新学期~放課後、生徒会室~
帰りのHRは何事もなく終わった。朝の段階で担任の中村山先生が一学期の予定などを説明していたので、改まって伝えることなどなかったようだ。
先生の「それでは皆さんまた明日~☆」なんて語尾に「☆」でも付いていそうなテンションの挨拶が済むと教室の空気は一気に騒がしいものになる。
部活動に精を出す為にすぐさま教室を出て行く者と、今日はまだ授業も始まっていないので昼前には帰れることを利用してこれからどこかに遊びに行こうかと話し合っている者。
居残る者のもいれば一目散に飛び出す者もいる。ちなみに、今日のオレは後者になる。
目指すは桐咲有華の待つ生徒会室。何をしに行くかと言われれば殴りこみ。もちろん実際に殴りに行くワケではないが、思っていることは全力でぶつけてやるつもりだ。
言いたいことはハナから一つしかない。早くこの胸に渦巻くモヤモヤをブチ撒けてやりたい。
バーバリアン共への挨拶も早々に教室を出る。机の上には鞄もそのまま、席から近い教室の後ろの扉から外に出る。
職員室のような生徒・教員に関わらず多くの人間が行き来する部屋は全て校舎の二階に集められていて、確か生徒会室も二階の一番端にあったはずだ。一つ階を降り、途中の部屋には目もくれず長い廊下をほとんど端から端へ移動する。
そして《生徒会室》と札の付けられた部屋の前に辿り着いた。
まさか自分がこの部屋に用事があって来る事になるとは思わなかった。もちろん自分が生徒会の役員になるかもしれないということもそうだが、困ったことがあって助けを求める気もなかったのでこの部屋の前に立つのも初めてである。でも、これを最後にするつもりだ。
オレは生徒会に入る気などない。この断固たる決意を伝えにきたのだ。
扉を前にして一度深く息を吐く。そして吐いた量以上の空気を吸って扉を三度叩く。……返事はない。もう一度叩く。……またしても返事はない。
ふざけやがって。自分で呼び出したクセに……舐めているとしか思えない。この瞬間に敵の本拠地に乗り込むということで少なからず持っていた緊張感は消え失せ、代わりに怒りで満たされた。
まぁいないならで構わない。逆にこっちが部屋で待っていてやろうとドアノブに手を掛ける。木の板一枚で作られたドアは鍵付の物であったが、怒りのままに引いてみるとどうやら鍵は閉められていなかったようであっさりと開いた。
中を除くと部屋には長机が二つ並べてあり、それぞれの机にパイプ椅子が二つずつ置いてあるが人影は無い。
誰もいないので当然と言えば当然だが無言で入室し、とりあえず扉から一番近い椅子に腰を下ろす。
さすがに来ないということはないと思ったのでここで桐咲有華を待ちかまえ、文句をぶつけてやる。言ってやらねばならない。勝手に生徒会に入れようとしていること、加えて自分で呼び出しておいて人を待たせたことを。
改めてここに来た目的を確認し、部屋の唯一の入り口である扉を、腕を組みながら睨みつけた。
待つことしばし、未だに姿を見せない桐咲有華への苛立ちを隠すつもりなど微塵もなく、むしろそれを表に出すようにわざとらしく指で机をトントンと叩く。
一定のリズムで刻まれる音だけが未だにオレ一人だけの生徒会室に響く。壁に備え付けられている時計を見ると、生徒会室に来てから既に五分の時間が経とうとしていて、一向に現れる気配のない桐咲有華への怒りは時間が経過するのに比例して上がっていく。そして、既に怒りのボルテージはもう貯まるとこまで貯まっている状態。
遅い、遅過ぎる。なんて埼玉銘菓のCMのフレーズの様なことを脳内で繰り返すが、そろそろ待っているのも我慢の限界。たかが五分。しかし怒りに支配された状態だとその時間はとてつもなく長いものに感じる。
「あのクソ女……」
一人でいるにも関わらず、口から洩れてしまった文句。色々と言ってやりたい気持ちは今でも当然あるが、これだけ待たされると桐咲有華の為に自分の時間が消費されることの方が腹立たしく思えてきた。
「……帰るか」
いよいよ我慢も限界を迎え、席を立つ。来いと言われたから来たのに一向に現れないとはどういうつもりだ?もう知らん。
立ち上がった拍子に後ろに飛んだ椅子は敢えて直してやらない。嫌がらせだ。だがむしろそれぐらいで済ませてやっている辺り自分でも人が出来ているんじゃないかと思うほどオレの怒りは有頂天。
そんなささやかな抵抗の痕を残してドアノブに手を掛けようとした。その時だった。
オレの手を避けるように下に傾いたドアノブ。そして開かれるドア。
予想していなかった出来事にハッとして視線を上に運ぶと、そこにいたのは微笑を湛えている桐咲有華だった。
驚いて後ずさると、桐咲有華は部屋に入り後ろ手にドアを閉めた。
「あらこんにちは。ここで何していらっしゃるのかしら?」
そしてオレの目の前に立つと、平然と言ってのけた。
「テメェ、どの口が言ってる……」
いきなりの登場に少し気が動転してしまっていたが、その態度にオレの怒りは再燃した。
「どの口もあの口もこの口でしかありません。何を当たり前の事を尋ねていらっしゃるのかしら?」
白く細い指で自分の口元を指している。その仕草がまたムカつく。
「その言葉そっくり返してやりたいね!お前が待ってるって言うから来てやったんだろうが!」
「あらあら、随分と情熱的ですね。そんなに私に会いたかったのかしら?」
「あぁ会いたかったよ!オレはお前に言いたい事があるんだ!それより人を呼び付けておいて待たせるとはどういうことだ?まずはそれから説明しろ!」
「それは構わないですけれど、その前に私からも一つ説明して欲しいことがあるのですがよろしいかしら?」
「あぁ!?」
「よろしいということですね。では伺いますが、あなたはどうして生徒会室にいらっしゃるのかしら?」
「そんなもんお前を待つ為に決まってるだろうが!」
質問に質問を返すとはこの女、やっぱりふざけた奴だ。思わずこちらの語気も荒くなってしまう。
「それは私に会うことが目的で生徒会室に来てはみたものの、不在だったので中に入って待っていらしたということかしら?」
「その通りだ!」
「部屋に入る時にノックはされたのかしら?」
「何度もしたよ!それでも返事がなかったから仕方なく中で待ってたんだよ!ていうかさっきからカシラカシラうるせぇな!」
「そう。要するにこういうことかしら?女性を訪ねて部屋に来てノックをしてみたが反応がなく、留守だったようなので勝手にドアを開けて部屋に侵入して待ち伏せしていたと……ただの犯罪者ですね」
「はぁ!?何言ってんだ!?なんでオレが犯罪者扱いされる!?」
「私はあなたの証言をまとめただけです。不法侵入は立派な犯罪ですよ?」
「鍵を閉めてないのが悪いんだろ!」
「鍵の閉め忘れを狙って侵入するなんて立派な空き巣の手口じゃないですか。もう何も言い訳できませんね」
「んあっ?」
「確かな事実を突き付けられて言葉も無いようですね」
桐咲有華が現れてからずっと会話の主導権を握られて、いつの間にか空き巣の現行犯にされていた。
思わぬ展開にどうしてここにいるのか、自分でもわからなくなりそうになる。
一旦現状を整理してみよう。そもそもオレは一体ここに何をしに来たんだったっけか?
不法侵入の罪で現行犯逮捕される為?そんなことあるか!オレは文句を言いに来たんだよ!
そして、ここに来た本来の理由を確認した所で、桐咲有華が何かを思いついたように言った。
「あ、でも不法侵入ではないですね。あなたはこれから生徒会に入るワケですし。そうすれば鍵が閉められていない部屋に勝手に入っても何も問題ない。生徒会室は生徒会役員の部屋ですから。遂に決心がついたのですね。ようこそ生徒会へ。歓迎しますわ、楠木昴くん」
「歓迎すんな!」
ほんの僅かな時間黙っていたら空き巣の容疑が晴れて、それどころかいきなりお祝されちゃったよ!ちっともめでたくないよ!
「大丈夫ですよ。途中から入っても我が生徒会には素晴らしいメンバーしかいないのですぐに打ち解けられるでしょう。歓迎会だって開きますし、すぐに仲良くなれますよ。みんな友達です」
「だから……そんな友達ごっこみたいなマネしに来たんじゃねーって言ってんだよ!」
そう言い返した瞬間、不思議と辺りの空気が変質したように感じた。
「……今なんて仰ったのかしら?」
すると少しの間を置いて、桐咲有華は先ほどまでのハッキリとした調子とはうって変わった様子で尋ねてきた。
「ん?歓迎なんかするなって言ったんだよ」
どうしていきなりそんな事を尋ねてきたのか分りかねたが、とりあえず答えてみる。
「そうじゃなくてですね……」
だが桐咲有華の求めていた答えとは違っていたらしい。
「あぁ?じゃあ友達ごっ――」
「あの、警察の方ですか?空き巣の現行犯が目の前にいるのですが……」
「っておい!なにいきなり通報してんだよ!」
ならばと思い先ほど口にした事をそのまま繰り返そうとしたらこの女、いきなり携帯電話を取りだして何言ってんだ?
通報されるような事をしたつもりは無いのだが、もし本当に通報されているとしたら冗談では済まない。電話を止めさせようと手を伸ばすと、それを躱わして桐咲有華は携帯を制服のポケットにしまった。どうやら実際に通報をする気はなかったようだ。
そんなホッとしているオレを桐咲有華は、その大きな目を細め睨みつける。
「何も悪い事をしてないのならキチンと弁明すればいいでしょう。どうして焦っていらっしゃるのかしら?」
「そうだけどお前、通報することはないだろ!同じ学校の生徒だぞ?」
「あまり大きい声出さないで下さい。大丈夫ですよ。まだ実際に通報してはいないので。ですからさっきの言葉、訂正して頂けないかしら?」
「まだって事はこれからマジでするつもりなのかよ!?つーかオレはさっきから何も間違ったこと言ってないぞ。だから何も訂正することはない。何が挨拶したらみんな友達だよ。そんな簡単なワケねーだろ」
マジ通報ではなかった事に安堵したのも束の間、改めて通報する可能性があると聞かされた事で慌ててしまい、ついつい今は関係無い事もぶちまけてしまった。
すると、またしても先ほどまでの様子とは違った、低く抑えた声で桐咲有華は言う。
「……ごっこ……」
「え?なんだって?」
いきなり聞き取れないほど小さな声で話すのですかさず聞き返す。
「先ほどの『ごっこ』というのはどういうことでしょうか?まさか同じ野老高生にそんなことを言われるとは思ってもいませんでした」
「だってそうだろ?頼めば何でも手伝ってくれるのをイイことに泣きついてくる奴のなにが友達っていうんだよ!それならただ一緒にいるだけ、興味もない話にも頷いて、ヘラヘラ笑っているだけみたいな奴の方がよっぽど友達って呼べるんじゃねぇか!?だからお前らがやってることなんて『ごっこ』がピッタリだ!生徒会なんて立派な名前じゃなくて仲良しクラブに改名したらどうだ?」
「随分ハッキリと仰ってくださいますね。実に不愉快です。ですが、やはり私の目に狂いはなかったようです」
お互いに睨みあい険悪なムードになりかけていたのが一変、なにやら納得したように微笑を浮かべる桐咲有華。それをオレは疑問の目で見返す。
「あなたは私が思った通り、この野老沢高校の生徒に相応しくありません」
すると、更に疑問が増す様な事を言い出した。
「いきなり何言ってんだ?ならどうしてオレを生徒会に入れようとする?こういうのは真面目で優秀な、それこそ『相応しい』生徒がなるもんだろ?」
ワケがわからず、当たり前の事を質問してしまった。
「いいでしょう。教えて差し上げます。あなたを生徒会候補に推薦した理由……」
そしてこの時、そういえば本来は文句を言いに来ただけではなく、この事を聞きに来たのを思い出した。
「それは、野老高生として相応しくないあなたを私が直々に正しく導いて差し上げる為です」
「…………はい?」
いきなり何言ってるんだコイツ?絶句する程でもなかったがやっぱりワケがわからない。
「『何言ってるんだコイツ?』とでも言いたそうな顔していらっしゃいますね。でも言わせません。言葉の通りですもの。これくらい、さすがのあなたでも理解出来るでしょうから」
この場合の「さすが」ってのは絶対誉めてないな。明らかにバカにされているので言い返してやりたい所だが、遂に聞きたかった事が聞けそうな気がしたので努めて心を落ちつける。
「まぁ言葉の意味はわかるが……その、どういうことだ、相応しくないってのは?」
「あら、わかっていらっしゃらないのね。仕方がありません。説明して差し上げましょう」
そう言って、呆れたため息をつきながら桐咲有華は入り口から一番遠い奥の席に向かった。
わざわざ椅子に座るという事はここから長い話が始まるのかもしれない。
このまま突っ立ったままで話を聞く事もないと思うのでオレもさっきまで座っていた椅子に戻る。くしくも引いたままにしていたから座るのもスムーズだ。
そして、席に着いた桐咲有華が切り出した。
「要するに、あなたは野老高生に相応しくないの」
「だからそれどういうことだよ?」
「言葉の通りよ。それこそがあなたを生徒会に推薦した理由。卒業式のこと、まさか忘れたワケではないでしょうね?」
「卒業式?なんのことだ……あっ……」
どうしていきなり一カ月前の卒業式の話など出してくるのか最初はわからなかったが思い出した。
桐咲有華はオレに心当たりがあるとわかると、溜息混じりに続けた。
「あの時のあなたの態度、思い出すだけでも腹が立つわ。まず遅刻してきたこと。クラスの代表としてお世話になった先輩の門出を祝福しなければならない立場の人間が遅れてくるとはどういうことなのかしら?」
コイツの言う通り、オレは一カ月前の先輩の卒業式で色々やらかしてしまった。クラスで二名出席者を出す決まりになっていたのだが、誰も参加を希望する者がいなかった為、クラス全員でジャンケン大会が行われ。その結果オレが負けて出席する羽目になったのだ。
だがそれと生徒会に入る事と何の関係があるというのだ。
「なんでそんな事を今更……過ぎた事なんて気にするなよ」
「口答えしないの!遅刻している時点で大問題なのよ!言い訳するんじゃない!」
あれ?なんかオレ怒られてね?てか椅子に座ってからいきなりキャラ変わってね?
と、色々と思う所があるが桐咲有華の突然の豹変に驚いて口挟めずにいると、彼女はそのまま続ける。
「それと式中の態度!ほとんど寝てたじゃない!静かにしてればそれでイイと思ってたら大間違いよ!隣にいれば嫌でもわかるんだから!あなた何度も間違って起立したでしょ!『卒業生、起立』の時に間違えて立たないようになんて予行練習の時に散々注意されてたじゃない!」
「いや、オレ練習とか出てないし」
確かサボってバーバリアン達と遊びに行ったんだっけかな?
「その時点でダメじゃない!まだ本気で間違った方がマシだわ!話にならない!よくもまぁそんな事をこの私の前で堂々と言えるわね!」
「だってそんなのめんど――」
「だから言い訳は聞きません!それにあなた、私のことをイヤらしい目で見てたわよね?痴漢よ痴漢!近視姦罪よ!さっきの空き巣以前に立派な犯罪者じゃない!死に値するわ!」
「くっ……」
立て続けに非難の言葉を浴びせられて「筋弛緩剤は薬だろ?」というツッコミすら挟む間もない。
確かに卒業式の時に隣にいたから珍しい物を見る様な気持ちでチラチラと見てしまったかもしれないがこれほどまでに酷く言われてしまうとは……矢継ぎ早に怒られて軽くヘコんでるぞ、オレ。
しかし一カ月も前の事でこんなに責められてもな……確かにやる気はなかったし、居眠りもしていたが一緒に出席した陽にこの件では散々怒られていたので、オレの中ではもう済んだ話になっている。
それに今の痴漢うんぬんの件は関係ないんじゃないか?まさに恐怖の痴漢冤罪事件!混んでいる電車で近くに女性がいることに嬉しいと思うよりも怖いと思う男の気持ちを考えたことがあるのか?無実の罪で人生めちゃくちゃにされちゃうとか怖すぎるからもう女と一緒に電車に乗りたくない!男性専用車両を作ってくれ!男同士なら混雑した車内で手の甲に図らずとも尻が当たっていようが、急な揺れによろけて身体が密着しようが、顔と顔が接近してMajiでkissする5秒前になろうがなんの問題もないのだ!いや最後はスゴイ嫌だな!でも痴漢に間違われるよりはマシか?いやどっちも嫌だ!どっちが嫌だなんて比べられない!嫌なことは嫌なのだからアッー!
なんて事をわけのわからない事を考えたが、それを今この場で言ってもまた「言い訳無用!」と言い返されそうなので黙っていると、桐咲有華が話を続ける。ずっと桐咲有華のターン!
「今さら謝っても遅いわよ?あなたの卒業式での行いは非難されるような事しかないのだから!あーようやく言えたわ!あの場で怒ると進行の妨げになるから言いたくても言えなかったのよ!」
ここまで言われてしまうとどんなに言い訳を重ねようが挽回する事は出来なさそうだな。別に謝る気もないが。
それにしても桐咲有華はこれまでのイメージからは想像もつかない様子で怒りを発散して、それこそ卍解でもしたんじゃないかと思う様な豹変っぷりだ。
そして一気に捲し立てたことで乱れた呼吸を整え終えると、一度咳払いをして桐咲有華は続けた。
「そしてこう思ったのよ。あなたを生徒会役員にしようって」
「いきなりその発想はおかしいだろ!こんなダメな奴を生徒の代表にしてどうするつもりだ?」
ようやく落ち着いたと思ったら今度は超理論を展開し始めたのですぐさま反論したが、自分で自分の事をダメって言うのは事実であったとしてもちょっと悲しい。
「本当ならあなたみたいな人を同じ野老沢高校の生徒と認めたくないですし、出来るなら退学でもして欲しい所なのだけど、卒業式の態度が悪い程度では十分な理由にはならない。それに元々我が校はよっぽどの事情でない限り退学者を出さない方針があるからそう簡単にもいかないのよ。だから私が直々に、あなたを更生してあげることにしたの!」
「その話はさっきも聞いたが……」
「わかるまで何度でも言うわ!イイかしら?あなたは学校の評価は何で決まると思う?偏差値?部活動の強さ?風紀の良さ?もちろんそれぞれあるでしょうけど、それを表すのは全て私達生徒なのよ!私はこの野老沢高校の生徒である事を誇りに思っているの。もちろん生徒会の仕事も誇りを持って一生懸命やってる。だけどあなたみたいな生徒がいると、それだけで全部台無しになるかもしれないのよ!私のように完璧に優秀な生徒がいても、同じ制服を着たあなたが不真面目な態度でいる所を見られたらそれがたとえ偶然であったとしても、それを見た人にとってはあなたが野老高生のイメージになるのよ!外部の人の目の無い所ならまだしも、よりによって卒業式なんて保護者の方や教育委員会の方が集まる場所であの失態……恥以外の何物でもないわ!どうしてくれるのよ!」
「…………」
何を言われようと生徒会に入る気は無いので何か言い返したいのだが、今言われたことには反論の余地が無く、返す言葉が無い。
「でも過ぎた事をいくら言っても仕方がないことはわかっているわ。だからこれからは二度と同じようなことがないように、あなたをどこに出しても、誰に見られても恥かしくない模範的野老高生に仕立て上げてあげるわ!もう一つちゃんとした理由があるけど今日の話は以上よ!さようなら!」
「え?もう一つってなんだよ?」
勢いよく席を立ち、椅子を元に戻すと、鞄を持ってそのまま部屋を出て行こうとする桐咲有華。その唐突な行動ともう一つの理由という聞き捨てならない台詞に思わず声が出る。
すると部屋を出るまであと一歩というところで桐咲有華は足を止めた。
「……どうした?他にも理由があるなら話してくれよ」
引きとめてはみた物の、これ以上話しても罵られるだけの様な気がする……もうオレのライフはほとんどゼロだが気になる事は聞いておかないと気が済まない。
そして、自身の行いに若干後悔をしつつ言葉を待つと……
「……挨拶」
桐咲有華はこちらを振り返えることなく、ドアの方を向いたまま、ギリギリ聞こえるくらいの小さな声で言った。
「は?」
だがオレにはその言葉の意味する所がわからなかった。
すると桐咲有華はゆっくりとこちらに向き直り、呆れた溜息を吐いた。
「楠木昴くん、改めてあなたは我が校の生徒に相応しくない」
「またそれか?その話はさっき十分過ぎるくらい聞いたよ。オレは生徒会に選ばれたちゃんとした理由を聞いておきたいの!」
「そんな事より、あなたは何よりも大切なことを忘れてしまっている。それはね、野老沢高校の誇り、魂とも呼べるくらいに大切なこと。ここまで言ってわからないのであればいよいよ救えないわ。あなた本当に野老高の生徒なの?その制服、実はどこかで盗んできたものなんじゃない?」
「………………」
紛れもなくオレは野老沢高校の生徒だ。だが、桐咲有華にここまで言われたのにも関わらず一体何の話をしているのかわからなかったオレは、果たして本当に野老高生と呼べるのだろうか?
今着ている制服や鞄に入っている生徒手帳など、オレが野老高生である事を証明する物はいくつも存在するにも関わらず、それを自分でも疑ってしまうほどに桐咲有華は当然のように述べる。故に下手なことを言っては逆効果になると思い何も言わなかった。
「何か言ったらどうなの?あなたって人は本当にどうしようもないわね。でも更生すると決めた以上、このままにしておくわけにはいかないから教えてあげるわ」
桐咲有華はオレの方へ歩み寄り、机に片手をつき、オレを見上げるような体勢で言った。
「挨拶を忘れているでしょう?《挨拶至上主義》、挨拶に始まり挨拶に終わる……野老高生としてもっとも尊重するべきことをあなたは忘れている。黙っていたけど、この部屋で会った時の挨拶も忘れていたのよ?どういうつもりかしら?」
「そんなん知らねーよ!」
ここで会った時の事なんて、それからの思わぬ展開のせいで全部覚えてねえよ。この短時間でどれだけ罵倒されたと思っているんだ。アンタに。
「あなた、自分が犯した罪を忘れたフリをしてなかった事にするつもりなの?最低ね!」
言われて思い出した。コイツ、自分が遅刻してきたクセにオレを不法侵入だとか言いがかりをつけてきたのだった。
「あの時はお前がいきなりイチャモンつけてきたから挨拶どころじゃなかったんだろ?」
「だから言い訳は結構です!それにイチャモンなどではなく不法侵入は事実でしょう?まったく、本当にクズね!あなたなんて楠木じゃなくてクズノキ昴の方がお似合いよ!これ以上付き合っていたらクズが移ってしまうので今日はもう帰ります!いいこと?まだ確定ではありませんがこれからは徒会役員としての自覚を持ち、野老高生として相応しい態度で学校生活をおくる事!言っておくけど、あなたに推薦を辞退する権利は一切ありませんからね!そんな事をしようものなら今日と卒業式の際に私に働いた数々の犯行を暴露します!じゃあ明日の全校朝会で会いましょう!さようなら!」
そう言って今度こそ桐咲有華は部屋を出て行った。
それにしてもなんて一方的な宣言。言わせておけばイイと思いたいところだが、桐咲有華がオレを悪者呼ばわりすれば、その発言の全てが正しい主張として受け止められ、オレはこの学校での立場を完全に失ってしまうだろう。それはさすがにまずい。
それとクズノキって……オレが言われて一番ムカつく事を……。
なんて女だ桐咲有華!表では完全無欠の副会長として測り知れない信頼を得ているが、裏の顔はまさかあんな女だったとは!
桐咲有華がいなくなったことで静けさの戻った部屋で一人、改めてとんでもない奴に目を付けられてしまったと思う。まるで嵐でも通り過ぎたかのように色々な事が連続で起き過ぎて、頭がまだ現実に追いついておらず、ただ黙って奴の出ていったばかりの扉を見つめる。
すると、扉が突然開いた。全く予想していなかった事に驚いてしまう。
扉の向こうにいたのは先ほど帰ったはずの桐咲有華。
何故戻ってきたのかはわからないが、そのまま部屋に入りドアを後ろ手に閉める。
そして、大きく息を吸うと――
「バイバイ!!!」
いきなりこれまでにない大きな声を出した。それは「こんな大きな声も出せるのか」と、驚いてしまうほど、その清楚な見た目には似つかわしくない大声を出した桐咲有華は、両の頬をムスーっと膨らませ、まるで欲しいおもちゃを買ってもらえなかった子供が拗ねているような、放っておけば今にも泣き出しそうな顔をしてこっちを見ている。
その表情は普段の凛とした姿からは想像もつかないほどの幼さと、同時に、思わず頭を撫でてやりたくなるような可愛さを兼ね備えていて、不覚にもドキっとしてしまった。そんな顔したままじっと見つめられると、正直どうすればイイのか困る。ていうかバイバイって……。
あれだけ罵られた事で印象最悪だったとしても、桐咲有華は紛れも無い美少女で、それは間違いなくて、このまま見つめられたら変な気を起こしてしまうかもしれない。
だが、本性を知ったオレには通用しない。させてはならない。
桐咲有華は変わらず、上目遣い気味にオレを見ている。この状況を乗り切る為にはどうすればイイだろうか?
そう考え始めてすぐ、その答えはたった一つしかなく、これまで桐咲有華の意図を何一つ理解できなかったオレでも、さすがに今、彼女が欲するであろう言葉に気付く事が出来た。
それは……
「バイ…バイ…」
たった一言。それだけ。たったそれだけの言葉。
しかし、それを聞いた桐咲有華は納得したように一度、頷くような仕草を見せると、今度こそ部屋を出て行った。
そしてまたしても、生徒会室に一人取り残される。
一体なんだったんだ今のは。この部屋に桐咲有華が来てからというもの、翻弄され続けた上にさっきのトドメである。本格的にワケがわからない。あともう一つの理由ってなんだよ……。
だが考えた所で何がわかるわけでもなければ何かが変わるわけでもない。 いつまでもこの部屋にいても仕方ない事に気付いて教室に戻ろうとして、黙って扉に手を掛けた。
右手が掴んでいるのはさっき桐咲有華が力いっぱい握りしめていたドアノブ。
何かに惹かれたワケではないが、後ろを振り返るとそこには当然、誰もいない生徒会室。
この静けさを見ると先ほどまで騒がしかったのは嘘だったかのように思える。
いや、そうであって欲しいと願っている。
諸々を解決するつもりでこの場所に来たはずなのに、状況は更に面倒な方向に転がってしまった。
溜息と共に扉を閉めて、鞄を置いたままにしている教室へと戻る。
明日からのオレの学校生活はどうなってしまうのだろうか、それを思うと急に疲れが寄せてきて、廊下を進む足取りは来た時よりも重く感じた。
……ていうか、アイツ先に帰ったから鍵閉めてないけどいいのか?人に不法侵入の罪を着せたクセに自分が戸締りを忘れるなんて……意外と間抜けな奴だな。
これまでは何を取っても完璧な優等生というイメージだけで謎の多かった桐咲有華だが、この短い時間だけでそのイメージとは全くかけ離れた姿をいくつも見ることが出来た。
だが、その姿が逆に、桐咲有華という存在を謎の物にしていた。