠く、雷が鳴る音がして、曇り行く天候の変化を知らせる。
「……やっべ嵐になりそうだわ。そろそろ戻るか」
そうして荒れる海を眺めていたスズは海中に身を踊らせようとして───────
「あれ?デッカい船だなぁ。ありゃあ、どっかの王族の船か?」
木の葉の様に時化る波に翻弄される大船。何だかつい、手に汗握ってしまう。
ガンバレー、ガンバレェエ船〜っ‼︎
ちょっと体育会系である人魚はつい、拳に力が入り、応援してしまう。
海に帰る事も忘れ、見続けていると、人らしき物体が落下して行くのに気付いた。
「お、王子ィイイイイイ───────ッ⁉︎」
その野太い叫びと共に落ちた人物の救助に向かうスズ。
沈んでいく長身の男。彼女は尾鰭を自在に操り、見る間に彼に近付いて行った。
どえりゃー美しい青年。年の頃なら、二十代後半から三十代前半。
意識を失い掛けているのを察した彼女は、口内で酸素を作り人工呼吸の為に唇を合わせる。
そっとそれを送り込むと、青年の目が薄く開いた。視線が絡んだ、かもしれない。
後頭部にするりと回される掌。彼は酸素がもっと欲しいのか、抱き締め、深く接吻してきた。
まあ、滅多に無い男前だし、損する訳でも無いからいっかー。と次々に酸素を送ってやっていると…
《おんどりゃあ‼︎己の今の状況、分かっとんのかぁああああっ⁉︎》
ゴツ!
巧みに舌が絡んできて、唾液をも啜られ、真っ赤になりながらスズは彼を海中で殴り飛ばした。
離れていく一瞬の隙に、彼は彼女の胸元に手を伸ばす。
千切られたペンダント。
慌てて手を伸ばすが、自分のパンチはコークスクリューパンチ。一瞬で父をもノックアウトする程の威力で、あっという間に彼は海上に浮かんで行く。
そちらには既に何隻かの小舟の腹が見えていて、追うのは到底不可能だった。
誰だって、見世物小屋行きかペットとして売り飛ばされるのは嫌だ。
《この、恩知らずぅウウウウウウーッ!》
「で、ナンだ。その人間に免許ブン取られちまった、って始末?お前、バカか?」
容赦無く、スズの旋毛にチョップを入れるのは兄カズヤである。
宮殿に戻った彼女は直ぐ上の兄の部屋に直行した。父の補佐をしている彼が偶々休みで、しかも運良くデートの無い日だったのは不幸中の幸いだったろう。
「うーううッ‼︎カズ兄だから相談したのにィ。酷いよォ」
回れ右して部屋を出ようとする妹の頭を、兄は無造作に掴む。
「おら、待て。お前一人でどうにか出来んのか?免許の再発行なんざ、あの親父が許すとでも思ってんのか、ん?」
カズヤはうえーん、と泣きついてきたスズの背中をポンポンと叩きながら、うーん、と考えを巡らせ始めた。
何だかんだ言いつつもこの兄妹は仲が良いのだ。
趣味の良い調度品に囲まれた部屋で、大理石の広いテーブルまで兄は妹を引っ張っていく。
本棚から一冊の本を取り出し、パラパラと捲れば、
「この近海を通る人界の国の紋章と船の形状あれこれだ。
お前、暫く眺めてたって言ったな?」
うーんうーん、と物覚えの悪いスズは眉間に皺を寄せて唸っている。
カズヤは嘆息すると、何個かの紋章と船に目を走らせる。
「黒髪、黒曜石の瞳の王子と言ったな?」
「うん」
握った親指の爪を行儀悪く噛みながら、瞳を鋭く一点に見据えた。
「おそらくそれはクォード王国の事だ。夢見がちなお前は王子といったら一様に美形だと思うだろうが、そうそう俺ばりのイイ男が権力の頂点にいて堪るか。彼の王国のには父親が長く王位に居座っている為に、妃も娶れず冷遇されている美貌の王子がいるらしい。
つい先だっても、海賊退治に駆り出されたと聞いた」
スズは琥珀に護られた黒い瞳を輝かせた。
「んじゃ、多分その帰りの航海だったんだね?…落ち方、不自然だったんだよ…。あいつ、命を狙われてんじゃないのかな?何だか、突き落とされたみたいに見えた」
自分の免許を奪われた事も忘れ、そうお人好しに呟くスズにカズヤは呆れた様に苦笑した。
「人間の世界なんざ、多かれ少なかれそんなモンさ。優しげな美貌に似合わず、切れ者らしいから、幾度と無く危機を脱しているんだと。それより、お前はそれ処じゃねぇだろ?何とかして免許、取り戻さねぇと」
────────ニート決定だぜ?
声無き続きが聞こえてくる。
「やだあぁああッ!それだけはやだッ、カズ兄、あたし取り戻しに行くよ!」
スズは拳を振って、そう言うと考えを巡らせる。
「どうやって?」
「…うん、それなんだけど……ミヤコさん、紹介してくんないかな?」
「ミヤコを?」
カズヤの古くからの知人に《海の魔女》になった変り種が居るとスズは聞いた覚えがあった。
カズヤは顎を撫でながら、「そうだな。それしか無ぇよな」と渋い顔をして見せた。
決まると二人の行動は早かった。
ジンベイザメにシャーク君とそのお友達に乗せてもらい、彼の魔女殿の住処に辿り着く。
暗い海底の一角にほんのりと明るい一軒の家がある。──────魔女の家だ。
「まあまあ、久しぶりじゃないのカズヤ。恋人同伴で訪ねて来るとはお安くないわね」
家の中は魔法の所為だろうか、驚く程広い。
室内の大鍋や壺は古美術と言って良い程の品で、おどろおどろしい感じは全くしなかった。
「馬鹿、からかうなよ。妹だ、妹」
出された茶を呷る旧友に魔女は忍び笑う。言葉の中に貶す響きが一つも無い。この男にしては珍しく、余程可愛がっているのだろう。
「───────さて、《足》が要るんだったわね?」
こくん、と頷くクルクル茶髪のスズを見て、ミヤコは一本の瓶を取り出した。
「これを渡すには《対価》が必要なんだけど「─────ちょっと待て、お前、それはいいのか「ツ○サですか、ホリ○クですか?」」」
言葉の連なりが森のクマさん並みの輪唱になった。
「…魔女とはそういうモノなのよ。てな訳で魔法薬の二本(掛ける・戻す)とカズヤの皮膚呼吸薬の代償に、貴女の声を借りたいんだけど、いい?」
カズヤとスズは首を傾げる。
「「声?」」
「次の魔女のサバトで、どうしても歌を歌わなくてはならなくなったのよ。…実は私、とんでもない音痴なの…」
勿論、貴女が目的を果たして戻ってきたら返すわ。と彼女は請け合った。
まあ、幸いスズは歌は得意分野だ。ミヤコは恥をかかずに済むだろう。
「それでいいです。とにかく、アイツに近づかない事には始まりませんから」
「─────まあ、お前は喋らない方が温和しく見えていいだろうが…それで、どうやってペンダントを取り戻すよ?」
「王宮に忍び込んで、シバキ倒し「お前、ホントに阿呆だろッ⁉︎なあ!」」
兄は妹のあまりの無謀な計画に、両頬を左右に引っ張った。
まあまあ、と美貌の魔女は兄妹喧嘩の間に緩やかに割って入った。
「どうもね、あちらも貴女を命の恩人だと、探してる風なのよ。最近は良く海岸を散歩しているんですって、あの王子様。
噂を聞きつけて、それを詐称する姫君やらもちらほら出てきてるみたいだし、本物としては早く名乗り出た方がいいわね」
───────はい、プレゼント。
渡されたのはマジックボードと油性マジック。これで意識の疎通を図れと言う事らしい。
「確か海流調査官なら、雇用試験が確か一ヶ月後じゃなかった?のんびりのんびり時間掛けてなんかいたら、せっかくの資格が水の泡になってしまうから気をつけて頑張りなさいね」
大事なことを思い出させて貰った人魚姫は、真っ青になったママ、兄に運び出された。
と、いう経緯を経てよいしょ、と波打ち際から立ち上がったスズは、痛む足を堪えながら、服から海水を弾いた。
兄チョイスの柔らかなロングのワンピースを纏い、噂の海岸近くまで送ってもらったのだ。
慣れぬ二足歩行がこんなにも、身体に負担を掛けるなんて。
ダ、ダイエットしときゃあ、良かったよ…。
元人魚はとうとう自重に負け、砂浜に座り込んでしまう。
はあ、と溜息を吐いて上げた顔の先で。
誰かが雑木林の中から、弓矢で人を狙っている。
本来なら、大声を上げて知らせるべきなのだが、スズは思わず喉に手を当てた。
仕方ないとばかりに、咄嗟に貝がらを幾つか拾うと、立ち上がり、なんとか踏ん張って次々に曲者が忍ぶ茂みに向かって投げてみる。
頑張った甲斐があって、どうやら狙われた人物がそれに気付いたらしい。お付きの者らしき一団が素早く怪しい男を取り押さえた。
ほっ、とスズが一安心していると、当の本人がこちらへ向かって駆け寄って来る。
それは確かにあの時、スズの免許を奪った男。
「ありがとう、君のお陰で助かったよ。──────お礼をしたいな。君の名前を教えてくれるかい?」
美貌の主はスズを覚えていない様だ。
彼女の免許を取り戻す戦いの火蓋が、今、切って落とされた。
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