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運命の日~再び教室~

 始業のチャイムが鳴り終わった後の廊下は実に閑散としていて、人の姿は一つも見えない。

 聴こえるのは己の荒れた息遣いのみ。歩き出したのが既にチャイムが鳴り終わった後なので、ちょっとダッシュして戻ってきたのだ。いや、ちょっとじゃなくて割と本気のダッシュだった。やっぱり今後の事を考えると遅刻をしない為にもスプリント能力を鍛えておく必要がありそうだ。

 そして、階段を登り切ってようやく自分の教室に着いた。

 教室の扉の前に立つと、中はいくつもの会話と会話が重なって形成された喧騒に満ちているので、まだ教師は到着していないのだろう。とりあえず遅刻は免れた。

 しかし、安心している場合ではない。急いで帰ってきた理由はその為だけではないのだ。

 扉の前に立ち、息を大きく吐いて、吸うと同時に教室の扉を開ける。

 勢いよく扉を開けたことで生まれた大きな音が教室に響く。皆教師が来たと思ったのだろう、教室中の視線が全て扉の方に集まる。だが、この光景は少し時間に遅れればいつだって見られるものであって、決して珍しいものではなく、これまで何度も目にした光景でもある。

 しかし、向けられた視線、34人の、68の瞳の色は初めて目にするものだった。

 一瞬の沈黙。直後、見慣れた光景はたった一言によって変質する。

「楠木だーーーっ!!!!!」

 誰が放ったかわからないが、その一言を号砲によーいドン。教室にいる生徒、主に男子が一斉にオレ目がけて声を上げながら突撃してくる。即座に取り囲まれ、間髪入れずに囲み取材タイムへと突入。しかし、突発的な出来事に集団の統制は取れておらず、何人もが同時に質問を浴びせてくるため、誰が何を言っているのかがほとんどわからない。が、その中でかろうじて聞こえたのは「どうしてお前がアリカ様の隣にぃ!」という怨念めいた叫びだった。前言撤回。この声の主は中島だろう。

 だが、そんな事わかろうがわからなかろうが関係のないことで、この突撃レポーター共を相手にしている場合ではないのだ。

 質問の集中砲火は全く恐縮している様子なく浴びせられるが、如何なる質問に対してもノーコメント。さながら「その件は事務所を通して下さい」の姿勢を貫き、揉みくちゃになりながらも己の目的完遂の為に歩を進める。

 周囲の声を無視して黙々と進むのは、ハワイに向かう飛行機の出発時間が迫っているからではない。今置かれているこの状況とは逆で、オレ自身が突撃レポーターになって今すぐ聞かなければならない事があるからだ。

 そして遂に、その標的の近くにまで迫った所で、恐縮することなくオレの質問タイムを始める。

「おい陽!どうしてあの時拍手なんてしやがった!?お前のせいで生徒会に入る事になっちまっただろ!どういうことだよ!?」

 直前まで騒がしかった周囲の奴らが空気を読んだワケではないと思われるが、オレが声を上げたこの一瞬だけは不思議と静かで、オレの声は教室中に響き渡った。

 いきなりの恫喝。それだけで今この時がただならぬ時である事は教室中に伝わっただろう。      

 周囲を囲んでいたクラスメイト達は自然とオレから距離を取り、オレと自分の席に座ったままの陽を、オレが色々と問いただしてやりたい相手を取り囲む様な形になる。

 一瞬にしてクラスの中の注目を集めたオレと不機嫌そうな表情をした陽。 どうしてそんな顔をしている?今そんな顔してイイのはお前じゃない。  さっさとさっきの質問の答えを全て聞かせろ!

 質問の答えを催促するように机を両手で叩く。自分でもびっくりしてしまうくらい大きな音が出て、近くにいた女子がビクついているのが見えたが、陽は動じる事なく、その不機嫌そうな表情を全く変えず、オレが放つ視線を正面から受け止めている。

 その表情から素直にオレの質問に答える気はないのだろうとすぐに悟ったが、ここで諦めるくらいなら初めからこんな大立ち回りはしない。この光景を見て誰がオレの事をどう思 おうが構わない。ハッキリさせなきゃいけない事はハッキリさせなきゃ気が済まないんだよ!

 改めて決意し、もう一度両手を机に叩きつけてやろうと諸手を大きく振りかぶる。同時に大きく息を吸い込んで、心の中でカウントダウン開始。

 だ……か……ら……

「どういうこ――」

「騒がしいナ!授業を始めるゾ!さっさと席に付ケ!今すグ!」

 声を上げながら両手を勢いよく机に叩きつけようとしたその瞬間、同時にオレの大声を遥かに上回る大声が教室中に響き、一瞬、教室の時間が止まる。それはもちろんオレにも該当する事で、両手を上げた格好のまま動きが止まる。

 今この場で起きた現象はまさしく事象の強制終了。授業開始時間において、教師にだけ発動を許された特別な呪文「始業の合図」で、野老沢高校英語科指導補助教員、通称ALTのマシューによって発動されたのだ。

 ALTといえば温厚で、英語を舐めているとしか言えない様な生徒のカタカナ発音の会話にも笑みを絶やさず聞き受けてくれる学校中の人気者の様な存在であるイメージがあるが、この野老沢高校のALTは違う。

 まず、原則として英会話を教える為に存在する教員であるにも関わらず、殆ど英語を話さない。そして、先ほどの発言を振り返ってみればわかると思うが、とてもじゃないが温厚な性格の持ち主とは言えない。むしろ常に怒っている様な気性の荒いカナダ人ALT、それがマシューなのだ。

 このカナディアンマン(正義超人のカナディアンマンに非ず)、顔だけを見れば実に整った顔立ちなのだが、そのボディはさながら彼の故郷の国土に広がる雄大な森を形成する巨木の様。その鍛え上げられた肉体はいくら生徒が楯突いた所で圧倒的な身体能力の違いに屈服するしかないのは明らかで、生徒だけではなく教員からも怖れられている存在なのである。

 外国人にしては流暢ではあるが、完璧とは言えない発音の日本語を笑ってしまうような事があれば最後、その巨体を存分に発揮して繰り出される必殺のカナディアン・バックブリーカーで身体が真っ二つにされてしまうなんて言われ恐れられている。

 そんなマシューの一言に、オレと陽を取り囲んでいた生徒達は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの席へ戻っていった。そして元から席についていた陽はそのまま。だがオレだけは両手を上げた不思議な体勢で固まっている。

そんなオレを彼が見逃すはずが無かった。

「スバル!早く座レ!」

 ALTらしく名前をファーストネームで呼ぶが、そこに込められているのは親しみではない別の何かだ。それを聞いたオレは陽から聞きたいことは聞けずじまいだが、今の自分の体勢が諸手を上げてマシューに背を向けた「どうぞご自由にバックブリーカーをお掛けください」状態でいることに危険を感じたのでここは大人しく退く事にし、自分の席に向かった。

 そして全員が席に着いた所でようやく、補助ではない英語教科担当教師である関根先生が現れ授業が始まった。

 結局、陽から何も聞き出すことは出来なかったが、答えるまでいくらでも聞き続けてやる。

 納得いかないことを納得いかないままに終わらせられるほど、オレは聞きわけのイイ人間ではないのだ。これから休み時間ごとに聞きに行ってやる。一体どうして拍手したのかを……。


 その後の授業中もずっと一つの思考に囚われてまともに先生の話を聞いていなかったオレは、キチンと授業を受けているかを監視していたマシューに見つかり怒鳴られた。

「お前の耳はなんの為についているんダ!このウジ虫やろウ!関根センセイの授業を聴ケ!殴られたいのカ!?」

 まるで某戦争映画の某鬼軍曹の様な注意、というか恫喝だが、日本語にするとどうしてもふざけた様に聞こえてしまい、笑いを堪え切れなくなり下を向いていたら無防備な後頭部を殴られた。

 それから授業中にも関わらずその場で起立させられ、注意という名の某戦争映画ごっこに付き合わされたが、その詳細を口にするのは憚られるので、割愛させて頂きたい。

 このご時世にこのようにいきすぎた指導をしているにも関わらず何年も続けて我が校のALTの役目を任されているのは彼の就任後、我が校の英語の成績が他の教科に比べて飛躍的に向上したかららしい。それが彼のおかげであるかは定かではないが。

 結局残りの授業中、先の一件で本日の標的にされてしまい、マンツーマンでマシューの指導を受けることになってしまったのだった。だがおかげで学年最初の実力テストは英語科目でだけ高得点が期待できるかもしれない。これももちろん根拠はないが。


 結局、何度も陽との接触を試みたが全て失敗に終わり、時はすでに帰りのHR(ホームルーム)。体育の後はギリギリに教室に戻ってきやがったから話しかける事が出来なかった。どうしてこうも女は身支度に時間がかかるのだ。

 ここまでいくつも失敗を重ねたことでオレの怒りのボルテージは高まり続けて、もはや有頂天。だが最後のHRが終われば遂に放課後。それぞれ部活や自分の用事がある為、これまでの休み時間の様に面白がってわざわざオレの元に駆け寄ってくるモノ好きもいないだろう。

 そこがチャンス。ようやく色々とハッキリさせる時が来た。

 中村山先生の重複言葉を交えた事務連絡が終われば後は全員で礼をして下校。普段からまじめに聞いても理解する事が難しいので大体聞き流しているのだが、今日は聞き流す事すらせず行動計画を入念に脳内でシミュレートする。《挨拶至上主義》に基づいた大げさな挨拶が終わったらまず陽の元に駆け寄り捕獲。続けてどこか人気のないところまで連れていき全てを吐かせる……こうして言葉に起こすと非常に物騒な感じがするが、目的はただどうしてあの時拍手をしたのか、それを聞くだけだ。奴の投票によって選ばれた者として、その理由を知る権利はあるはず。

 そして、ようやく先生の話が終わって号令係が合図する。「起立」そして「礼」で頭を下げ、中村山先生の「さよーならー」と気の抜けた挨拶から姿勢を戻したところでスタートだ。

 教室の空気が放課後独特の喧騒に満ちる前に、まずは目で陽を捉える。

 するとどうしたことか、オレが向かうよりも先に陽の方からやってくるではないか。

 想定外の出来事にひとり狼狽。行動をシミュレートしていたのはイイが、自分の行動パターンの事しか考えておらず、陽の行動を一切予測に加えていなかったのがいけなかった。

 想定外の事態に成す術もなくただ立ち尽くしてしまう。考えてみればそれも本日二度目。それもそのどちら共に陽が関わっている。

 どうするべきか?それを自身に問い掛ける僅かな時間も無く、陽はあっという間にオレの目の前に……

「…………」

 立ちはだかったものの、それだけで何にも言わない陽。わざわざオレの所まで来たのは何か用事があったからのはず。だが、オレと目を合わせるだけでいる。

 ならば、こちらか聞かせてもらおう。

「どうしてあの時拍手した?」

「……理由なんて一つしかないわよ。もしかしてずーっと考えてたの?」

 すると、溜息混じりに返す陽。だが、それは全く答えになってないぞ?

「考えてもわからないからこうして聞いてんだよ。あの場で拍手してたのお前一人だぞ?そのせいでオレは生徒会役員なんて面倒なものにさせられちまうんだ。どう考えても拍手する場面じゃなかっただろ?オレは当然望んでなかったし、他の生徒からしてもオレみたいのが生徒会に入るのはカンベンして欲しいに決まってる。なのにどうし――」

「どうして私が悪いみたいに言うかな?全部昴のせいじゃない」

 どうやらオレの質問に素直に答えてくれそうになかったので言いたい事を言ってやったのだが、オレの言葉を遮るようにして返ってきたのはまたしても全く答えになっていない、更にオレを苛立たせる言葉だった。

「なんでだよ!勝手に候補にされて勝手に任命されて、全部桐咲有華が決めたことで、後は拍手したお前にしか原因は無いだろ?オレが悪いことなんて何も無いだろ!」

「そうやってすぐ人のせいにする。やっぱりあんたはわかってない……もういい!」

 再び呆れたように息をついてオレを批判するような事を言ったと思ったら結局、こちらの問いには何一つ答えることなく、陽は振り返ってそのまま教室を出て行ってしまった。

 ワケがわからず黙って陽の背中を見送る。結局聞きたい事は何も聞けず、むしろどうして逆に怒られたのか?という疑問が新たに追加されてしまった。

 ここはワケのわからない展開にしばらく茫然としていてもイイ所だと思う。だが「わからない」に更に「わからない」を重ね塗りされてしまって、これ以上考えてもどうしようもないと逆に吹っ切れた。ならばいつまでもここにいても仕方がない。今日はとりあえず帰るか……

 疑問が渦巻く頭のまま、鞄を手に席を離れる。自分の席から廊下まで、そのわずかな間にも考える。一体陽は何を考えているんだ?何がしたかったのだ?いくら考えてもどうせ答えは出ない事はわかっているつもりなのだが、考えずにはいられない。

 なんなんだもう。ワケがわからない。それに、これからも陽本人の口からその本心を聞かなければ何一つもわからないと思うと何もかもが腹立たしい。これまで当たり前に、何も深い考えを持って見つめたことなど無い教室の風景でさえ不快に思えてくる。

 そう思うと教室が、この学校の全てが突然居心地の悪いものに感じて、これ以上ここに留まる事が酷く辛いものに感じた。早く帰りたい。そんな思いを込めて勢いよく扉を開ける。  

 すると――

「あら?」

 ――扉の向こうに立っていた人間が、突然扉が勢いよく開いた事に驚いたような声を上げる。オレもまさか人が立っているなんて思っていなかったので同じ様に驚きたいところなのだが、その声を上げた人物が誰なのかを認識した瞬間に、身体が凍りついてしまったかのように身動きが取れなくなってしまう。

 そうさせたものの正体……それは……

「そんなに慌ててどちらに行かれるのでしょう?もしかして、活動初日ですから張り切っていち早く生徒会室に行こうと?立派な心掛けですね」

 野老沢高校生徒会副会長・桐咲有華。

「本当なら生徒会室でお出迎えしたかったのだけれど、折角だから一緒に行きましょうか。楠木君?」

 一刻も早く家に帰りたかったのに……なんてタイミングの悪い女。

「さぁ、早く行きましょう」

 突然の出来事にただ呆然と固まっていると、桐咲有華はオレの鞄を持っていない方の右腕を勝手に取って廊下を進む。

 またしても突然過ぎるシチュエーションに翻弄され、そのまま無抵抗で引っ張られてしまう。

「早く生徒会室に行きたい気持ちはわかりますけど、どんなに急いでいても廊下は走ってはいけませんよ。生徒会役員は模範的な生徒なければいけませんから」

 先を歩く桐咲有華は振り向いて、とびっきりの笑顔を見せる。

「生徒会なんて行かねーよ!オレは家に――」

「それと、逃げようとしたら大きな声を出しますからね」

 抵抗しようとすると、とびっきりの笑顔とウインクで釘を刺されてしまう。

 その笑顔に言葉以上の恐怖を感じたオレは、ここで抵抗をすると後で何が起こるかわからないと思い、とりあえずこの場は桐咲有華に腕を取られたまま、黙って生徒会室に連行されることにした。

廊下を進んでいると桐咲有華の姿に気付いた生徒が皆揃って挨拶をしてくる。それに対して桐咲有華も「ごきげんよう」なんて平日昼にやっているお題の描かれたサイコロを転がしてから話すトーク番組でしか聞かない様な挨拶を返す。

 しかし、こんな気取った挨拶をされたら普通「何言ってんだ?」と思うような所だが、桐咲有華はそれが様になっているから困る。挨拶を返された生徒は男女問わず歓声なんかあげていやがるし。

 だが、そんな桐咲有華信者達も、その後ろについて歩いているオレの姿を見ると皆目を逸らす。この扱いの違い……別に構いはしないが、気分がイイものではないのは確かで、思わず舌打ちをしてしまう。

 でもそれは目を逸らした生徒達に対してではなく、やることなすことうまくいかなかった事に対してのものである割合が強いかもしれない。

 


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