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(5)

 異変は白い牢獄を思わせるエアロックの中に入った時に起きた。後ろで閉まる扉に微かな不安を覚えた。


「どうしたの?」


「……いや、何か嫌な予感がした」


 シフォンの声を背に受けながら、コンソールを指で叩いてエアロックの状況を確かめる。空気はまだ排出していないが、扉が開かない。

 もう一度、扉開放の手順を踏んでみるが結果は一緒だった。


「開かない」


「空気を抜いていないからじゃないの?」


「いや、この状態で空気を抜くと宇宙服に備えつけられたタンク内の酸素が足りなくなる」


 その返答にシフォンは事態を悟ったのだろうが平然としてこう言った。


「閉じ込められた訳ね。何かのトラブル? 調べられる」


 まるで人事のように落ち着いている。そのお陰か、ボルドーは取り乱す事も八つ当たりする事もなく、今すべき事に取り掛かる。


「今、調べてみる」


 端末を覗き込んで調べてみると異常はない。更に詳しく調べてみると空気の排出の項目も入力を受け付けない状態になっていた。


「反応しない」


 他の項目を調べてみると同じように電子音が虚しく響くだけだった。


「故障?」


「いや、それなら……そもそも」


 シフォンの問いに閃いて、とある項目を調べる。そして、時間を見て納得した。臨時メンテナンスの最中で丁度、今、この区画のメンテナンスが始まったばかりだった。

 ボルドーは天を仰ぐように軽く仰け反る。白い天井が見えただけで当然、解決にはならない。

 発見されない為に電源の使用を最小限に抑えたのが仇になったのだろう。この区画に人がいないと認識されたから、臨時メンテナンスを開始してしまったのだろう。

 ディスプレイは真っ赤に変わり、画面全体に大きく『エラー』と表示されている。


「原因が分かったのね。見つかったの?」


 シフォンが極めて冷静な声で言った。彼女は見つかる事の方が閉じ込められるよりも重要らしい。


「いや、見つかってない。臨時メンテナンスらしい。当分、誰も来れないし、ここから空気を抜かずに外に出れば、見つかってしまう」


「その言い方だと手動で開けて戻っても見つかるのね」


 シフォンが喋っているのにも関わらず、まるで幽霊が喋っているような錯覚に陥る。


「ああ。一つ聞いていいか? 変な事は考えてないだろうな。死ぬのは駄目だぞ」


 不安になって、問い質してみるが、当人は壁を背にして座り込んだ。礼儀も作法もなしに胡坐で。


「見つかるのも死ぬのも却下させて頂くわ。ボルドーも座りましょう。どうせ、当分この状態なんでしょう? なら、無駄な体力を使うのは馬鹿らしいわ」


 ヘルメットのバイザーを上げて、シフォンは溜め息を吐く。


「何を言ってるんだ。時間に間に合わなければ、見れないだろう」


「だからと言って、このまま、引き下がるのは冗談じゃなくてよ。わたくしの性格は知っているでしょう」


 シフォンは今までに見た事のない鬼気迫る表情で睨みつける。


「知ってるが、ここの酸素がなくなったら死ぬぞ」


 声を荒げて言った。しかし、彼女も引き下がる様子はなかった。

 意を決した瞳で躊躇いがちだが、シフォンが話し始めた。


「ボルドーを巻き込みたくはないけど、ギリギリまで待ってもらえないかしら。多分、薄々は気付いているだろうけど……このままだと、わたくし、長くはないの。持って半年じゃないかしら」


「……一年じゃないのか?」


 口にしてから、またしても口を滑らしてしまった事を自覚する。

 諦めと言うよりは達観と言った表情でこちらを見た。


「やっぱり知っていたのね。……レディーの秘密を断りもなく調べるのはどうかと思うけど……事が事だから許して差し上げるわ。それより隣に座ってくれないのかしら? 一人でこうしているとわたくしが礼儀知らずに見えるじゃないの」


 観念した訳じゃないが、シフォンの隣に座る。

 それを確認して、シフォンは前方に、いや、遠くを見るような目で虚空を見た。それから、重苦しい沈黙が流れる。

 気のせいか、急に喉が渇いたようにさえ思う。

 やっと重苦しい空気を押し払われるかと思ったが逆に場の空気は重くなった。


「遺伝子治療を行なえば、助かる見込みがない訳じゃないの。でも、それはわたくしであって、わたくしではない人間に他ならない。早い話が治療後の自分が自分とは思えないの。今ここにいるわたくしのアイデンティティーは喪失してしまう。それにわたくし自身が生きていたいとは思えない。生きている意義が分からない」


「他の人と同じように光を見れば。変わるかもしれないと?」


 少しでも和らげようとシフォンの言葉を引き継いだ。だが、力のない笑みが返ってきた。それは死神の笑みに見えた。


「まあ、ボルドーには分からないか。変だと思うでしょう」


「……そんな話をしたら、ここ、トリエステにいる人間は誰も光を浴びた事はないよ。本当の意味では」


 彼女の言葉を否定も肯定もしなかった。


「優等生の回答ね。面白くないわ。でも、気を使ってくれてるのはちゃんと理解していてよ」


 シフォンが覗き込むように上目遣いでこちらに視線を戻す。


「酸素量から見積もって三時間だ。それまでにメンテナンスが終わらなければ、戻る方の扉を開けて、助けを請う。それでいいか?」


「問題ないわ」


 納得しているのかしていないのか、変化がなかったので表情からは読み取れなかったが、こちらの提案にシフォンは一応、肯定の返事を返した。

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