第5話
ゆらり……
それは真っ黒な人の影のような形をしていて、
僕の方に歩いてくる。
ゆらり……
「……来るな」
僕はまるで足が貼りつけられたようにその場から動けず、
やがて……
「く、来るな!」
僕は……僕はまだ…………
『モウ、オソイ』
・・・
「ッ!!」
目を覚ました僕『中山健太』は、自室のベッドに居た。
何が起こったのか。
僕は目だけで辺りを見回すと、急いで体を起こす。と、そこで自分が大量の汗を掻いていることに気が付く。
服装は出かけた時の私服のまま。
冷たい汗でびっしょりと服が湿っている。
「……」
どういうことなのか……
なんで僕は自分の家にいるのか。
「……」
アレは、夢だったのか?
混乱のせいか、半場覚醒しきっていない頭で思考するが、とりあえず服を着替えようという結論に至る。
そう思って立ち上がり、クローゼットを開き、パジャマをとって服のボタンに手を掛ける。
「……あれ?」
そこで僕は、酷く注意力散漫で鈍い僕はようやく気がつく。
どうして、家の明りが点いているのか。
僕は一端パジャマを戻してダイニングの方を見る。家の明りはダイニングのところにある。自分が出て行くときに切り忘れたというのも考えられるが、今日に限って消していったのを覚えている。描写はされていなかったが三度も確認したのだ。
なら……誰が……
と、
がちゃ、―――――――――――――――
突然入口の扉が音を鳴らし、開く。
「ッ!!?」
僕は思わずその場で腰を抜けして後退る。
扉はゆっくりと開いていく。それはやはり風で開いたのではなく、ゆっくりと。等速で開いていく。
僕は身を守るように頭を抱えて蹲る。
コワイ。
コワイ。
コワイコワイコワイ!
奥歯が鳴る。
心臓が飛び出そうになる。
部屋の隅で唇が切れそうになるくらいに声をかみ殺して、震える体を抱きしめる。
しかし視線だけはどうしてもそこから逸らせない。
まるで何かに惹かれる様に、釘付けになる。
そして、―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「中山君、大丈夫?」
「うわああああああああああッッ!!!」
突然ダイニングから現れた人影に、僕は思わず手元にあった目覚まし時計を投げる。
別に野球部所属していた経験があるわけでも、好きだったわけでもないが、しかしその投擲された時計は見事に放たれ。その人影に鼻っ面に直撃する。
「あがッ!」
「……へ?」
衝突とともに時計がチャリンと鳴ったところで、僕はようやくその人影の正体に気が付く。
恐る恐る這い這いをしてダイニングの方に顔を出すと、
「……司馬田さん?」
「痛たたた……」
そうひっくり返った司馬田さんは鼻を擦りながら「酷いな……」と笑った後「血は出て……ないね」と安堵の息を漏らす。
僕は慌てて立ち上がり「ご、ごめんなさい!」と誠意いっぱいに頭を深々と下げる。それに司馬田さんは「いいよいいよ」と流してくれる。
「僕が悪いんだしね」
「いえ、そんなことは……」
確かに勝手に家に上がっていることにはびっくりしたが、それはおそらく僕を運んでくれたからだろうし……それに……
そう言葉に迷っている僕を見て、司馬田さんは「ふぅ、」と一息吐き、
「いやあホントにごめんね、僕のせいで」
と、申し訳なさそうに、誤魔化すように笑う。
それにやはり僕は、日本人の性だろうか、半場反射的に「そんなことないですよ!」と言う。そして改まると、
「司馬田さんですよね、ここまで運んでくれたのは。ありがとうございます」
「ああいいよいいよ」
そう頭を下げる僕に、やはり司馬田さんは申し訳なさそうに笑い返して、
「そう頭を下げないでよ。言ってるじゃないか。僕のせいだって」
「……はい?」
今、彼は、なんて?
そう頭を下げて『?』を浮かべる僕に、彼はため息じみた息を吐き、立ち上がる。
「まあ、僕の部屋に来て欲しいんだ」
そう言う司馬田さんは僕とは目を合わせず、淡々としていた。
まるで何かを隠しているような。
僕は言われるがままに彼の背中を追い、家を出ようとする。
と、玄関で司馬田さんは不意に止まり、
「……」
その表情を覗き見ると、開いたままの扉を見ながら、さっきと同様に申し訳なさそうな顔をしていた。
「……司馬田さん?」
「……」
なんでもないよ、と彼はそのまま靴を履き、外に出る。それに倣うように僕も靴を履き、玄関を出て扉を閉める。
がちゃ、―――――――
「……」
そこで僕は思い出す。
司馬田さんはダイニングから現れたのだ。
ダイニングから
もちろん玄関から僕のところまではダイニングを通るのだが……
「……司馬田さん」
「なんだい?」
「その……さっき玄関を開けたのって司馬田さんですか?」
「……」
少しの沈黙の後、
「……いや」
そう彼は振り返らずに言った。
日はもう沈み、辺りは暗い静寂に飲まれている。
ふと視界の端、道路を挟んだの対岸にはホツホツと灯りが付いている家々が見える。
しかし今僕たちが歩いている通路は、屋根で月明かりが遮られているせいか、より寂を強く感じ、『夜』というよりも『闇』を歩いているような感覚に襲われる。階段なんて、もはや深淵に飲み込もうとする口そのものだ。
そんな異界じみた短く長い通路を通って僕は司馬田さんの家の前までたどり着く。
さっきの質問以外、道中僕らは一切言葉を交わさなかった。
司馬田さんはポケットから鍵を取りだし、家の鍵を開けると、
「……見てもらいたいものがあるんだ。でもその前に心の準備をしておいて」
「……」
そう、いつになく真剣な顔で言われたので、僕は思わずゴクリを唾を飲む。そして一拍の後「はい」と返答する。
それを確認してから、司馬田さんはゆっくりと扉を開き、僕を中へと通してくれた。
その瞬間、
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
僕の思考は一瞬、空白なった。
それはフラッシュバックだ。
なんせ入ってすぐ、そこにあったのは、
否
そこから続いているのは……
硬質な、顔の群れだった。