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これから何が私を待っているのだろう


 「小野寺まどか。18歳。地元の高校卒業したばかり。志望の動機は、都会に行きたいから・・・じゃなくって、お客様に笑顔を提供し、自分も笑顔になりたいからです!」

右手を空に向けて高く高く上げて元気よく一人の女の子が言う。

桜もまだ咲いていないまだ肌寒い中、家から少し離れた駅の向かいの公園でパンダの遊具の上に乗った彼女は白いダウンコートを羽織り、ベージュの毛糸の帽子をかぶり、短いパンツ、ブーツのいでたちである。

「元気でよろしいこってすね〜。ってか、おまえは寒くないのかよ。」

 隣の蛙の遊具に座って縮こまっているのは、まどかの友人の宮本翔平。

「ちゃんとストッキングはいてるから大丈夫。冷えは大きくなってから困るのよってお母さんが小さい頃からずっと私に言うから教えをちゃんと守っているのよ。」

ちょっと偉そうにまどかが言う。翔平は怪訝そうな顔でまどかを横目で見た。

「じゃあ、そんな格好するなバカ。意味ねーじゃん。」

するとまどかは翔平を見る。

「そんなこと無いよ。素足よりはあったかいんだよ。」

そう言うと遊具に座って腿の辺りを左手でさすり出した。

翔平はあごを引いて鼻の辺りまで上着の襟で隠している。

「俺はもう耐えられない。どっかの建物の中に入るか、俺に暖かい飲み物でも買ってくれ。」

この時、時刻はまだ午後三時頃で日差しの当たる天気のいい日ではあったが、砂利で表面が黒くなった小さな雪の山が、まだ道路や空き地の脇にしぶとく残っていた。遠くの山にもまだ真っ白い雪が積もっているのが見える。

「君は若者らしくないねぇ。」

まどかは翔平をまた見た。しかし翔平は返事もせずさっきよりも更に縮こまっている。よく見ると小刻みに震えていることにまどかは気づき、パンダから降りた。

「しょうがないな〜。じゃ、家でゲームでもしようか。あったかい飲み物もあるし。」

「おぉ、そうするべ。」

急に元気になった翔平は、実はそう言ってくれるのを期待していた。

「ねぇ、今度また一緒にバスケしようね。」

まどかが鞄を肩に掛けながら言う。

「いいけどお前じゃ俺の相手にならん。」

「ちっ。」

文句言いたげにまどかが舌打ちをする。

「そんなこと言って、さっきバテてもう動けな〜いって情けない声を出してたのはどこのどなたでしたっけ?技はあっても体力無いじゃん。」

ぷいっとまどかは先に歩き始めた。

「なんだと?こう見えても俺は部活入ってなかった奴らの中では体力ある方なんだぞ。それに俺は偉いから煙草も吸わないしな。」

翔平がちょっと偉そうにバスケットボールを人差し指の上で回しながら言う。

振り返ってまどかは

「それは当たり前!!もう、早く行くよ!寒いんだから!」

まどかは小走りになった。翔平は後を追って走り出した。

「やっぱお前も寒いんじゃねーかー!!このバカー!!」

その叫び声をスタートに二人とも全力疾走である。

高校を卒業したばかりのこの二人は、今は新しい生活に向けての準備期間。

二人がそれぞれ暮らす町には学校は高校までしか無い。一番近い大学でもここからバスで片道一時間半はかかった。しかし皆がすべてその大学に行くわけでは勿論ない。進学する者はやはり学校の沢山ある大きな町へ出なければならなかった。

この町に残るものは地元の会社に就職する者、家業を継ぐもの、家事手伝いなどそれぞれではあるが、純粋にこの土地に愛着を持って残ることを決意したものは一握りであろう。

だいたいの者は大学や専門学校を卒業した後、そのままその土地から通える条件のいい職場へ頑張って就職する。もしくは、もっと都会へ行くのかもしれない。

この町へ戻ってくる者はほとんんどいなかった。

娯楽も少なく、若者が年々減っていくばかりで活気を失っているこの町に戻ってくるということは、高校生の彼らにとっては少なからず挫折を意味していた。ほどんどの若者が夢を持って両親と離れ、長年暮らした町を出て行ってしまう。夢が叶わずとも一度都会に出て生活してしまうと何も無い不便なこの暮らしにはなかなか戻ってくることは困難と取れる。家によっては逆に折角いい学校を出たのだから、戻って来るなと言いさえするのだそうだ。

都会の暮らしを満喫してしまうと自然に囲まれた平穏なだけが取り柄の暮らしは刺激が足りないのであろうか。

海に面したこの町はかつて漁が盛んで活気に満ち溢れていた。加工品などもそのおいしさで有名であったが、ある年を境に漁業量が減り、仕事を失った者は職を求めて町を後にした。かつては観光でにぎわっていた街中も今では平日でも昼間は人通りがまばらで、土日でもシャッターを下ろす店も少なくない状態になっていた。翔平が暮らす隣町では農業で生計を立てる人々がほとんどである。広い大地に覆われて育ってはいても、農家の子供も自立やネオン街を夢見て巣立っていく。この辺りの高齢化は確実に進んでいる。それは仕方の無いことと残される大人も割り切っていた。でもいつかは戻って来て欲しいとも願っていた。

彼らにとっても故郷を離れるのは寂しく、自分たちにとってもこの町の行く末に対しても不安なことである。家族とも離れたくない。だが、それ以上にこれからの新しい生活に対する期待と好奇心がそれを上回っていた。



 翔平は札幌市内の専門学校に合格していた。

兄の龍一が大学に通うため二年前に家を出ていた。龍一と今月末から一緒に少し大きめの家を借りて共同で暮らすのである。翔平はそのために、自分が受験する専門学校を選択する際、通いやすいようにこれから住むであろう土地も配慮に入れて決めていた。

「翔平君のお兄ちゃん、よく一緒に住むのOKしたよね。普通嫌がったりするんじゃない?」

まどかがストーブに火を着けながら尋ねた。翔平はまどかのベッドに腰掛けて部屋が暖まるのをじっと待つ。

「う〜ん、まぁやっぱ最初は嫌がってたよ。でも今住んでる部屋が1DKで超狭いし、俺と住めば広くなって物も沢山置けるようになって龍も快適になると思ったんじゃない?それに男兄弟な訳だし、ねーちゃんとか妹よりかは気楽だろ。」

まどかはコートをハンガーに掛ける。

「そんなに狭い家だったの?」

と、聞きながらハンガーを手にして翔平の着るコートに手を差し伸べた。だが翔平は脱ぐのを嫌がって首を横に振り、また亀のようになった。

「何回か泊まりに行ったことあるけどホントに狭いんだよ。俺が寝る用の布団敷いたら足の踏み場も無いって感じだな。元々龍は部屋も汚いし。」

「そっか、じゃあ、お掃除とかこれから大変なんじゃない?」

「絶対分担だよ!って言うか、そもそも親の仕送りで生活してるんだからあいつに拒否権なんか無いんだよ。本音を言えば俺だって一人暮らしの方がよかったよ。」

翔平が上半身だけベッドに横たわる。

「でもいいじゃない。なんかあっても安心だし、楽しそうで羨ましいよ。絶対に遊びに行くからね!咲ちゃんと一緒に。」

その瞬間に翔平の顔に笑みがこぼれる。

まどかはステレオのスイッチを押し、床に置いてある座椅子に横向きに座り、背もたれにひじをかけて頬杖をつきながらにやっとして翔平の方を向いた。

「最近どう?仲良くしてる?」

「おう。」

更にまどかはにやにやして

「メールは毎日してる?最近いつ会ったの?デートは何回くらいしたの?どこに遊びに行ったの?」

「おい!質問攻めかよ!!」

翔平は起き上がってまどかを見る。

「じゃあ俺だって聞くぞ!お前はマサとどうなってるんだよ。最近連絡したのか?あれからどうなったんだよ。」

まどかは急に顔を下に向けた。その様子に、しまった!と翔平は思った。そしておそるおそるベッドから降りてまどかに近寄った。

「おい、大丈夫か?」

まどかは無反応である。翔平は励まそうとした。

「なあ、大丈夫だって。そのうちいいことあるぞ。頑張れマド。」

翔平は精いっぱいの慰め声である。

するとまどかは小刻みに肩が揺れだしクックックと声が漏れた。

一瞬泣いているのかと思ったが顔を上げたまどかは予想通り笑っていた。

「うっふふふふ。」

翔平は困惑した。

「なんだよその変な笑い方は・・・。心が折れただけじゃなくて頭までやられたか?」

まどかの目はちっとも悲しそうではなかった。

「え・・・?なんだ・・・?」

翔平は辺りを一瞬見回してはっとした。

「もしかして!」

まどかは大きく首を何度も縦に振り、まだ変な笑い方を続けている。

「うまくいったのかー!!マジでか!?おい!よかったな!すげーな!」

翔平が驚いて言った。

「え?いつから?ってか何で早く教えてくれなかったんだよ?さっきバスケする前に何で報告しなかったんだよ。ずるいぞお前!」

翔平がまどかの首を軽く絞めてゆらゆら揺らしだした。

まどかは首を絞められても笑顔である。

「だって聞かれなかったもんね〜。へへへ。」

「ムカつくなお前!!」

揺れが激しくなった。

「ぎゃー!!ははは!」

苦しみつつまだ笑うまどか。

「あれっ。」

翔平の動きが止まった。

「ん?」

流石に後半はちょっと締めがきつかったらしく、まどかは渋い顔をして翔平の手を払いのけて首に手を当てている。

「この曲はもしかして・・・。」

翔平が部屋に流れる音楽に耳を傾け始めた。そう言われた途端まどかは立ち上がった。

「気づいてしまいましたか。ゲホゲホ」

机の上に用意されていたCDのケースを手に取り、翔平に見せた。

「こないだ予約してたじゃない?今日朝イチで電話が来たから即行で買いに行ったのよ。素敵でしょ。」

翔平は手渡されたケースとジャケットを食い入るように見ている。まどかの大好きな男性五人組みのFirst FishというバンドのCDである。

「おぉ〜!今回いいのばっか入ってんな〜。」

「そうなのよ。午前中ずっと聴いてたわ。」

「聴き終わったら貸して。っていうか、ちょうだい。」

「言うと思った。ヤダね。」

笑い声で部屋は満たされていた。が、翔平は、はっとしたように携帯電話を上着のポケットから取り出した。

「メールチェックですか?」

まどかはまたにやにやして問いかけた。

翔平は普段より慎重に指を動かしている。

「あっ、咲からだ。ええと・・今日の用事が早く終わった・・よ・・・今から会えるけど今どこ・・かと・・・。」

まどかはうなずいた。

「よし、咲ちゃんも家に呼びなよ。私も久々に会いたいし三人でゲームしようよって送ってみて。」

翔平もうなずいた。

「そうだな、マドは咲にも報告することがあるしな。」

まどかは小さく微笑んだ。



コンコンとまどかの部屋をノックする。返事が無い。空けてみると、部屋には誰もいない。おやっと少し考えていると奥のほうから笑い声が聞こえてくる。

声が漏れる方へ行きドアを開ける。

「なんだ、あんた達こっちにいたの!」

と、言ったのはお盆におやつと暖かいココアを三つ乗せているまどかの母の響子である。

「おばさんこんにちは〜。」

翔平と咲が言う。

「こんにちは〜。」

と、便乗するまどか。

「お前の家だろ。」

つっこみを忘れない翔平。

響子は笑顔で会釈するとお盆をテーブルに置いた。

「翔平君と咲ちゃんはいつ頃向こうに行くの?家は決まったの?」

咲はココアを受け取った。

「あっ、ありがとうございます。ええと、私はお姉ちゃんが今住んでる家にそのまま住むんです。姉は短大を卒業したんですけど、就職先が名古屋なんです。だから・・・」

「へえ〜お姉さんが名古屋!」

響子は驚いた。驚くと目を大きく開けておちょぼ口になる。そういう癖なのである。

「はい。在学中に名古屋に旅行に行ったそうなんですけど、その時にすごく名古屋が気に入ってそれであちらの企業に希望したみたいです。やりたい仕事もあってちょうど良かったって言ってました。」

「あらぁ、世の中うまくできてるわね。じゃあ咲ちゃんは一人暮らしになっちゃうんだね。翔平君は?」

「僕は兄貴と一緒に住みます。行くのは入学のちょっと前位ですね。引越しは実はもう終わっちゃって全部ベッドも向こうに送っちゃったんですよ。だから今僕はお客様用の敷布団で寝てるんです。」

翔平はココアをすする。

「ははは、あらぁ、そうなの。そうか、あ、咲ちゃんも入学前位に行くの?」

響子は一部聞き忘れていたことに気づいて慌てて聞いた。

「はい、たぶんその辺ですね・・・。」

ふうっとため息をつき響子はお盆を胸に抱えた。

「みんな良かったねえ。同じ場所に行けて。」

「そうですよね。だいたいは札幌ですからねぇ。あ、でも・・四組のゆりちゃんは釧路だし、五組のやっちは旭川。」

咲が指折り数えて言う。

「あと、みーちゃんは東京で、ボスは鹿児島。そうそう、謙吾くんは函館だ。あとは・・・」

「うわ〜遠いよなあ。でも他にもまだいるよな。」

翔平が割り込む。

「向こう言ってもまどかのことよろしく頼むね。この子おっちょこちょいだし心配でねえ。」

響子の言葉にまどかはおかしを食べながら

「それはお母さんの血です。」

と、やや憎まれ口をたたいた。その次の瞬間に開いたドアの横からひょっこり顔が出てきて低い男の声で

「僕もお母さんの血です。」

「ぎゃあ!!」

みんな響子の慌てぶりに大笑いである。後ろから現れたのはまどかの弟の浩輔だった。ちょっと気持ち悪い緑色の学校指定のジャージを着ている。

「また俺の部屋でゲームやってる。」

ズカズカと部屋に入ってきた。ここは浩輔の部屋だったのである。まどかの部屋にはゲームが無い。本体を配線しなおせばいいだけのことなのだが、浩輔の部屋の暖房がファンヒーターなので冬になってからは翔平がこっちの部屋をいつも希望していた。まどかはファンヒーターの温風が好きではなかったので最初渋っていたが、寒いと言われたら仕方が無い。最も、暖房も移動する手もあるが、まどかは元来めんどくさがりであり、更に部屋を片付ける手間が省けるという理由で一人でゲームをする時も浩輔の部屋をしょっちゅう利用していた。温風は、片付けをしなくていいのなら我慢できる程度の存在のようだ。

「あんたびっくりしたでしょ〜もう〜。」

響子は情けない声を出して心臓の辺りを軽く押さえている。

「浩輔おかえり、部活は今日無かったの?」

笑って腹筋を押さえながらまどかが聞いた。

「今日の体育館はバレー部の日だから俺らは外練。」

そっけなく浩輔は答え、鞄を机の上にドカッと置いた。

「浩輔、俺と勝負するべ。今日は負けねえぞ。」

翔平にコントローラーを手渡された途端に浩輔はコロッと表情が変わった。

実は浩輔はそう言われるのを心待ちにしていたのである。何故なら姉のまどかでは弱くて相手にならず、たまに遊びにやって来る翔平とゲームをするのが楽しみだったのである。浩輔に比べると翔平はさほど上手くはないが、それでもまどかよりは手ごたえがある。まどかはそれがわかっていたので自分のコントローラーを翔平に渡した。ちょっとだけおもしろくなかったがかなわないのでしょうがない。

響子は部屋を出て行こうとしたが足を止めた。

「今日の晩御飯お鍋なんだけどみんな家でべて行かないかい?いい魚、河野さんからもらったのよ。おいしいぞ〜。みんなで食べるともっともっとおいしいぞ〜。」

響子が何やら企んだ風な顔で言った。河野さんとは近所に住むまどかの叔母の家で、旦那さんは漁師である。まどかの父が休日に時期になるとたまに海へ手伝いに行っていたので収穫の多い日には粋のいい魚を譲ってもらうことがあった。

「俺、家に電話してみます!」

さっと翔平が携帯を手にする。

「早っ!!あんた早すぎだよ!」

まどかが言う。

「あ、じゃあ私も・・・。」

おずおずと咲も鞄の中から携帯を取り出す。まどかと浩輔は二人の様子と響子のうれしそうな顔を眺めて目を合わせた。



「おう、みんな食べろ!」

まどかの父の勲が土鍋の蓋を開けた。白い湯気がふわっと舞い上がり、食欲をそそる海の幸のすけそうだら、蟹、たっぷりの豆腐、そして山菜の混じった香りが部屋中を漂う。鍋の両脇には鮪、イカ、鮭の切り身がおいてあるが、ぐつぐつ煮える鍋の様子にみんな釘付けだ。

「あちちちちち!」

勲は焦って土鍋の蓋を置き、右耳をつまんだ。

「いただきま〜す!!」

笑いながら元気良く言うと一斉に箸でつつき始める。今日の鍋は湯豆腐がメインの寄せ鍋だ。具を、左手に持ったたれの入った皿へ移動させ少しふうふうと冷まして口の中へほおばる。まだ熱々の具に、はふはふと言いながら左手をご飯茶碗に持ち替えて、つやつやの炊き立てのお米をまた口に運ぶ。ご飯もまだ熱いので口が閉じられないながらも一生懸命噛んで飲み込む。

「うま〜い!このたれがまたうまいですよ!」

翔平が唸る。

咲はグラスのオレンジジュースを飲んで口を冷やした。

「ほんと、すっごいおいしいですね。」

「このたれはうちのおふくろから受け継がれた母さんの手作りなんだぞ。うめえべ。みんな好きなだけ食べれよ。」

勲は既にほろ酔いで、朗らかに鍋を勧めた。まどかのはき古した紫色のジャージと、白い肌着のシャツを着た勲は具材をポンポン鍋に放る。勲は人に食べさせるのが好きだった。自分の家に来た者には腹を空かせたまま帰らせないという意識が昔からあったのだ。勲はこの町で生まれ育ち、一度も外の町で生活した経験は無い。七人兄弟の長男として妹や弟の世話をしながら学校に行き、家の手伝いをし、時にはもう亡くなった父の漁を手伝うこともあった。勲は漁師ではないが、幼い頃からの魚好きは健在で釣りに行くこともしばしばである。

「おい、これもういいぞ。」

勲が煮えた魚をとそれぞれの空の皿へ入れる。まどかと浩輔は汗をかきながら無言でひたすら食べていた。台所のほうから響子が器を持ってやってきた。

「白滝とくずきりもあるのよ。好みで入れて食べてちょうだい。あと、まどか、ちょっと手伝って。」

まどかは無言で口を手で押さえ、もぐもぐさせながら席を立って台所へ向かう。勲は徳利の酒をおちょこに注ぎ、鮭の刺身をわさび醤油につけて食べた。

「うまい。母さん、これうまいわ。ほれ、みんなも食ってみ。」

そう言っておちょこに注いだ酒をぐいっと流し込んだ。まどかが戻って来た。手にはおしぼりが五つとハサミを三つ持っている。

「これ、蟹用ね。」

そう言って配ったと思ったらまた自分のいた場所に戻り、鍋に具をせっせと入れている。勲はまた徳利を傾けたがおちょこに半分も行かない内に流れは止まってしまった。

「母さん、もう一本ちょうだい。」

勲は徳利を右手に持って上に持ち上げて言った。向かいに座っているまどかが無言で勲の徳利に手を伸ばし、また口をもぐもぐさせながら持ち去って言った。

「おお〜マド働け。」

翔平が言った。勲は笑って翔平を顔を向けた。

「どうだ、うめえべ。札幌に行っても、たまに食べに帰って来いよ。札幌なんか遠くねえ、車でビュッとすぐなんだし。おっちゃんいつでも待ってるぞ。」

「はい、また来ます。」

翔平はにっこり笑って言った。

「私も来ます。」

咲も続けた。

「ビュッとすぐってことは無いだろ。」

浩輔がボソッと笑って言った。

「うるせえ、この!」

勲は浩輔に自分の使っている箸で頭をたたくような素振りをした。翔平と咲はふふっと笑った。

「向こう行ったら俺らはそれぞれ学校だし、マドは仕事だし、あんまり時間は無いのかもしれないけど・・・でも、何だかんだできっと遊ぶよな。たまにこっちにも帰って来るし。」

「うん。そうだよねぇ。すぐゴールデンウィークもあるし。」

翔平と咲が蟹の足をハサミで切りながら話す。

「んだ、でも勉強もしっかりやれよ。」

勲が酔ってる割には普通のことを言ったなと浩輔は思った。

「うん、蟹もなかなかうまいぞ。」

翔平は次の足を切るのに取り掛かる。

「この蟹は鍋のだしだからそうでもねえぞ。」

勲が言う。次の瞬間まどかは勲のお酒と空のボウルを持って戻って来た。続いて響子がまた何かをさっきよりも大きな器に入れて持って来た。

「茹で立てだよ〜。この蟹は小樽のセイちゃんが送ってくれたやつだよ。」

響子は台所で蟹を茹でていたのである。

「あ、これ空入れね。」

まどかはさっと置いてまた自分の場所に戻る。響子がもうスペースの無いテーブルの上の皿を少しずつ寄せて蟹の入った器を置いた。

「うお〜!でっけぇ!」

翔平が思わず叫ぶ。ほくほくと湯気を出すほんのり赤い足に鋭い爪。勲は待ってましたと言わんばかりに自分の皿に蟹の足を乗せバキバキと折った。続いて浩輔、翔平も足をつかんだ。

「あっつ!!」

茹でたばかりの足は、触れ続けてはいられない位にまだ熱を持っていた。なんとか端の方を持ってはさみで切り込みを入れようとするが、殻が厚くて切ることができない。勲を見ると素手で豪快に食べている。翔平は少しの間唖然としたが足の角度を変えるため持ち替えようとした。

「いてっ!!」

今度は浩輔が言う。足には幾つもの小さい突起と毛があり、ぎゅっと掴むとそれが指に刺さったり引っ掛かったりするのである。それぞれ悪戦苦闘しているが、勲だけは二本目を皿に乗せていた。

「ちくしょ〜。こいつめ!」

そんな中、咲は冷静に周りを見つめていた。

「この前のすき焼きもおいしかったし、夏に外でやったバーベキューもおいしかったです。でも今日はまたすごい豪勢ですね。」

響子はやっと勲の隣の席に着いて、缶ビールを開けてグラスに注いでいた。

「うん、今日はね、みんなの壮行会みたいなもんだよ。いっぱい食べなさい。今日は花火はまだできないけどね。じゃ、遅れましたがビールいただきま〜す。」

「ありがとうございま〜す。かんぱ〜い。」

翔平は烏龍茶の入ったグラスを持った。グラスを軽くぶつけ合うと、ゴクッゴクッとビールを飲み込んだ響子は甲高い声を出す。

「よし、みんな、今日は飲め。飲んでけ〜。」

勲が冷えた缶ビールを両手に持って翔平と咲に渡そうとした。

「ちょっとお父さん、止めなさい!!」

響子が怒って言う。

「なんでだよ。今日はいいじゃねえか。」

「ダメだ!!バカモノ!」

バシッと勲の足を叩く。

「いってぇ。」

響子と勲のやり取りに翔平と咲は笑っていた。まどかと浩輔は、また始まったという感じで少し呆れて見て、お互い目を合わせてうなずきながらも口はもぐもぐと噛み続けている。



「うん、そうだよ。蟹がうまかったって。今日は楽しかったんだよ。マサくんも来れたらよかったのに。」

濡れた髪にタオルを当ててパジャマ姿のまどかは自分の部屋で電話で話していた。まどかの部屋は女の子の割にはあまり物が置いていなく、殺風景だった。壁に唯一、パズルで出来た特大サイズのかわいらしい犬のキャラクターの絵が飾ってある以外はあまり可愛らしさが無い。そのパズルも自分で作った訳では無く、勲が完成したものをどこかからもらってきた物であったため、そんなに愛着は無かった。

「そっか、じゃあ次に会えるのは来週だね。」

まどかは椅子に腰掛けて机の上にあるパソコンの電源を入れた。

「うん、じゃあね。おやすみなさい。」

電話を机の端に置き、頭を下に下げてガシガシとタオルで湿った髪を拭き始めた。少しして手を止めてパソコンの横に置かれた生姜の入った紅茶をゴクゴクと飲み、ふーっとため息をつく。そしてマウスをカチカチと動かし出した。まどかが見ていたのは自分がもうじき入社する会社のホームページだった。ここのところ毎日のように同じ物を見ていた。ある程度見終えると電源を落とし、椅子から立ち上がると今度は座椅子に座り直しドライヤーで髪を乾かし始めた。まどかはくせっ毛だったので、完璧に乾かさないと気が済まなかった。そうしなければ次の日に髪にうねりが出てしまい、その日が一日憂鬱になってしまうのであった。

十分近く経ち乾かし終わると、バスタオルとドライヤーを脱衣所の方へ戻すために部屋を出て行く。そしてまた部屋に戻って来た。忙しい子である。机のほうの椅子へ座り、引き出しを引いて鍵を取り出し、右側の引き出しの鍵穴に差込み、開けると一冊のノートを取り出した。薄いグレー色の厚紙の表紙には約三ヶ月前の日付が書かれてある。ペラペラとめくり、昨日の日付に書かれた文章の下の空白に今日の日付を書き足し、さらさらとペンを走らせた。


これから何が私を待っているのだろう・・・


まどかは中学生の頃から日記を時々書いていた。その日あった楽しいこと、悲しかったこと、不安なこと、思うままに気が済むまで書き綴っていた。そうすると悩んでいるときは不思議と気持ちが落ち着いてくる。恋愛に関する内容が大半を占めていたが、人間関係に悩むこともあり、ある時は気が付いたら10ページ近く書いていたこともあったりした。日記を書き始めた頃は薄っぺらなノートで充分であったが、高校、特に翔平と出会ってからは、それでは足りなくなってきたのである。

 まどかが翔平と初めてまともに言葉を交わしたのは高校二年の春である。それまではお互いに友達の友達として挨拶をする程度の距離であった。まどかは中学一年からずっとバスケット部に所属しており、翔平も隣町の中学校のバスケット部だったため、練習試合や地区大会で顔を合わせているはずなのだが、お互いにそれは後から知った。同じ高校に進学し、まどかは多少迷ったがバスケットを続けた。翔平は続けなかった。生徒数が一学年約300人。クラスも違い、共通点も無い。翔平は少しかわいらしい顔をしており、口は悪いが優しい一面もあり、学年の女子の中でのランク付けは平均よりやや上だった。そのためあまり噂話をしないまどかでも、顔と名前を覚えてしまうくらい友達の会話の中から翔平の話題は自然と耳に入ってきた。だがそれは翔平だけに限ったことではなく、他の男子生徒に関してもそうである。

 このように翔平は自覚していなかったが、女子に人気のある方ではあった。しかしそれは中途半端な物であり、翔平に特に親しい女の子というものも無く、翔平自身、過去に女子に馬鹿にされた経験があり、女は好かんと思っていた。男友達に連れられてクラスや他の女子の家に遊びに行くことは多少あったものの、さほど親しくなることは無かった。

 一方まどかは恋多き一面を持っており、片思いをしても告白しないうちに相手に彼女ができたり、思い切って想いを伝えても届かなかったりと数人に対して独りよがりな恋を続けていた。しかし惚れっぽいので少しすると、ちょっとしたきっかけでまた新しい恋に身を焦がすのであった。逆に思いもよらず男子の方からお付き合いを申し込まれることもあったが、まどかには誰も好きではない期間というものが、中学一年の初恋以来ほとんど無かった。うまい具合に次から次へと片思いをしていた。ダメになりそうな予感がすると気持ちは一気に下降し、隣の席だったり、その時ちょうどよく話す男の子にコロッと行ってしまう。好きな人がいて相手の自分に対する反応に一喜一憂したり、ウキウキと楽しい時に関係の無い人から告白されることほど邪魔なことは無い。まどかは罰当たりなことにそう思っていた。そんな訳で彼氏と呼べる存在はゼロであった。

 二年になって間もないある朝に、まどかはいつもより一時間早く家を出た。学校の体育館で朝練をしようと思ったのだ。早起きが苦手なまどかは朝食をそこそこに自転車に乗る。そしてまず、毎朝必ず寄る駅の近くにある自動販売機を目指した。まどかの好きなドリンクがこの辺ではその自販機にしか無かったのだ。天気のいい朝で、道端の草木は朝露に濡れて太陽の光に反射してキラキラしていた。まどかは胸いっぱいに空気を吸い込んで口から吐き出した。

「今日はシューティングだな〜。」

まどかは最近のシュート率が中学の頃に比べて下がってきていることが気になっていた。まどかの高校のバスケット部の練習は厳しかった。地区での大会ではいつも上位で、道の大会にもよく出場していた。今年の夏も道の大会で、少しでも上に行くことを目指している。まどかはありがたいことに、一年生の頃から時々試合に出させてもらうことがあった。しかし、緊張によっていつもの調子が出なかったり、ミスをしてしまうことで落ち込んでいた。どうしたらいいかと考えていたところ、たまたま練習を見に来てくれた高校のOGである先輩に個人練習を増やしてみてはどうかとアドバイスをもらったのだ。全体練習ももちろん大切だが、個人練習が以前に比べて足りない。そう気付くことができ、朝の時間を使って少しでも役に立てるように上手くなりたいとまどかは思った。

「よーし、頑張るか〜!」

そう言うと歌を歌いだした。短い髪をなびかせて自転車をぐんぐん漕ぐ。そして自動販売機の前まで来た時にボールの弾む音が公園の方から聞こえてきた。

(こんな時間に遊んでる子供が・・・?)

疑問に思いつつまどかは千円札を入れてスポーツドリンクを二本買った。朝練用と、放課後用である。ドリンクとおつりの小銭を取るためにしゃがみ込んだ。財布に小銭を入れながらボールの音を聴いていると、ダダダッと早い足音と同じくボールの弾む音がした。

(子供ではないな・・・)

まどかは気になって、籠の中の鞄の上に手に持っていた物を乱暴に置くと自転車の方向を変えて、音のする方へゆっくり行ってみた。木の間からそっと覗くと、まどかと同じ学校の制服を着た男子生徒がバスケットゴールに向かってドリブルをしていた。それが翔平だった。まどかは驚いた。毎日のように練習で見ている男子の先輩のドリブルテクニックよりも細かく、早く、低いドリブルだった。

「わ、うま〜い・・・。」

まどかはつぶやいた。少しの間その場から動けなかった。

数分経ってはっとしたまどかは、自転車をその場に置いてゆっくりとバスケットゴールの方へ近付き、翔平に声を掛けたのである。

「ねえ、ジュース飲む?」




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