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運命の日~全校集会~

 校庭に出ると既に殆どの生徒が集まっていた。自分のクラスの列を確認し、そのまま列の後方に並んだところで定刻を知らせるチャイムが鳴った。

『これより全校集会を始めます。まずは生徒会からのお知らせです』

 陽がまだ来ていないが、一人の遅れた生徒の為に全校集会の開始が遅れることはなく、チャイムが鳴り止んだと同時に進行役の生徒がアナウンスを始めた。

 普段の全校集会なら校長の話から始まるのだが、昨日始業式で話をしたばかりなので省略されたのだろうか、いきなり本題に入るようである。

 先のアナウンスを受けて、高く作られた演説台に上るのはもちろん、桐咲有華だ。

 しかしまた、どうして壇上に向かうだけなのに拍手が起きる?校内のカリスマ的存在なのはわかるが、一部のカルト的な人気には一種の恐怖さえ覚える。例えば中島とか中島とか。

 全校生徒の視線を集めながら演説台に立った桐咲有華は、設置されているマイクスタンドの前まで進むとまず深く一礼した。すると、それに合わせたように拍手も鳴り止む。

『みなさんおはようございます。生徒会副会長の桐咲有華です』

 顔を上げた桐咲有華が話すと、幾人かの真面目な生徒、もとい桐咲有華信者達は大きな声で挨拶を返している。ガキかよ。てかわざわざ名乗らんでも皆知ってるわ。

 桐咲有華はその返事に応えるように、信者共にご褒美をくれてやるように一つ微笑んでから続ける。

『生徒会からのお知らせです。今週末に行われる新入生歓迎会ですが、まだ必要書類を提出していない部は本日の放課後までに職員室に提出して下さい。また、新入生の部活への勧誘活動は歓迎会後に解禁となりますので各部活とも注意して下さい』

 黙って聞いていればなんだよ、普通のお知らせじゃないか。わざわざ全校集会が開かれている理由は一つしかなく、早速本題に入るのかと思っていたので少し拍子抜けだ。

『それでは続いて、新生徒会役員の信任投票に移ります』

と思ったら唐突だな!何でもない事のようにサラッと始めやがって!

 ……まぁいい。やることは変わらないからさっさと始めてくれた方がイイからな。臨むところだ。

『改めて説明させて頂きます。この度の新生徒会役員の選出は人員不足を補う為のものであり、その補充要員として二年F組の楠木昴くんを推薦させて頂きました。その承認の是非を問う為の信任投票を今から行い、賛成票が一つでもあれば新役員として正式に任命されます。なお、十分な準備をする時間が無かった為、通常の生徒会選挙とは違い、投票は皆様の拍手に拠るものとします』

 こうして、改めて全校生徒の前でハッキリと宣言されてしまったことで、いよいよ退路が無くなった。

 だが、言いかえれば桐咲有華の言う通りにならなければ、役員にならなくて済むということを念押ししたとも言える。

 ルールに則っていれば桐咲有華でも言い訳が出来ないだろう。「たった一票でも」と聞くと一見厳しい条件のようだが、オレからすればそこまで不利な条件ではない。

 それどころかオレに有利な状況ですらあると思う。何故なら……

『それでは投票に先立ち、新役員候補者による投票前演説を行って頂きます。楠木昴くん、お願いします』

 ……自分が生徒会役員に相応しくない人間であることを、誰よりもオレ自身が確信しているから。

 その証明をこれからしてやろうじゃないか。お願いもされてしまったしな。

 列を離れ、人と人の合間を縫う様に演説台に向かう。

 全校生徒の前で話すなんて、いや、大勢の人の前に立つ事ですらほとんど経験は無いが、どうせこれが最初で最後になるのだから貴重な経験になると思って楽しんでやろう。

 オレが移動している間に桐咲有華は演説台から降りていて、そのすぐ横で待機している。

 そして、いよいよ演説台に上る。たった四段の階段、しかしそれを上っただけで見える景色はそれまでと大きく違っていて、「全校生徒」を前にして緊張が走る。すげぇ、めちゃめちゃ人いるな。全員で何人いるかは知らんけど、今までに感じたことのない迫力だ。これが「人前に立つ」ってことなのか。

 今この瞬間、全校生徒の視線がオレ一人に集まっているのを感じる。こんなプレッシャーに晒されながら桐咲有華はいつも喋っているのか。これは素直にすげぇな。

 だが、今はそんな事に感心している場合じゃない。

 気持ちを切り替える為に一度目を閉じ、深く息を吐く。多少失敗しても問題ない。別にイイかっこをしに来たワケではないのだ。いや、むしろその逆。意識するな意識するな。

 そう目を閉じながら自分に言い聞かせる。

 ……よし。目を開けて、息を吸ったらスタートだ。

『えー、ご紹介に預かりました楠木昴です。まずは私の事をご存じでない方が沢山いらっしゃると思われますので、簡単ですが私自身の事をお話させて頂こうと思います』

 普段よりも格段に丁寧な口調で話したのは、ここまでが昨日の内に考えておいたセリフだからだ。話す前の緊張はこの第一声を淀みなく言えた事で消え失せた。あとは勢いのままに……

『まず、この高校に入った理由ですが、他のどの高校よりも一番家に近いからです。それ以外の理由はありません。だって朝は出来る限り寝ていたいでしょ?許されるならいつまでだって寝ていたいくらいだ。だから遅刻しそうになることはしょっちゅう。ダッシュするのが基本。二年になって昇降口が門から遠くなったらからより長い距離をダッシュしなくちゃならなそうで、遅刻をしない為には強靭なスプリント能力が必要だなって思っています』

 ここからは正直に思っている事を言うだけだ。ただただ続ける。

『んで、朝は時間ギリギリまで寝てるクセに授業中はいつも眠い。というか結構寝てる。授業中じゃなくてもいつも眠い。例えばちょっと前にあった卒業式。ジャンケンに負けて出席するハメになったんだが余裕で寝てた。眠いってのはもちろんだが、そもそも行きたくなかったし、別にお世話になった先輩がいるワケでもなかったから正直どうでもよかったんだよな。ホント無駄な時間を過ごしたわ。どうせ寝るなら家でちゃんと寝てたかった』

 ここで一度言葉を切ると、並んで話を聞いていた生徒達のざわつきが聞こえてくる。明らかに場の空気が変質したのを感じる。そう、それでイイ。何故ならオレは……

『まぁ長々と話しても誰もオレの事なんて興味無いと思うので、ここら辺で終わりにするけど、オレが学校に対して思い入れもなければやる気もなく、この学校の生徒を代表する生徒会の役員には相応しくない人間だということはわかってもらえたでしょう。ということでよろしくお願いします』

 ……誰の目から見ても、明らかに相応しくないヤツなのだから。

 こういった集会で長々と話されることほどウザイものはない事をよく知っているので、適当な所で話を終えて、形だけの一礼をして話を終える。

 顔を上げた時にざっと生徒の様子を確認してみると、目に見える範囲だけだが全員なんとも言えない顔をしているし、目には見えないけれども雰囲気の方もなんとも言えないものが漂っているのを感じる。きっと伝えたかったことは十分に伝わっているだろう。

《コイツはどこまでもダメで、どうしようもないヤツだ》

 そう思われるのも生徒会役員に選ばれない為には重要な事だが、必要以上にそのようなレッテルを貼られると残り丸々二年もある学校生活を平和に送る事に支障が出る。そこで、オレが昨日考えたことはこうだ。

 オレが話したことは十分に《ダメなヤツ》に該当する事ばかりだが、遅刻ギリギリに登校する生徒は決してオレ一人だけというワケではないし、朝は出来る限り寝ていたいなんて健全な高校生なら男女関係なく、当たり前のように思うことだろう。

 卒業式の話だって、そもそもクラスに誰も出席希望者がいなかったからジャンケンになったワケで、もし自分が負けたならふざけるなと思うだろうし、自分に関係無かったり、興味が無かったりしたら行く気だって中々起こせないだろう。

 そう、如何に自分が生徒会に相応しくないかというアピールをすると同時に、聴き手の誰しもに共感できるポイントを用意したのだ。そうすることでオレを《ダメな奴だが、自分と似ている所もある奴》だと認識させるために。

 まず、相応しい人間であると判断されなければオレを生徒会に入れようと思う人もいないだろう。また、自分とも共感する所があればオレの事を最低のダメなヤツと思う人間も少なくなるだろう。

 多少はダメなヤツだと思われることは仕方がないし、構わない。何故ならそれは自覚していることだから。ダメなんだからダメって言われるのは当然だ。全ての人間に好かれることだって不可能な話。気にする所じゃない。

 そして、自分から生徒会に入りたくないと主張しなかった事もオレ的にはポイント。だって「生徒会に絶対入りたくないです!」なんて必死にお願いしたら、嫌がらせで拍手するヤツが絶対出てくるだろう。あえて口にしないことでそれを100パーセント防げるという事にはならないが、マシになることは間違いない。誰かの不幸は飯を美味くするかもしれないが、幸福は必ずしもそうではないからだ。

 とにかく、今のこの場の雰囲気からして「いざ投票!」となった時に生徒会に相応しくないオレの信任を意味する拍手を真っ先に鳴らす事が出来る者はいないだろう。そして、一拍でも間が空けば更に拍手はしづらくなるはず。集団行動において、それもかなりの大人数が集まる全校集会で進んで悪目立ちたい奴なんてよっぽどいるものではない。

 学校は世間から見れば一つのコミュニティに過ぎないが、学生にとっては世界のほとんどと言っても過言ではない。その中で変に目立ってしまうのは好ましい事ではない。それに、目立ちたいなんて願望があるヤツがいたとしても、こんな所で目立たなくても既にある程度目立っている奴だろう。

 とにかく、誰かが率先して拍手さえしなければ、後はそのまま周囲の様子を探りあっているだけで時間は過ぎる。そうすれば賛成票はゼロ。よってオレが生徒会に入ることはなくなる。

 どうだ桐咲有華、お前みたいに人前に立つ事に、目立つ事に慣れ過ぎていたら気付けない、これが普通の生徒、しょせん《集団の中の一人》の考え方だ。

 演説台を降りたところで、特に指示はなかったのだが列に戻る場面でもないと思ったのでそのまま演説台のそばにいた桐咲有華の横に立つ。右隣に立つ奴の表情を覗くと、これまで見たことない顔をしていた。にじみ出る悔しさを必死に隠そうとしている、そんな顔だ。

「桐咲有華、お前はオレを甘く見ていたようだな、悪いけどオレはなぁ……お前が思っているよりもよっぽどダメな野郎なんだよ!」

 その顔を見て、口に出すことなく内心で言い放つ。このシーンをマンガで再現するならば、オレはかなりのドヤ顔で桐咲有華を指差し、頭上にはドーン!とド派手に効果音が書き込まれているだろう。

 桐咲有華はとにかくオレを生徒会に入れたいようだったが、この現状を受けては手も足も出すことが出来ないはずだ。何故なら、オレは桐咲有華の定めたルールを守り通しているからだ。

 そもそも選挙で問われるのは《オレが生徒会役員に相応しいかどうか》である為、桐咲有華の思惑がどうであるということは関係の無いことであり、先の演説を聞けばオレが生徒を代表する様な立場に相応しくないのは明らか。どんな形であれ、今から桐咲有華がオレの事を擁護するような発言をしようものならこのダメ男……だんだん自分で言うのが悲しくなってきたが、このオレを生徒会に相応しくない人間であると暗に認めることになる。そんな人間を強引に推すことは民主主義的でなく独裁主義的、個人的な感情を振りかざし、無理矢理押し付けること。それはいくら学校中から認められた人間でも許される事ではない。

 その行為は言うなれば裏切り。生徒だけでなく、教師からも人望が厚い桐咲有華が自らそのような事をするとは考えられない。

 さぁ、やることはやり尽くした。早く投票に移ってくれ。そしてここにいる全員が音もなく、ただきょろきょろと回りを気にするだけで突っ立っている光景を見せてくれ!この整った桐咲有華の顔が更に悔しさで歪む所を見せてくれ!

 そして遂に、その時が来た。

『それでは投票に移ります。候補者・楠木昴君が生徒会役員に相応しいと思う方は拍手をお願いします』


 一瞬で勝負は決まる。誰か一人でも拍手をすればオレの負け。誰も拍手をしなければたぶんオレの勝ち。いざ投票となると緊張で、無意識に握りこぶしを作ってしまう。

 そして目を閉じ、結果が出るのを黙って待つ。


「………………………」


 投票の合図があってしばらく、校庭には沈黙が漂う。いや、鳥の鳴き声や風に揺れる木の音は聞こえるので完全な沈黙とは言えないか。だが、聞こえるのはそのような自然の発する音だけ。拍手の音は聞こえない。

前を見ると、そこには列を成す生徒達は一様に何とも言えない表情が並んでいる。ここまでは想定していた通りだ。そして、静けさが続いたこのタイミングで、今更拍手をする物はいないだろう。始まりのタイミングに誰も拍手をしなかった時点で全校生徒の総意は「賛成しない」に決定していたのだ。

 これでようやく安心できる。初めから根拠の無い自信はあったが、何がどうなるかなんて結果を見るまでわからない。自分の考えを相手に正しく伝える為には、まず自分が正しいと誰よりも自分自身が思っていなくてはならない。だからここまで強く自分に言い聞かせるように強気な自分を意識していたのだが、やっといつもの力が抜けた、というよりダラけたオレに戻ることが出来る。だが、まだ全校生徒の前という目立つ場所にいるので努めて平静を装う。でも、一言だけ言わせて欲しい事がある……桐咲有華さん!折角生徒会役員に推薦してもらったのに誰からも賛成されずに落選してしまってすみませんでした!ざまあみろ!

 なんて事を言いながら桐咲有華の周囲を小躍りしながら回ってやりたい気分だが、まだダメだ、堪えるんだ、まだ笑っていい時間じゃない。だが奴の悔しがっている顔を見たらそれも我慢できなくなってしまうかもしれないので視線は前に固定したままでいる。

 さぁ!これ以上待っても誰も拍手しないからさっさと終わりにしようぜ!こんな春真っ盛りに花粉症の人間が外に意味もなく晒されているのはかわいいそうだしな!


『ありがとうございます。拍手を止めて下さい』


 ようやくアナウンスが流れたが、実際のところ、初めから拍手なんて鳴ってない。鳴っていない物を鳴っていると言ってくれた進行役の生徒の優しさが逆に辛いが、そんなこと今はどうでもいい。むしろ嬉しいくらいだ。

 それはオレだけに限った事ではない。オレはこうして不信任を得たことで生徒会に入らなくて嬉しい。他の生徒達からしても、オレが選ばれなかったことに安堵しているはず。これまで投票には関係ないので気にはしていなかったが、教師にも同じことが言えるだろう。

 だが、たった一人だけ存在する例外、隣にいる桐咲有華を見ると、思惑通りに事が進まなかった悔しさが顔に出てしまっているのを隠すように俯いているが、この距離からではその表情は丸見えだ。だが、結局オレなんかではなく、本当に生徒会に相応しい人間を新たに任命すれば人員不足は解消。仕事も捗るだろう。

 要するに、この結果を受けて不利益を被る人間は誰ひとりとしておらず、誰もが納得のいく結果に収まったと言える。

 いやーホントに良かった!みんなで幸せゲットだよ!オレってカンペキ!こうなるってオレ信じてた!精一杯頑張った!この結末を祝して一本締めでも!さぁ皆さんご一緒に!!よぉー「パンッ!」とやりたいくらいだよ!まぁここまでメデタイと思っているヤツはオレぐらいしかいないだろうからやらないけどな!ブハッ!

 静かだった校庭の雰囲気が、投票が済んでようやく面倒な集会も終わるという解放感からか落ち着きを失くしてきている。確かに投票の瞬間は沈黙が続いたり、周囲の様子に気を配ったりして若干であったとしても緊張する場面があったからな、抑圧からの解放というところなのだろう。でも静かにしないと集会が終わらないぞ?まぁオレの用事は無事に済んでいるから何でもイイんだけどな!

 全てが思い通りに進んだことで自然と口元が緩んでしまうのを抑えられず、手で口元を隠すように覆い、ざわつく生徒達の様子を眺める。どうせほっとけば自然と落ち着くだろう。

 ……なかなか静かにならないな。どうした?

 生徒達は何故か皆、後ろの方を気にしているように見える。あーあれか、朝から長い時間立たされて誰かぶっ倒れたのかな?貧血ってホントいきなり倒れるからマジでビビるもんな。ここからじゃよくわからないけど大丈夫だろうか?

 しかし、なんか申し訳ないな。オレの為に開かれたみたいになっているこんなくだらない集会で辛い思いをさせてしまって。

 とはいってもこの場所からでは何もすることは出来ないので、一刻も早い回復を目を閉じて祈る……ってこれだと黙祷しているみたいで縁起が悪い様な気がしたからすぐに目を開ける。

 すると、それと同じタイミングで列の先頭の方から人が割れていき、それが徐々に列の後方にまで広がっていく。倒れた生徒を最短コースで運ぼうってことかな。確かに貧血って言っても人が一人倒れているんだ。決して余裕なんてことはないもんな。改めて無事を祈ろう。

 ……それにしてもなかなか運ばれて来ないな。列の後方に並んでいる生徒が倒れたのだろうか?それなら後ろから回った方が早いんじゃないか?ていうか軽く騒ぎになっている時点でまず、教師の誰かが様子を見に行くべきだよな?

 と思い教師達の列に目を向けるが、全く動き出そうとしている様子は無い。

 生徒が列を乱すほど、明らかに慌てた空気になっているんだからお互いの顔を見合う前にまず向かうべきじゃないのか?ただ騒いでるだけだとしても、注意すらしないなんて何考えてんだ?挨拶アイサツうるせぇクセにこういう時はなにもしないのか?ったく使えねぇな!

 なんだか急に腹が立ってきた。折角の喜ばしいこの時にこんなことで水を差されるのはイイ気分じゃない。お前達教師が何もしないのならオレが行くぞ!

 そうして、一歩足を踏み出そうとしたその時だった。

 同時に、いや、右隣にいた桐咲有華がオレより先に動き出した。その突然の行動に驚いてしまい、思わず足を止めてしまう。

 いや、突然とは言っても当然の事とも言える。何故ならコイツは生徒会の副会長。生徒の心配をする事に何も不思議な事は無い。

 だが直後、ヤツは実際には不思議としか言い様のない行動に出た。生徒の列に向かうのではなく、いきなり隣にある演説台に飛び乗ったではないか!

 オレはそのまさかの姿を黙って見つめる。その様子は勢いよくという言葉でしか言い表せない程迫力のあるもので、目の前の光景がまるで迫力のあまりスローモーションのようにゆっくりと感じられる。そして、スカートを履いた女子高生が言葉通り勢いよく跳躍をすると、次にどのような事象が起きるか……

「黒かよ!」

 そうじゃねぇよ!桐咲有華の不可解な行動に動揺して思わず、その行動ではなく目の前の光景に対してツッコミを入れてしまった。……黒のパンツとか履くのか。ってそうじゃねぇ!

 コイツなんだよ!助けに行くのかと思ったらいきなり演説台に飛び乗るって!しかも大人の黒!だからそうじゃねぇ!悔しさのあまりどうかしちまったのか?白い太ももと黒い下着のコントラストはあんなに眩しいものなのか?だから違う!オレもお前もまず!倒れた生徒を心配するのが先だろ!?

 演説台に飛び乗った桐咲有華はオレのセクハラツッコミ(言葉にするとセクハラの域を超えている何か別の行為のように聞こえる)に全く気付いた様子もなく、演説台の上に着地した勢いのまま、その一切を殺さず黒光りするマイクスタンドに駆け寄りその先端にあるマイクを握りしめ口元へと寄せる。……黒光りした……先端を……握って……口元へ……ってだからこんなこと考えてる場合じゃねぇって!変なもん見たせいで頭が混乱してるのか!?

 ここで初めて突然奇行に走った桐咲有華の表情をようやく見ることが出来たのだが、どうしてだ?そこには先ほどまでの落胆の様子は無く、まるで興奮を隠せないといった様子で目を見開き、その口元は明らかにニヤついている。これまでに見たことが無い表情。初めてみた表情だ。

 一体何をするつもりなんだ?一瞬で飛び乗って一瞬の黒パンツ。一瞬でマイクを手にして一瞬で口元に運ぶ。

 そんないくつかの一瞬が重なって、遂に桐咲有華がその存在を発揮する。


『皆さん静粛に。口を慎んで下さい』

 

 その第一声は、先ほどの興奮気味な表情とは裏腹な、落ち着いてよく通る澄んだ声音。マイクで拡張されたそれは、たちまちにこの校庭に集まった全ての者の耳目を集めた。

 たった一言だけでさっきまで後ろを気にしていた生徒達を含めた全ての人の注目を集めてしまった。その存在感は、たまたま校庭の上空を飛んでいた鳥の群れの目も奪ってしまいそうなほど。

 校庭が静寂に包まれる。その静けさはまるで、空間丸ごと一瞬にして凍りついてしまったかの様。

 しかし、北国でもないこの埼玉の土地が三月のこの時期に白銀の世界になるはずがなく、しばらくするとどこからか本来の季節を取り戻したかのように音が芽吹き、束の間の静寂は溶けて消えた。


 パチ。パチ。

 

 副会長、桐咲有華の言いつけを誰しもが守り、口を開いているものは誰もいない。


 パチ。パチ。パチ。


 じゃあこの音は一体なんだ?聞き覚えがあるような音ではあるのだが……


 パチ。パチ。パチ。パチ。


 桐咲有華を見る。その顔は興奮しているのを表に出すまいと、必死に堪えているように見える。

 一体何に嬉々としているのか?一定のリズムで刻まれる音と合わせてもその意味にも、正体にも検討がつかない。ただ桐咲有華を見つめるしか出来ない。

 すると、握りしめていたままのマイクを再び口元に寄せると、白い歯をこの場所でなければ確認出来ないであろうほど一瞬だけ見せて笑い、そのまま口を開く。

『投票の結果、賛成票ひとつで生徒会役員候補・楠木昴くんの生徒会加入が信任されました』

 おい、いきなり何を言っているんだ?オレが生徒会に入るだと?さっき誰も拍手してなかったじゃないか。賛成票ゼロ。それを祝して脳内で一本締めをしたではないか、「パンッ!」って。……あれ?その時の音とさっき聞こえていた音なんか似てるな。でもどうして、オレの脳内で鳴っていた音と同じ音が今、現実でも鳴っている?

 それより、どうしてオレが生徒会に入る事が決まった?というか貧血で倒れた生徒はどうなった?

 ここでそもそも自分が何をしようとしていたのかを思い出し、一旦疑問は棚に上げて人と人の裂け目まで移動する。そこで初めて、その発端がウチのクラスの列であった事を知る。

 そして正面に立ちその後方に目をやると、そこで思いもよらない光景がオレの目に写った。

 この場所から見えたのは貧血で倒れている生徒ではなく、それを介抱している生徒でもなく、正面を真っ直ぐに見つめて、両手を胸の前で、一定のテンポで鳴らす生徒の姿だった。

 その生徒の正体は野老沢高校二年F組、出席番号はオレの一つ後の6番。九重陽。

『それでは、以上で信任投票、及び全校集会を終わります。生徒は学年ごとに、先生の指示に従って教室に戻って下さい』

 手を打ち鳴らす音しか聞こえなかった世界に、そんな進行役の生徒の声が響いた。


 何がどうなったのか?目の前を流れるのは学年ごとに、A組から順にぞろぞろと教室に戻っていく様子。オレはそれをただ茫然と眺めているだけ。

 何があった?一体どういうことだ?その言葉が頭の中でずっと渦巻いていて、声を出す事も、動き出す事も出来ない。

「おめでとうございます。新生徒会役員さん」

 そんなオレの沈黙を破った言葉。

 音のした方向に顔を向けてみると、立っていたのは桐咲有華。

 その表情はついさっき見たばかりの悔しさの塊を噛み潰したような表情ではなく、100人に聞けば100人が嬉しそうであると答えるであろうほどに嬉々としたものであった。

 こんなに嬉しそうな顔をした桐咲有華は初めてみた。だが、そんなことはどうでもイイ。祝福の言葉に対して何も返すことなく、ただ無気力に彼女ではなく彼女のいる方向を黙って見続けた。

「そろそろ全員教室に帰り終わりますから私たちも戻りましょう。それと、今日から早速生徒会の活動は始まるので放課後は生徒会室に来てください」

すると、それだけ言って桐咲有華は校舎に戻っていった。今、奴の発した単語、「私たち」「放課後」「生徒会」「活動」……それらはどのように組み合わせようとも明るい想像の出来ないものばかりで更に気が滅入り、引き続き一人、空虚を見つめながら沈黙する。

 一体何をするんだ?何を強いられるんだ?自分の中で疑問に疑問を重ね、考えれば考えるほどにワケがわからなくなる。

 ここは一旦落ち着いて、頭の中を整理するべき……

 とにかく、置かれている現状は異常。間違った事が起こった故に、今も間違った現状にいるはずだ。

 考える。考えろ考えろ。どうしてこうなった?何度も何度も自分に問い掛ける。

 そして、ゆっくりと頭が回転し始めたところで始業を告げるチャイムが鳴った。

 落ち着いて考え出してから本当にわずかな時間だった。しかし、それで十分だった。

 冷静に考えてみればわざわざ考える時間が必要だったのかすらもバカらしく思えるほどに、この現状をもたらした要因は単純なものだ。

 一体何が悪いのか?それは時間でもない、場所でもない……なら人だろ!おい陽コラ!何拍手してんだよ!

 そう、最大にして唯一の理由は陽なのだ。冷静さを取り戻した頭では熟考する必要が皆無なほどに陽なのだ。

 当たり前の事にようやく気付いた瞬間。空っぽだった心が一気に怒りで満たされる。すぐにでも問い詰めてやる。いや、問い詰めてやらなければならない。

 どうして拍手した?

 とにかく、まずはそれを聞く事だ。

 チャイムが鳴り終わったところでようやく動き出す。いつの間にか校庭に残っているのはオレ一人になっていた。

 踏み出す一歩がいつもよりも大きいのは、既に始業時間になってしまったからではない。


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