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コーヒーとホットサンド

夜の静寂を切り裂くエンジン音。頬を突き刺す冷たい風。隣を走る存在を認識していても、この世界であたしは一人だ。誰もいない道を、行く当てもなく走り続ける。それがあたしの毎日だった。

容赦するな、弱みを見せてはいけない。


研ぎ澄ませ、研ぎ澄ませ、研ぎ澄ませ・・・まるで一撃必殺を虎視眈々と狙う槍のように、鋭く、強く・・・。

だけどあいつは、こちらが反撃する間も与えず笑顔でその槍をへし折った。太陽のように暖かな笑顔に今まで張り詰めていたものが全部取り除かれていきそうで、必死になって抗った。






(結局負けたけどな・・・)

テーブルの向こう側の相手を眺めながら遠藤春紀は一人心の中で嘆息した。その相手は愛娘と楽しげに朝食をとっているところだ。

どうやら来週幼稚園でプール開きがあるらしく、可愛い水着を買いに行くという話のようだ。娘の夏野より父親の雪斗のほうが盛り上がっているが。オネエである雪斗は娘に似合いそうな水着を必ず見つけると張り切っていた。


(たかだか幼稚園のプールだろうが・・・)

春紀としては理解しがたい会話なのだが、娘への愛情はもちろん持ち合わせているため、やはり喜ぶ顔は見たいと思った。

「-----それじゃあ今度の日曜にお買い物行きましょ!ねぇハルちゃん?」

「ママ、お買い物いこ!」

話がまとまったのか二人が身を乗り出してきた。春紀は素早く脳内スケジュール帳を開く。


「悪い、出勤だ」

「「えぇーーーーー?」」

不満の声に若干の罪悪感は抱くものの、日曜は最も忙しい日であるため休みは取りづらいのだ。

「あたしはいいから、二人で行ってこいよ」

宥めるような口調で言っても二人は頬を膨らませたままだ。夏野はともかくお前はいい年した大人だろう、と子どものような夫に嘆息する。

「ママとも行きたかったなぁ・・・」

ぽつりと夏野が諦めたように呟いた。空気が重くなる。


やがてそんな空気を払拭するかのように雪斗が明るく笑った。

「仕方ないわねぇ!ママとのお出かけはまた今度!天気のいい日にピクニックしましょ!」

ピクニックという言葉に夏野の顔がパッと明るくなった。

「いく!ピクニック!」

「それじゃピクニック行きたい子はお着替えもちゃんとしましょうね~。そろそろ幼稚園へしゅっぱーつ!」

「はーい!」

すっかり元気になった夏野は着替えをしに駆けて行った。


「・・・ごめん」

「いいのよ。ハルちゃんが日曜日忙しいのは知っているもの」

小さく謝ると雪斗は柔らかい笑顔を浮かべて隣に座った。大きな手が春紀の頭を優しく撫でる。昔から変わらない優しさに泣きたくなってしまうが、ぐっとこらえる。

「また我慢しちゃって・・・。ハルちゃんの悪い癖」

「うるせぇ・・・ユキのくせに生意気だっつの」

頭を撫でる手をべしっと叩く。「いった~い!」と不満げに喚く雪斗を横目に、春紀は残っていたコーヒーを一気に流し込んだ。





********



「春紀さーん、11時にご予約のお客様ご来店でーす」

「はいよ。今日はカットとカラーだっけ」

「そうですね。もうお通ししているのでお願いします」

春紀の仕事は美容師だ。住宅に囲まれたなかのお洒落な美容室「Ailesエール」が彼女の職場である。店内は清潔そうな白壁にスタイリッシュな黒のカウンターやセットチェアが並ぶ。


若者はもちろん近所のマダムにも人気の店だ。彼女はそのなかでも年配の女性客に好かれていた。愛想はいまいちだが腕は確かで、自分の希望以上の結果を出してくれることに定評がある。

また、職場のスタイリストのなかで最年少で、小柄なことからで母性本能がくすぐられるのだそうだ。もっとも、本人はまったく自覚していないのだが。


「いらっしゃいませ、お待たせしました」

控えめな笑みでセットチェアに座る女性に話しかける。50くらいの女性は鏡越しに嬉しそうな顔を向けた。

「今日もよろしくね、遠藤さん」

「こちらこそ。どのようにしましょうか?」

「そうねぇ・・・・」

こうして春紀の1日は過ぎていくのだった。






「んじゃ、お疲れっしたー」

他の同僚たちに声をかけると春紀は店を出た。幼稚園に通う夏野の迎えに行くためだ。夏野の迎えと夜の家事は雪斗と交代制にしている。今日は早めにあがれるように前もって申請していた。夏野が待つ幼稚園に向けてママチャリを漕ぐ。


「あっつ」

夏の日差しが容赦なく春紀の肌を突き刺す。職場を出て2分足らずで、もう汗が首筋を伝う。


(あ、日焼け止め・・・)

ママチャリを漕ぎながら日焼け止めの存在を忘れていたことに気がつく。道端で鞄を漁るが入っていない。そういえば自宅の洗面台に置いてきたことを思い出した。


「ユキにまた叱られるな・・・」

今頃は自身の店で新作造りに勤しむ婚約者のことを考え大きく嘆息する。前にも何度か日焼け止めを忘れて、案の定日に焼けた春紀は雪斗に夜通し説教されたのだ。

(なんか機嫌取れるものでも買ってくか)

説教回避のための口実を考えながら春紀は幼稚園へ急いだ。







*********




「ただいま」

「ただいまぁ!」

外の猛暑から逃れるように二人は自宅へ転がり込んだ。中は程よい涼しさが保たれている。

「おかえり~。おてて洗ってらっしゃい」

「はーい!」

奥のキッチンから雪斗が麦茶片手に現れた。朝は束ねていた髪を解き、花柄のショートパンツに白いピッタリとしたデザインの半そでTシャツを身につけていた。

「これ、お土産」

「あらま!急にどうしたのよ?」

「別に。お前好きそうだから」


春紀が買ってきたのは色とりどりのプチフールだった。フルーツタルトやムースのものやジュレが載ったものが洒落た箱の中に詰まっている。悪くならないように保冷材を多めに入れてもらったおかげで買ったときのままに保たれていた。


「きゃー!かわいいわね~!!アラッ!このお店雑誌に載ってたところじゃない!?」

「あー!それさっきママとかってきたの!」

「そうなの~!とっても美味しそうだからびっくりしちゃったわ~」

ケーキの箱を手に娘とはしゃぐ姿は、どこからどう見ても女性。けれどもれっきとした夫なのだ。

「このタルトが一番美味しそう!ハルちゃん、なっちゃんありがとう!」

「・・・おう」

そして無愛想に返す男性、に見えるほうが妻なのだ。傍から見れば真逆だろう。


「じゃあこれは夕飯のあとにしましょうね!あぁ楽しみだわ~」

「えぇー?今食べたい!」

「もうおやつの時間じゃねーからだめだ」

「やだ!!今食べるの!!!」


最近の夏野は少し反抗的なところを見せるようになってきた。いわゆる反抗期。雪斗は特段気にしていないようだが、春紀は少し目に余るのではと思っていた。

「夕飯食べられなくなっても知らねーぞ」

そっけなく言うと夏野はますます目の周りを赤くして声を張り上げた。

「いらないもん!ケーキ食べたい!」

夏野としてはあまり考えずに言ったのだろう。しかしその言葉は春紀を怒らせるには十分だった。冷たい声で鋭く言い放つ。

「あーそうか。じゃあ夕飯食べなくていいから」

あまりの声色に一瞬怯んだが、目に涙を浮かべながら夏野は叫んだ。


「いいもん!ママなんかきらいっ!!」

バタバタと走り去りバタンっとリビングの扉を強く締める。その瞬間春紀の身体から力が抜けた。やってしまったという感覚と先ほどまで煮えたぎっていた熱が急速に冷めていく感覚。今は夏のはずなのに、寒いと感じてしまった。

「やっちまった・・・・・・」

「・・・ハルちゃん」

へたり込んでぽつりと呟いた春紀の肩を雪斗がそっと抱く。そのままトン・・トン・・と優しく叩く。まるで赤子にするように。体温とともに伝わる雪斗の優しさに、思わず、涙がこぼれた。それを止めるすべはなく、声を殺しながら泣いた。





「・・・・落ち着いた?」

震える肩を優しく抱きながらそっと尋ねると、小さくうなずく。赤く腫れた目元を指先で撫でる。ゆっくりと椅子に座らせると、雪斗はケーキの箱を片手にキッチンへ入っていった。リビングの椅子にもたれながら春紀はまだうつむいていた。

にゃあと言う鳴き声に視線を向けると、マオが足に擦り寄っていた。まるで・・・

「慰めてくれんの・・?」

撫でようと手を伸ばすとマオはするりとかわし、リビングから出て行った。伸ばした手をしばらく見つめ春紀は小さく息を吐いた。


「はい、コーヒー」

静かに置かれたカップからはほろ苦い香りと白い湯気がふわりと漂っている。そっと両手でカップを包み一口。ただのインスタントのはずなのに、雪斗の淹れるコーヒーは他とは違う美味しさがあるのだ。隠し味があるのかと前に一度聞いたことがあるが「ひ・み・つ」と笑顔で返され教えてくれなかったのだ。


「なんで、いつもこうなんだろうな・・」

吐き出すように言い失笑をこぼす。やっと収まったはずのものがまたぐっと喉を締め付ける。吐き出す息が小刻みに揺れた。

「・・・・・・・ハルちゃんは、不器用なのよ」

テーブルの向側でコーヒーを啜る夫を見る。穏やかな笑みを浮かべながらカップを置いて静かに続ける。


「ハルちゃんは昔から、良い意味で真っ直ぐなの。でも不器用だから、人とぶつかっちゃうのよ」

あたしはそんなハルちゃんが好きだけど、と続けながらテーブルの向こうから伸びた手が頬を撫でた。

「なっちゃんも、ハルちゃんの真っ直ぐで不器用なところが似たのかもしれないわね」

「・・・・それは、困る」

「そうねぇ~。夕飯お預けのアタシの身にもなってごらんなさい!」

(・・やっぱり勝てねーわ)

冗談めかして笑う夫に春紀も少し頬を緩め、コーヒーをゆっくり啜った。





少し時間が遅くなった急いで夕飯の準備をする春紀の肩を雪斗が優しく叩いた。

「ちょっと来てごらんなさい」

連れて行かれたのは物置として使っている小部屋。そっとドアを開くと泣き疲れうずくまって眠る愛娘の姿。傍らには守るように寄り添うマオがいた。真っ赤に腫れた目元が先ほどまでの春紀にそっくりだ。小さなその姿を、雪斗と春紀はしばらく見守っていた。










**********



「パパ!早くぅー!」

今日の遠藤家はいつもよりも少し賑やかだ。玄関ではいつもよりおめかしした夏野がぴょんぴょんと跳ねている。春紀も何やら大きな荷物を片手にしている。

「ユキ、早くしろ」

「んもう!乙女の支度は時間がかかるものなの!」

プリプリと怒りながら身支度をする雪斗。あれでもないこれでもないと目元のメイクに勤しんでいる。

「パパおそーい!ママ、先にいこ!」

「そうすっか」

駆け出す夏野の手を春紀はしっかりと握った。片手には娘と二人で作ったホットサンドのお弁当。

「ちょっと!待ちなさいよ~!」


日曜日の晴天に、3人の楽しげな声が響いた。



プチフールは後で美味しくいただきました。

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