ライブ当日~歓迎会を終えて~
『以上を持ちまして新入生歓迎会は終了となります。皆さんお気を付けてお帰り下さいね』
歓迎会の終焉を告げる桐咲有華のアナウンスに、この日すでに何度目かもわからない大きな拍手が鳴り響き、桐咲有華が舞台袖に捌けると、新入生達は退場し始める。
その様子をオレは体育館の隅で、肩で息をしながら見つめる。そして何故か着衣も乱れている。一体何が起きたのか、それとも起こしたのか、一切覚えていない。
「おい、お前もちょっとくらい手伝ったらどうだ?」
ボーっとしている所に大島から声を掛けられてハッとする。新入生がゾロゾロと退場する様子を横目に見ていたら、いつの間にか体育館に残っているのはオレと軽音部の三人のみとなっていたようだ。
制服を正し、機材の一つ一つが一体どういう役割をしているのかわからないが、落として壊すなんて間抜けな事をしないようにと注意深く舞台の上で作業をしていたら大島がまた話しかけてきた。
「お前がステージ直前にワケわかんねぇ事言い出した時はどうなるかと思ったぜ!ハハハ!」
「はぁ……」
どうしてボロボロになっているのかは覚えていないが、そうなる前の事は覚えている。今でこそ大島は笑っているが、あの時、オレがステージから逃げ出そうとした時、心の中では相当怒っていたんだろうな。
オレは本気で逃げようとした。今はその記憶が罪悪感として圧し掛かり、返す言葉がない。
でも、聞きたいことはあった。
「あの……軽音部がなくなるってマジですか?」
「あぁ?別にオメェには関係ねーだろ」
「そうです……けど……」
笑っていたので、ライブ直後で機嫌がイイのかと思ったが、この質問をした途端に大島の態度が豹変する。やっぱり聞いちゃいけない事だったのか?あまりの迫力に委縮して思わず口ごもってしまう。
「イイか?お前は俺達の頼みに応えた。それでいいんだよ。余計なことまで気にしてられるほどテメーは偉いのかっての。もう片付け終わるな……よし、オメェはもう帰っていいぞ」
周囲を見渡し片付けの状況を確認すると、そう言ってオレの肩を叩く大島。厳密に言うならば拳で軽く殴るというのが正しいかもしれない。
「じゃあ……お疲れ様でした」
結局はぐらかされてしまったが、これ以上しつこく聞くと次は何をされるかわかったものではないので、軽く挨拶をして言う通りに帰ろうと出口に足を向ける。
「そうだクズノキ」
すると、ステージから降りた所で大島が声を掛けてきた。
「オメェのパンク、良かったぞ」
振り返るとそこには笑顔の大島と、同じように笑顔のモヒカンとツルツルの姿があった。 この人達、怖い顔以外にも表情のバリエーションあったんだな。あまりに失礼過ぎてそんな事本人には口が裂けても言えないが。
「だからそのパンクって何なんですか?誉めてるのか誉めてないのかわからないんですけど。あとクズノキじゃなくて楠木なんですけど……」
彼らの笑顔を見たらそれまでの沈んでいた気持ちが一気に晴れたので、勢いで名前の訂正と共に、昨日からずっと気になっている事を質問してみた。
すると大島は一瞬も悩む素振りを見せずに答えた。
「そんなんどっちでもイイだろ?むしろクズって名前の方がパンクだぜ」
「いや、それどっちの質問の答えにもなってないんですけど……」
だが結局何一つも解決しなかった。直接聞いても教えてくれないならもう諦めよう。
そして大島は右手で拳を作るとそれをオレに向ける。
「まぁ、またなんかあった時は頼むぜ」
「もうカンベンして下さい……」
苦笑い混じりにそう言い返して今度こそ体育館を後にする。今言った言葉に偽りはなく、もう一度いっしょにステージに立つなんて御免こうむりたい。
そして出口に差し掛かったところで背中に声が掛けられた。
「サンキューな!楠木!あと、副会長にも言っとけ!今度テキトーな事言いやがったら許さねーぞこのパンク女!ってな」
振り返ると、手を振る大島の嬉しそうな笑顔が見れた。
テキトーな事?良くわからないが桐咲有華の奴、この怖ろしい軽音部の人達に喧嘩でも売ったのだろうか……なんて命知らずな奴だな。でも笑っているから本心から怒っているワケではなさそうだ。
それにしても、人から礼を言われるのも悪くない。
そんな事を思いながら軽く手を振り返して体育館を出る。
でも結局、パンクって何なんだ……所々誉めてくれているように聞こえた時もあったが最後に桐咲有華に向けられたのは明らかに誉めてはいなかった様に思える。
これは桐咲有華に何を言ったのか聞いて確かめるか……
そして、一人体育館を出た所で……
「楠木昴くん」
いきなりオレを呼ぶ声。目を向けると、そこには体育館の壁に体を預けて立っている桐咲有華。
「もう片付けは済みましたか?」
「先輩達はまだやってる。もう終わるだろうけど。オレは先に帰ってイイって言われた」
「そうですか。生徒会の仕事も既に片付いているので今日は帰って結構ですよ。それと、これ」
その姿を目にとめた瞬間からオレは不機嫌そうな顔を全面に出していたが、こちらに向かって歩いてくる桐咲有華はそれを一切気にする素振りを見せず、いきなり一冊のノート差し出してきた。
「明日はちゃ・ん・と、書いて提出するように。今回は書く事に困ることはないから大丈夫でしょう?」
手にしているのは生徒会日誌と書かれたノート。その口調からして、どうやら中身を見られて今朝適当に書いた事はバレているらしい。だが、怒られないのは意外だった。
「それと、私からのコメントにもちゃんと目を通して下さいね」
でもコイツの事だ、余計な事を言えばいきなりスイッチが入って態度が豹変するかもわからない。ここは刺激を与えない様に黙って受け取ろう。
「それではまた明日」
「あぁ」
再び歩き出した背中に掛けられた言葉に、生徒会日誌を持ったままの手を上げて応える。
そして、数歩歩いた所でふと思い出した。
「大島先輩から伝言なんだが、今度適当な事言ったら許さないってお前、何言ったんだ?」
「適当な事ですか?そんな事を言った記憶は……」
振り向いて尋ねると、桐咲有華は何の話かわかっていない様子。そして腕を組んで考える様な仕草を見せると、やがて思い当たる事があったのか、右手の人差し指を立てて言った。
「あぁ、きっとあの事ですね。軽音部が廃部になるという……」
「そう言えば昨日、出囃子はいらないって言われてたもんな。それをお前が勝手に言ったから……でもその効果で盛り上がったってのもあると思うけどな」
それなら文句を言われる筋合いはなさそうにも思える。それに、あの話が無ければオレは半ば強制的だったけれどもステージに立つことなく、体育館を後にしていただろう。
「いいえ。たぶんそうではないと思います」
だが、桐咲有華が思い当たったのは別の事らしい。
「え?じゃあ何の事だ?」
「きっと先輩が言われたのは廃部に関する事だと思います」
結局、大島はこの件について話してくれなかったので詳細はわからないままだった。
でもコイツの話を聞けば何かわかるかもしれない……オレは言葉の続きを待つ。
すると、桐咲有華は満面の笑みを作って言った。
「軽音部は廃部になりませんよ」
「……へぇ?」
あまりにも唐突に、予想外の言葉が返ってきて思わず変な声が出てしまう。
「あくまでも今すぐには、ですけどね」
「でもお前、あの時このままだと廃部って……」
「そうですよ。現在軽音部の部員は三年生が四名のみ。このまま先輩達が卒業すれば部員がいなくなって廃部です」
「それって……今すぐ廃部になるってことじゃないって事か?」
「その通りですよ。今さっきそう言いましたよね?聞いていなかったのですか?」
桐咲有華は表情を一ミリも崩すことなく言うが、大してオレはまさに開いた口が塞がらない状態だ。
オレは軽音部が今日のステージで新入生にいい所を見せて、部員を獲得しないと廃部になるのかと思っていたのだが……そんな事はなかったって事なのか?
「お前……よくも騙してくれたな……」
そう思うと怒りが一気に込み上げてくる。
「騙していませんよ。あなたが勝手に勘違いしただけでしょう?それに私は言ったでしょう?魔法を掛けるって。ああやって言えばあなたもステージに立つ気になるかと思いまして……ほら、結果は大成功でしょう?」
変わらずに笑顔で言う桐咲有華。しかし、騙してはいないけど騙す気は満点だったと平然と言ってのけるとは……なんて怖ろしい女なんだ。
「いや、なんかオレだけ損したみたいじゃねぇか!別にオレがステージに立たなくたって……」
「そうかもしれませんね。でも、先輩達の前で同じ事が言えますか?」
「…………」
反論しようとした所を食い気味に返されて何も言えなくなる。確かに、最後の大島達の笑顔とお礼の言葉を思い出すと……損をしたとは……
「ほら、良かったですね。ではまた明日」
オレが返す言葉を失っていると、それを見た桐咲有華は一方的に話を終わらせる。そう言った顔は、何度か目にしたあのいやらしい笑みだ。
「……チッ、覚えてろよ!」
悔しいので何か言い返してやりたい所だが、これ以上コイツと言い合っても体力を消耗するだけだと思ったので舌打ち混じりに行って歩き去る。
……しかし覚えてろって……完全に負け犬のセリフだよな……大島に聞かれたら全然パンクじゃねぇって言われそうだ……。
時刻は夜10時。場所は部屋。飯も風呂も済ませ、後は寝るだけ。格好は中学時代に着潰した学校指定のエメラルドグリーンのジャージで、ベッドに力なく身を委ねている。
昨日は生徒会役員を決める全校集会に始まり、放課後には生徒会の活動として軽音部の手伝いを強いられ、今日は大勢の新入生を前にしてのライブ。 高校に入学して以来、こんなに疲れた事はなかったと言って差し支えないだろう。疲労困憊である。慣れない事をするというのは思ったよりも体力を使うことなのだとこの身を以って痛感する。
しかも、今日の出来事なんて言うのはただの慣れない事だなんて範疇を明らかに超えている。
一体何がどうなったら楽器や歌の素人のであるオレがステージに立って歌わなければならなくなるのだろう?
考える必要はなく、その答えは明白で、この疲労と体験の元凶の名はもはや口にするだけでなく、頭に浮かべるだけでもおぞましい。
だが否応にも思い出してしまい、ついでにその元凶から帰り際にある物を手渡された事も思い出した。
ベッドに横になったままその辺に放置したままにしていた鞄に手を伸ばし、その中を漁る。
手にしたのは生徒会日誌と書かれたノート。そういえばちゃんと読めとも言っていたような。
さして興味もなければ、言われた事を忠実に守ろうとするワケでもないが、折角思い出して手に取ったのだから目を通しておくか……と思い表紙をめくる。その一ページ目にはこのノートの使い方なるものが書いてあった。ノートの使い道なんてノートでしかないだろう、このページは読まずにめくる。
すると、次の見開きページの左側に大きく書かれた解読難関な文字が目に入る。……自分で書いておいてなんだが、パッと見ただけでは何と書いてあるかわからない。確か《振り回された》と書いたんだっけ?
そしてその右のページに目をやれば、左のページに書かれているのとは対照的な、達筆と言って差し支えはないだろうが、ただそう呼ぶにはどこか丸みのある、一言で表すと綺麗な字が何行にも渡って書き連ねてある。これを書いた人はきっと素敵な人に違いないと安易に想像させてくれるような素敵な字ではあるが、その書き手の正体を知っている手前、素直に褒めたくないと思う自分がいる。
だが字に罪は無いと自分に言い聞かせ、仕方なく読み始める……
『昨日の生徒会業務お疲れ様でした。ですが、これは一体なんて書いてあるのかしら?見難いを通り越してこれはもう醜いという言葉が相応しいわね。よっぽど下衆な人間が書いたに違いないわ。』
……この時点で少しでも読んだ事を後悔しノートを閉じた。たとえ字が美しかったとしても、その内容はたった数文字で読むのを止めてしまいたくなるようなものだった。
だが中途半端に読んだ事でその続きが無性に気になってしまい、一度深呼吸をしてから再びノートを開いてその続きを恐る恐る読み進める……
『そんな下衆の極み・楠木昴くんの……すいません。間違えました。クズノキ昴くんの記念すべき初の日誌ですが、』
誰が書いたか知っていてここまで言ってのける辺りは逆に凄いと思うよ。ていうか間違えてねーし。わざわざ謝られたことで逆にムカつくわ。
『独自の方法で解読した所、これは今後生徒会活動に従事するにあたっての決意という事で間違いないかしら?』
一応確認の体を取っているが、リアルタイムでやり取りするものじゃないから否定しても仕方ないだろうが。つーか独自の方法って、要するに全部お前次第ってことじゃないか?
『随分大きな事を言ってくれるわね。これは本当に私に向けて言っているのかしら?この私、桐咲有華に。本気でそうなら少し腹立たしいけれども……面白いじゃない。』
いや、オレとしては昨日お前を含む色んな奴らに振り回されまくったって事を一言で書いただけなんだが……腹を立てるのはわかるが面白がることは無いと思うぞ?
『でも今日のあなたの様子を見る限り、誇大妄想を謳っているわけでもなさそうね。なかなか素敵だったわよ。』
今日の様子ってのは歓迎会でのステージの事か。一体オレは何をしでかしたのだろう?ステージ上での事は今でも思い出せない。
『ということで楠木昴くん。いえ、間違えましたクズノキ昴くん。改めて生徒会役員としての活躍、期待しています。それとあなた個人にも色々と期待をしておくわね。一応。』
謝ってまで訂正しなくてイイよ。そもそも間違えてないし。
『それでは、共に我らが野老沢高校をより良くしていきましょう。改めて宜しくお願い致します。』
桐咲有華……お前は一体何者なんだ?品行方正、頭脳明晰、容姿端麗。誰にでも優しい完璧超人で生徒会副会長……一昨日までの印象はこれまで聞いた事のあった、皆が一様に思っているのと同様のイメージを持っていたが、昨日今日でオレが実際生徒会室で目にした姿や、この生徒会日誌の中の桐咲有華はそんな神々しい様子は微塵もない、どこまでも自分勝手でわがまま、自分が全ての人の上に立つ事を当然と思っているような、天上天下唯我独尊という言葉に命が宿ったらこうなるのだろうと安易に想起する事が出来るような女……
『最後に一つ。明日提出する日誌には今日の活動の中で感じた事を書くように。どんな事でも構いませんから。と言っても、私にはあなたがどんな事を書くかわかっていますけどね。とにかく、必ず書いて提出するように。それではまた明日。』
最後まで読み終えて、よりそんな印象が強まった。加えて遂に予言者みたいな事まで言い出しやがって、本気で神様気取りか?他人からそう思われるのはまだしも、自分で自分の事をそう思ってしまうのは結構痛いぞ?
しかし、本当にオレが何を書くかわかるのだろうか?
初めは読む気すらなかったのだが、こんな事を言われると桐咲有華の思惑とは違った事を書いて一泡吹かせてやりたくなってきた。軽音部の廃部の事で一泡吹かされているしな。
もう一度ベッドの上から鞄に手を伸ばし、鞄の中からペンケースを取り出してうつ伏せのままノートと向き合う。
さすがの桐咲有華も本当にオレが書く事を予測出来ているワケではないのだろう。恐らく大げさな事を言ってオレが余計に考えを巡らせ、本当なら書きもしないような事を書く様に誘導しようとしているに違いない。それと同時に、オレが素直に自分の言う事を聞くとも思っていないはずだ。ここまでヤツにはずっと反発してきた。
だからここは敢えて、桐咲有華の言う通りに思った事を正直に書いてやろう。今日の出来事を思い出して、その中で思った事を正直に書いてやる。
一日の終わりにその日の出来事を振り返る。そんな心が整った人しかしなさそうな事をするのは生まれて初めてだ。小学校の時に夏休みの宿題として出された日記だって、最終日に親にいつどこで何をしたか、色々確認しながら書いていたからな。でもその日の天気までは思い出せなくて、古新聞の天気予報の所だけを必死に集めたりしてたっけ。
それはともかくとして、こんな風に一日の最後の最後にまで慣れない事をするなんて、オレでも予想していなかった事を桐咲有華が予想出来るはずがないだろう。
アイツの思い通りの事なんて書いて堪るか……絶対に一泡吹かせてやる。
そんな事を考えながら、今日一日の事を振り返ってみる……
ご覧いただきありがとございました。まだ続きます!