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(3)

 そして次の日、ボルドーは再びシフォンの部屋、闇の中で彼女と会っていた。部屋には紅茶の香りが漂っている。匂い立つ香りからどうやら葉は人工物ではなく天然物らしい。

 椅子に座っているシフォンが無言で手で席に座るように勧める。光に浴びてしまったのか、その手の甲には新しい瘡蓋ができている。

 立っている訳にもいかないので向かい側の席に腰を下ろす。

 こちらの視線に気付いているにも関わらず、シフォンは傷を気にもせず、優雅な仕草でティーカップを満たしていた紅茶を飲み干す。

 恐らく、無茶な行動を起こしたのかもしれない。怪我はその時にできたのだろう。


「今週中に決行するぞ」


「いつも遅いボルドーにしては行動が早いわね。心から謝意の言葉を述べるわ」


 暗闇の中、シフォンがからかうように喉の奥を鳴らす。


「お前が急かすから予定を繰り上げただけだ。何をしでかすか分からないからな」


 その言葉に相手は瞼を閉じ、考え込むような仕草をするが、何も答えない。


「体の方は大丈夫なのか? 言っておくが無茶をするなと言う約束を破るなら……」


「破ったら……どうなるのかしら? わたくしを見捨てるのかしら?」


 闇の傘を自分の前に突き出しながら、シフォンがからかうように微笑む。血色を判断する事はできないがどこか死神の笑みにも見えた。


「見捨てて欲しいか?」


 少し怒気の混じったに彼女はゆっくりとかぶりを振る。


「見捨てて欲しくはないわ。単にボルドーの反応を確かめただけよ」


 シフォンの目は闇に塗り潰されように白目がなく、闇の中、眼孔に血のように赤いルビーだけが不気味に収められていた。

 自暴自棄になっているのか、或いはただ、その瞳が悪魔のようにも見えた。


「なら、人が方法を探し出すまで待て。シフォンが死にたがるようだと、こっちが幾らフォローしても助けられない」


 暫しの沈黙の後、唇が動き出す。


「ボルドー、心配してくれるのは感謝するわ。でも勘違いしないで頂戴。これはこの間、擦った時に切れただけよ。わたくしの皮膚は脆く弱っているからそう思い込むのも無理な話ではないけど、この部屋、わたくし自身が日光が嫌いなのもあるけど、皮膚の状態があまり美しくない上に破け易いから見られたくないのよ」


「早とちりしてすまなかった」


 咳払いして、素直に謝意を表す。


「気にしなくても良くってよ。少なくとも、無茶をして怒られるのはまだ気がある証拠に他ならないから」


 シフォンは安堵したように吐息を漏らす。


「それはどういう意味だ」


 顔面の周囲の空気が蒸し暑い。喉の奥に渇きを覚える。

 テーブルの上に載っていた白磁の色合いで佇むティーカップを引き寄せ、ポットから液体を注ぎ、中身を確かめずに一気に飲み干す。

 シフォンが憐れむようにこちらを見て、「それはただのお湯よ。カップを温めるだけに使う」と溜め息を吐いた。

 言われたとおり、喉の奥は熱いだけで味など何もない。


「そのカップ、こっちに寄越しなさい」


 言われるがまま、ボルドーはティーカップをテーブルの中心に置く。

 シフォンは使ったティーカップを引き寄せる。


「正規の淹れ方じゃないけど、まあ、カップを温めないで淹れるよりはマシかしら」


 彼女は身を乗り出すようにして、ポットの隣にあった別のポッドからからボルドーのティーカップに勢い良く紅茶が注がれる。


「ポッドに茶葉がそのまんま入ってるのか」


「これが普通よ。本来、茶葉に袋などと言う余計な隔たりなど必要ないわ。日光に弱いわたくしと違って」


 自嘲を込めた答えが返ってくる。目の前ではカップに張られた液体は透明から鮮やかな紅へと変わりつつある。


「これでかき混ぜて」


 スプーンをボルドーのカップに差し込んでシフォンはスカートの皺を直しながら席に座り直す。


「さっきのはどういう意味で言ったんだ」


 シフォンは一瞬、眉毛を顰めてから、口を開いた。


「単にわたくしの体の事で迷惑をかけているわね……そんな程度の意味よ。つまらないでしょう。夜間でなければまともにで歩けない人間と話すのは」


「我が侭には退屈させられる暇はないけどな」


「言ってくれるわね。……これでも、要求は抑えているのよ。ボルドーが達成できる程度には。じゃないとわたくしの相手をしてくれないでしょう?」


 皮肉に皮肉で返ってきた。こうして見ていると女王にしか見えない。


「辛辣なお言葉だな。それより、今、体は大丈夫か?」


「……行動には支障はないわよ。……どうして、そんな事を聞くの?」


 こちらの問いにシフォンの表情が曇ると同時に声色も後半になるにしたがって、怪訝な物へと変化していく。


「気になっただけだ。光を見に行くのだから体調くらいは確かめる」


 怒るかと思ったがシフォンの表情には変化は見られなかった。


「そう。……それで今週のいつ、決行するの?」


「明後日。祭りで警備が割かれてる間にトリエステの外に出る」


 その言葉にシフォンは外を見るように遠い目をする。


「日が沈んでから実行するのね。わたくしは何を用意すればいいの?」


 珍しく積極的に協力してくれるようだが──


「いや、それには及ばない。取り敢えず、装備は一式揃えられる。持ち込む方法もちゃんと考慮してある。問題は……」


 それを見透かしていたかのようにシフォンが言葉を引き継いだ。


「問題はわたくしが『宇宙服を着た事があるか?』かしら? なら、大丈夫よ。どうしても昼間、外に出なければならない時は似たような服を着たような経験はあるから」


 暗闇の中、肩を竦め、赤い舌を出す。


「大げさ過ぎるだろう」


「大げさではあるけど、強ち冗談でもないわよ。太陽光を防ぐにはあれ以上、最適な服は存在しないと言って過言ではないから……驚いた?」


 ボルドーはそれを冗談として受け取るべきなのか、困って自分の顔の表情が強張るのがはっきりと分かった。


「そんな顔をしないで。TPOを考えてなかったのは私の方なのだから、貴方が気にする事はないわ。それにわたくしが入れた紅茶が冷めない内に飲んで下さらない。冷めるまで飲んで頂けないのは少し傷付きますわよ」


 ボルドーはティーカップを右手に持ち、今度は慎重に口の中に紅茶を含んだ。何とも言えない爽やかな香りが口の中に広がる。


「感想は?」


 黒いカーテンを押し退けて、一対の赤い宝石がこちらを覗き込むように乗り出してくる。心拍が跳ね上がるのを感じる。


「香りが最高。味もほのかに甘さを感じる」


 その返答にシフォンが溜め息を吐く。「駄目な人ね」と呆れたような声で感想を一刀両断されてしまった。

 紅茶の良さが分からなくて悪かったなと拗ねてみる。

「今回の件、当てにしているわよ」とシフォンは笑って流した。

 ボルドーはその笑顔を直視できず、ティーカップの中身を飲み干す。

 だが、思い直して、シフォンを見る。せめて、彼女の前では己の懸念を見せるべきではないと判断して、笑顔で返した。

 相手は気付かなかったのか、あるいは気付かなかったように装ったのか、笑顔を崩さなかった。

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