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イケメン王子を巡る戦いとか?

立ち聞きする趣味なんか無い。

だけど話題になっているのはまさに自分の事で―――しかもありもしない事を訴えられている現場に出くわしてしまったなら、立ち去るなんてできる訳ない!


「私もう辛くてっ……耐えられないんです……!」


決して大きい声量じゃない。だけど叫ぶような訴えを吐き出し、堪えきれないように言葉を切る河合さん。まるでこれまで耐えに耐え、その結果(つい)に気持ちが決壊してしまったように。




ええー!

ちょっと、ちょっと!

どうしたら良いの?こういう場合。




今すぐ出て行って反論?

それとも最後まで聞いてからが良い?

立ち去るのはもう無理!でも出て行くのもツラい……立ち聞きしてたってバレバレだし。じゃあ、話を一通り聞いて『今現れました~』って感じで登場?

それとも全部聞いて―――その上で聞かなかった振りして立ち去るべき?!

……いやいやいやいや、それは無理!生理的に!!

だってトイレがあの二人の向こう側なの!他のトイレはえっらく遠いの!最悪、漏れちゃうから……!『もう耐えられない』のは私だっちゅーの!って何上手いコト言っちゃってるの~?!


「……どういう事?」


穏やかな本田君の声音に……少しホッとする。

でもこの後もし、河合さんが何か私に不利な事を本田君の耳に入れて、それを彼が信じちゃったら―――次顔を合わせた時、本田君の私に対する態度が冷たくなったりするのだろうか?若しくは態度は変わらないけど、心の中で河合さんの言った事を思い出したりとか……?!


「本田さんと話していると、スゴイ目で睨むんです。それで呼び出されて『本田君と話をするな』って……!私はただ仕事の質問をしているだけだって言ってるのに、信じてくれなくて。きっと―――雪谷さんは私と本田さんの仲を疑ってるんです」

「は?『仲を疑う』ってどういう意味?」


本田君はピンと来ないような、ボンヤリした返事をした。

私は―――何となく河合さんの言いたい事が分かって来た。

しかしジリジリするなぁ!私最近、自分の噂を立ち聞きしてばっかだよー!


「それは―――」


河合さんが少し笑いを含んだ声で口籠った。

照れて頬を染めている様子が目の前に見えるようだ。正直『お姫様』と言われるだけあって……河合さんは線が細くてか弱そうで、庇護欲をそそるような可愛らしい容貌をしている。トイレで彼女が同期の女の子に指摘を受けた通り、合コンで彼女はかなりモテるらしい。―――と古参グラホの会の回覧(比喩です)で情報が広まっている。

本音を言うとちょっとだけ羨ましい。だって生まれてこの方モテてモテて困るなんて状況―――陥った経験は無い!威張れる事じゃないけど……。

今もし高志と言う彼氏がいなかったら、私も本当に彼女に嫉妬してしまっていたかもしれない。

でも、だからって仕事にかこつけて虐めたりしないけどねっ……!


「雪谷さん、きっと本田さんに気があるんですっ!だから、私と本田さんが仲良くなるのを邪魔してるんだと思います!……本当はこんなコト言いたくないんですけど……本田さん、嫌ですよね。年上の先輩に狙われてるって思ったら、気持ち悪くて仕事しづらいですよね」




う……おいっ!




と思わず、突っ込みを入れそうになって、両手で口を塞いだ。


だ、誰が本田君を狙っているってぇ……?


確かに本田君はカッコイイ。テレビの中から抜け出たみたいに現実感が無いくらいに。そのくせ優しくてしっかりしていて、困った時に頼りになって―――心の準備をしてなければ不意にドキリとしてしまう事もある。

けど、『狙っている』のは他でも無い河合さんでしょ?

私は高志以外興味なんかなーい!勝手な事言うなぁあ!本当に仕事がしづらくなるじゃないかあ!


どうしよう……これは、もしかしてヤハリ出て行った方が良い?

でも立ち聞きしてたってバレちゃったら……最悪、私の話は信じて貰えずに、後ろ暗い所があるから立ち聞きしていた奴って思われるだけマイナスが増えるって状況になってしまうかも……ああ~~本田君、頼むっ信じないでくれ~!


私が出ようか出まいかと逡巡しつつ壁にしがみつくように張り付いていると―――本田君の穏やかな声が、しっかりと響いて来て思わず息を呑んだ。




「それは、無いよ」

「えっ……」




当てが外れた所為か、河合さんが驚いたような声を漏らした。

そしてオズオズと―――確認する。


「あの……それは『雪谷さんがどう思おうと本田さんは気にしない』って意味ですか?仕事には関係ないから」

「いや?『雪谷さんが俺に気がある』なんて事は絶対に無いって意味だよ」


確信を持った優しいけれどもやや強い口調に、河合さんが戸惑ったように尋ねる。


「でも雪谷さんは、私が本田さんに話し掛けると必ず怒るんですよ……!」

「それは『カウンターで私語をするな』とか、『調べて分かる事はまず自分で確認しろ』とかそう言う事でしょ?雪谷さんは仕事に一途な人だから、万が一例え俺に気があったとしても、そんな事で後輩を叱ったりしないよ」

「……っ」


穏やかな、けれどもキッパリと跳ねつける言葉に、河合さんは息を呑んだように押し黙った。そして少し苛立ったようにこう言った。


「もしかして―――本田さんは、雪谷さんの事……好きなんですかっ?年上で……あんな偉そうでキツイ、女らしくも無い人なのに……っ」

「―――どうしてそうなるのかな?俺は仕事の話をしているだけだよ」


河合さんの苛立ちのベクトルが、ゆっくりと本田君に向き始めた。

これが世に言う『可愛さ余って憎さ百倍』ってヤツ??

何だかヤバいかも……採用に口利きする親戚だって、よもや訓練生の待遇にまで口出しはしないだろうけど―――下っ端グラホで常に転職が頭にあるような私と、苦労して難関を幾度も乗り越え、これから更に茨の道を歩いてパイロットになろうって言う―――将来ある本田君では抱えるリスクの大きさが違う。もし河合さんが親戚に何か言って、その親戚が真に受ける人間で、本田君の将来に何か不利益が起こったら……?




私はソロソロと後ずさった。そして十分に距離をとって―――ワザと小走りに足音を立てて、壁の影から飛び出した!




「あ!いたっ!本田君、河合さん、早く戻って!玉井さん(清子の事です)とカウンター代わって上げて。戻れなくて大変なんだからっ」




少し怒ったような声を出して『厳しい指導係』を装った。

立ち聞きがバレていないか、少しドキドキしたけれど―――バレてもバレて無くても、清子が困っている事には何ら変わりはない。


改めて思う。清子ゴメンっ!今度奢るよ~!


あまりの衝撃で、清子の事すっかり忘れていたのは他でも無い私だぁ……!


「はい、すいません。すぐ行きます」

「……」


素直に返事をした本田君と、ムッツリと押し黙って私を睨む河合さん。

しかし私にはそんな彼女の心情や態度に、構ってなんかいられない事情があるっ……!



二十六歳のいい年の大人がっ、職場でお漏らしなんか―――ぜったいにゴメンだから!







** ** **







本田君がやけに自信あり気に『雪谷さんが俺に気があるなんて事は絶対に無い』と言った訳は、ほどなく判明した。




その日、午前中こそ中国人観光客の団体様が大波となってカウンターに押し寄せたものの。午後休憩の後は平日だと言う事もあって、飛行機慣れしたビジネスユースらしいお客様が大半でさしてトラブルも無くスムーズに手続きを終える事が出来たのだった。


ただ異様に河合さんが静かだったけど……。


普段本田君に絡みまくってる河合さんが、全く私語を発しなかったのだ。まあ、これがあるべき姿だし普通なんだけどね……。代わりに仕事熱心な本田君が、ちょっとでも人がいなくなると私にこれでもかって質問を浴びせるから、私と本田君ばかり話している状態になってしまった。見ないようにしていたけど、チラリと視界に入った時河合さんが、目ばかりギラギラした能面のような顔でこちらを見ていたから―――ゾゾゾっと背筋が凍った。




それにしても本田君って……仕事好きなんだなぁ~~。




これだもん、河合さんに仕事中言い寄ったりなんかしない訳だ。

もし本田君が河合さんの事を好みだと思っていたとしても―――仕事中に連絡先を尋ねたり……なんて行動はとらないだろう。

河合さんも就業時間中はしっかり仕事に専念して、親睦会とか飲み会の時に彼にアピールした方が―――ずっと本田君の気持ちに近付けたろうに。と野暮な事を想像してしまう。


―――まあ、そんなアドバイスしませんけどね。きっと素直に受け取られず逆恨みされるのがオチだろうから!~~クワバラ、クワバラ~~!







「ちょっと珈琲、飲んで行きませんか?」


帰り道、偶然同じ車両に乗ったイケメン王子様に誘われてしまった。

私も実は話をしたいと思っていたから、二つ返事で頷いた。

本田君と河合さんの関係がちょっと拗れたみたいで気になっていたのと―――それから、完全否定してくれたものの、万が一私が本田君に気があるなんて思われて仕事に支障が出たら困ると思ったのだ。


私は本田君に、自分には整備士の彼がいるって事実を伝える事にした。

周囲に適当に揶揄われたり、安易に結婚の話題を出されたり―――とにかくゴチャゴチャ横槍が入るのが嫌なので、親しい口の堅い人以外には二人の関係を積極的に伝えてはいない。もし何処かで目撃されたり、気付かれて尋ねられたとしたら……嘘を言って隠すまではしないつもりだけど。―――だから河合さんが私に彼がいないと誤解したのも、しょうがない事なのだ。


でも例え誤解されたままだとしても、私は……河合さんには高志の事をあまり言いたくないと考えていた。


河合さんは私を蔑んでいる。明らかに下に見ている。

私と付き合っている事で―――河合さんに高志まで蔑まれるのは避けたかったからだ。

高志の性格だったら、全く気にしないだろう。だからこれは完全に、私の気持ちの問題なのだ。


そして本田君なら。高志と私の関係を明かしても大丈夫だと思った。

彼なら人を貶めたりするような事は無いだろうし、口も堅いだろう。トイレ前の遣り取りを聞いて、おぼろげだった印象がハッキリした。彼は信用できる―――きっと。




少しレトロな趣の喫茶店で、向かい合わせの席に座る。

平日の午後三時過ぎという中途半端な時間帯の所為か、座っている客の影はまばらだ。

お互い喫茶店のブレンドを選んだ。本田君はブラックで、私はミルクを入れた。

カップに口を付けると―――気持ちがスーっとOFFモードに切り替わり、落ち着いて来る。


目の前に冗談みたいなイケメンがいる。

見れば見るほど浮世離れしているな~と、思わずジロジロと眺めてしまった。すると顔を上げた本田君と目が合った。彼がニッコリと夢みたいに笑顔になったので、またしても思わず心臓が跳ねる。

いや、ほぼ生理現象だよ?トキメキじゃなくて。




「俺、万里小路までのこうじと大学一緒なんですよ」




グッと珈琲が喉に詰まって、思わず呻いた。


「大丈夫ですか?!」


思いっきり心配されてしまった。

私は声を出せないまま、コクコクと無事を知らせた。んんっと喉の詰まりをとって、やっと言葉を発する準備が整う。


「え、じゃあ『私が本田君に気が無い』って言いきったのって―――」

「あれ?もしかして聞いてたんですか?」


わぁあ、しまった!


立ち聞きしていた事を白状したも同然だった。

『万里小路』と言う名に動揺し過ぎた所為かもしれない。私は頬を染めて頷いた。こうなれば表面だけ繕って事実を隠すのは―――全く無意味な事だ。


「うん、ゴメン。トイレ行こうとしてて、河合さんがある事ない事言うのが聞こえて来て思わず手前で立ち止まっちゃったの。だんだん話がグレードアップするから、出て行くのがドンドン難しくなっちゃって―――確かに私、河合さんに色々指導係として注意はしているけど、本田君との仲を邪魔してるつもりは毛頭なかったから」

「そうですね、それはやっぱり嘘だったんですよね。彼女が被害妄想で勘違いしているって可能性もあるかと思ったんですが―――」

「もう分かってると思うけど……河合さん本田君を気に入ってるから、私の事フォローしてくれたの見て苛々しちゃったんだと思う……本田君は全く仕事の流れしか考えて無かったと、私は分かっているんだけど」


私はもう一口ひとくちコーヒーを飲み、肩の力を抜いてドサっと背もたれに寄り掛かった。

そして、言おう言おうと思っていた事を、やっと口にした。




「本田君は高志に聞いてたんだね。私達が付き合っているって―――」


ニコリと微笑んだ本田君は、珈琲を美味しそうに味わってから、返事をした。


「ええ、随分前に」







そう、何を隠そう……私の彼氏、整備士の『高志』は―――『万里小路』と言うこっぱずかしい苗字の男なのだ。

もし私がこのまま彼と付き合って―――結婚する事になったとしたら。




―――私の名前は『万里小路 綾乃』になってしまう。




なんじゃ、そらぁ!!こっぱずかしいを通り過ぎて、むしろかゆ過ぎる!―――お嬢か!

と、動揺でセルフ突っ込みを入れてしまうくらい恥ずかしい……。

中流家庭で育ち、河合さん言う所の別段有名でも無い短大を卒業後、『下っ端』グラホとなった、四捨五入すると既にアラサーの私がっ……!


た、耐えられない。


だから常に。結婚の話題は慎重に自分達の方に向かないよう気を使っていた。

高志の事は好きだけど―――そんな名前になる覚悟は私には無いっ!

と言うか……まだ覚悟できそうも、ない!


でもなぁ……そんな心配、もう不要かもしれない。

高志も愚痴ばっかウダウダ言いながら、仕事を辞められない私の事なんて―――もう嫌になっちゃったかもしれないしっ―――そんで公表しない内に、別れる事になっちゃうかもしれないし!

……そんなの絶対嫌だし、寂しいけど―――高志が私の事嫌いになったのなら、どうしようも無いじゃん……私が嫌だって駄々捏ねたってさ~~。でも本当に別れたくない。別れるの嫌~~!




「心配してましたよ、万里小路」

「え?」

「『背負い込む性格で頑張り屋だし、性質タチの悪い後輩にも真剣に向き合うから倒れないか心配だ』って言ってました」

「え……ええ~~~!!」




私は思わず立ち上がってしまった。

すると数少ない客の視線が全て、こちらに集中してしまい―――結局、真っ赤になって慌てて席に着きなおす事になった。


「高志そんな事全然私には……愚痴ばっか言っちゃったから、むしろ呆れられたのかと」


本田君は首を振って笑った。


「真剣な声で、俺に頼むから驚きました。『アイツが無理してたら助けてやってくれ、万が一後輩に何かされそうになったら俺にも教えてくれ』って」

「そ……うっそお……」


あの寡黙で飄々とした、人間関係のトラブルなんて『我関せず』って感じの、高志がぁ?

目を丸くする私に、本田君が微笑んだ。


「本当です。あ、でもそう言えば万里小路……雪谷さんには自分が頼んだ事黙ってろって言ってたな。自分で頑張りたい子で、余計な手出し嫌がるだろうからって」

「他人の事あんまり気にしないマイペースな人なのに……高志がそんな気配り見せるなんて」

「他人じゃなくて……『雪谷さんだから』でしょう?」

「?」

「『大事な彼女』と、それ以外の人間は別でしょ?―――俺もそうです」


本田君がニンマリと嗤った。

わあ、何か本田君って―――爽やか真っすぐってイメージだったけど……。




「本田君も―――彼女は特別?」

「そうですね。だから、万里小路の気持ち―――よく分かりますよ」




本田君にも大事な彼女がいるらしい。

それで彼女に見せている顔は……ちょっとだけ違うのかな?―――なんて想像して、何だかくすぐったいような……不思議な気分になった。




次回、最終話です。

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