第8話
『…………そぼ………………ぁそぼ……………あそぼ……………』
幻聴だろう声が、耳の中で響いている……
……数カ月が経ったある日。一人の女性が僕のところを訪ねてきたらしい。
どうする? と言われ、とりあえず会ってみようと思い、僕『中山健太』はその人と会うことにした。
硬い廊下を歩いて少し、ある一室にたどり着く。
ガチャ、ギイィ……―――――――――
「やあ。 元気そうだね中山君」
「『表』さん………」
ガラスの向こうで表さんはニコリと笑って手を振ってくる。
被害者:
司馬田徳久 (51)死亡
草城亜紀 (70)死亡
司馬田氏は二階から突き落とされ、後頭部を地面に強く打ち付けて死亡。
草城氏は後頭部を鈍器で殴られ死亡。後頭部の傷跡は複数あり、殺害の際被告人は何度も草城氏の頭を殴りつけたことから、明確な殺意をもって犯行に及んだことが分かる。
また司馬田氏は、勤め先や周囲の聞き込み、また遺書等がないことから、自殺する動悸がないとして他殺の可能性が極めて高いと思われる。
被告人:中山健太 (20)
殺害動機:精神異常
「髪切った? 『ダウン系』だって?」
「……はい」
今の「はい」はどちらに、と聞かれれれば、どちらもだ。
『栄養剤』は高校の受験期から始めていて、そのおかげで成績も伸び、学校生活もうまくいっていた。
『被告人は通っていた大学内においても、何もないところにまるで誰かといるかのように話しかけていたという目撃証言が多数あり、このことからも被告人が重度の精神障害を……』
ちなみに髪は切ったのではなく、正確には剃ったのだ。
親に使っていたことがバレたのは、受験が終わった後だった。そのことで父と口論になり、僕は家を追い出された。仕送りは母が秘かにしてくれていた。
もう……今の僕には何が現実で何が妄想か区別がつかない。
あの怪異らは本当に起こっていたのか?
あの人形は本当にあったのか?
そもそもこの事件は本当に起こっているのか?
………そもそも……
本当にあの『裏野ハイツ』は存在していたのか?
「……」
でももし、
もしあの裏野ハイツがあったのなら、
もしあの出来事が全部本当だったなら、いくつか分かることがある。
この数カ月。僕には時間があった。だから考えることができた。
真犯人。
その可能性が一番高いのは、
「……『田鍋』さんだ」
田鍋諒さん。
そしてそれを手引きしたのは、
「……表さん。あの荷物の中って」
チャリン、――――――――
猫のような笑顔を浮かべ、彼女はポケットから鍵を取り出す。
「ビンゴだよん」
表さんはその鍵を摘まみあげて僕に見せながら、台に肘を突き、
「ついでに、あの中に入っていたのは遺骨でした~ってオチ☆」
遺骨。
人形。
人の……形
人の、形……
「『骨が人の体に入ると肉になる』。道理でしょ?」
どこが道理なものか。
そう心の中で舌を打ち、僕は彼女を睨み付ける。
よくもそうニヤニヤと笑っていられる。人を貶めておいて、お前は人形よりもより人形染みている。
人の形をした化け物め。死ねクソ女が。
「ちなみにぃ………その骨。誰のだと思う?」
「……」
「それと田鍋さんが草城さんを殺した動機って、何だったと思う?」
「…………」
「田鍋さんて、毎年年末になると二日間だけどこかに行ってたんだよね。どこに行ってたと思う?」
「………………」
「見方を変えてみようか……草城さんが殺されなければいけなかった理由って何だったと思う?」
「…………………………………………」
楽しそうに。愉しそうに。
表さんはニヤニヤと笑いながら僕に言葉を投げる。まるで鎖で繋がれた犬に、ボールを投げつけるかのような無邪気な笑顔で。
そして彼女は鍵をポケットに戻すと、小さく息を吐いて、
「……四十年くらい前の事件なんだけどね。とある母親が十歳くらいの少女を殺した。いや、正しくは『死なせてしまった』かな。その時のメディアではそう取り扱われていたよ」
その家庭はシングルマザーだったらしいよ。
母親は少女が少しでも言うことを聞かないと躾と言って少女の食事を全部抜いて、家事を全てさせていたそうだ。少女の与えられていたものは僅かな水だけ。
そうでなくても少女が家に帰ってくると外には出さず、自分の仕事を負担させて、できないとまた食事を抜く。一時はそれが続き過ぎて便が枯れたとか。ストレスと栄養失調から体は急激にやせ細っていき、空腹で眠れない日もあったそうだよ。終いには食べた物を戻してしまうなど拒食症の症状もあったらしい。
でもね、死因はそうじゃないんだよ。
その少女は、毒を盛ったんだ。
限界に来た少女は家族の食事に毒を盛り、母だけでなく、家族もろとも心中しようとしたんだ。
でもそれを母親に見られてしまい、掴みあいに発展。そして母親はあろうことかその毒を少女の飲ませたんだ。きっと、死なないと思ってたんだろうね。どうせ子供の持っていた毒。たかが知れている。
しかし、母親は少女の衰弱具合を知らなかった。いや、忘れていたのかもしれない。結局少女はそのまま苦しみはじめ、やがて死んだ。
少女虐待。
その時母親の頭を真っ先によぎったのはこの言葉だったんだろうね。
だから母親は少女の死後、というか気絶後、まだ助かるかもしれないにも関わらず、病院に電話はしなかった。そして死体を隠した後に掛けたのは『警察」だ。
うちの子が帰ってこないんです……
「ってね。少女の名前は『草城春奈』。草城亜紀さんの娘さんだよん☆」
「!?」
春奈。
娘さん。
それじゃああの写真は……
「事故っていうのは……」
「まあ、あながち間違いでもないんじゃない? 結局その死体は、半年が過ぎた頃に上半身が海岸に打ち上げられていたってオチだったし。それに……」
驚く僕に、そう表さんは小首をかしげ、少し得意げに微笑み、
「『もっとうまく扱えるはずだった』・『計算が狂った』ってね。ほら、これも立派な『事故』じゃない?」
「……」
「ちなみに田鍋さんはその春奈さんの彼氏、というか元カレだったらしいよ。というわけで動機は復讐という至って単純明快なものでしたー!」
そう笑う彼女に、今度こそ言葉を失った。
この人の価値観は、ズレている。
根本的に。
決定的に。
「……何なんですか、あなたは……」
僕は思わず、ガラス越しにも限らず、内に居る者にも関わらず、拳を強く握り、思い切り台に叩きつけた。
「人の痛みを弄びやがって! お前、何様だ! 何様のつもりなんだよ!」
我慢できなかった。
図々しい偽善だと分かっていながらも、自分が犯罪者だと分かっていながらも、その怒りを抑えることができなかった。
おそらく獣のように睨んでいるであろう僕の顔を見て、しかし表さんは笑みを崩さずニコリと笑い、
「何様……私は手助けをしただけだよ。言ってきたのは彼からだ。『バレない、いい殺し方はないか』と。だから私はあの裏野ハイツを立ち上げて、相応しい人を集めたんだ。いやあ苦労したよ。まあ一番苦労したのは君を待つことかな。君みたいな『人形』が来るのを待つのが」
「ッ!!!」
そこが我慢の限界だった。
「死ね!」
そうガラスに唾を吐きかけ、僕は席を立った。
もうこんな異常者と話していられない。どっちが異常者か。
じろりと立ち上がる時に彼女を睨み付ける。しかしやはり表さんはニコニコと笑みを浮かべて、揚句手まで振ってくる。
狂っている。
もう見たくない。僕は彼女の背を向けて、部屋を出て行こうとする。
「最後に一つだけ。いや、『三つ』かな。ヒントをあげるよ」
ノブに手を掛けようとする僕に背中に、彼女は、
「『ギモーブ』、『下半身』、『フードプロセッサー』」
「………―――――――――――――――――――――――――――――――!!!!!」
その瞬間、僕の背中は凍り付いた。
いや、そんな優しいものじゃない。
刹那、僕は自分でも分かるほど、飛び出しそうなくらいに見開いた目で彼女を見、そして、
「――――――――――――――――――――――――――――」
彼女のところへ思い切り駆け、そして思い切りそのガラスに拳を叩きつけた。
なぜそうしたか。明確な理由はない。
ただ、もうそうするしか………
そうするしか、僕は僕を守る手段がなかったのだ。
『ギモーブ』、『下半身』、『フードプロセッサー』
この三つから連想される一つの答え。
それはあまりにも残酷で、あまりにも異常で、あまりにも狂いに狂った狂気を孕んでいた。
だが、――――――――――――
ゆらり…………
ガラスを叩いた僕の拳は衝突と同時にベキッと鈍い音を立て、感覚を手放す。
そして景色は混濁し………やがて色が付き、一つの形を形成する。
「―――――――――――――――――――ッ!?」
そう、ここは…………無機質な箱の中。
僕はここから一歩たりとも出ていない。
『被告人は通っていた大学内においても、何もないところにまるで誰かといるかのように話しかけていたという目撃証言が多数あり………』
「……は」
思わず笑いが零れる。そもそもまだ一日しか経っていない上に、こんな状態の人間に面会が許されるものか。下りるわけがない。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ、、、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ―――――――――――――――――――――――」
そして同時に込み上げてくる吐き気に耐えられず、吐瀉物を撒き垂らす。しかし、それでも込み上げてくる笑いを堪えられず、僕は笑い続ける。
ギモーブ。お菓子の名前だが、信憑性に欠けるが、あれは唇、または人間の内臓の感触に似ているらしい。
下半身。海岸に流れ着いていたのは上半身の身で、下半身はどこに行った?
フードプロセッサー。食べ物を粉々に砕く機械。
この三つから何が想像できる?
答えは簡単。
『飴』だ。
どおりでミネラルや鉄分が豊富なはずだ。まさかそんなところに隠していたなんて!
思い出して僕はまた吐き戻す。最近あまりものを食べていなかったせいか、液体の比率が多く、口の中も酸っぱ苦い。えぐみにも似たあの味が下の上をぬめりと下たる。まるでナメクジを下に乗せているようだ。
笑うしかない。
笑うしかない。
笑うしかない。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハッハハッハハッ!!! うげえ、げほっ、うえぇ……あっ、あ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――――!!!」
絶望の海に溺れて。
僕は延々と嗤い続けた。
笑いに笑い、笑いに笑って、笑って、笑って、笑って………
『3時57分11秒になりました。ニュースの時間です。
違法薬物の服用、及び所持で現在取り調べを受けている中山健太容疑者が利用していたアパートで、今日中山氏が利用していた部屋とは別の一室から、新たに三人の親子と思われる遺体が発見されたことが分かりました。
遺体が発見されたのは同アパートの『103号室』で、遺体はすでに白骨化しており、警視庁は身元の特定を急ぐとともに、中山氏との関係性を捜査することにしています……』
類は友を呼ぶ。
まるで光に集まる虫のように、
『怪異』は『怪異』に引かれてやってくる………
END




