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試験に落ちた少女

 今までと何ら変わらぬ病院を見て、健志は苛立たしげに門を蹴った。


 妹が死んでから一週間と少し、飛び降りの数は減り、町は平穏を取り戻そうと捻じれた体をゆっくりと元に戻しつつある。病院でも何人か飛び、その直後だけは人の足が遠のいたらしいが、それももう過去の事。妹が生きていた時とほぼ変わらぬ、いやそれ以上の賑わいを見せている病院が健志には憎かった。


 既に妹が飛んだ花壇には掘り返された跡があるのみで、飛び降りがあった様にはとても見えない。まるで妹の証を消そうとしている様で、それが苛立たしかった。

 犯人探しがまるで進展していない事も、その苛立ちに一役買っていた。


 天使、化け物、透明人間、幽霊、鬼、毒物、トリック等々、ネット上の噂を調べて、どんな小さな事でも漏らさず探っていたが、何かが突き落とした痕跡はまるで見つからない。


 もしかしたら妹は自殺したのかも。

 ふとそんな事を考えてしまう自分を叱咤する為に、健志は始まりの場所である病院を訪れた。なのに妹の痕跡が消えていた。


 肺を抉り取られた様な息苦しさを感じて喘ぎながら、それでも健志は憎しみを胸に据えて病院の中へと入った。

 せめて妹の居た病室だけは見に行こうと考えていた。そこにだったら、何かしら妹の形跡が残っているかもしれない。全てが夢だと騙し掛けてくる、この雰囲気に異を唱えてくれるかもしれない。


 そんな希望に縋って病院の自動ドアを潜ると、奇妙な単語が聞こえた。


 天使。


 はっと振り向くと、二人組の女子が健志の後ろを歩いていた。


 対照的な二人だった。

 明るい笑顔に髪も服も明るい暖色で揃えた如何にも活発そうで軽そうな女と白い無表情に服は寒色と無彩色、重苦しい黒い髪を長く伸ばした沈み込む様に暗い女。正反対の印象を持ったアンバランスな組み合わせだったが、健志が二人から目を離せなくなったのは別の理由からだった。


 こいつが犯人なんじゃないか。

 暗い女は幽霊にしか見えなかった。もしも一人でいたら、あるいは明るい女の後ろに黙って付いていたら、本当に幽霊だと確信したはずだ。そしてとっ捕まえて胸倉を掴み揚げ、飛び降りの犯人だと白状させていたに違いない。

 白い喪服を着流して腰まで伸びた黒髪を振り乱した女の幽霊が、音も無く妹の後ろに立ち、そっと背を押す光景がありありと想像できた。


 とはいえ女は現実には幽霊では無く、どうやら実態のある人だった。ちらりちらりと周囲から意味ありげな視線を注がれている事からもそれは分かる。だから健志は飛び掛かりたくなる自分を自制して、二人の前に立ち塞がった。


 幽霊でないからと言って、犯人でないとは限らない。犯人でなくとも、何か知っているかもしれない。話を聞いておいた方が良いだろう。


 健志に遠慮や躊躇といったものはまるで無かった。ただ至上の目標である妹を殺した犯人を捜す為に、彼は形振り無く突っ走る気概しか持っていなかった。むしろ犯人だと思われたのに殺されないだけありがたく思えという様な気持ちで二人を睨みつけていた。


「ちょっと良いか?」

「悪い」


 明るい女がにべも無く答えた。

 健志は怯まず、横を通り過ぎようとした二人を手で遮った。

 明るい女も全く怯えず、溜息を吐いて健志を睨み返した。


「何? 月歩を誘おうってんなら無駄だよ」

「あんた等、天使の話をしてたな?」


 意外そうな表情で顔を見合わせた二人の呑気さが健志には苛立しかった。


 なんでもっと深刻そうにしていない。

 二人の表情は素顔で、他の人間の様に仮面を付けていない。誰もが飛び降りを恐れ、そしてその恐れを仮面で隠しているのに、二人は全く恐れていない様だった。


 その無神経さに腹が立った。


「俺は今起きてる飛び降りが自殺じゃないと思ってる。きっと犯人が居る。そいつを探してるんだ」

「で? それと天使に何の関係があんの?」

「噂話で天使に引き込まれたから飛び降りたっていうのがある。だから天使の話をしてたあんた等に話が聞きたい」


 俺はそこで一拍置いた。出来るだけ深刻そうに言った方が良い。


「妹の仇をとりたい。妹は飛び降りて死んだ」


 少し芝居がかり過ぎたのだろうか。

 明るい女が疑り深い眼で見てくるので、健志は不安になった。暗い女はずっと無表情だ。何を考えているのか分からない。


 説得ではなく脅した方が良いのだろうかと健志が考えていると、じっと無表情で黙り込んでいた暗い女が口を開いた。


「別に良いよ」


 短くそれだけ言って黙った。

 何を許可されたのか分からなかったが、協力的になってくれた事に安堵して健志は握っていた拳を緩めた。


「まあ、月歩がそう言うならあたしも構わないけどね。あたし達も自殺じゃないと思って、飛び降りについて調べてるところ。これから飛び降りた後輩の話を聞きに行くんだけど」

「なら話が早い。その後輩の話を聞かせてくれ。いや、実際に会えなくても良い。飛び降りの時に何があったのかを後で教えてくれれば」

「残念ながら早くない。あんたはそれで良いけど、あたし達に何のメリットがあるの? 物事はギブアンドテイクが基本でしょ」

「そうだな……俺は顔を見れば人の嘘が分かる。いや、本当の事を言っているかどうか分かる。だから物陰からその後輩の表情を見せてくれればその後輩が本当の事を言ってるか分かる。勿論、あんた達が何処かで聞き込みをする時に俺を連れてくれれば、その真偽を確かめられる。飛び降りに就いて調べるなら聞き込みは必要だろ? どうだ?」


 二人は目配せし合って、暗い女が頷いた。


「まあ、月歩が良いならあたしも良いよ。オーケー、あんた失礼な奴だから気に食わないが取引は成立としよう。あたしは陽菜。苗字では呼ぶな。苗字を調べて、それで呼んだらぶっ飛ばす。あんたの名前は? 苗字じゃなくてな」

「健志。苗字で呼んでも構わないが、ぶっ飛ばされそうになったら殴り返す」

「出来るもんならどうぞ」

「私は月歩。ここに居ると邪魔だから行きましょう」


 そう言って、月歩は病院の奥へと進んだ。突き放す様な言葉だが、陽菜は慣れた様子で後を追い、健志もほとんど気にせず少し遅れて付き従った。


   ○ ○ ○


 陽菜が後輩の傍に立つと、後輩は嬉しそうに笑って身を起こした。

 病室には陽菜と後輩だけで他の見舞い客は居ない。他のベッドに生活の痕跡があるものの住人の姿は見えない。

 丁度いい時に来たものだと、陽菜は内心ほくそ笑んでいた。病室の外では月歩と健志が時折中を窺っている。


「起きて大丈夫か? 別に寝たままで良いぞ」

「大丈夫です! 先輩が来てくれただけで嬉しいんで」


 輝く様な尊敬の眼差しが陽菜へと注がれた。

 これなら何でも話してくれるだろう。


 一方で、尊敬してくれる後輩を利用しようとしているあたしはどんな眼をしているんだろうと、陽菜は後輩の眼に映る自分を見てみたくなった。


「他に人は? 親とか友達とか」

「親は両方とも仕事で、友達はみんな学校です」

「ああ、そっか」

「てか、先輩は学校どうしたんですか?」


 さてどう言ったものかと、陽菜は一瞬言い淀んだ。しかし、すぐさま別に本当の事を言っても問題ないと判断して、滑る様に口を動かした。


「いや、やる事があったからそのついでにね」

「ありがとうございます。忙しいのにわざわざ、嬉しいです」

「どうも。で、用ってのはお前にあるんだけど」

「私に?」


 後輩の眼が恐れる様な眼に変わった。


「ああ、別に怒りに来たわけじゃない。その点は安心して。でさ、単刀直入に聞くけど天使見なかった?」

「え? あ、あの、いえ……見てないです」

「いやいや、別に良いんよ。あたしは居ると思ってるし。飛び降り自殺が実は天使の所為だっていう噂知ってるか? あれについて調べてるんだけど」

「それは……」


 後輩が考え込む様に掛布団の上に重ねた自分の手を見つめたので、陽菜は当たりを確信した。


「あたしの命もかかってるし、出来れば教えて欲しいんだけど」

「先輩の? じゃあ……あの……一応見ました……天使みたいなの」

「その天使に突き落とされたわけ?」

「いえ、違うんです! あ、えっと……突き落とされたんじゃなくて……その」

「言い辛いんなら無理にとは言わないけど、出来れば教えて欲しいな」

「誰にも言わないでくださいね?」

「勿論。信用して良い」

「私天使になりたかったんです」


 突飛な話だった。

 天使になりたかったから天使の様に空を飛ぼうとしたのだろうか。


 嘘を言っている様には見えない。

 真偽については、月歩と答え合わせをしても良いし、健志とかいう失礼な男に判断させても良いだろう。今はとにかく話を進めよう。


「だから飛ぼうと思ったの?」

「いえ、違うんです。私、自分が天使になったと思ったんです。それで……」

「飛んだ」

「はい」

「うーん、もう少し詳しく離してくれる」

「……その、私が、ううん……私はバスケ部が嫌になってたんです」


 私、幾ら練習しても上手くならないし、才能無いんだなって自分でも分かってました。でも友達居るし、先輩達も優しいし、上手くはないけど、続けて行こうって思ってました。


 その中でも先輩は、じゃなくて、陽菜先輩は上手いし、優しいし、カッコいいし、憧れてて、ずっと見てたいって思ってました。なんとなく陽菜先輩の近くに居れば、自分も凄くなれるかもって思ってたのかもしれません。


 でも陽菜先輩が怪我して、その所為で辞めちゃって、そしたらバスケってなんなんだろうって思えてきて。

 陽菜先輩も嫌になっちゃったんですよね? ほとんど何も言わないで辞めちゃったし、バスケが嫌いになっちゃったんですよね?


 そしたら私もバスケがなんか凄く嫌な感じになったんです。でもみんな良い人だし、なんだか辞め辛くて。でも嫌なものなのに、続けなくちゃいけないと思うと、息苦しくて。


 それで迷ってる時に、友達と一緒に学校の先輩に占いしてもらって。その時に薬を貰ったんです。天使が見える薬だって。あなたは今籠に入っているけど、天使を見て飛び方を知れば、その籠から出て行けるんだって言われて、渡されたんです。


 ふざけんなって思ったけど、でもそれでも、もしかしたらって思って、それで飲んだら、初めの内は何とも無かったんですけど、部活の帰りに天使が見えて。白い大きな羽を羽ばたかせて、すーって屋上の方まで飛んでて、すごく綺麗だなって思いました。


 不思議な位、驚いてませんでした。今考えたら天使なんて見たのに。

 天使を見た後ずっと私は、私もあんな風に綺麗で、あんな風に飛べたらって、そう思ってたら何時の間にか家に帰って来てて、それで気付いたんです。


 私の背中にも羽が生えた気がしたんです。白い羽を見れて、触ったら触れて、羽に力を入れたら体が軽くなった気がしたんです。

 それでどうしても飛びたくなって、それで窓を開けて、助走を付けて、バスケ部なんか辞めたいって思いながら、走って、その、それで……。


「うん、ありがとう。良く分かった。もう大丈夫だよ」

「気が付いたら私、病院に居て、飛び降り自殺って事になって、恥ずかしかったけど、でも天使になりたかったって言うのはもっと恥ずかしくて」

「分かった分かった。分かったら、泣くのをやめな」


 陽菜が優しく語りかけると、後輩は目をぬぐった。


 陽菜はすぐさまその場を駆け去って、どこかの壁に激突するか、それこそ窓の外へ飛び降りたくなった。


 後輩を追い詰めた原因は様々だろう。だがその中に、確実に陽菜という存在が入っていて、それなりに大きな部分を占めている様だった。


 それだけでも自責の念に駆られるのに、挙句の果てにその後輩の隠したがっていた秘密を暴き立て、更に救えない事にその秘密を利用しようとしているのだ。

 今すぐ白状して謝罪しても良かったが、恐らく心の支えとなっている自分が裏切ろうとしていた事を知ったら、後輩の心がどうなるか分からない。


 荒れ狂う内心を決して表には出さず、陽菜はいつも通りの明るい笑顔を浮かべていた。


「それで、今もバスケ部は辞めたいんかい?」

「いえ……飛び降りたら、何か急にすっきりして、バスケの事を考えても別に嫌じゃなくなって……辞めたくないです。でも私……ずっと嫌だって思ってたし……」


 再び俯いて肩を震わせ始めた後輩の額を陽菜は押し上げた。

 上を向いた後輩の顔に自分の顔を近づけてゆっくりと言った。


「別に後ろめたい気持ちなんか感じる必要ないだろ。辞めたくなる事なんて誰にでもあるんだから。それは別に怒られる様な事じゃない。みんな同じなんだから誰も怒らないよ。顧問のじいちゃんはふがふが言うだけだろうし」


 後輩は涙をぬぐった。

 陽菜は手を離しても後輩はじっと陽菜を見ていた。


「ただ一つだけお前が間違ってるのは、自分が下手だと思ってる事だ。最近上手くなってただろ。自分の力を過信しすぎるのは頭悪いけど、自分の力を下に見るのだって馬鹿だぞ。ちゃんとお前は上手くなってる」

「はい、すいません」


 濁った鼻声で謝る後輩の頭に陽菜はチョップを置いた。


「謝るな。でだ、今回の事で天使になったんだから。更に上手くなるぞ。なんたって羽が生えたんだからな。ものすげぇジャンプして、どんな所からでもダンクが出来る様になったわけだし」


 後輩は笑った。赤く腫れた目が歪んで涙が落ちた。


「あともう一個、あたしが辞めたのはバスケが嫌になったからじゃない。いいか? あたしははっきり言って天才だ。どんな運動だって上手いし、頭だって……まあ悪すぎるって程じゃない。んで、バスケ部を辞めたのはもうバスケを極めちまったからだ。だからそろそろ別の事でもしようかと思った訳だ。まあ、天才過ぎるのも考えもんて事だな」

「天才も辛いんですね」


 真顔で言った後輩の言葉は本気か冗談か判別がつかなかったが、陽菜は更に冗談をかぶせた。


「その通り。天才だから飽きっぽいし、才能があるからそうと決めたら突っ走る。まあ、勉強が少しあれなのも天才な所為だ。だからお前も大変だ。いわゆる努力の天才って奴だから。お前位、頑張ってる奴はいないし、いずれみんなより上手くなるだろう」

「そんな事……無いです」

「まあ、それは未来のお楽しみって事で」


 陽菜は持っていた紙袋を持ち上げて、中から箱を、更に中からメロンを取り出した。

 後輩は箱に書かれた墨字を見て、何やら高そうなメロンだなぁと思ったが、実際に後輩の感覚で言えばとてもとても高いメロンだった。


「いつも頑張ってるお前に褒美としてこのメロンをやろう。あたしには切ってる時間が無いから、親にでも看護師にでも切ってもらえ」

「すいません! ありがとうございます。あの……」


 後ろを向きかけた陽菜を後輩の声が呼び戻した。

 後輩は深刻そうな顔で俯いてる。


「何?」

「先輩はもし天使を見たらどうします?」

「あたし? 見た事無いから分からないけど」

「そうですよね」

「まあ、見たらとりあえず捕獲しようとするかな。珍しそうだし。あ、いや、とりあえず闘ってみるかもな。神を打倒してこその人生だろ」

「先輩らしいですね。私は……」


「あのな。弱くなる事なんて誰にでもあるからな」

「え? あ、はい」

「たまたまそれに重なっただけだ。あんまり卑下すんな」

「すいません」

「だから謝るなって……次会った時には自信を付けとく事。これ宿題な」

「はい。自信付けときます。後、あの……」


 まだ何かあるのか?

 これまでずっと言おうとして言えなかった事なら、きっととても言い難い事に違いない。もし先輩の所為で飛び降りたとか言われたらどうしようかと不安に思いながら、陽菜は耳を傾けた。


「先輩はもうバスケ部こないんですか? その……辞めちゃったのは分かるんですけど」

「ん? そんな訳無いだろ」


 拍子抜けしつつ、陽菜は堂々と胸を張った。


「さっきも言ったけど、バスケや部を嫌いになった訳じゃないし。これからも行くよ、OGとして」

「え? OGとしてですか?」

「当たり前じゃん。あたしもう辞めたんだし。これからどんどん扱くから」

「そんなぁ」

「って訳で、そろそろ帰るわ」

「あ、はい。ありがとうございました!」

「じゃ、またバスケ部行った時はよろしく」

「はい、また」


 陽菜は後輩に手を振り返して病室を出た。

 外では月歩と健志が待っていた。


「どうだった?」


 健志の無遠慮な言葉で温かくなった気分を害されて不満を募らせながらも、陽菜は冷静になって後輩の話を反芻した。


「天使は居るみたいだけど、天使が突き落としたって感じじゃないな。天使に魅入られたから、いや天使に魅入ったから、自分を天使だと勘違いして飛び立つって感じ」

「催眠術みたいな感じか」

「かもね。まあ、天使なんだからどんな風にでも人の意識を操れそうだけど。後は天使を見える様にする薬を配ってる奴がいるね、あたしの高校に」

「警察に目を付けられた奴か?」

「それ以外に居ないでしょ」

「他には? 何か長々と話してたけど」

「あんたの目的は犯人を見つけ出す事だろ? 何でこっちの内情に踏み込んで来てんだよ」

「そうだな。すまん」


「で? あの子は本当の事言ってたの? てか、分かんの?」

「ほとんどな。少しだけ嘘が混じってたけどあれは、話が聞こえなかったから正確じゃないが、様子を見るにあんたに気を使ったって所だろ」

「そ。嘘は言ってないのね」

「大きな嘘はな」

「ま、当たり前だけど」


 ふいと健志から顔を逸らして、反対の月歩を見た。月歩は無表情で前方を見つめている。

 興味があるんだか、無いんだか分からない。


「月歩は何か疑問とか無いの?」

「私? 私は別に。陽菜の話で十分」

「そ。なら次はどうする?」

「とりあえず、薬を配ってる先輩の話を聞いてみましょう。多分何かしら知ってるでしょ」

「了解。じゃあ、明日の放課後に行ってみよ。いつも夕方まで残ってるらしいから。健志、文句無いよね?」

「無い。明日校門で待ってるから、迎えに来てくれ。さすがに一人で入って見咎められるとまずいからな」

「私はあんたが捕まっても構わないけど。嘘を付いてるかどうかの能力は必要ね」

「なら迎えに来い」


 病院を出ると、健志は陽菜達と反対の方向へ帰っていった。


 心なしか焦った様子で足早に帰る姿は、仇を追う事だけしか考えられない冷徹漢のイメージと重ならない。ほんの短い間に作られたイメージだけで、健志の本質なんて分からないが、何かそぐわない。


 ただ冷徹な姿を作っていただけなのか。あるいは家と外だと性格が変わるタイプなのか。

 廊下で話していた月歩なら少しは理解しているかもしれない。陽菜はそう思って水を向けたが、ある意味予想通りの答えを返してきた。


「さあ? あっちは陽菜の後輩の顔を見るのに御執心だったし、私は別に話す事無かったし」

「そっか。じゃあ、天使については? 何か思うところ無い?」

「それも特に、かな。噂では凄く綺麗だっていうから、会うのは少し楽しみだけど。私が見たのは遠めだったしね」

「ああ、綺麗ってのは後輩も言ってたな」


 陽菜は内心月歩を心配していた。


 後輩は自由を求めた結果、天使に魅入り、そして天使になろうとした。結果、失敗して命は取り留めたが、もしかしたら死んでいたかもしれない。


 自由を求めた代償が死というのなら、月歩は死を選ぶかもしれない。


 月歩もまた自由を望んでいる人だった。自由というか、この世界に飽きている様に見えた。虚構の世界に対するよくある憧れを、冗談でも軽くでも無く真剣に持っている様に思えた。


 それはきっと沢山の不思議な体験をしてきたからだろう。陽菜も一緒に付いて不思議を味わう事があった。怖い思いや楽しい思いを味わった。

 そして終わった後に残るのが、虚脱感。劇場で映画を見終えた時の様に、溜息と共に自分の中身が抜けて殻だけになってしまった様な気分が襲ってくる。それは陽菜にとっては映画の時と同じ様にほんの僅かな瞬間だが、月歩はそれをいつも味わっているのかもしれない。


 月歩の浮世離れした姿と、飽きた様にも見える無表情がそんな考えを浮かばせた。


 天使を見た時に月歩は天使に憧れたのかもしれない。そして実際に天使になって飛び立ってしまうかもしれない。それを捕らえられるだろうか。


 月歩は今回の事件に執心していた。しかも後輩の話にほとんど関心を示さない事から考えて、事件の解決とか真相とかでは無く、事件に身を置く事に執心している様だ。不思議な事に興味を示し、首を突っ込みたがるのはいつもの事と言えばいつもの事なのだが。もしも月歩の執心が、事件ではなく、天使だったら。もしも天使ではなく、天使になる事だったら。


 そう考えると陽菜は身震いしていた。


「なあ、自由の代償が死だとしたら払う気になるか?」

「自由の代償に死? 今回の事件の事?」

「そ。後輩の場合はね。天使になるって事は飛び立つ事。つまり死ぬって事だろ? あいつは自由になりたくて天使になろうとしたみたいだから」

「んー、よっぽど不自由ならそれも良いかなとは思うけど」

「なら月歩は今、それ位不自由を感じてる?」

「え? 私? んー、私は別に……どうだろう。そんな気は……あ、そうだ。陽菜が居るからそんな事無いかな」

「あっそ」

「照れるな照れるな」


 普通に考えれば、以前陽菜が言った冗談への復讐なのだが、月歩はあまりにも無表情過ぎるので判別が付き辛い。もしかして天使になろうとしている事を隠しているのではと訝しんでしまう。


 結局、月歩の真意を判別できぬままに、陽菜と月歩は家路を分けた。

 嘘を見抜けたら良いのにと、陽菜はあの不躾な男子を心の底から羨ましく思った。


   ○ ○ ○


 陽菜と別れた直後に、月歩は鞄から缶詰を取り出した。

 今までずっと喋らない様に厳命していたのでさぞかし鬱憤が溜まっているだろうと思ったら、まさにその通りだった。


『ぷはっ! 死ぬかと思った。喋れなくて死ぬかと思った』

「いや、死なないでしょ。缶詰だし」

『良い? 私はずっと喋ってないと死んじゃう病気なの』

「それは良いんだけどさ」

『良くないわよ。私はね、喋らないと少しずつ錆びていっちゃうのよ』

「見た感じ錆びてないから大丈夫。それよりさ、私って天使になっちゃうかな?」

『知らないわよ、そんなの。少なくとも私が絵で見た天使とは髪の色が正反対だからなれないんじゃないの? 何? なりたいの? それともなりそうなの?』

「別にそういう訳じゃないけど。私は天使になりたくない訳でもないし、絶対にならなそうでもないし」

『取り立ててなりたい訳でも、なれそうでもないなら、なれないんじゃないの? 天使になるのって難しそうだけど』

「そうかな?」

『あんたの無表情も私の知ってる天使とは正反対だし、あんたに天使っぽい所ほとんどないよ?』

「缶詰は私に天使になって欲しい?」

『そうねぇ、あんたが天使になったら色んな所に連れて行ってもらえるからその方が良いかもね』

「そっかぁ」

『冗談よ、冗談』

「うーん」


『て言うか、そんな風に悩んでる事自体が天使になりたくないと思ってる証拠じゃないの?』

「でもさ、今回の事件が私の所為なら私も天使にならなくちゃいけないのかなって思う事があるから、天使になりたがってるとも言えると思わない? その考えって、天使を見てから浮かんだ考えだしさ、もしかしたら天使に魅入ってて天使になりたがってるのかも」

『んー、まあ、分からないけど、さっき陽菜は天使イコール死だって言ってたでしょ?』

「言ってたね」

『なら大丈夫。あんた見かけに依らずしぶといから』

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