ライブ当日~歓迎会~
そして、朝の乱闘騒ぎのことなど無かったかのように昨日の放課後の事を聞きたがるバーバリアンの相手をするぐらいで特に普段と変わらない日中を過ごすと、放課後はすぐにやってきた。
一つ大きく違ったことは、軽音部と一緒に新入生歓迎ライブのステージに立つ事を話したらひたすらその事だけを茶化され続けた事だ。どうやらオレが知らなかっただけで、軽音部がヤバい奴らの集まりって事は校内では有名らしい。そんな奴らとオレが一緒にいるってだけで笑えるらしく、今日のステージを何としても観たいと言っていたが、幸い新入生以外はステージに関わる生徒しか体育館に入れないらしいので今後この事でいじられることは無いだろう。
帰りのHRを終えると別れの挨拶も早々に、とりあえず桐咲有華に言われた通り軽音部の部室に向かう。当然その足取りは重い。
部室のある階に着くと、明らかに軽音部が発生させているであろう騒音が聞こえる。階段の踊り場から三つ離れた部屋であるにも関わらず、普通に音が漏れているとは一体どれほどの爆音なんだ。昨日はその騒音の真っただ中に自分がいたと思う耳が心配になる。
両手で耳を塞ぎながら近づき、騒音が止まった隙を狙って扉を開く。
「きやがったか!さっさと準備しろ!行くぜ!」
部屋に入ってきたオレの姿を見るやいなや、いきなり演奏を始める大島……一応センパイ。
「なんで今から演奏するんですか!もう集まる時間ですから体育館に移動しないと遅刻しますよ!」
「集合時間なんて遅れる為にあるんだよ!時間を気にするなんてパンクじゃねぇ!」
「遅刻したらステージに立てませんよ!」
「チッ!ステージに穴を開けるのはバンドマンの風上にも置けねぇ行為だ。お前ら、行くぞ!」
鳴り出した楽器の音に対抗するように大声で言い合うと、ようやく演奏を止めてツンツンとツルツルに機材を運ぶように指示を出している。
遅れて当然とか言い放った直後にバックレは許さないとか、やっぱりこの人の行動原理はわからない。昨日のパンクかどうかだけではなく、今しがた口にしていた「バンドマンとして」みたいな価値基準が加わって余計にワケがわからなくなってしまった。
ともあれ、まずはこの問題児達を体育館に連れ出す事には成功した。あとはステージで校歌を演奏すれば終了……だがそれが一番の問題だ。さっきの騒音のせいで改めて客観的に軽音部のメンツを見ると彼等と同じステージに立つ想像が余計に出来なくなってしまった。
「おい、さっさと行くぞ」
改めて直面した現実に途方に暮れそうになっていたが、大島の声で我に帰る。
ここにいても仕方が無いのでとりあえず体育館に行くしかない。だがその足取りは人生最大に重い。
軽音部の後に付いて歩き、会場である体育館に到着。出演者用の入口が用意されているワケではないので新入生と同じ扉から入ると、大島達の姿を見た新入生達の表情は明らかに怯えている。そりゃ同じ高校にこんなツンツンとツルツルがいるとは露とも思っていなかっただろう。
いや待てよ。一緒にいることでオレもこいつらの仲間だと思われているのだろうか……あぁ、この人達に関わってからロクな事が無い。
人混みの中に不自然な形で出現したスペースを抜けて、演者の待機場所へ向かう。
そこに既に集まっているのは大きな楽器を抱えた吹奏楽部と、制服とは違った揃いの衣装を着ている合唱部。そして見るからに高そうな楽器を持った弦楽部と言ったところか。
意外とステージを披露する部活は少ないんだなと思ったが、この新入生歓迎会自体も一年生全員の出席が義務付けられているワケではなく、運動部に入部希望をしている生徒はそれぞれ好きな部活の練習を見学に行ったりしているので、その名前よりも部活動紹介の側面が強いのだと、そういえば桐咲有華が言っていた様な気がする。どうりで去年歓迎会に出席した記憶が無いわけである。
そんな事を考えていると突然体育館の照明が落ち、視界が真っ暗になると同時に驚き混じりの歓声が上がる。どうやら歓迎会が始まるようだ。
スポットライトがカーテンで閉ざされたステージの中央一点を照らす。すると、そこにいたのは桐咲有華だった。
会場がその存在に気付くと、ステージ前に集まっていたそこそこの数の新入生達は割れんばかりの拍手と、悲鳴に似たような歓声を上げる。どうやら桐咲有華の存在はまだ入学して数日しか経っていない一年生にも知れた所の様で、早くも大人気のようだ。
それにしてもこの盛り上がり、まるで本物の芸能人でも現れたかのようだ。拍手に混じって「アリカ様ー!」なんて彼女の名前を叫ぶ声も聞こえる事。それが一つや二つではない所を聞くと、どうやら新入生の中にはステージではなく、桐咲有華を目当てでここに集まっている奴も多いのいかもしれない。たった四部活(軽音楽部を同列に並べて良いものか疑問である)の入部希望者にしてはやたらと数が多いなとは思ったが。
そして、ライトに照らされた桐咲有華が深くお辞儀をすると、拍手と歓声が一斉に止む。皆、ヤツの一声を待ちわびているのだろう。
『新入生の皆様、改めましてご入学おめでとうございます。私、本日の進行役を務めさせていただきます桐咲有華と申します。よろしくお願い致します』
そう話し、再びお辞儀をした所でまた大きな拍手。だが桐咲有華が顔を上げればすぐに止める。新入生達は早くも手なずけられているようだ。
『皆様にはこれから各部による演奏を楽しんで頂きます。曲目はすべて我が校の校歌ですが、それぞれの部に個性があるので聴き比べるのも楽しいですし、繰り返し聴く事で早く校歌に慣れ親しんで頂ければと思います。それでは早速聞いて頂きましょう。吹奏楽部の皆様、お願い致します』
そう言って舞台袖へ捌ける桐咲有華に三度目の拍手。まだどの部の演奏も始まっていないのにも関わらず、すでに会場のテンションは最高潮の様だ。
吹奏学部は桐咲有華が話している最中に準備を進めていたようで、閉じていたカーテンが開くとステージ上には楽器を持った部員がズラッと並んでいた。
そして拍手の中、一人遅れて舞台袖から現れた指揮者がステージの中央へと向かっていく。一礼すると一段高くなった足場に立ち、勢いよく腕を振り上げるとそれを合図に演奏が始まる。
音楽の事はよくわからないが、指揮をする生徒の堂々とした立ち振る舞いや、幾重にも重ねなれた音の旋律は観る分にも聴く分にも迫力があるように感じる。
この立派な演奏と並んで軽音部は演奏するのか……ただ暴力的に楽器を鳴らすだけのステージを見たら、新入生達はどんな反応をするだろうか……と、どこか他人事の様な事を思ったが、直ぐにオレもその一員としてステージに立たねばならない。
大勢の人の前に立つ。それはつい先日、信任投票の演説の際に望まずとも経験したばかりだが、あの時は何よりも怒りの感情が先に立っていたので緊張だとか余計な事を考える事はなかった。
だが今日は違う。ここに集まった新入生には桐咲有華を目当てにして来ている奴も多いだろうが、純粋にステージを楽しみにしている生徒もいる。それ以前に、暗闇の中そこにだけ光が集められたステージがあれば興味の有無に関わらず人の目は注がれるだろう。そこで演奏なんか始めた時には、全ての耳目が関心を持ってステージに向くはずだ。
昨日、無理矢理練習に連れ出されてから大島のわけのわからない罵倒に反抗するように練習は重ねた。だがたった一日。それも放課後のみという短い時間。
今演奏している吹奏楽部は日ごろからかなりの練習を積んでいるはず。彼らが皆堂々としているように見えるのは、その積み重ねに裏付けされた自信があるからだろう。
かたやオレには積み重ねてきた物など何も無い。たった数時間練習しただけで誰もが堂々とステージに立てるようになるなら、きっと世界は沢山の自称音楽家で満ち溢れているだろう。その実力に関係なく。
もし客観的にオレを見て評価してくれる人がいたならば、それを自信や参考にする事が出来たかもしれないが、大島にどれだけパンクだ!と誉められてもそれは自信にはならない。
ステージを見ていたら良くない想像だけが脳内に広がり、不安が更に大きくなってしまった。
やがて吹奏楽部の演奏は終わり、大きな拍手が体育館を満たす。指揮者が拍手の返礼とばかりに大げさなお辞儀をすると、その音はなお一層強まる。 それを全身で受け恍惚の表情をした指揮者と、皆一様に達成感に満ちたような顔をした奏者達がステージを降りていく。そこで大事な事に気が付いた。
「大島……センパイ。軽音部の演奏順はいつですか?」
「三番目だ。敢えての三番目。先におもっくそブチかましてトリを喰う。パンクだろ?」
そう言ってのけた大島の表情からは一切の緊張を感じない。それどころか早くステージに立ちたくて仕方ないといったように見える。
「そうですか……」
彼にとってステージに立つ事、それは当然の事であり喜びであるようだが、オレにとっては出番を待っている事だけでもすでに抱えきれないほどのプレッシャーであり、加えて大島の気迫がそれに拍車を掛ける。ただでさえ自信が無いのだ。そこに更なる重圧が掛かってもはや身動きが取れない。
『吹奏学部の皆様、素敵な演奏ありがとうございました』
放っておけばこのままどこまでも沈んでいきそうなテンションだったが、 再びカーテンの閉ざされたステージ上に登場した桐咲有華への歓声にハッとして一旦踏み止まる。
『続いては弦楽部のステージです。それでは準備をお願い致します』
それだけ告げて桐咲有華はステージ袖に消えて行った。そう、オレが何を思っていようがステージは続く。
カーテンが開くと室内楽部は早くもステージ上に整列している。
こいつらのステージが終われば、後は軽音部と合唱部を残すのみ。もうすぐじゃないか……もはや嘆く時間すらも与えないつもりか?このままじゃ大勢の前で恥を晒す事になってしまう……どうすれば、どうすればこの危機を切り抜ける事が出来る?
どうする?どうするどうするどうする……
現状を打開する方法は無いかと、必死になって頭を回転させる。すると、思いつくよりも先にある事に気付いてしまった。
どうして?
そうだ。どうしてオレはこんなプレッシャーに晒されている?どうしてステージに立たなくてはならない?どうして軽音部の手伝いをする事になった?どうして自分に都合の悪い事ばかり、どうしてオレにはこう不幸な出来事が続く?どうして……?
結局、《どうすれば?》という問いに関する答えはいくら考えても思いつかない。だが新たに生まれた《どうして?》という問題に関しては考えるまでもなく、答えは疑問の数だけ即座に出てくる。そして、その答えの全てに共通している事が一つある。
誰かだ。誰かがオレに迷惑を掛けている。
どうして誰かのせいでオレが困らなければならない?そう思うと今度は怒りが込み上げてくる。一番悪いのは……誰だ?
『弦楽部の演奏を聴いて頂きました。弦楽部の皆様ありがとうございました』
新たに一つ疑問が浮かんだ所で、またしても思考を桐咲有華の声が切り裂く。てかもう減額部終わったの?ウソだろ?
だがステージを見れば閉じ始めているカーテンの隙間から舞台袖に移動している弦楽部の姿が確認出来たので、桐咲有華が嘘を吐いていたワケではないようだ。ということは……
『続いては軽音楽部のステージです。準備をお願いします』
遂に来てしまった。出番だ。
「おい、いくぞ」
力なく立ちつくしていたら大島に腕を取られた。モヒカンとツルツルの姿が見えない、先に舞台に移動して準備を始めているのだろうか。
そのまま大島にステージ袖まで引っ張られ、客席からは完全に見えないところまで来た所でステージの設営を終えたモヒカンとツルツルが合流し、大島はオレから手を放すと自然と円陣を組む様な形になる。
「ヨッシャ!いいかお前ら、やることは一つだ。俺達のパンクを見せつけるぞ」
大島が言うと、見た目の時点で既に相当パンクな二人は無言で頷き、再びステージへと戻った。でもオレは、返事をするどころか頷く事も出来ない。
「お前も頼むぜ。そうだ、今更だけど名前を聞いてなかったな。なんてーんだ?」
「楠木……」
茫然としていた所に声を掛けられ、聞かれたので答えた。
「あぁ?クズノキか?」
小さな声で答えた為か、大島にはキチンと聞こえていなかったらしい。だが聞き間違いにしてもクズは酷いだろ。
だが、それをわざわざ訂正する気力はない。
「よしクズ、頼んだぜ!」
「…………いやだ」
そして、これ以上人の言う事を聞いてやるつもりもない。
「あ?」
その言葉に大島は凄い速さで不機嫌な声を出した。
だがそんな事はもう関係ない。
「とにかくいやだ」
「ワケわかんねーこと言ってんな。先に行ってるぞ」
そう言って大島は一人、ステージに向かった。
「…………」
その背中を黙って見つめる。昨日からワケのわからねーことを言っているのはそっちだろ?とは言えなかった。
でも、イヤな物はイヤだ。
どうしてオレが人の為にイヤな思いをしなければならない?生徒会のメンバーだから?それが仕事だから?知るかそんな事。
そもそも生徒会だって入りたくて入ったワケじゃない。勝手に決められて、脅されて……そこにオレの意志なんて皆無じゃないか。
従わなければ死ぬ。本当にそうなってしまうなら無理してやらない事は無い。だがやりたくない、したことないことをさせられている最中に死んだらどうだろうか?オレはイヤだね、そんな事認められるかよ。
そんな思いを込めて大島の背中を見る。
すると、そんなオレの視線に気付いたのか、大島はステージに向かっていた足を止めて振り返る。
「別にお前が何を考えているかどうかなんて知らねぇ。でもな、何が何でもステージに穴を開ける事だけはしねぇ」
それだけ言って大島は振り返り、ステージに向かった。
大島の目は、どう見ても怒っていた。絶対殴られると思った。この土壇場でオレは本来するべき手助けをするどころか大きな迷惑を掛けているのに。でもそうならなかった。
まだカーテンの開いていないステージに立つ大島はギターを抱えてアンプのスイッチを入れると、チューニングを確かめるように弦を軽く弾く。するとその音に反応したのか、新入生達から歓声が上がる。体育館に入ってきた時は明らかにビビられていたが、ここまでステージに立ったのは吹奏楽部に弦楽部、どちらも静かに聴くタイプのステージだったので桐咲有華の登場で一気に盛り上がった所に都度水を指された形になり、ヤツ目当てでここに来ている生徒からすると退屈で、軽音部のステージでようやく騒げる時が来たとウズウズしているのかもしれない。
でも、いざ幕が開いたステージの中央に立っているのがマイクスタンドだけで、そこにいるはずのボーカルが不在なんて事になったらどうなるだろうか……きっと戸惑うだろうな。
だが決めた。オレは歌わない。
別にオレがステージに立つ必要はないだろう。昨日一度だけだが大島がギターを弾きながら歌っていたのを見ているので三人だけでも演奏は成り立つのを知っている。なんとかなるだろう。
ならばどうして、どうして大島は自分でも歌えるのにわざわざ変わりのボーカルを立てる事にしたのだろうか。
そんな疑問が浮かんだが今更確認する方法も無いし、しても仕方がないのでさっさとこの場所からいなくなろうとステージに背を向けて歩き出す。
だが、その背中に誰かの声が掛けられた
「あら?どこにいくのかしら?ステージはそっちじゃないわよ?」
この場に自分以外の誰もいないと思っていたので驚いて振り向く。
すると、そこにいたのは手を後ろに組んで立っている桐咲有華だった。一体いつからここにいたのだろうか。
そして目が合うと、こちらに一歩一歩近付きながら話を続ける。
「まぁ人前に立つのに慣れていないから緊張するでしょうね。私はさっきから歓声を浴びてすごく気分がイイけれど」
ステージ袖は暗いのでその表情はハッキリ見えないが、きっと生徒会室で見せた様な「らしくない」表情をしているに違いない。もはやオレからすればこっちが本来の桐咲有華の姿だが。
まぁ今更コイツに何を言われようが関係ない。そのまま立ち去ってしまおうと、出口に向き直して歩みを進める。
だが、桐咲有華は話すのを止めない。
「緊張して声も出ない?情けない人……仕方ないわね、私が今から堂々とステージに立てるように魔法を掛けてあげましょう」
どうやら桐咲有華はオレがステージから逃げ出そうとしているのではく、緊張のあまり我を失い、フラフラと辺りを歩き回っているように見えているようだ。だが、もしそうだったとしてもステージに堂々と立てるようになる魔法だって?一体何を言っているんだ?そんなものあるワケが無い。だがその「魔法」という言葉に後ろ髪を引かれて思わず振り向いてしまう。
すると、いつの間にかオレのすぐ背後にまで、目と鼻の先にまで忍び寄っていた桐咲有華。その整った顔を更に寄せると、今度は唇をオレの耳元に当てる。
「よーく聞いてね……こんなサービス、滅多にしないんだから」
「!!!」
耳に吐息が触れる。あまりに突然の出来事に驚き、身体が動かない。もしかするとオレは、すでに桐咲有華の言う「魔法」に囚われているのかもしれない。
そしてそのまま、桐咲有華はゆっくりと息を吸うと……
『これから演奏をします軽音楽部の部員は現在、三年生四名のみ。去年在籍されていた先輩方の多くが卒業された為、新入部員が入らなければ部の存続が出来なくなります』
耳元でいきなりとんでもない事を言い出した。このままだと軽音部がなくなる……?
『しかし、そんな状況にあっても部長であるギターの大島先輩は言いました。「バンドってのはやりたいヤツが集まって好きにやるもの。だからわざわざ人を集めるなんて考えはない。脅したりでもして無理矢理人を集める事は出来るかもしれないが、強要するのはパンクじゃない」と』
大島なら昨日オレにしたように、脅してでも入部届けに名前を書かせたりしそうだが……それがあの人の中でパンクじゃないって言うならそんな事は絶対にしないのだろうな。
『また、彼はどんな結果になろうともその最後の時まで、自分達のパンクを貫くだけだとも言いました。その想いを胸に、今日のステージに臨みます』
そんなこと昨日は一言も言っていなかったぞ?
『しかし、こんな大事な時であるにも関わらずボーカルの吉井先輩は風邪をこじらせドクターストップというアクシデント見舞われてしまいました。それでも、用意されたステージに穴を開けるワケにはいかないと、ボーカル不在のまま本日のステージに三人で望みます』
おいおい、そんな大事なステージのボーカルをオレに任せようとしたのか?というかそんな大事な事なら先に言って欲しい。でも、言われた所で今まさに逃げ出そうとしているオレではどうせ力にはなれなかっただろうがな。
『ですが、それを聞いて黙ってはいられないと言う人がいました。曰く「オレがヤツらのパンクを殺させない」と』
「なんだよ!そんなヤツがいたなら先に言ってくれよ!別にオレがやらされる必要なかったじゃん!てかなんだよその台詞!そんなパンクな事言うヤツは一体どこのどいつだよ!って、パンクって結局何なんだよ!」
ここまで黙って聞いていたが、ツッコまざるを得ないことを言い出したので思わず大きな声が出る。
だが桐咲有華はすぐには答えず、一度間を置く様に息をする。その吐息がまたしても耳に触れて、なんだかこっちが恥ずかしい気持ちになる。でもそれ以上に、今はさっきの言葉の主が誰なのかが気になって仕方がない。
そして、桐咲有華は遂にその正体が告げられる。
『そう言ったのは昨日就任したばかりの新生徒会役員、楠木昴!吉井先輩の魂を胸に、今このステージに立ちます。この二度とない瞬間を目撃して下さい。Please welcome,野老沢高校軽音部withスバル クスノキ!』
「…………え?」
おいおいちょっと待とう。今何言ったよこいつ。
ここは一度、桐咲有華が言った事を整理しようではないか。
最初に奴が言ったのは軽音部の存続問題。部の存続が掛かっているなんて、大島は昨日そんなことは一度も言っていなかった。それに昨日一日、わずかな時間しか一緒にいなかったが、大島達から部がなくなってしまう事への悲壮感や焦燥感のような物は一切感じなかった。もしかしたらこれが最後のステージになるかもしれないなんてことも聞いていない。
そして、二つ目に言った事に関してだが……
「パンクを殺させないってなんだよ!?一体誰のセリフだよ!?オレって誰だよ!?オレか!?そんな事言ってねぇよ!」
軽く突き離す様にしながら桐咲有華から離れ、すかさず否定する。オレはそんなこと一言も口にしていないし、自ら進んで軽音部に協力を申し出た事実も無い!
激昂するオレに対して、桐咲有華はとんでもない事を次々に言い放って気分が良いのか、一仕事終えましたと言わんばかりの表情で、堂々と高校生にしてはそこそこ立派な部類に入りそうな胸を張って仁王立ちしている。
軽音部存続の真偽は定かではないが、いくらオレに発破を掛ける為とは言え、よくもこんな適当な嘘をツラツラと述べる事が出来るんだこの女は。
怖ろしい物を見るような目で桐咲有華を睨む。すると、そこでオレは見つけてしまった。桐咲有華という存在以上に怖ろしい物がその手に握られているのを。
「お前が持ってるそれ……嘘だろ?」
それは明らかに存在しているので嘘も何もないのだが、嘘だと思いたいが為に思わず意味の無い質問をしてしまった。
桐咲有華がその左手に握っている物。それは奴がステージの合間の部活紹介で使っていたマイクだ。こんな事言いたくはないが、桐咲有華が体を密着させて話すもんだからその……ドキドキしてしまって、全くマイクを持っていた事に気付かなかった。
最悪の事態が起こってしまったかもしれない。だがその事実を受け入れたくないオレは桐咲有華に尋ねる。
桐咲有華は何も言わず、いやらしい笑みを顔に張り付けたままでいる。だが、その答えは思わぬ形でもたらされた。
体育館に響く大音量の拍手と歓声。この盛り上がり様、もしかすると桐咲有華が登場した時と同じ程か、それ以上の歓声が体育館に響いている。
どうやら想定しうる最悪の事態が起こってしまったようだ。さっきオレに密着した状態で桐咲有華が話した事、それがマイクを通して体育館中に流れていたのだ。
「あんな適当な事言いやがって!どうすんだよこれ!」
オレとしてはもう、こんな事になってしまった原因である桐咲有華に抗議するしかない。
「別に何も問題は無いでしょう?予定通りあなたが軽音部と一緒にステージに立つだけ。どうして怒られなくちゃいけないのかしら?寧ろ盛り上げてあげたのに」
だが桐咲有華は全く聞く耳を持たず、自分が間違った事をしたなど露とも思っていないようだ。
「そりゃそうかもしれんが……嘘はダメだろ嘘は!」
確かに、桐咲有華の言っていることはもっともだとも思う。だがオレのステージに立ちたくないという気持ちは変わらない。それにこの歓声の中で歌うとか絶対に無理!必死に奴の否と言えるであろう「嘘を吐いた」という所を突く。
「あなたはこういう言葉があるのを知っていますか?」
すると、桐咲有華は認めるとも否定するともせず、逆にそんな質問をしてくる。
「なんだよいきなり……」
いきなりの逆質問に、すぐに答えを返せずにいると桐咲有華は続ける。
「嘘も貫き通せば誠になる。ほら、皆さんお待ちかねよ?早く行ってあげなさい、パンクヒーロー。ふふ」
言い終えた途端、堪え切れずに笑い出した桐咲有華。何がおかしいのだろうかって、きっと自分が引き起こしたこの状況がおかしくて仕方がないのだろう。その整った顔にいやらしい笑みを引き続き張り付けている。
「うるせぇ!お前の嘘に付き合う義理はねぇよ!」
その顔が異常に憎たらしく見えて、思わず桐咲有華に詰め寄る。
「彼らのパンクを救えるのはあなただけよ!」
顔と顔を突き合わせるが、今回は怒りが上回りドキドキすると言う様な事は微塵も無い。だが桐咲有華は全く動じず、セリフじみた感じで大げさに、心にも無い事を言う。
「ほーらー、早く行かないと折角の魔法も解けちゃうぞ?」
続いて語尾にハートマークが付いているような甘ったれた喋り方。ウインク付き。
「これの何が魔法だってんだ……ただの大ボラじゃねーか!」
こっちが真剣に講義しているにも関わらず、ふざけた姿勢を一向に改めない桐咲有華に大きな声を出して怒りを露わにする。
「そういうのは掛けられた本人は気付かないものなのよ。だから成功ね。イイから早く行きなさいって」
それでも動じない桐咲有華はトドメとばかりに人指し指でオレの額をグリグリと突いてきやがって……コイツ、とことん遊んでいやがる。
もう我慢の限界で、怒りに震えながら桐咲有華を睨みつける。すると、再度体育館に響く歓声がステージ袖まで聞こえてくる。こうして誰からも見えないところで桐咲有華と対峙している間にも観衆の熱は更に温度を上げている模様。初めはいくつもの声の重なりでしかなかった歓声がいつの間にかクスノキコールに変わっている。桐咲有華目当ての信者共が中心になって騒ぎ立てているのだろうか。本人といい信者といい、全く余計な事をしてくれる。
だが、ドンドンと熱を上げていく歓声が、逆にオレの熱をグングンと下げていく。
「誰が行くかよ。オレよりも軽音部だけでやった方がいいだろ。その……最後かもしれないんだし。四人揃ってないけど……オレは邪魔になるだけだし……」
どう凄んでもコイツには効き目が無いとわかると、一人でデカイ声を出しているのもバカらしくなり、徐々に収まる怒りの中で思わず正直に思う所を吐露してしまう。
「いいから早くしなさい。あなたの名前を呼んでいる人がいる。あなたはそれに応えなくてはならない」
すると、桐咲有華は先ほどまでのふざけた感じの消えたひどく冷たい声で言った。その声に寒気の様な物を感じ、俯きがちだった顔を上げると、桐咲有華の顔からはさっきまでのいやらしい笑みは消えていた。
「でも、それはあなたにとって赤の他人にすぎない人達の声。生徒会役員たるもの、どんな生徒の声であっても聞きとめなければならないけども、昨日今日役員になったばかりのあなたにはまだ荷が重いかもしれない」
この短い間にどのような心変りがあったのかは不明だが、今のコイツとならようやく真剣に会話する事が出来そうな気がする。
「だからオレは好きで生徒会入ったワケじゃないって……」
昨日から言い続けている事を改めて言う。すると、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「あら、そうだったの?知らなかったわ。てっきり私と二人っきりで仕事する事を喜んでいるかと」
「そんなわけねーだろ?あからさまにやる気の無い態度、アレを見れば誰だって反発しているのはわかるだろ」
「確かに、そう言った空気を察するのは日本人の美徳とも言えるけど、わかってほしいことはちゃんと言わないと伝わらないわよ?」
「別に言わなくたってわかるだろあれは!」
「ならあなたは目にも見えない、触れる事も出来ない物を完全に理解する事が出来るのね。それは私にも出来るようになるかしら?」
「そういう事じゃねーよ。でもあるだろ?空気を読むというか、言わずもがなみたいな……もっと人の気持ちを汲み取る努力をした方がイイんじゃないか?」
あー言えばこー言うで、やっぱり桐咲有華との会話は噛み合わず、会話を重ねる度に怒りが増していく。だが、そんなオレの様子を見た桐咲有華の表情はオレとは対象的にどんどん冷めた物になっていく。
「まさかあなたにそこまで言われるとは……なら私からも一つ言わせて欲しい事があるのだけれど……」
そう言って言葉を切ると、ゆっくりと後ろを向く桐咲有華
「今まさに、この瞬間に汲み取ってあげなきゃならない人の気持ちがあるんじゃない?」
「あぁ!?」
何も考えず桐咲有華が振り向いた先に目を向けると、そこにいたのはステージ上の大島だった。そして何故か大島もこちらを見ていて意図せず目が合い、ギョッとして固まってしまう。
「あなた今、自分で言ったわよね。言わなくても人の気持ちくらいわかれって。まさか、彼らの気持ちがわからないとは言わせないわよ?」
「…………」
大島の背後にはドラムセットの中心に鎮座するツルツルと、ベースを抱えているモヒカンの姿も見える。
あいつらの、気持ち……
「だけど、もしわからなかったとしても、彼はちゃんと自分の気持ちを口にしていたわよ。それに私だってあなたを選んだ更生以外の理由、話したのよ?」
「はぁ?なんだよそれ!詳しく聞かせ――」
大島達の気持ち。黙って彼らを見ながらそれが何なのかを考えていると、桐咲有華が聞き捨てならない事を言い出したので思わずそれに反応してしまう。
「イイから!ここでやらなきゃ男が廃る!」
「うぉっ!?」
だが桐咲有華は質問に答えず、いきなりオレの手を取り、そのまま自分の方に引き寄せてきた。それはまさに一瞬の出来事で、オレは為す術なくそのまま引っ張られてしまう。
バランスを崩しているので自制が効かず、これでは桐咲有華に正面から激突してしまいそうだ。慌てて視線だけを前に戻すと段々と近付く桐咲有華の顔。このままだと顔と顔がぶつかってしまう……ってそれ、なんだかマズくないか!?
そして、いよいよぶつかるといった瞬間、文字通り目の前にいた桐咲有華の姿が消え、直後、耳元で聞き慣れた声がした。
「気合いのパンク、見せてやりなさい!」
ぶつかる直前で避けた桐咲有華はそう囁いた。その響きは優しくもあり力強い。でもなんだよ!気合いのパンクって!?
そんなどうでもイイ疑問を覚えていると、今度は背中を勢いよく押され、オレの身体は意志とは関係なく、ステージに向かう。
押された勢いのまま数歩駆けだした足は勢いを失うことなくステージへ続く階段へ。それを昇りきってもなお勢いは死なず、このままではステージに到達してしまう!
ドタバタと騒がしい音を立てながら、なんとか転ばない様にと必死にバランスを取りようやく停止する。
すると今度は、俯いて両手を膝についたオレの後頭部に声が掛けられる。
「真打ちは遅れて登場ってか?童貞野郎のクセして大御所気取りとはパンクじゃねぇか」
顔を上げなくてもわかる。こんな事言うのはあの人しかいない。……童貞ってステージ童貞って意味ですよね?
「でも今のお前、中々にパンクだぞ」
「だからそのパンクってなんなん――」
「うるせぇ!いいから見せてみろ、お前のパンクをよっ!」
「ぬわっと!」
この期に及んでパンクパンクとワケのわからない事を言い続ける大島にその意味を問おうとしたが、大島は聞く耳を持たず、若干突き出したような格好になっていたオレのケツを蹴り上げた。
思わぬ攻撃に跳ね上がり、そのままヨロヨロと数歩前に進むと、何やらしっかりとした支えになりそうな棒があったのでそれを掴んだ。転ばずに済んだ事に安堵しつつ、一体何を掴んだのかをこの目で確認する。
必死になって掴んだそれはマイクスタンド。そして、今オレが立っているこの場所は紛れもない、ステージの中心。
それに気付いた瞬間、慌てて舞台袖に戻ろうと来た方向に振り返ると、そこには何やら悪い笑顔をした大島がいた。そして目が合った次の瞬間、手にしているギターを盛大に掻き鳴らした。
直後、割れんばかりの歓声がステージを襲い、覆っていたカーテンの幕が開かれた。
一斉に照明が点灯し、その眩しさに視界が白く染まり、その場に立ちつくす。
そして、徐々に回復する視界に写ったのは人の群れ。群れ。群れ。皆同じ色の制服を着ている為、まるで一体の大きな生物が蠢いているように見える。
それに慄き視線を彷徨わせると、またしても大島と目が合う。すると今度は、ステージにもう一台立っていたマイクスタンドに歩み寄り、叫ぶ。
「待たせたなテメェら!行くぜ!」
それに呼応するかのように一層熱を増す歓声。直後、それを押し返す様に軽音部員の楽器が一斉に鳴らされた。音と音の激しいぶつかり合い。これまでに感じたことの無い音圧に当てられ、まともな思考もどこかに吹き飛んでしまいそう。
チクショウどうする……今から大島の前を通って舞台袖に逃げ込む事は不可能だろう。ならばその逆側は?と思って目をやっても同じ様にツンツンの人がいるので無駄だ。そして背後には昨日から最も警戒していたツルツルがいる。全員と目が合っちまったがやっぱりコイツら怖すぎる。無理だ。昨日大島に言われたが、逃げたりしたら後で何をされるかわからない。そしてもちろん前方には軽音部の演奏を今か今かと待っている新入生達……桐咲有華の紹介のせいで名前もバレてしまっているので、演奏中に逃げ出したりしたら、すぐに噂になってやがて学校中にその事が知られてしまうだろう。そんな事になったらもう学校にいられなくなる!
もしもそんな事になってしまったら……想像したら力が抜けて、思わずマイクスタンドにしがみつく。そうして俯いていると、またしても未体験の音圧がオレを襲った。
と思ったが、この音にはどこか聞き覚えがあるぞ……
耳をつんざいたのは昨日の放課後、何度も何度も聴いた音。限られた時間の中で繰り返し聴いた音。野老沢高校校歌パンクヴァージョン。
鳴り響く演奏が昨日の記憶を呼び覚ます。大島に手当たり次第物を投げつけられながら、がむしゃらに何度も何度も繰り返し練習した曲。最初はたった一音目を発しただけでパンクじゃねぇなどと、と理不尽に怒られたりもしたが、練習を重ねるにつれて徐々に怒られる回数も減って最後まで歌い切る事が出来た。
でも結局、大島の言うパンクという言葉が意味する所はわからないまま、こんな大勢の人の前、ステージの中心にまで出てきてしまった。
こうなってしまえばもう、ワケはわからないがさっき大島が中々パンクだったと認めてくれた事を信じて、オレのパンクを見せるしかないか。自分で言っているのに全く意味がわからないままが。
だけど、言葉の意味はわからないが何故か自信のようなものが湧いてくる。
何かに引かれた様な気がして左に視線を移すと、大島と目が合う。すると大島は、顎をしゃくって何やら合図を送くってくる。一体何を表しているのか、その動きだけではわからない。
だが、オレには大島の言っている事がわかった。
「行け」と、大島はオレにそう言っている。
そして思い出されるのは、騒音を注意しにきた桐咲有華を無視して演奏を始めようと大島が叫んだシーン。しかし、大島のシャウトは下校時間を告げるチャイムの音に遮られてしまったのだった。その事を大島は全然パンクじゃねぇとか言ってたっけ。
でも、今のオレは違う。いや、オレ達は違う。ならば、大島に「行け」と言われてやることは一つしかない。
マイクを力一杯握りしめ、身体を後ろに反りながら息を吸って……
『オレ達の歌を聴けぇえええええええええええ!!!!!!!!』
昨日の出来なかった続きをするだけ。
叫んだ直後、これで何度目の記録更新だろうか、この瞬間に本日最大の歓声が体育館を揺らす。だけどもう逃げようだなんて思わない。だって後はオレ達のパンクを見せつけるだけだから……。