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第3話

「行ってきまーす」

 部屋からは静寂が返ってくる。

 微少な寂しさを胸に潜めて僕『中山なかやま健太けんた』はドアを閉める。

 家賃約5万の裏野ハイツ。

 そこから徒歩7分くらいの最寄駅から僕は大学に通っている。

 しかし今日は何だか行きたいと思わない。

 別に何か嫌なことがあったというわけではないのだが、何となく気分的な問題だ。僕に限らず皆こういう時はあるだろう。月に一回、ないし週に一回はくるやつだ。女の子ではないのでそっちではない。

 しかし履修している以上行かなければいけない、という強迫観念じみたものに押されて僕はのそのそと足を動かす。起床時から「あー」とか「う~」とか漏らしているが、さすがに外に出てまでそんなうめきは漏らさない。しかし顔にはきっと露骨に「面倒くさい」と書いてあるに違いない。

 気だるさを引きずって階段を降りる。と、駐輪場に向かう途中で「行ってきます」という声が聞こえた。この声は『司馬田さん』の声だ。あの人も今から出勤なのだろう。

 何となく挨拶をしていこうと思い、僕は本の少しだけ歩幅を小さくする。

 と、次いで、

「……大人しくしてるんだよ・・・・・・・・・・

『……』

 なんて言う司馬田さんへの返答はない。

 それに僕は一瞬足を止める。

 101号室の『司馬田しばた徳久のりひさ』さんには同居人がいるらしい。こうして話し声が聞こえてくるあり、僕もたまにそれを聞くことがあるのだが……

「……」

 その声の主を一度も見たことがない。

 いや、そもそもその声すら一度も聞いたことがない。

 それは僕に限ったことではないらしい。大家さんに聞いたところ誰も聞いたことがない・・・・・・・・・・とのことだ。

 いったいどんな人と住んでいるんだろうか。

 そう思って少しぼぉっとしながら自転車をとってくると、出てきた司馬田さんと鉢合わせした。

「あ、おはよう中山君」

「お……おはようございます、司馬田さん」

 ぼぉっとしていたせいか、顔を見て少し驚いてしまったが、向こうはそこまで気にしなかったらしく「考え事? 気を付けないとだめだよ」と笑った。

 僕もそれに作り笑いを返し、「はい」と言う。しかしその最中、僕の頭から同居人のことが離れることはなく、欲求が膨らんでいく。

 そして「それじゃあね」ときびすを返そうとした司馬田さんに、僕は半場衝動的に「あの、」と一声かけてしまう。

「ん?」

 不思議そうに振り返った司馬田さんに僕は一瞬だけだが狼狽えて、申し訳なくなって目を伏せながら頭を掻き、

「いえ、すみません。司馬田さんと一緒に住まれてる方ってどんな人なのかな~と思いまして」

 人のプライベートを好き好んで訊くというのは人として良いことではない。

 それを分かっていながらも訊いてしまった自分が恥ずかしく、情けない。

 しかしそれに司馬田さんは、

「ああ、いいよいいよ」

 と、特に気にしている様子はなく、笑ってくれた。

 その様子に少しだけ安心して、もう一度きちんと謝った。やはり訊かれた方は気持ち良くないだろうし、けじめという意味でも僕としては謝っておきたかったからだ。

 司馬田さんは「もう大丈夫だから」と少々困り気味に許してくれ、僕は頭をあげる。謝り過ぎるのもよくないことだが、どうにも僕はこういう時に良くも悪くも不安になってしまうだ。昔から「悪いことをしたら謝りなさい」ときつく言われて育ったせいだろうか、と自己分析したことはあったが。

 僕が頭をあげると司馬田さんは「じゃあ僕はこれで。君も学校に遅刻しちゃあいけないよ」と言って時計を見ながら急々と行ってしまった。その様子に、確かに僕もさほど時間に余裕が無いことを思い出し、やや急ぎ気味に自転車に跨り、ペダルに足を掛けた。

 その時だった。





 ィィ……―――――――――――――――――――――





「……」

 微かに聞こえた音に、僕はふと、アパートを振り返った。

 振り返るまで、その音に僕は何の疑問も抱かなかった。

 なぜならそれは、大きさこそ小さかったが、僕がいつも聞いている音と同じものだったからだ。

 アパートを見た僕は一瞬の間を置き、背中の産毛を撫でられるような感覚を抱いた。

 きっと、ほんの少しだけ空いていたのが閉まったのだろう。

 一階の部屋の、ドアがゆっくりと閉じたのだ。

 最初は風だろうかとも考えたが、その考えはすぐに消える。

 101号室。司馬田さんの部屋だ。

 あの人は鍵をいつも閉めていて、仕事先でもたまに閉めたかどうか心配になると自分で言っていた。

 そんな人が閉め忘れるとは、少々考え辛い。

 それに今の閉まり方は……

「……」

 いや、考え過ぎだろう。 

 まるで何かに(・・・)閉められたようだった・・・・・・・・・・なんて。

 ため息なのか、一息なのか、僕は胸に溜まったものを吐き出すように息を吐き、自転車を漕いだ。

 もしかしたらこのアパートには、『何か・・』がいるのかもしれない。

 そう考えて、「そんな訳ない」と不安に上塗りする。

 しかしそれはまるでガサツに塗った修正液のように歪で、ただ不安を際立たせただけになってしまっていた。



      ・・・



「という夢を見た」

「いや夢じゃないから」

 授業開始前。

 雛壇状の机の一つに突っ伏し、僕は『広川ひろかわ達喜たつき』に今朝のことを零す。

 広川はぐでーとしている僕と違って次の講義の準備をしている。

「じゃあ何? あんたの家はその得体の知れない『何か』の巣窟になってるって言いたいの?」

「巣窟って……」

 まあ確かにそういう見方もできるが、ニュアンスが無視染みていて……こう……

「ネバネバするというか……」

「下の話をするなら風俗街に行ってらっしゃい」

「ちげえよ! つうかネバネバってなんだよ!」

 そう返す僕を「はいはい」と適当に流して彼女はノートを開いて軽い復習を始める。

 そう言えば今日、なんかあったような……

「そう言えば今日テストだけど、あんたずいぶん余裕ね」

「あ……」

「乙」

 完全に忘れて固まる僕に、広川は鼻で笑って再び学習に戻る。

 講義開始まで残り5分。

「……まあ、いいか」

 あとは天に任せよう。テストっていうものは日ごろの成果を試す場なのだから、むしろ今の僕はそれに真摯に向き合っているのだ。

 そう、これぞテストを受けるべきである人間の真の姿なのだ!

「心底どうでもいいわ」

「……さいですか」

 理不尽に読心された揚句、そう吐き捨てられた僕。

 バラには棘があるというが、こいつのは針のむしろなのではないかと時折思う。

 はぁ……、と僕はため息を吐き、再び突っ伏しモードに入る。とりあえずもう3分を切ったし、変に復習するのはやめよう。

「……類は友を呼ぶ、ね」

「へ……?」

 と、唐突に広川はそう呟き、僕は僕に言われたのだと思って返事をする。我ながらいきなりだったので抜けた返事になってしまったのが少々恥ずかしいが。

 彼女は「ふむ」と一息を吐いてノートを閉じる。復習はもういいらしい。

「似た者同士集まりやすいってことよ。磁石と鉄がくっつくように、オンボロアパートにはそれを好いていろんな『モノ』が集まるかも、って思っただけよ」

 それだけ言うと広川は指をパキパキと鳴らす。

「指太くなるぞ」

「そうなの?」

 ふーん、と彼女は自分の鳴らした指を興味深そうに眺める。

 と、そこで開始のチャイムがなり、同時くらいに担当教授が入ってくる。

「結果が楽しみね」

 そう笑った広川に、僕はどんな顔をしたのだろうか……



      ・・・



 お昼少し過ぎ。

 今日一日のカリキュラムをこなした僕は、ようやく檻から解放されてアパートに帰ってくることができた。

「はぁ……」

 テストのことを思うとため息を出る。

 終わったことと分かっているのだが、やはり……

「どうしたの、そんなため息吐いて?」

「あ、おもてさん」

 『おもて』さん。この裏野ハイツの大家さんで、性格はマイペース。歳は……目測で二十後半だろうか。大家さんにしては若い。

 入口の前で表さんは「生きてる~?」なんて訊いてくる。それに僕は「死んでまーす」と適当に返して表さんの手に持っているものを見る。

「よく気が付きました」

 僕が言う前に表さんはその袋を僕の前に差し出すと、

「これ、102号室の『無職』に届けてほしいんだ」

 そう彼女は悪びれもなく言い切る。

 102号室に住んでいるのは『田鍋たなべまこと』さんだ。あだ名は『無職』。

 文字通り無職なのだから笑えないが、しかしこのあだ名はあんまりだろう。

 って、

「自分で渡してくればいいじゃないですか」

 なぜ僕が、なんて思って少しだけ自分の人間としての器の小ささに傷つくが、しかしこの距離なら普通に渡してきた方が早いだろう。

 そう訊かれた表さんは頭に『?』を浮かべて、

「嫌だよ、こんなところに好き好んで入りたくないし」

「なっ……」

 思わず言葉を失ってしまう。さも当然のように言ってしまうのだからなおさらだ。

 この人は本当にここの大家さんなのだろうか。よくもまあ自分の管理しているところを『こんなところ』呼ばわりできるものだ。……いや、自分だからできるのかもしれないが、今この思考に意味はない。

 僕はそれ以上言うのが面倒になり「分かりました」とその荷物を受け取る。表さんは「ありがと☆」ときびすを返して「じゃ!」と去って行ってしまった。嵐のような人だ。

 僕はまたため息の種を手に入れてしまい、まあため息を吐くわけで、

「……」

 とりあえず自転車を停めようと駐輪場に向かい、そして重い足で102号室に向かった。荷物は小さな段ボール箱で、周りには何も書かれていない。おそらく表さんか誰かが自分で梱包したのだろう。歩くと中から小さくチャリンという音がする。金属類が入っているようだ。

「ポストに入れるだけでいいかな……」

 蓋を開けて、ゴトンとその中に入れる。割れ物のシールなどは貼ってなかったし、大丈夫だろう。

 これで仕事は終わり。

 さて、と僕はきびすを返したところで、背後のドアがきしむ音が聞こえた。

「……?」

「……」

 見るとそこから一人の男性が覗いていた。

 ボサボサの髪に無精髭。ドアを開けた瞬間、ふわりと零れた臭いに一瞬頬を引きつらせてしまう。

 この男性が田鍋さんだ。

 田鍋さんは僕を見た後、さらに少しだけ顔を出して辺りを見回すと、

「……あの女は?」

「へ?」

「……大家だよ」

「ああ、僕に荷物渡して帰りましたよ」

 そう言うと田鍋さんはチッと舌打ちをして「そうか」とドアを閉めた。

 一体何だったのだろうか。二人の間に何かあったのか。

 彼の言葉に首を傾げて、僕は102号室を後にする。

 このアパートは本当に不思議なことが多い。それは前に話したような『現象』もあれば、住人の特性もある。 

 その中でもひと際僕が気にしてるのは……

「あら中山君」

「あ、こんにちは『草城くさしろ』さん」

 階段を上ったところで201号室の『草城くさしろ亜紀あき』さんと出くわす。草城さんはここでは一番の古株で、住初めてもう二十年くらいになろうそうだ。七十歳くらいのおばあちゃんで、司馬田さんと同じく僕が良く話す人だ。

「こんにちは」

 草城さんは僕の挨拶にゆっくりと返してくれると「飴いる?」とポケットから飴玉を取り出す。若いころに飴を作る商売をした経験があり、現在の趣味は自前の飴を作って配ることらしい。その点においては何とも変わった人だ。

「最近は暑いからね。これ、鉄分多めなのよ?」

 そう言って毎回くれる。草城さんの飴は毎回『ミネラル』や『鉄分』『ビタミン』など色々な成分が含まれており、本人曰く「珍しいものを作ったほうが楽しいじゃない?」だそうだ。

「ありがとうございます」

 それを僕は素直に受け取る。笑うと皺が寄ってより……愛嬌というのだろうか。とにかく根拠のない親切心に溢れていて断りづらいのだ。

 と、彼女のポケットを見るとまたいつもの写真が入っていた。そこに写ってるのは娘さんらしき子供だ。かなり年季が入っているようで黄ばんでいるが、大事にしているようでいつもポケットにそっと入っているのだ。本人からではないが、風の噂では娘さんは事故で………いや、不謹慎だ。やめておこう。

 草城さんは飴を渡すとうんうんと頷き「それじゃあね」と僕の横を抜けて階段を降りていく。それに僕が気を遣って隅によると、またニコッと笑って会釈をする。それに僕も返す。

 草城さんとはこういったゆっくりとしたテンポでのコミュニケーションが基本だ。

 しかし上からになるが、さすが七十歳で知っていること、特に生活においての知識は豊富で僕はよくお世話になっている。

 ゆっくりとした足取りだが、階段を降りてその背中は敷地の外に向かって小さくなる。

 その背中を少し見送って僕も自分の部屋に向かう。

 さて、さっき言いそびれたことを話そう。

 僕は部屋に向かう前に、一つ前、202号室の前でほんの少し足を止める。

「……」

 202号室。 

 誰も住んでいない部屋。

 そのはずなのに……

 ここからは時たま、物音が聞こえてくるのだ。

 それを一度さっきの草城さんに相談したことがあったのだが、その時彼女は「ああ、鼠でもいるんじゃないかね?」なんて言って話を区切ってしまった。201号室も隣のはずだ。僕が聞いている以上、草城さんが聞いていないはずがない。

 それにあれは明らかに鼠なんかよりも『もっと大きな何か・・・・・・・・』が動く音だった。

 気になって大家の表さんに訊いても「古いからね。仕方ないんじゃない?」なんて言われてしまうし、司馬田さんは「さあ……知らないな」と言う。

「……」

 何かを隠している……

 そんな印象を受けたが、『犯罪』という言葉に抑えつけられて入ることはしていない。それに暴く必要があるならとっくに誰かが暴いているだろうし、僕が変に介入するところではないだろう。

 人には言いたくないことの一つや二つ。

 そう自分に言い聞かせて僕はそれ以来気にしないことにしている。

「ただいまー」

 靴を脱いで部屋に入る。 

 大学というものは社会に出るための練習の場というのを聞くが、このストレスもその練習に含まれているのだろうか。帰った後の一杯のビール、ならぬ一本のコーラを求めて僕は冷蔵庫を開ける。

 すると、コーラはあったものの、食材が切れていることに気づく。

「えぇ……」

 なんて思わず冷蔵庫に零してしまうが、一人暮らしである以上僕が買いに行くしかないわけで。

 五百のコーラを一気に半分ほど飲むと、ため息の代わりにゲップを吐いて僕は再び靴を履き、駐輪場に向かう。

 さっき止めたばかりなのに……

 そこでまたため息を吐きそうになるが、そんな時間も惜しいとスタンドをあげて僕はペダルに足を乗せる。

 と、

「……?」

 ――――――――――――――――――――、

 何もない。

「……」

 気のせいか。

 そう流して僕は近くのスーパーに向かった。

 その後ろで………







 

 ィィ……――――――――――――――――――――――――――――















『――――――――――――――……………………………ぁそ………ぼ……』




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