4、戻ってきた日常~登校~
「ね~え~?これってどういうこと~?」
「んぁ……ふぇ……んなぁ……」
「よくわかんないけど遅くまで勉強してたのかな?エライエライ~」
「んふぉ……んん~?」
「でも、早く起きないとダメだよ~」
「んなゃ~……んぐ?」
頬を何かに突かれたような気がして、目を開けるとそこには母がいた。
「おはようス~くん♪」
「えっ……何してんの?」
「挨拶をしない子は家の子じゃ……」
「あーおはようおはよう!」
朝の挨拶を忘れた事で母の顔が一瞬にして曇りかけたが、慌てて挨拶を返した事で持ち直した。
「で、ここで何してんの?」
「ス~くん全然降りてこないから様子見に来たの~」
「え?今何時?」
「八時すぎ~」
「マジかよやべぇ!」
いつも通りマイペースな母から告げられる衝撃の事実。時計に目をやると、普段なら既に家を出てしばらく経っている時間だ。
「なんでもっと早く起こしてくんないの!」
慌てて飛び起きて、一気に寝巻を脱ぎ、壁に掛けていた制服を手に取り着替える。
「だって~昨日みたいに陽ちゃんが来てくれるのかな~って」
「昨日?陽?」
陽が昨日起こしに来たって?でも昨日遅刻しそうになってたよな?まさかそのせいで?
「それに、遅くまでお勉強してたみたいだからエライなぁ~って思ったんだもん!だから誉めてあげようかな~って」
「そんなんしてるワケねーだろ!」
オレが夜な夜な勉強をしていただと?あるわけがない!と断言してしまうのは一応現役の高校生としてどうなのかと思うが、それが実際あり得ない事であるのは自分が一番知っている。
「でもこれ~勉強してたんじゃないの?」
この母は一体何を言っているのだろうと思い目を向けると、母は《生徒会日誌》と表紙に書かれたノートを手にしていた。
「それ持って行くヤツだから貸して!」
「ス~くん!無理矢理はダメだよ!」
本当ならうるせぇ!何の話だよ!とホントは一喝したり、昨日陽が来たという話をちゃんと確認したい所だが、今はそんな時間すら惜しい。制服に着終えて母から奪い取ったノートを床に置きっぱなしにしていた鞄に突っ込んで慌ただしく部屋を出る。
「え~もう行っちゃうのぉ~?」
「早くしないと遅刻しちまうんだよ!」
「え~早い男はダメだよぉ~」
「うるせぇ!何の話だよ!?もう行くから!」
結局、さっき自重したツッコミをしてしまった。
「え~いってらっしゃ~い」
「いってきます!」
「いってらっしゃ~い」
息子として聞き捨てならない事を連発していたような気がするが、今は棚上げして急いで学校へ向う。
どうやら昨日は日誌を書きながら寝落ちしてしまったらしい。あんなに疲れた状態で横になっていたらそのまま寝てしまうことなんてわかりきったことなのに……それでも横にならずにはいられないほど疲れていたという事だろう。
だが今はそんな過ぎた事を考えている余裕など無いのでとにかくもう必死に走る!遅刻をして全校生徒に恥を晒すわけにはいかない!一昨日までなら遅刻して校門に立たされようとも、ただの遅刻したヤツだとお互いの事を知らない奴らに嘲笑されるだけだったかもしれないが今は状況が違う。全校生徒の前で生徒会役員に任命されたり新入生歓迎ライブに出たりと、色々目立ってしまっているので今遅刻の罰を受ける事になったらもう……恥も恥!
なんとしてもそれだけは避けなければならない!だから走れ!とにかく走れ!携帯で時間を確認している余裕なんてない!下向く暇があったら前を向け!寝ぐせを気にする暇があるなら腕を振れ!というか余計な事を考えてないで足を動かせ!
しかし、学校に近付いているにも関わらず制服を着た人間の姿は見えない。同じ様に遅れる奴が一人や二人いてよいはずだが、誰もいないという事は本当にマズイかもしれない……ってあーもう走れ!一歩でも遠く、一瞬でも早く!チクショウなんだこの坂道!っていつもの坂だろ!だから走れ!だんだん身体が熱くなってきた!でも走れ!脚もだんだん重くなってきた!それでも走れぇえええええ!
家を出た所からずっと走り続けていようやく学校の前の最後の坂まで辿り着いた。だが既に息も上がり、普段の生活で普段全くと言っていいほど酷使していない膝や足首も痛み出す。それでも必死に坂に喰らいつくが、足は踏み込む毎に地面にめり込んでいくようで、進むごとにその重さを増していく。
そうして一歩一歩アスファルトから足を引き剥がすように進み、遂に坂を登り切った。
坂を越えれば校門はもうすぐ。ようやくゴールが近付いてきた所で最後の一走!と行きたい所だが既に体力は限界。視界が徐々に狭くなり、景色の色も失われ灰色一色に見える。これはちょっとヤバいかもしれない。
でも、体力の限界ってなんだ?本当に体力が尽きたらどうなるのだろう?ゲームのように体力の数値があって、それがなくなったら死ぬのか?いや現実にそんな事があってたまるか!大丈夫!死ななきゃ大丈夫!だから動け!動くまで動け!
と、気力だけはまだ尽きてはいないのだが、肝心の体が付いて行かず、思う様に動かない。 もはや走るなんてもっての外。前を向く事もままならず、完全に下を向いた状態でゆっくりと足を動かすことしかできない。もう道端でも構わないのでこのまま倒れてしまいたいくらいに辛い。だがここで止まってしまってはこれまでの全てが無駄になってしまう。
殆ど尽きかけの気力を振り絞り、とにかく必死で足を動かす。すると、下を向いたままで見ていた道路の色が灰色のアスファルトから、ある所を境にクッキリと色が変わる。
その変化に気付いたと同時に、頭に何がぶつかる。いや、オレが頭から何かにぶつかったと言った方が正しいか。
そしていきなり肩を掴まれる。下を向いたままなので定かではないが、オレはどうやら誰かにぶつかってしまい、その誰かがオレの身体を支えてくれているようだ。肩に感じる頼もしさに、誰かが誰かは知らないが思わずそのまま身体を委ねてしまう。
すると、その誰かはオレを仰向けにしながら背中に手を回し、優しく支えてくれている。なんという安心感だろう。
このまま眠ってしまいたいほどだが、今はまだ息をするだけで精一杯で目を開ける体力も無い。
そんな極限の状態の中、聞き慣れた音がした。八時半を告げる学校のチャイムが薄れていく意識の中で聞こえる。
果たしてオレは時間までに校門をくぐる事が出来たのだろうか、確認する体力も残されていない。でもこうして最後に誰かに支えられるような形ではあるが倒れてしまったのだから、間に合っていないかもしれないな。こんなにボロボロになるまで走ってきたのだからなんとか間に合いたかったが……。
でも今こうして誰かの大きな優しさに包まれていると、そんな事はもうどうでもイイかなと、もう結果として遅刻しまっても後悔はしないかもと思えるほどに伝わる優しさは温かい。
出来る事ならいつまでもこうしていたい……そう思ってしまうが、これ以上迷惑をかけ続けるワケにはいかないし、もしも校門をくぐる事が出来ていたらなんとか先生が来るまでに教室にいないと、本当に全てが無駄になってしまう。
優しく抱きかかえられながら何度も大きく呼吸をしたことでようやく落ち着いてきたので、まずはお礼を言わないと……
「あ……あの、すいません。ありがとうございました……」
そう言い終えた所でゆっくりと目を開ける。久しぶりに目を開けた事による眩しさを感じながらゆっくりと……そして徐々に目が慣れてきた所で、遂に支えてくれた人の姿を目にする事が出来た。そしてその正体に驚き、思わず目を見開く。優しいのはあなたでしたか……
「スバル!ここが戦場だったらどうすル!?もしワタシが敵兵だったらどうすル!?即死だゾ!もしくは連行されて捕リョ!」
オレを優しく支えていてくれている逞しい上腕二頭筋。頭をもたげている豊かな胸筋。そしてオレの命を第一に考えてくれる優しさ。それら全てを兼ね備えた人物なんて、オレは一人しか知らない。
そんなの、鋼のALTことマシューしかいないじゃないか。
「兵士の死に場所は戦場以外認めン!こんな所で死ぬなら死んだ方がましダ!」
そんなワケのわからない事を言って、オレを抱きかかえたまま立ち上がるマシュー。しかし、マシューは一体どこの国と戦争をしているのだろうか。
マシューの顔を見たら驚きでそれまで感じていた疲れも吹き飛び、とりあえず自分の置かれている現状を把握しようと周囲を見渡すと、どうやらオレはちょうど校門を通った所でマシューの胸に飛び込んだようだ。そしてマシューは恐らく今日の挨拶の登板で、この時間まで門で待機していたのだろう。
「あの、自分で歩けますから」
抱きかかえられたままでいるのは恥ずかしいので下ろしてもらおうと進言するが、マシューは聞く耳を持たず、オレをいわゆるお姫様抱っこしたまま反転し、そのまま昇降口の方へと進んでいく。
「このまま貴様を戦場に放り出しても犬死にするだけでクソほどの役にも立たン!それなら基地に戻って糞を垂れ流しているだけの方がましダ!ここは上官の命令に従エ!」
ここは戦場じゃなくて学校だし、アンタも上官じゃなくて先生だろうが!と言ってマシューの手から離れたい所だが、マシューに逆らうなんて自殺行為でしかないので、ここは大人しく従うしかなかった。