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第6話

 101号室の『司馬田しばた徳久のりひさ』さんは、ちょっと変わった人だと思っていた。

 いってきます、と自分の部屋に向かって朝いつも元気よく言うのに、中から返事が返ってきたことはない。いや、それどころか物音すら僕『中山なかやま健太けんた』は聞いたことがなかった。

 それでも司馬田さんは毎朝どこか満足げな顔をして仕事に向かっていた。

 そのなぞが、今、解けた。







「…………………………………………………………………」







 その無数の瞳・・・・を前に、僕は息を飲んだまま、呼吸することを忘れていた。

 

 

 ジッ――――――、と。

 

 

 睨むでもなく、笑うでもなく、ただじっと見つめるその黒真珠のような硬質な瞳。

 瞳、瞳、瞳、瞳、瞳、瞳、………

「これが、この子たちが僕の『同居人』だよ」

 ようやく空気を吸い込めるようになった僕の横を司馬田さんは通り抜け、

「ただいま」

 そういって無数の内の一体・・を優しく抱き上げる。その時の彼の顔、彼のしている行為には深い愛情以外の何物もなく、故に僕はその異常性に背筋は凍えた。

 これに答えるように、腕の中で日本人形・・・・カタカタと揺れる(・・・・・・・・)

「ッ―――!!」

「ん? ああそうか。さっき遊んでもらってたんだね」

 再び恐怖に青ざめる僕に対し、司馬田さんは平然とその人形と会話するようなそぶりをし、そして僕の方を向いて、

「遊んでくれてありがとう」

 なんて笑ってくる。

 それは、後になって考えてみれば彼の心からのお礼だったのだろう。

 しかし今の僕にはそれがひどく人間から歪んだところにあるように思えて、彼の腕の中でカタカタと笑う人形のように異常な笑みに見えてしまう。

「……し、司馬田……さん?」

 そう腰を抜かす寸前の態勢で、僕はそう問うのが精いっぱいだった。

 狂っている。

 彼は明らかに異常者だ。

 そう確信した瞬間、僕の中で日常の風景が粉々に崩れた。

 いつも朝、にこやかに挨拶を交わす日常。

 たまに返ってきたときに一緒になり、ぺこりと会釈をするだけでも不思議と気が安らいだ。

 帰ってきた。

 自分の居場所がある。

 そう思えるだけで一人暮らしの寂しさに打ち勝てた。

 なのに、こんな………こんなことって……

「……狂ってる、か」

「……!?」

 そう零した彼の顔を見て、僕は我に返った。

 いや、零れていたのは僕だった。

 思っていたことが少し口から出ていたようだ。

 そしてそれを聞いた彼の顔は、ひどく悲しみに満ちていた。

 ふぅ、と小さく息を吐いた後、司馬田さんは抱きかかえている人形の顔を見る。その顔はやはり悲しそうで、しかしどこか……

「最初はね。娘の代わりだったんだ」

 そう彼は切り出すと同時に、ふと表情に柔らかな懐かしみが宿ったように思えた。

 人形の前髪を人差し指で、まるで本当に人の子の髪を撫でるように、

 そっと、

 その可愛らしい顔が見えるようにと、優しく撫でる。

「僕ね……一度離婚してるんだ。今の仕事に就く前は僕も若くてね。ちょっと失敗しちゃって。その時妻は娘を連れて出て行ってしまったんだ。もう何年も会ってない……」

 合わせる顔もないしね、と彼は僕の方を見て、自嘲的に頬をほころばせる。

「その時、娘が『これを代わりに』ってね。渡してくれたのがあの子のお気に入りだったこの『お人形』だったんだよ」

 彼はそういって再び腕の中の人形に目を落とす。そう言われてみると、遠目だが確かに他の人形よりも使い込まれているように見える。

 それが彼という人形収集家の原点。

「結婚してた頃は一戸建てだったんだけどね。離婚して維持もできないから僕はここに来たんだ。でもね。免疫が弱ってたんだよ。結婚する前は一人暮らしでも平気だったのに、不思議なものだよ…………そうして僕は徐々に娘のくれたこの人形に依存して、気づけばもう、止められないところまで来ていた。仕事帰りに買って部屋に飾るたびに、家族が増えていくんだ」

「……」

 そう部屋の中を、そのきれいに全て玄関を見て整列している数百体の人形を見る彼の目に、再び狂気じみたものが宿るのを僕は感じた。

 いや、きっと元から宿っているのだろう。

 さっきよりも冷静になれた。だからなんとなく想像できる。

 その『狂気』というのはきっと、『寂しさ』と『後悔』なんだと。

 心が『歪んでいる』のではない。穴が開いて『空虚になっている』のだと。

「……実は『草城くさしろ』さんは、ずっと前からこのことを知っていたんだ」

 そう、司馬田さんは躊躇いながらも告白した。

「!?」

 僕は驚きを隠せなかった。

 201号室の『草城くさしろ亜紀あき』さん。

 ここであの人の名前が出てくることなど、考えもしていなかった。

 大家さんの『おもて』さんならまだしも、なぜ……

「202号室。あそこの鍵を預かってもらってるんだ」

「え!? 202って……じゃあ……」

 誰もいない・・・・・

 でも誰かいる・・・・202号室――――――――

 僕の言葉に司馬田さんは重く頷き、

「あそこに出入りしているのは………なんだ」

「――――――――――――」

 僕は、唖然とする以外にできなかった。

 一体何がどうなってるんだ。

 司馬田さんが人形を収集していた。

 そしてそれは離婚して離れ離れになった娘さんからもらった人形が原因で、

 隣の202号室に出入りしているのも司馬田さんで………

「……な、なんで202号室を――――――?」

 そう僕は若干オーバーヒートしそうな頭で彼に尋ねる。なぜわざわざ二つも部屋をとる必要があるのだろうか。僕はいつも誰かが何かを隠していると思っていたのだが、司馬田さんは隠しているのか?

 隠しているとしたら何を?

 そう尋ねられた司馬田さんは、また自重気味に、しかし今度はどこか明るく、ちょっとだけ恥ずかしそうに頭を掻きながら、

「い、いやぁ実はね………ちょっと買い過ぎちゃって」

「…………へ?」

 狼狽……ではなく抜けた声を出して一瞬停止した僕に司馬田さんは「だから、」と、

「202号室はね、僕の人形の倉庫なんだよ」

「……」

 それは恐れからではない。もはやさっきの抜けた声で僕の緊張の糸はゆるゆるに弛緩してしまった。

 それでも言葉が出てこなかった。

「…………………はぁ」

 少しだけ長い沈黙の後に、僕は大きなため息を吐いた。それに司馬田さんは、また恥ずかしそうに、誤魔化すような笑顔をしてぺこりと頭を下げた。

 

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