第五十六話 出国
戦闘の結果、無残に変わり果てたルート荒野は惨憺たる様だった。
至る所に大きなクレータが出来、神殿も既に原形を止めていない。
もはや荒地といって良いほどに変わり果てた大地に2つの生き物が対峙している。
余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だったモトは、現在息を切らし、体中に傷を作り地面に膝を突いていた。
対するアドの方は、更に凶悪な姿に変貌し、モトすらも虫けらの如くあしらい無傷である。
「幾ら加護を持とうが、所詮は人族の使徒。我にかなうわけが無かろう?」
視線をモトに向け、次で最後の一撃を見舞おうと虎視眈々と狙うアドは嘲り笑う。
「・・・っつ!まだ・・・だ・・・まだ・・・やれる・・・」
モトは搾り出すように声を上げるも、体は正直だ。
もう立つ事も叶わないほどに疲弊していた。
散々に得意の重力魔法を屈指したにも拘らず、傷1つ負わせることが出来無かった。
しかもアドには精神支配は利かない、マインド系は一切通用しないのだ。
「さあ、長き因縁に終止符を打とうぞ!」
モトの様子に嬉々としてアドは叫ぶ。
殺したかった好敵手の最後を自らの手で行える喜びを抑えず切れずに、アドは顔を惨く嬉しそうに歪ませていた。
アドの言葉が響くと同時に、彼女の全ての手に持つ武器からあらゆる攻撃が繰り出されようとしている。
剣からは斬撃が、盾からは打撃が、独鈷杵からは光が、本からは雷が放たれようと。
膨らむ攻撃の気配に、モトが観念したかのように目を瞑ったその時。
「う??ががああ??貴様!!我を!!・・・」
突如としてアドに異変が起こる。
苦悶の呻きと共に身悶えて其の巨体を地面に横たえるアド。
ドーーンっと大きな音柄を立て、その場に倒れ伏す。
其の様子にモトは驚きの表情を顔に表し、次に喜色に変化させる。
モトには今の事態が理解できたのだ。
だからこそ、モトはアドに皮肉を投げかける。
「ふ・・・はっははは、貴様・・・食われたな?」
「っく!我が食われる事など・・・」
「ふ・・・ははっははは・・・そうか奴に食われるのか・・・なら俺の目的は一応達成したわけだ・・・そいつを殺すことは出来無かったが、今回は致し方なし・・・此処で一旦引かせてもらう。流石にもたない・・・」
「モトよ!!貴様!!逃げるのか!」
「ああ、逃げる。此処で死んだら何もなせないではないか」
よろよろと立ち上がり、モトはアドを見返す事無く踵を返す。
「まて!!我を・・・我を・・・があああああ!!!」
アドが何かを言いかけたが、気にする風も無くモトは歩き出す。
暫く歩き、距離が出来た事を推し量ってか、空を見上げるモト。
傷つき、痛々しいまでの成りをしたまま、モトはふわりと空に浮かび、南の空へと消えていった。
振り返りもせず、一目散に空の彼方へと・・・
モトが居なくなり、其処には打ち捨てられた者達だけが残る。
苦悶にもがき苦しむアドと、それを見守るセフィリア達だ。
「どう?なってるの?」
事態の突然の集束に、呆気に取られたセフィリアがアリスに尋ねる。
「アドルフがラルスを助ける事に成功したんでありんしょうな・・・それと、モトと呼ばれていんしたお人も、もう戦えせんでいんしたんでありんしょう」
「え?・・・お兄が助かるの?」
「・・・まだ何とも言えんせんが、あの様子でありんしたらもしかすると・・・」
確認するセフィリアの言葉に、アリスは推測を述べる。
それが当たって欲しいとばかりに、2人は食い入るようにアドを見詰めた。
2人の視線の先では、必死に何かに耐え身をくねらせ、地面でのたうつ化け物がただ居るだけだ。
体を軋ませ、在り得ない方向に腕が曲がり、背骨が折れ曲がり、まるで軟体動物の如く体を変改させている。
常に変形し続ける物体は、ラルスなのかアドなのだろうか?
辺りは日が落ち、もう暗闇が差し掛かっている。
今だもがき苦しむ化け物の姿が其処にある。
ただ、変化は現れている。
化け物から人に、人から化け物にと姿を変え続けているのだ。
人の姿は多分ラルスのものなのだろう、っと2人は思っている。
だから必死にセフィリアとアリスは、ラルスの帰還を祈っていた。
セフィリアは無事にラルスが戻る事を。
アリスはアドルフの願いが叶う事を。
2人はラルスの帰還を願い、熱心に祈るだけだ。
其の側では、オイゲンが深く思考に沈んでいた。
必要に考え込んでいるオイゲンを気遣える2人ではなかった為、オイゲンの雰囲気の変化を見逃していた。
そしてこの事は、後になるまで誰も気に止めていなかったのだ。
彼が何を思い、何を考えているかなど・・・
やがて、2人の願いが通じたのか、随分時間が掛かった上で、化け物からの断末魔が響き渡る。
断末魔が響き、辺りに言い知れぬ不穏な雰囲気を撒き散らした後、徐々に体が縮んでいく。
次第に人の形の戻り、その後2人の知るラルスの顔が見え始めると、祈りを解いて2人は駆け出した。
もう其処には化け物のアドは居なくなり、只裸のラルスのみが横たわっているのみだ。
ラルスがアドに勝ったのだ。
其の事には2人とも解っていなかったが、無事に姿を見せたラルスにただ喜んだだけだった。
直ぐに側に行き、セフィリアはラルスに抱きつく。
そして、膝に抱えるように抱きしめて大粒の涙を流す。
「お兄!!お兄・・・良かった・・・良かったよ~~~」
ラルスの顔を容赦なくしきりに撫で回すセフィリア。
安堵と喜びから、セフィリアは気が狂うほどにラルスに貪りつく。
其の横では、アリスが喜びと共に落胆の思いをして、ラルスを見詰めていた。
「アドルフ・・・ぬしゃ~願いを叶えんしたんでありんすな・・・」
セフィリアのように大泣きせず、静かに涙を流すアリス。
その頬には1条の涙が垂れ落ちていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
俺が気がついたのは、アドルフに叱咤を受け、アドを食らった翌朝だった。
スキルにより全てを融合させた際に、アドの力を食らいアドの精神を無に帰した。
全てはどちらの心が強いかと言うだけ。
要は俺のイリスへの執着が勝ってアドの精神を屠る事が出来ただけの結果だった。
もちろんアドルフも融合してしまった。
彼は何も言わず、ただ吸収され意思を自ら無にしてしまっている。
だから俺は、アドルフの強さと優しさを自らに抱擁することしか出来かなった。
目を開けるまで、寝ずの番をしてくれていたのはセフィリアとアリスだ。
何時目覚めるとも知れない俺を、2人は見守ってくれていたらしい。
そんなにしてまで守ってくれた事に、俺は素直に感謝した。
でも、心配のあまりに余計なことも言ってしまったけどね。
「ありがとう、2人とも。でもあんまり無茶はしちゃいけないよ?俺が目を覚まさなかったらどうするつもりだったんだよ?」
2人のことが心配過ぎて、ついお説教がでてしまったのだ。
「ごめんなさいお兄・・・でも、いてもたってもいられなくって・・・」
「あまりセフィリアを責めなんでおくんなし、わっちも悪う御座いんした」
自分のことは棚に上げて説教したのに、2人は素直に謝ってくれる。
2人が恐縮して謝る姿に微笑みながら、俺は気をつけてねと軽く流しておいた。
罰が悪いがこのやり取りでいいだろう。
正直言えば、今すぐにでもイリスを抱えて飛び出したい衝動や、セフィリアを抱きしめて泣きたい気持ちもある。
自分の変化についての確認や、今後どうすべきかという悩みもある。
でも焦りや苦悩は今は胸に秘めておく。
アドルフの如く、俺は強くあるんだと。
だから構えていつもどおりに振舞うんだと。
俺とセフィリアとアリスは、出来るだけいつもどおりに振舞おうとする中、オイゲンだけは神妙な表情で俺達を見ていた。
正直俺は、今のオイゲンに何を言っていいか解らない。
無言ではあるが、お互いに干渉しないでおこうという空気に流され、オイゲンとは会話をしなかった。
ただ不干渉に徹底し、双方の軋轢を生まないよう気を使いあっている。
そんなオイゲン達だが、必要なことは手伝ってくれている。
必要な事は協力しないとルート荒野を脱出出来ないと解ってくれているだけだマシなのだろう。
オイゲンの今後に取る行動が読めないのは怖いが、今は何も言うまい。
俺が目を覚まし、事態を把握したことで行動を開始する。
もう此処には用はない、町に帰ることこそ優先事項だ。
だから俺達は帰還の準備に入る。
思い返せば凄まじい経験をした冒険となった。
最初はただLV上げにルート荒野に足を踏み入れただけなのに。
それがワイバーンと戦い、鵺を屠り、モトとかアドとか使途と交戦するなど考えもしなかった。
更に、大切な人を失うという事態を招いてしまった・・・
此の世界に来てうぬぼれていたことが良く解る。
気軽に危険に踏み込み、安易に強さを求めた結果がこれだ。
俺は自戒を込めて、今回の旅を強く戒めにする事にした。
帰還の準備をしながら、俺はアリスより彼女のスキルの説明を受ける。
彼女の隠されたスキル、『魂の契約』についてだ。
神祖になって得たスキルで、死者の願いと召還者の願いをお互いにかなえる約束の下契約できるスキルということだ。
死んだ者の肉体があれば、其処に仮初の魂とのパイプを繋ぐというもで神祖特有のものらしい。
そしてこのスキルは非常に複雑で面倒な事も聞く。
『魂の契約』は、神聖魔法の蘇生術とは違い、人を生き返らせるのではない。
どちらかと言うとゾンビとして蘇らせるようなものと言う事だ。
このスキルの一番解り易い例がアドルフだろう。
このスキルにより、現世になんとか繋ぎとめられていたのだから。
そんな訳で、本来ならイリスもそうなる筈だったのだが・・・
「イリスは加護により魂のバイパスがかろうじて繋がっていんした。でも蘇生術で蘇るほどには強う結びついておりんせん。あくまで加護の効果でしかありんせん」
「ならどういう状態なんだ?」
「それは・・・わっちの『魂の契約』により道理を捻じ曲げ此の魔石結晶に魂を保存しバイパスを無理やり維持しておりんす。死でも生でもない状態・・・加護があってこそ可能な状態でありんしょうな・・・」
「そうか・・・ありがとうアリス」
「いえ、わっちが出来るのはこの位でありんす・・・でも1年・・・もって其れ位しか維持できんせん・・・早まるかもしれんせん。1年を超えることもありんせん・・・それまでに何らかの方法を見つけてイリスの肉体に魂を戻す必要がいんす。其れができない時は・・・」
「ああ、解っている。それでもイリスが助かる可能性があるんだ。本当にありがとうアリス・・・」
「あい、御礼はイリスが戻ってからまた受けとりんす」
アリスよりスキルの説明と現状を聞き、俺の方針は決まった。
蘇生させたイリスの綺麗な肉体は、俺の魔力を流し込む事で現状を維持できるようしている。
町に戻ったら専用の棺を作って、其の中に安置させて痛まないようにするとしよう。
俺はイリスを蘇らせる旅に出るのだ。
どんな些細な情報にも全て検証して行く。
其れが方針だ。
俺の決意を感じたのか、セフィリアがオズオズと尋ねてくる。
「お兄・・・お姉は生き返る?」
「ああ、可能性が無いわけじゃない。セシリー・・・手伝ってくれるか?」
「もちろん!!お兄!!お姉を助けたい!!」
「ああ、じゃあ此れからは無茶でも何でも、まっしぐらに突き進むから覚悟しておいてくれ」
「うん!!任せてお兄♪ついていくよ何処までも」
俺の我侭な決意に覚悟して付いてきてくれると言うセフィリアに、俺は感極まって其の身を手繰り寄せ抱きしめた。
「お兄・・・ちょっと痛いよ・・・」
「ああ、すまない・・・でも暫くは・・・」
「うん・・・」
セフィリアを抱きしめた状態で、俺は頭を撫でてやる。
今はこうしていたかった。
イリスがいなくなった今、俺達は2人っきりになったのだから・・・
生きているお互いの温もりを確かめ合い、決意を新たにする。
それから直ぐに支度をして町に戻る事となった。
イリスを俺が背負い、護衛にセフィリア、火力にアリスだ。
殿はオイゲンに任せて、俺達はルート荒野をひた走る。
セフィリアは剣を握ったまま、道すがら邪魔になるものは片っ端から切り払う。
アリスも魔力量などお構い無しに全力で魔法を打ち、邪魔なものは薙ぎ払ってくれる。
強行軍に疲れもあるだろうに、俺とイリスの為に其の力を全て出してくれている。
オイゲンも協力してくれているが、どこか遠慮を感じる。
オイゲンが何を考えているか、結局帰りの道でも聞ける事はなかった。
3日掛けて、俺達はキリエに戻ることが出来た。
戻った時、キリエの変わり果てた姿に唖然としたが、其れはまた後で考えることにする。
とりあえずギルドに戻り、事の顛末を説明して素材を売り払う。
素材の報酬を手に、俺とセフィリア、アリスはアパートメントへと帰る。
オイゲンだけはギルドで居残り、奥の部屋へと消えて行ったがそれをどうこう言う暇はなかった。
報酬を手に、俺はイリスの保存の為の棺を早く作らなければならなかったからだ。
彼方此方を回り必要な物を揃え、試行錯誤の上出来上がった棺にイリスの肉体を保管する。
水晶でできた棺の中には、調合したエリクサーの液体を充満させる。
エリクサーの効果により、肉体を完全に保存できるからだ。
更に安全に安全を考え、肉体に魔力を供給する事で細胞の死滅を防ぐ。
少なくとも魔力により、細胞が生き続けることが解ったからだ。
だからこそ、俺の魔力を這わせることが出来る魔石を棺内に設置する。
エリクサーはアリスが素材を知っていたので『アルキメイト』で速攻作れた。
アリスも素材は知っていたが、現物は見たことなかったようで驚いていたが無理もないだろう。
しかも人一人すっぽりと沈めることの出来る量のエリクサーなど前代未聞だ。
呆れて何も言わないアリスは、俺を心底驚きで見ていたが無視しておいた。
暫くはアパートメントで3人で過ごし、これからの事や起こったことを検証して数日を過ごす。
3日程過ごした後、アリスは本来の目的の為に、海路で一旦国に帰る事となった。
俺とセフィリアは、出来れば一緒に行動して欲しかったが、彼女にも事情がある為強くは引き止められなかった。
「わっちはこの事を神殿に戻って報告する義務がありんす。できれば・・・付いて行きたい・・・でもこれもお仕事でありんす♪」
そういって、無理やり笑顔を付くたままアリスは町を去っていった。
去り際に、アドルフから預かっていたというドリス宛の手紙を貰う。
あの時、アドルフが俺に言っていたものは此れなんだろう。
ドリスにどうやって此の手紙を渡すか散々考えたが、結局正直に話すことにした。
結果、ドリスは手紙を見て一頻り泣いた後、徐に俺に向ってお願いをしてきた。
「ふふ、アドルフの願いを無碍に出来ないわ・・・ラルス・・・ポーションを頂けるかしら」
どうやら肉体の再生を決意したようだ。
どんな心境の変化か解らなかったが、ドリスの意思を尊重することにした。
ただ俺は、掛ける言葉を見つけられないままだった。
何を言っていいか言葉が出なかったのだ。
俺は神妙な顔つきでエリクサーを渡す。
もつろん中身は最上級ポーションと偽ってだが・・・
欠損から時間もたっているし、正直ポーションでは心許なかったし、アドルフの願いもそうなんじゃないかと思っての行動だ。
「ああ、もう・・・あいつには本当・・・目に物見せてやらないとね」
飲む前にアドルフに毒づいたドリスは、一気にエリクサーをあおる。
飲んだ後、エリクサーの効果により全ての傷も癒え欠損部分も補われて五体満足にもどるドリス。
其の姿に、俺は新たな決意を胸に秘めたドリスの雰囲気を感じ、そっと部屋を出て行った。
もうドリスは別の道を歩むのだろう。
俺はそれをただ見送るだけだ。
だから、ドリスの復活を見届けると、会釈と共に部屋を出たのだ。
そんな俺に、ドリスは最後の言葉を掛けてくれた。
「私は旅に出るわ・・・もう会う事は無いかも知れないけど・・・元気でねラルス・・・セフィリアにもよろしくね」
こうして、俺のキリエでの繋がりは無くなった事になった。
だからこそ後ろ髪を惹かれる事無く此の国を発つことが出来る。
其れを解ってこそ、ドリスはああいったんだと思う。
アドルフもそうだ、ドリスもそう・・・2人には感謝のしようがない。
其れ程までに、俺達は2人に愛されていたと思うと言い知れぬ寂しさを感じた。
フランクにはドリスの部屋を去ったあとキチンと挨拶をした。
話を聞き、フランクも笑顔で俺を見送ってくれた。
去り際に彼は、教会で此の後も生涯を捧げるといって、俺達の旅の安全を祈ると約束して教会の中へと消えていく。
楽しかったあの時間はもう無いのだと、俺は空を見上げて暫くその場を動けなかった。
もちろんオイゲンにも挨拶には出向いた。
だがギルドに居る筈のオピゲンには一度も会う事は叶わなかった。
忙しいという理由だが、それだけでもないだろう・・・
オイゲンにもなにか思う事があるのだと、勝手に解釈してセフィリアの元に戻る。
寂しさもあったが仕方ない一面も理解して、俺はセフィリアに結果を報告する。
今回はセフィリアを同行させなかった。
セフィリアは渋ったが、俺がそうさせたのだ。
先の戦闘で少なからず衝撃を受け、しかも姉を失っているセフィリアの心を心配しての事だ。
セフィリアにこれ以上好きな人たちとの別れを見せつけ、心を折れなくしたかった。
俺の話を聞き終え、セフィリアは手紙をしたためる。
いつか彼らが読んでくれるようにと。
それをギルドに預けて俺達はキリエをアルティナ国を旅立ったのだ。
長く短い時間だったが、此の国を後にする。
イリスを蘇らせるために。




