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君だけがいる部室

作者: 宮古のんか

「んー……降るとは思わなかったなあ」

 大学から2時間離れたところにある家を出た時点では爽やかな青空が広がっていたのに、電車に乗っている間に徐々に雲行きはあやしくなり、駅に着いた途端に雨が地面を叩き始めたのだった。

 運良く乗り換えがスムーズにできて、いつもより1本早い電車で来たから、いつもはにぎやかに出迎えてくれる彼女たちの姿もない。そもそもいつも少し早い時間に来るのに、今日はさらに早い時間に来たため、周りに知り合いの姿も見かけない。

 1限目の講義は駅から一番遠い9号館だったっけ……。

 さすがにこの雨の中、傘も持たないまま9号館まで走るのは無謀すぎる。確か、部室には置き傘をしていた気がするし、それを取ってからでも十分講義には間に合うだろう。

 駅から見える位置にある部室棟を見据え、私は勢いよく走り出した。


*      *      *


 部室棟に到着するまでたった数分のことだったが、その間にも雨は激しさを増し、髪から少し水が滴った。ハンカチで髪と服についた雫を拭う。服が少し透けているが、気にしなくても大丈夫だろう。人通りは今のところないからきっと見られる心配はないし、きっと私の部の人も誰もいない。部室までたどり着けばドライヤーもあるから、すぐに乾かせる。

 部室棟の1階1番奥の空想旅行部の部室の前に着くと、思ったとおり扉の窓の向こうは暗く、誰も部室にはいないようだった。

 他の部やサークルと違い、我らが空想旅行部は放課後、みんなで決められた日に集まる以外は、誰も部室を訪れない。だから安心して、私は扉を勢いよく開け――

 その瞬間、言葉にならないような長い悲鳴が上がり、私は思わず飛び上がった。

「な、な、な、なになになになに、え、え、え?」

「なになになにはこっちのセリフなんですけど!」

 扉のすぐ横にあった電気をつけると、蛍光灯が二度瞬きをして室内を照らした。

「閉めて! 閉めて! 誰か入ってきたらどうするの! 君も出て! 扉! 閉めて!」

 部室の一番奥にあるパイプ椅子に座った男が、長机に突っ伏して顔を埋めるようにしながら、必死に訴えかけてくる。

 ぼさぼさの髪に、細い体をした男。1年間この部にいたが、こんな男は見たことがない。


 でも――私は彼を知っている。


 私が中には入り、扉を閉めると、彼はほっとしたような顔で体を起こし――すぐに机につっぷした。

「なんでなんで! なんで入ってくるのさ! 出てってっていったじゃん!」

「いやいや、ここ私の部室でもあるし? なんで出て行かなきゃいけないかわからないし? それに、君あれでしょ? 遠井くんでしょ?」

「え、え、なんで僕の名前……」

「有名だよー、幽霊部員、でしょ? なんかずっと長いこと出てきてないって言ってたよ、みんな。だからまだいるのか気になってたんだけど、本当にいたんだー!」

「そんな珍獣でも見つけたようなキラキラした目で見ないでよ……」

 一瞬腕の隙間からこちらを見て、遠井くんはすぐにつっぷしてしまった。そうしていると、長い髪の毛が彼の腕の上に散らばって、なんだかわからないもじゃもじゃの生物が机の上に誕生する。

 そのもじゃもじゃの生物はもぞもぞと動いて、小さな声で何かを言った。

「え、なになに! 全然聞こえない!」

 適当にカバンを机の上に放り出し、遠井くんの前までいって向かい合わせに座る。

「ちょっ……い、いちげんめ……」

「ああ、講義とかなんとでもなるよ! きっと彼女たちの誰かがノートとってくれてると思うから、一緒にデートしたときについでに見せてもらえるだろうし」

「王子様、だもんね、そっか、誰でも助けてくれるよね……僕なんか……」

 ただでさえ雨で湿度が上がっているというのに、遠井くんが話すたびにさらに室内の湿度があがっていくような気がする。

「あーあーあー! じめじめじめじめうっとうしい!」

 机に埋まるのではないかというほどめり込んでいたもじゃもじゃ頭をつかみ、強引に顔を上げさせてこちらを向かせる。

「そんな風にもごもごされてちゃ、話す気もそがれるわ! せっかく面白いやつと会えて喜んでんだから、水差すようなことやめてよね。君だって誰かと話したかったんじゃないの? だからこの部室にいるんでしょ?」

「そ、そ、それは……」

 わたわたとずり落ちた眼鏡を元に戻し、私を見た遠井くんは、そわそわと目線をさまよわせたあと、ぱっと目をそらした。

「なーんでそらすかな!」

「ごめんなさいごめんなさい! これは、その、慣れてないし……、その、近いし……」

 そんなに照れられると、こちらまでなんだか照れくさくなってくる。

 仕方なく、遠井くんの顔から手を離し、彼の向かい側に腰を落ち着けた。

 遠井くんはこんどは突っ伏すことはなく、かと言ってこちらを見るわけでもなく、扉の方を向きながらおとなしく座っていた。どうやら私がしばらくは出て行く気がないことを悟ったらしく、諦めたようだった。

「遠井くんってさ、何歳なんだったっけ?」

「は、ハタチだけど……」

「へー! じゃあ2回生か! 何学部?」

「……文学部」

「じゃあ私と一緒だ! まあこの部って文学部多いからな~」

「空想旅行なんてしようと考える人たちだからね。でもそんな人たちがこんなに集まるっていうのも、なかなかびっくりだよね……」

 空想旅行部は、ガイドブックを読み込んであたかもそこに旅行に行ったことがあるように、みんなが思い思いに旅の思い出を話す、というトンデモ部である。このへんてこな活動内容にも関わらず、十年前の立ち上げからずっと部の形として認められる三十人以上の部員がいるのだからオソロシイ。しかも、毎週1回の集まりには、9割近い部員が参加するのだから、まったくどうかしている。

「でも私はここ、けっこう好きだよ」

 中学高校と女子高にいてついたあだ名「王子様」が、大学になっても続いている私からすれば、心地よい浮世離れ感だった。もちろん、いくつもの体育会系の部活や飲み会サークルにも声をかけてもらえたが、もうちやほやされすぎるのは、少し疲れていた。空想旅行部なんて妙な場所に集まる人たちだから、みんなどこかずれていて、見ていて飽きないし、みんなは私のことを気にかけすぎないからとても居心地がいい。

「でもいつも女の子たちに……囲まれてる……よね? そこからもたまに見るけど……」

 扉とは逆方向にある小さな窓の方を見る遠井くん。私もつられて窓の方を見ながら、小さく笑う。

「女の子たちはいーの。だってかわいいし! それに、ここにはみんなちゃんと気を使って入ってこないからね。要はオンとオフの問題よ! 王子様にも王子様やめたいときくらいあるのー」

 あ、でもこれはひみつね! と言って笑うと、そこでようやく遠井くんも笑った。

「王子様も大変なんだね」

「そうそう! まあでも、全然会ったことない遠井くんにも窓越しに注目してもらえたり、あだ名を覚えてもらえてるなら、有名人も悪くないね」

 にやりと笑い返すと、遠井くんははっとしてこちらを向き、真っ赤になってまた机に突っ伏してしまった。

「そ、それは、その……本当に有名で、ここでも隣の部室の人も、窓の外を通る人も、結構君の名前を出して話しているから……」

「気になってたんでしょー」

「ち、ちが……」

 もごもごと何かを言い続けているが、何を言っているかはわからない。まあ遠井くんは全然姿を見せていなかったみたいだし、人と話し慣れていないのも無理ないか。

「遠井くんってさ、好きな子いるの?」

「んなっ!」

 もっと困らせてやりたくて思わず言ったことに、遠井くんはこちらがびっくりするほど飛び上がって、椅子から転げ落ちた。

「ちょっとちょっと! そこまでの反応は期待してなかったわー!」

 手を貸そうとしたが、遠井くんは首を振って辞退して、もう一度椅子に座り直した。

 やっぱりいるんだなーこれは。かけている大きなメガネが少し曇り、顔が面白いくらい真っ赤になっている。

「ねーねーだれだれ? この部の人?」

 遠井くんはぱくぱくと口を動かして答えられない。これはこの部の人で決まりだな。

「いつからその人のこと、好きなの? まだこの部にいる? それとも卒業しちゃった?」

「か……」

「か?」

「からかわないでよ……いまはいないよ……」

「うーそだー」

「ま、前はいた、けど……」

 もう卒業しちゃった、とぽつりと呟いたさみしそうな声を聞いて、踏み込み過ぎたと気がついた。

 少し気まずい空気が流れたとき、外でチャイムの音が鳴った。

「もうこんな時間か……、いかないと、でしょ。遅刻だよ」

「遠井くんは?」

「ぼくはまだいるよ」

 顔をあげた遠井くんはさみしそうにはにかむ。自分からいろいろ聞いたにもかかわらず、なんと言っていいかわからず、私は何も言えないままカバンを引き寄せて立ち上がった。

 そのとき、何かを思い出したように遠井くんは慌てて立ち上がり、部屋の片隅に置いてあったトランクを引っ張り出した。

「……そのトランク、ずっと前からあるけど、開かないって先輩言ってたよ?」

 埃を払って、鍵をがちゃがちゃと開けようとしている遠井くんに声をかけるのとほぼ同時に、ばこんと音を立ててトランクが開いた。

「これ、ぼくのだから」

 トランクの中から何かを取り出し、何かを私に向かって投げる。思わず受け取ったものを見ると、少しくたびれた灰色のパーカーだった。

「それ着て出て……」

 私と自分の胸を指差しながら遠井くんが消えそうな声で言う。不思議に思って自分の胸を見下ろすと、すっかり忘れていたがシャツが透け、少し下着が映っていた。

「そっ……!」

 そういうことは早く言って……!

 道理で人見知りとはいえ全然こちらを見なかったわけだ。きっとなんて言っていいかわからなかったんだろうが、じゃあ最後まで言わないでほしかった……。

 きっとこのまま出たらみんなに見られてしまうと思って、言ってくれたんだろうけど。

 最初は怯えていたくせに、自分のものを渡してまで私を助けてくれようとしたなんて、なんだか笑ってしまった。

 その笑い声にさえ、びくびくしている遠井くんに、最上級の笑顔でお礼を言おう。

「ありがとう。助かるよ!」

 パーカーに袖を通すと、少し大きくて、ああ、こんなに頼りなくても男の人なんだな、と今更ながらに思った。

 扉を開ける前に、もう一度遠井くんの方を振り向く。

「ねえ、まだ全然話し足りてないんだからね! そんなにうじうじしている暇なんて、これからはないんだから! まだまだ君に聞きたいことがあるんだからねっ」

君のいまの気になる人のことだって聞けてないし、とおどけると、遠井くんは一瞬固まったあと、ゆでダコのように真っ赤になった。

「な、なんで……!」

「それは、またこんど!」

 いたずらっぽく笑って、私は扉を開けた。

この部で私のこと「王子様」なんて呼ぶ人はいない。このあだ名知ってたってことは、ずっと窓の外見てたんでしょ? 話したこともないのに、ずっとずっと。それで興味もたれてなかったら、それこそびっくりだよ。

「このパーカー返しに来るから、またそのときにね!」

 そう言って振り返ったとき、外の光の差し込んだ部室には、もう誰の姿もなかった。

 でもまだそこに頼りないもじゃもじゃ頭が見えるような気がして、私は思いっきり手を振った。

 きっと彼はもう陽のあたる外へは出られない。それなら、何度だってこの場所に会いに来よう。誰もここにいなくても、彼は絶対にここにいてくれるのだから。

「さみしがる暇なんてないんだからね! この幽霊部員!」

 少しだけ扉の隙間を開けたまま、私はすっかり雨の上がった晴天の中を歩き出した。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

初投稿作品となります。

今後は短編・掌編を中心に投稿予定です。

長編も挑戦できるように頑張ります。

どうぞよろしくお願いいたします。

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