第2話
「いってきまーす」
伽藍とした巣にそう言って僕『中山健太』は家を出る。誰もいないと分かっていても言ってしまうのは一人暮らしの性というか、まあそんな感じだ。誰も乗ってないとカーナビの案内に「はーい」と返答してしまうみたいな、あれと同じと考えてくれればいい。
「おはよう、中山君」
「あ、おはようございます! 司馬田さん!」
階段を降りたところで101号室の『司馬田徳久』さんと出くわした。司馬田さんとはたまにこの時間に出くわす。気さくな人で、僕が初めてここに着た時何かと教えてくれた優しいおじさんだ。
司馬田さんは僕を見てにっこりと笑うと「今日も学校? 頑張ってね」と若干急ぎながらも明るく返してくれた。それに僕も「はい!」と返して学校に向かう。
最寄り駅まで徒歩で7分、自転車で3分弱。そこから当然電車に乗る。田舎ゆえ本数が少ないので逃したら次は20分後だ。
この時間なら午前中の講義には余裕で間に合いそうだ。
・・・
自分で受けた大学なのに、
「どうしてこんなとこ来たんだ……」
「また言ってるし」
お昼休み。食堂でそう突っ伏す僕『中村健太』に友人一号の『広川達喜』は呆れを含んだ苦笑を返してくる。
「ルーティン乙」
そう素っ気なく言葉を投げて、彼女は日替わり定食の白身魚のフライを食べる。サクッと音がして彼女の口がモゴモゴと動く。
「変な描写しないで」
「失礼しました」
読心されてしまった。
「勝手に人の心を読むんじゃない」
「なら勝手に人の咀嚼シーンを描写しないでね」
そう彼女は「言い返してやったぜ」と言わんばかりに得意げな顔をする。それに僕はため息を漏らしつつ、しかし確かに「少々失礼だったな……」と改めて脳内反省する。
広川とは大学の講義中に良く横にいることが多く、なんとなく話し始めたのがきっかけだ。現在僕は彼女に対して特に恋愛感情めいたものはなく、極端に言うならドライだ。
ただの気の合う(?)友人だ。
もっとも、彼女はどう思っているか知らないが……そう期待(?)するほど現在飢えていないので、綱渡りをするでもなく、緩く現状維持の毎日だ。
しかし、
「あー、暇や」
「なんで急に関西弁?」
「なんでディアベルはんが!」
「……」
「のれよ」
「いや」
ケチぃなぁ、と僕は淡々と断った広川に寂しそうな視線を投げてからふと視線を外に向けた。
天候は晴れ。
降水確率10%
傘なんて存在ごと鼻で笑い飛ばせるくらいの春の快晴の下、僕は小さくため息を吐いた。
時刻はお昼を少し回ったところ。
なぜこんなに早く帰ってきてしまったのか? 理由は簡単で、次の授業が休講になったからだ。
「平日のお昼からの授業で教授が遅刻って……」
内心を吐露してしまうほどに呆れながらつり革を離して扉の前に立つ。時間帯のせいもあってか乗車人数は少ない。こういう時田舎で良かったと思える。
駅を出て、自転車にまたがり、巣に帰る。
お昼と夕方の丁度中間くらいのこの時間帯は、大通り以外の通りは昼寝でもしているかのように伽藍としている。
そんなロードで僕のママチャリが風を切る!
……こんな風に言うとどこかの広川の「風邪を着る?w」なんて言の葉が舞ってきそうで、居ないと分かっていてもちょっとだけ辺りを見回してみたりする。
道中何もなく、僕は無事帰宅することができた。
と、自転車を停めて階段に向かっている途中、『尾山』さんとそのお子さんと出くわした。
『尾山春海』さん。夫の名前は『秋登』さんで、お子さんは『四季』君。
尾山さんというと三人とも指してしまうので、彼らはいつも下の名前で呼んでいる。
春海さんは僕と目が合うとぺこりと会釈をする。それに僕も「どうも」と社交辞令的な会釈を返す。それだけで特に会話もなく、僕は二階に、春海さんと四季君は自分たちの部屋に向かう。春海さんとはこうしてたまに会うことがあり、今みたいな小さなコンタクトしかない。夫の秋登さんは大学の人付き合いやバイトで遅くに帰ってきたときにたまに見かけることがある。
どんな人なのか少しだけ気になって司馬田さんに訊いてみると、二人とも僕の予想通りあまり口数が多い方ではないようだ。
そのせい……といっては言葉が悪いが、四季君もほとんどしゃべることが無く、司馬田さんも「暗い子」という印象が強いようだ。
もっとも、世の中には「テレビに出ている子役は変に明るく振舞っていて子供らしくない」という人もいて、やはりそういう人たちから見れば逆に四季君は『現代の子供』らしいのかもしれない。
ちなみに僕はどちらでもいい。人間は対面しないと真の価値は測れないと思っている、一番のひねくれ気質の持ち主である。
「ただいまー」
時間帯的に電気を点ける必要はなく、僕はそのままいつもの通りダイニングを抜けて、カバンを置いて、ベッドに横になる。
低反発が(ry
「……ああ」
しかしまだ眠気が襲ってくるには早い。
ベッドに手を突いて気だるげに苦情を漏らす体を起こし、とりあえず冷蔵庫の中を確認する。
夕食分はちゃんとある。
「……ああ」
そう呻くしかないほどに暇だ。
と、
ガチャ、……………ギィィ――――――――――――……
「……」
音がした。
僕は冷蔵庫を閉めて玄関の方に向かう。
そして壁から覗くように顔を出すと、扉が開いていた。
まるで風に押されて勝手に開いたかのように、
鍵を閉めたはずの扉が開いていたのだ。
「……またか」
それに僕はため息を吐いて扉を閉めに行く。
この裏野ハイツに住んで一カ月。こういったことは度々起こるのだ。
最初の一週間くらいはビビりまくっていたが、こう乱発されると人間慣れてくるものだ。荒療治というか、きっかけから治療までかなり無理矢理だが。
しかし今まで僕に害を与えてきたものはなく、例の如く司馬田さんに訊いたところ「特に問題ない」と言われたので放っておくことにした。
「いくら暇だって言ってもな……」
ギイィ、―――ガチャン。カチッ、
そう悪態を吐きながら、再び鍵を閉めて、僕は気だるげに部屋に戻った。