お誘い
夕方に「ラーメン食いに行こう」ってメールが来たから
仕事を済ませてから、ちょっとだけ化粧直ししていつもの待ち合わせ場所に向かった
リップはぬぐっておいた
だってラーメンだもの
彼のお気に入りのラーメン屋は私の会社の最寄の駅の近くだから
ときどきこんな誘いがくる
ラーメンが食べたくなったときはこの店で、一緒に食べる人は私だと決めてるらしい
彼は駅のロータリーの一角でいつものようにベンチに座って待ってた
夕陽が周りの景色を全部みかん色に染める
空も高くて、少ししかない雲も太陽に照らされてオレンジ色に輝いている
車もバスも絶え間なく目の前を通り過ぎる
彼は私を見つけると、仕事を終えてのんびりした顔でニカっと笑う
「ラーメン食ったらビールも飲みに行こうな」なんてその先の予定まで宣言すると
立ち上がって、私の腰あたりに手を回して先をうながす
機嫌がいいな、隣を歩く彼の顔を見たわけじゃないけど、なんとなくわかる
声の調子とか、息づかいとか、歩く早さとか、彼の体から発するものすべてが私の中に流れてくる
オフィスの多いこの駅に向かう、お勤め帰りの会社員とかOLさんとかはすっきりしてたりこぎれいな服を着てたりするけど、私はそういうの苦手で無理のない程度のカジュアルな格好をしている
だから彼は私をそういう男ばかりの店に抵抗なく誘う
まぁ、それにラーメン屋には部活の帰りによく行ったなぁ
夕方の塾がない日にはよくみんなで・・・
開放感にひたりながら食べたラーメンはたいていはおいしかった
小汚いけど、味は確かなラーメン屋の引き戸をあけて暖簾をくぐり
「こんにちは~」と大きな声で挨拶すると
店はまだ早い時間でそんなに混んでるようでもなくて
待つこともなく、座ることができた
お水をだしてくれた店員さんに慣れた口調で
「チャーシュー麺一つと並一つ頂戴」と私に何も聞かずに注文する
そしてまた慣れた口調で
「俺に並ちょっとくれるよな」って目で訴えてる
ほんとに相変わらずだなぁと苦笑しておく
彼のこういうのってもう慣れっこだし
対して嫌な気持ちになったこともないから、いつも、まぁいいか、って思ってしまう。
ラーメンを食べ終わってお店を出ると
もう夕陽は沈んで回りはグレー色の景色
まだ明るいのにあちこちの電気はついてて瞬いてる
お勘定をすませて後から出てきた彼に
「ごちそうさま」って声をかけると
ふふふって笑って
「俺、今日頑張っていい結果が出たんだ」って嬉しそうだ
そして急に顔を近づけて
「だから、後で、ご褒美な」って甘い声でささやかれた
私は少しだけ、身を固くする
彼はそういう私の表情を見ると、私の頭をくしゃっとなぜた
これも学生時代からのいつものやりとりだ
めったにないけど、彼は自分が頑張っていい結果がでると決まってこういって私をあわてさせる
彼とのつきあいは長い
知り合ったのは中1の春、同じクラスになった時からだ
朝から晩まで部活や塾に追い立てられていた頃に、ずっと隣にいた戦友のような存在
下手な女友達よりずっと気が置けなくて
わりと心の動きも読めてしまう相手・・・
好みのビールが置いてある店がこの近くなんだって言われてその店に歩いて向かう
しばらく無言が続く
アスファルトにあたって響く私達の靴音
車のエンジン音
誰かの話し声
通り過ぎる店の中から聞こえて来る音楽
ふいに彼が口を開く
「お前って俺を絶対否定しないよな、あんまり俺、お前に断られたりした記憶ないわ」
「慣らされたんだよ、それに嫌な事、言われたり、頼まれたりあんまりしないし」
「だと、いいけどな」