(4)
約束から二日後。準備は整い、周囲に悟られる事なく、ボルドーは太陽光、いや、人工の光が弱くなる日没の時間まで待ってから、シフォンを部屋から連れ出した。
当然、街路灯などの光にも紫外線が含まれているので彼女は直接、光が当たらないように透過率0の布地で作られた服や布で全身を隙間なく覆っている。
今はボルドーはシフォンの手を握って、トリエステの外へ出る為に通路を予め調べておいたルートを先導するように進む。
イベントの為に手薄になった通路は静寂に満ちており、自分達の足音が微かに響く。できる限り音を立てないよう注意を払う。
ここで見つかれば、最低でも不法侵入。下手をすれば、スパイ行為や破壊活動を行なった工作員として裁かれても文句は言えない。
「以外に外郭部分の警備って薄いのね」
シフォンはベール越しに周囲を確かめながら、小声で囁く。内心、緊張しっぱなしのボルドーとは違い、彼女には不安な様子は見られない。
「元々、外に出る奴なんて居ないからな。みんなこの中で生きてこの中で死ぬ」
「……こんな物好きはわたくしとボルドーだけでしょうね。もっとも、貴方は付添い人だから厳密に言えば、物好きには含まれないのかもしれない」
「外に出ても直接太陽光を見れる訳じゃないんだぞ。……それでも構わないのか?」
「何も為せないで死んでゆくよりはマシかしら」
問いに答えた少女の表情を無表情で読み取れなかった。そんな態度にボルドーは不安を覚える。
「約束は」と言うとすかさず、返事が返ってきた。
「大丈夫よ、ボルドー。貴方との約束は護るわよ。自殺なんてしない。わたくしの周りの人間が法で罰せられてしまうもの」
その声は苦笑しているようにも聞こえた。立場が逆だと。
「……ねぇ、そんな顔しないでくれるかしら。わたくしは約束を守るわ。絶対に。だから、そんな不幸が寄ってきそうな表情で頂戴。もう充分に災いはこの身に受けているから」
シフォンが励ますような口調でおどける。
「俺は大丈夫だ。それより、目は大丈夫か?」
「ボルドー。貴方、『大丈夫か?』しか言えないのもう少し気の聞いた事を言って頂戴。道中が退屈で欠伸が出そうになるでしょう。……言っておくけど謝るのもなしよ」
謝ろうとして先手を打たれてしまった。どう返そうかと思案しているとシフォンが見かねたのか、口を開く。
「先に礼だけは述べておくわ。こんな馬鹿な自殺行為に付き合ってくれるのはボルドーだけよ。言葉で表せないほど感謝しているわ。例え、どんな結果になろうとも」
「だったら、言葉にするなよ」
不吉な言いように頭にきた。ムッとして感情的な言葉を返す。
「それもそうね。貴方にしては気の利いてる返しね。少しは巧くなったじゃないの」
シフォンは左手で口元を押さえ、笑いを堪える。
前方にエアロックらしき施設が見えてきた。これからが今回の計画の本番だ。予め、人を介し準備して置いた宇宙服を回収し、それを着て、外に出なれればならない。
「そろそろ、重要なポイントだ。お喋りは控えていこう」
こちらの変化を感じ取ったのか、シフォンは手を強く握り返す。
「頼りにしているわ」
「ご主人様のご要望とあれば」
小声でやり取りし、エアロックの前にあるカメラをゆっくりと通り過ぎる。着ている服はカメラに映らない素材で作られた特別な物だが、動きが早いと完全に誤魔化せない。
ボルドーの頬を汗が伝うがカメラに取り付けられたセンサーは反応せずにエアロックのドアに辿り着く。
懐から取り出したカードキーでドアを解除して、エアロック内へと進入した。内部は電灯が点っている筈だが予め、反応しないようにしてあるので基本的に薄暗い。
「外までどの位なのかしら?」
シフォンが宇宙服の入っていると思しき、ロッカーを見渡す。
「あと少し。ここで宇宙服に着替えて、非常用のエアロックを使えば、出れる」
指定のロッカーを見つけ、用意して置いた宇宙服を取り出す。重力が弱くなっている区画とは言え、意外に重い。
宇宙服を傷付けないようにゆっくりとシフォンに手渡す。
「電灯がないからと言ってもこっちを、わたくしの下着姿を見たら許さないから」
宇宙服を抱えるように持ちながらこっちを睨む。
「見ないから。それより、着替え方は理解してるな」
シフォンは黙って頷き、ボルドーの死角へと消えた。
そして、自分の宇宙服もロッカーから取り出し、着替え始める。
「シフォン。最終チェックは念入りにしろよ。機密性が保たれてなければ窒息だからな」
返事はなかったが、急いで下着だけになって、その状態から宇宙服を着込む。
鏡を使い、全身をチェックし、異常がない事を確認して、シフォンが消えた方へと向かう。
「準備できたか?」
角を曲がった瞬間、宇宙服に着替えたシフォンが頭を押さえ、床に座り込んでいた。思えば、久々に彼女の顔を微かな明かりの中で見た。
「……平気よ。だから、騒がないで。見つかったら、タダじゃすまないでしょう」
起き上がりながら、シフォンは背中を向ける。着替えやすい服装とボルドーよりも時間があったとは言え、短時間に着るのは容易ではない筈なのに。
「どうしたの? お互いにチェックして確かめるべきでしょう」
ボルドーはその声で我に返った。パニックになりそうになるのを堪えて、華奢な体を上から下へチェックし始める。何の問題もなかった。
「大丈夫だ。前も」
「必要なくってよ。わたくしが貴方を見てあげるから後ろを向きなさい」
こちらの遮って、シフォンがこっちを向く。その表情はしっかりとしていた。
言われるがままに後ろを向く。
「貴方の方が下手ね」
軽いお叱りの言葉を受けながら、背中にあった不快感が消える。
「何処で習った?」
気になって要らない事を口にしてしまう。口に出してから、それが馬鹿な質問だった事に気付く。
「両親がこの病気を知った時、部屋の中でもこんな服を着せられたのよ。酷く傷付いたわ。みんなと同じ普通の人間じゃない事に……その時、覚えた事を忘れてなかっただけよ。終わったわよ。次はご主人様を何処に案内してくれるのかしら?」
シフォンの方に向き直ったが、彼女はただ、寂しそうな表情を浮かべているだけだった。
「では見に行こう。光を」
ヘルメットを被った。それを見届けてから、シフォンもヘルメットを被り、襟元の機密性を確かめる。
「その前に駄目な案内人君が着ている宇宙服の機密を確かめるべきかしら」
先程までの表情を上書きするようにシフォンは笑う。
水先案内人として立場がないので誤魔化すように視線を逸らした。