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少女の語る天使の事実

「なんで俺を仲間に入れた?」


 校門に背を預けていた健志は陽菜と月歩が来るなりそう聞いた。その眼は疑わしげでもあり、嬉しげでもあったが、彼を見た者は自然と別な所が気になった。


「お前、眼どうしたん?」


 健志の右目の周りは紫色に腫れていた。

 喧嘩でもしたのか、事故にでもあったのか。


 陽菜は健志の事をあまり信頼していなかった。むしろ警戒していた。本当ならそんな人間が怪我をしていようが、病気になろうが気にしないが、健志の変貌は見過ごすには目立ち過ぎた。


「何かおかしいか?」


 憮然と知らぬ存ぜぬを通そうとする健志を見て、陽菜は追及を辞めた。

 隠したいならばわざわざ暴き立てる様な事でもない。まして無遠慮に触って自分の眼の正常振りをアピールしている健志の痛々しい仕種は何やら健気で哀れにすら思えた。


「まあ、あんたが良いなら別に良いけど。さすがにその腫れはヤバいと思うから、冷やすだけはした方が良いぞ」


 健志は尚も自分の眼を触れようとしたが、手を止めて「そうか」とだけ言った。


「で、あんたを仲間にした理由だっけ?」

「ああ。あんた等だけでも真相を知れそうなのにどうして俺を?」

「そうなの? あたしはまだ真相なんて全然見えてないけど」

「飛び降りた奴の話を実際に聞けたし、薬を配った張本人の話も聞ける。後は薬を配った奴から天使の話を聞いて、探し当てるだけだと思うが」

「まだ天使の仕業だと決まった訳でも無いけど……あんたを引き入れたのは一つは捨て駒。ヤバいのにあったら真っ先にあんたを差し出す為。もう一つは月歩が良いって言ったから」

「嘘を見抜く力が必要になった訳じゃないのか」

「それは話半分だし。あんたの妄想なんじゃないの? って私は思ってる」

「そうか。ならそっちのあんたは何でだ?」


 健志に話を向けられて、月歩は夕日から視線を戻した。彼方を剥いていたが話は聞いていた様で、健志の問いに的確に答えた。


「飛び降りた時に、病院の窓から妹さんを覗いていたでしょ? 実際にあなたの家族が死んでしまった事は事実だし、少なくとも犯人を見つけるまでは協力してくれると思ったから」

「あの時見てたのか」

「ええ。でも、どうしてそんな事を聞くの?」

「いや、何となく。それにしてもあんた等は……良い奴だな」

「え?」


 訝しむ二人に背を向けて、健志は校門を通った。前には健志の高校よりも広いグラウンドと健志の高校よりも小さい校舎が、夕日を浴びて黒く陰っていた。


 校庭には帰宅する生徒や部活に励む生徒が散らばっていた。広い校庭に比べれば人影は余りにも少ない。誰もいない校庭の空き地が寂しげに誰かを招き入れようと赤く黒く色付いている。けれど生徒達は見向きもせずに、各々が部活に励み、帰宅を急いでいる。校庭を走る生徒の声と重なって、校舎から吹奏楽部の演奏が流れていた。誰も聞いていない。多分発している自分達ですら聞いていない。音と光景はそれぞれが全く別個の隔絶された世界だと主張している様で、それもまた寂しい。


 見ていると郷愁の様な物侘しさが胸に流れ込んで来た。


「門衛は?」

「は?」

「入るのに何処で許可を取れば良い?」

「許可なんて要らんよ」

「そうなのか」


 陽菜が先だって、その横を月歩が並び、健志はその後に付き従った。異郷人である健志を咎めようとする人間は誰も居ない。皆、健志の事など居ないかの様に、無視をして各々の行為に勤しんでいる。自分が周囲から隔てられた気がした。


 この場所は繋がりを絶つ場所なんじゃないか。

 そんな妄想じみた考えが浮かんで、健志は堪らず自分に背を向ける二人に声を掛けた。


「それでその薬を配ってた奴は何処に居るんだ?」

「二階の教室で待っててもらってる」

「なんだ知り合いだったのか」

「違う。話したのは今日が最初。あの人はいつも取り巻きを従えてて話しがし辛いから、事前に交渉しておいた」

「根回しの良い事だ」


 校舎の中は多くの陰が出来て、先の見えない暗闇が不気味さを漂わせていた。夕日の灯りは視界をぼやかし、廊下は透明な靄がかかった様に薄らいでいた。ふと気を抜けば何も無い空間に突然人影が立ちのぼりそうな気がする。


 幽霊が出るにはふさわしい雰囲気に包まれている内に、健志には目の前の幽霊じみた少女が一層不気味に思えてきた。


 だが近付いて見てみれば月歩は幽霊ではなく和風の美人に変わる。だから月歩が暗いからというよりは、むしろ明るい陽菜が隣に居るからこそ、月歩の陰気な重たさが際立って幽霊の様に見えるのだろうと、健志は思った。

 陽菜はより明るく軽く、月歩はより暗く重く。それが両者にとって良い事なのか悪い事なのかは分からないが、少なくとも二人でなければ出せない相乗効果だと言える。番いの様にぴったりと当てはまる二人を健志は羨ましく思った。


 二階に上がると、廊下に数人の女生徒が並んで立っていた。教室にある二つの扉の左右にそれぞれ一人ずつまるで護衛の様に立っていて、合計四人、更に教室の向かい側に三人並んで、合計七人の生徒が直立不動で立っていた。


「あれが取り巻きか?」

「そうなんじゃない?」

「襲われない」

「まあ、大丈夫でしょ。最悪健志を置いて逃げるから」


   ○ ○ ○


 護衛された教室に健志達が近付くと、生徒達は一瞥をくれた後にすぐさま視線を戻して、健志達から眼を逸らした。扉を開けると教室の中央に坐った女子が三人を迎えた。


「こんにちは」

 なるほど、天使に関係がありそうだというのが健志の抱いた第一印象だった。

 母性的な笑顔を浮かべた顔は線の細いパーツが組み合わさって、近づいてみれば消えてしまいそうな程、薄い。ゆるくカールを巻いて肩口で止まった髪は色を削ぎ落した様な薄い茶色で、夕日の靄に紛れて消えてしまいそうだった。


 儚げな姿に慈愛を湛えた笑顔。

 胡散臭い女だと無理矢理自分に言い聞かせて、引きこまれそうになった自分を戒めた時、突然その印象が回転扉の様にばたりと変わった。


 余りの変貌に心臓が跳ねあがった。吐き気がした。


「どうぞ」

「失礼します」


 陽菜は警戒しながらも、最低限の礼儀を失せぬように、頭を下げて薬を配った張本人の前に坐った。


「陽菜ちゃんと月歩ちゃんと健志君だったよね」


 椅子に坐るなり名前を呼ばれて驚いた。自分の名前は伝えていなかったはずなのに。月歩の視線を感じて、陽菜は首を振った。


「どうして私達の名前を?」

「一応、私は占いをしてるからね。相手の事は何でも知ってないと」


 はぐらかされたと分かるが、追及しても答えそうにない。

 それにしても健志の名前まで知っているのはどういう事だ。

 陽菜は更に警戒を強めて、気を引き締めた。


「私の名前は、そうだなぁ、ナツって呼んで。陽菜ちゃんのナと月歩ちゃんのツでナツ」


 何が面白いか笑うナツは懐から錠剤を取り出して、机の上に置いた。


「それで今日はこの薬について聞きに来たんだよね?」

「はい。なんでも天使を見れる様になる薬だとか」

「んー、そういう訳じゃないんだけどね」


 ナツは右から順に月歩、陽菜、健志へと視線を移して、言った。


「さて、聞きたい事があったらどんどん聞いてよ。私はそれに答えてあげるよ」

「それじゃあ、まず天使は知ってますよね?」

「どの天使?」

「今、町を騒がしてる天使です」

「見た事はあるよ。でもあの天使の過去は知らないし、話した事も無いし、何を考えているのかも分からない。面と向かった事も無いからね」

「そうですか。今、町で起こってる飛び降りについてはどれ位知ってますか?」

「個々についてはほとんど知らないよ。みんなが知っている様な事と、後飛び降りた人の中には私に相談しに来てくれた人がいたから、その人の事情は知っているけど。陽菜ちゃんの後輩も来てくれたよね」


 後輩の話を持ち出されて、陽菜は苦々しい気持ちになった。

 こいつに関わった所為で、後輩は。


 話を聞いて想像していたが、実際に本人を目の前にすると信用ならない印象が深まった。

 今度からこういう手合いに関わらない様に言っておかなきゃ。


「憶えてるんですか?」

「勿論。あの子はねぇ、自分が籠に閉じ込められているって思っていたの。本当は籠の扉は開いていて、すぐにでも外に飛び出せたのに。だからその事に気付いてもらえれば良かったんだけど」

「気付いたみたいですよ」

「そう? 良かった」

「なんであいつにその薬を渡したんですか?」

「え? だから籠が開いている事に気付いて欲しくて」

「なら飛び降りて怪我をした事についてはどう思います」

「大変だったね」


 笑顔を浮かべながら発せられた、悲しげな風を装ったナツの声が陽菜には腹立たしい。

 もしかしたらこちらを挑発しているのかもしれない。


 掴みかかろうとする自分を押さえつけて、次の質問に移ろうとすると、横合いから月歩が言葉を引き継いだ。


「他の人々に薬を渡したのも籠が開いている事に気が付いて欲しかったからでしょうか?」

「ううん、それは人によって違うよ。悩みを解決するのに天使を見るのが一番かなと思ったら、あげているの」

「それは飛び降りて死ねば解決するという事ですか?」

「まさか。天使を見るってね、今まで見た事の無い人には凄い衝撃を与えるの。その衝撃はとっても強いから色んな悩みを吹き飛ばせちゃうし、これからの生きていく中でもきっと役に立つ。だからね、折角良い機会なんだからみんなに見てもらおうと思って」


 嬉しそうに笑うナツに悪意の色は見えない。


 月歩の眼にはナツが心の底から人々を救おうとしている様に見えた。それが相手に良い影響を与えるなら良い。事によっては、聖母とでも思ったかもしれない。だが沢山の死者が出ているのだ。

 なんて恐ろしく残酷な人間なのだろう。


「私はね、ちゃんと注意しているの。天使は見るだけにしなさいって。触ろうとしちゃ駄目だって。でもどうしてか、みんな天使に近付こうとするんだよね。私達に翼は無いんだから空を歩こうとしたら落ちちゃうのにね」

「みんな自分に翼が生えたと思うそうですけど、それも薬の効果でしょうか?」

「翼が? どういう事?」


 あまりにも無邪気に首を傾げるナツに月歩は語調を強めた。


「自分が天使になったってみんな勘違いして飛んでいるんですよ? それはあなたが望んだ事ではないんでしょうか?」

「そっか! そういう事だったんだ。なるほどねぇ」


 突然声を大きくしたナツに気圧されて月歩は僅かに身を引いた。


「どういう意味でしょう」

「私はてっきりみんな天使に近付こうとして落ちちゃったと思っていたんだけど、みんな天使になろうとしていたんだね。それは思いつかなかったなぁ」

「思いつかなかった?」

「そう。だって天使になる必要なんて全くないでしょ? 人間だって私はとっても素晴らしいと思うよ。そっか、天使にねぇ。不思議だなぁ」


 一頻り頷いて納得した様子のナツは月歩達の前に薬を差し出した。


「この薬はね、本当に近くの薬局で売っているビタミン剤。何にも悪い物は入ってないし、不思議な魔法なんて掛かっていない、本当に何の変哲もない栄養剤なの」

「ならどうして天使が見える様に?」

「天使ってね。見ようとすれば見えるんだよ。ただね、みんな見ようとしてないだけなの」


「月歩は確かに見たみたいですけど、私は見ようとしても見えませんが」

「それはそこに天使が居ないから。そうだなぁ、人ごみの中で知り合いを見つけようとする感じかな。注意していないと見落としちゃうし、注意していても中々見つからずに捜し歩かなくちゃいけないでしょ? 天使だって同じ事でずっと天使をみたいって思っていれば、いつかは見る事が出来るのに、ちょっと探して諦めちゃう人ばっかりだからまるで居ないみたいに思われているの」


「ならこの薬は」

「ただ天使を見たいって思わせる暗示。ちょうど天使がこの町に来ているからね。見ようとすれば誰でも見えるの。最近だと毎日この学校の屋上に来ているみたいだし、すぐに見れるよ。ただそうは言っても、中々信じられないでしょ? だからそれらしい演出として薬を渡しているの」


「ならどうして天使を見た人は天使になりたくなるんですか? それでみんな飛び降りてしまっているんですよ?」

「うーん、それは私には分からないなぁ。私は天使を見ても天使になりたいと思わなかったし。そういうのは実際に飛び降りた人とか、天使本人に聞くのが良いんじゃない? 申し訳ないけれど、私には分からないよ」


「そうですか。なら今起きてる飛び降りはナツさんが意図した事では無い訳ですね」

「勿論。そんな事しても意味ないでしょう? でも、そっかぁ、それなら今度から天使に近付いちゃ駄目じゃなくて、天使になっちゃ駄目って言わなきゃいけないね。またああなっちゃうもん」


 そう言って、ナツは窓を指差した。全員がそちらを注視したが、窓の向こうには何でもない、有体の景色が嵌め込まれている。


 ナツの意図が分からず困惑して尚も窓の外を見ていると、突然影が差した。

 影の後に、髪の毛、顔、首、胸、腕、腹と来て、はためくスカートに隠された足が見えたと思う間に、それらは一瞬の内に過ぎ去って、下の階からざわめきが聞こえてきた。


 教室の沈黙が重くなった。

 下からのざわめきが大きくなるにつれて、教室の沈黙が少しずつ息苦しくなっていく。


 月歩は飛び降りた者の驚きに彩られた眼を反芻していた。本来なら凄い速さで過ぎ去る眼の色合いなんて知る事は出来ないはずなのに。本当に見たのか、それとも自分の想像なのか、判別がつかずに頭を混乱させていると、ナツの残念そうな声が聞こえてきた。


「あんな悲しい事が起きない様に、今回の事が解決する事を私も祈っているよ。頑張ってね」


 窓からナツへ視線を移すと、ナツは母性的な笑顔をまるで崩さず、変わらぬ様子で坐っていた。


   ○ ○ ○


 教室を出る時に、ナツは薬を渡してくれた。


「いらないとは思うけど、どうしても天使を見たいならこれを飲むと良いよ」


 そうして取り巻きと共に教室へ戻り、扉が締まった後のしんとした廊下で三人は立ち尽くした。


「犯人ではなさそうだけど」

「気味の悪い奴だったな。で、どうだ。あいつの言ってた事は本当だったか」


 吐き捨てる様に言って歩き出した陽菜とそれを追う月歩だったが、声を掛けられた健志だけは立ち尽くしていた。


「どうした? 飛び降りにショックを受けたって訳じゃないよな。あの先輩に見惚れちゃったか」

「違う」


 健志は重りを吐き出す様にそう言った。

 顔に夕日が照り光っている。

 冷や汗の浮いた健志を怪しんで、陽菜は近寄った。


「どうした?」

「あいつは……あいつは普通じゃない。人間じゃなくて、あれは、化け物だ」

「は?」


 意味が分からずに陽菜は震える健志を見つめていたが、突然健志が早足に歩き出したので、飛びのいた。


「何なんだよ」


 陽菜と月歩が小走りで追いつくと、健志は焦った様子でまくしたてた。


「俺は嘘を吐いてる人の顔に仮面が見える。本当の事を言っていたら素顔が見える。でも、あの女は違うんだ」


 健志は頭を掻きながら駆け降りる様に階段を降り、一階の廊下に出ると立ち止まって振り返った。陽菜と月歩が追い付いて、不審そうな眼で見つめると、健志は何度か深呼吸した。月歩は外から漏れる飛び降りのざわめきを耳にしながら、健志が落ち着いた頃合いを見計らって聞いた。


「あの女は違うって、ナツさんの事よね? どういう事?」

「あいつは仮面どころか素顔すら無かった」

「はぁ?」

「どういう事? 私にはちゃんと顔が見えたんだけど」


「分からない。最初は普通の素顔だったんだ。でも目の前に立ってもう一度見たら、顔の部分にぽっかり穴が開いてた。中は黒くてぐちゃぐちゃとしていて、分からない、あれは何なんだ?」

「あたし達に聞かれてもなぁ。どういう印象だった訳よ」

「その黒い中に引きずり込まれて、永遠に閉じ込められそうだった」

「まあ不気味な印象はあたしも感じたし、それの強烈な奴だったんかね。で、嘘は吐いてそうだった?」


「すまん。分からない。ただある意味、開け放しているって事だろうから、本当の事を言ってる気がする。単なる印象だけど」

「まあ、仕方ない。一応、本当の可能性が高い訳だ。わたしもあの話に矛盾も感じなかったし」

「うん、天使がいるのは事実だし、この薬がただの栄養剤なのは警察が調べた訳だし」


「問題は天使になりたいっていう考えが、どこから来るのかだな。あの人の話をだと天使が原因っぽいけど」

「ナツさんが嘘を吐いていた可能性もある訳ね」

「そ。ま、それはこいつの言葉を信用してやろう」

「いや、疑って掛かってくれ。自分でも良く分かってない」

「ま、いいけど。とりあえず、天使に会ってみるか」

「天使は毎日学校の屋上に居るって言ってたよね」


 陽菜は手中の薬を弄びながら、健志に意地悪く笑いかけた。


「怖いんならやめてもいいよ?」

「ここまで来たんだから最後までやる」


 そういうと、健志は無造作に口の中へ薬を放り込み、飲み下した。

 陽菜も負けじと薬を飲みこみ、まずそうに顔をしかめた。

 月歩もそれに倣って飲み込もうとして、陽菜に止められた。


「月歩はもう見えるだろ?」


 気が付くとざわめきが遠のいていた。窓から外を見ると、警官が何人か居るものの、生徒達はほとんど居ない。遠くでは部活が再開している。もうすでに人々は飛び降りから興味を失い始めていた。


 麻痺してしまっているのだ。

 その光景は陽菜にとって不気味ではあるが当たり前の世界だった。

 その光景を月歩は人生に飽きてしまったもしもの自分を重ねた。

 その光景に健志は母親の前に居る自分を思い起こして共感した。


 外へ出ると、夕日は既に沈みかけて、空の半分は夜に染まっていた。

 その空に白い翼を生やした天使が見えた。


 暗闇で顔は窺えないが、大きく広げた羽と少女然とした体の輪郭は見て取れた。天使は下界の事などまるで気にせずに校舎の屋上へと消えて行った。


 しばらく三人は呆然と見送っていた。

 陽菜が屋上を向きながら、言葉を漏らした。


「なんか早速見ちゃったな」

「うん、どうだった?」

「普通? 正直期待してるほど衝撃も感動も無かったね、あたしは」

「あんたは飛び降りそうにないな」

「そういうあんたは」

「俺は、綺麗だと思った」

「まずくない? 見惚れてんじゃん。月歩は?」

「私は良く分かんない。凄く綺麗だった気もするけど、拍子抜けした感じもする」


 屋上から視線を外すと、三人は校門へ向かった。

 辺りを見回しても天使に気が付いて空を見上げている者は居なかった。熱心に部活に打ち込んでいて、空を見上げる余裕は無さそうだ。日常と非日常の乖離を目の当たりにしても、陽菜は当たり前に感じていた。つくづく自分は不思議に毒されているなと思いながら、恐らくこんな不思議な事は初めてであろう健志に言った。


「ねえ、本当に辞めたいなら辞めて良いから。はっきり言って飛び降りそうだし。あんたの能力が役に立たないなら、後はホントに弾除けだけだからね」

「分かってる。それでも俺は本当の事が知りたい」

「まあ、そう言うならあたしは構わないけど」

「それで何時あの天使に会いに行く? 今からか?」

「さすがに警察が居る中で、屋上の鍵を盗み出すのは気が引けるな。明日のこの時間で良いんじゃん?」

「そうか。分かった。じゃあ、また明日」


 丁度校門を出たので、昨日と同じ様に健志は一人で帰っていった。陽菜と月歩はその反対へ、二人並んで家路についた。


「なあ、月歩はどう思う?」

「どうって?」

「私はあのナツって先輩の言葉に嘘は無いとおもってるんだけど」

「私もだよ」

「なら飛び降りの理由はどう思う」

「そうだなぁ。天使に的を絞るなら犯人っぽそうなのは三つかな」

「天使が操るなり突き落とすなりしたのが一つ。あの先輩が操ったり幻覚を見せたのが一つ」

「もう一つが、飛び降りた本人が勝手に勘違いして飛び降りた可能性」


「あの先輩は不気味だったけど犯人じゃないと思う。天使はどうだろうな。ただ、昨日話聞いた後輩に言わせれば、天使が操ったってよりは、勝手に妄想逞しくして飛び降りちゃった感じがするけど」

「私もそう思う。もしかしたら天使が何かしたのかもしれないし、ナツさんが天使を見せなければっていうのはあるけど、でも結局犯人を指摘するなら当人な気がする」

「ならさ、あの健志はどうするんだろうね。妹の仇なんて言ってたけど」

「薄々気が付いているみたいだったけどね。昨日に比べて態度が変だったし」


 陽菜と月歩はそのまま黙って帰り、別れた。もしも妹が自殺だったとしたら、健志の心は壊れてしまうだろうと二人は考えていた。二人が見たところ、健志は自身の心を無理矢理押し殺している様だった。


 恐らく妹の復讐の為に。

 それだけ妹を大事に思っていたのだろう。それだけ犯人が憎いのだろう。それなのにもしも、犯人が妹だとしたら。妹の自殺であったら。


 あの性格ではきっと、妹の死を止められなかった自分を悔いて、まるで罪人の様に自分の心を抑圧して生きていく事になりそうだ。


 それはきっと死ぬよりつらい。

 それは如何にも哀れな結末で、はっきりと口に出して言う事は憚られた。

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