虚脱と失望――鈍い闇
暗く、冷たい、しかもじめじめとする地下牢に入れられて一体どれぐらい経ったのか……
一見大造りのようでありながら、しかし意外と緻密に造られたそこは一筋の光すら漏れないものだから、本当に真っ暗闇だ。
すぐ近くにいるはずのガヘリスはおろか、自分の手すら見えないほどの暗闇である。まだ表の方が余程明るい。
岩のようにゴツゴツとした手触りの、冷たい床と壁がじわじわとガウェインの体温を奪っていく。弱った身にはまるで追い打ち。
すでに意識は朦朧としつつある。
外界から完全に遮断されたその空間ではガウェインとガヘリスの呻くように荒い呼吸音だけが響いている。
身体は泥のように重かったが、身体中を苛む鋭い痛みが意識を現実へと引き止めている。
コツコツコツ……
微かな足音。
音とともに薄ぼんやりとしたオレンジの柔らかな光も近づいてくる。
それは明かりを灯したランタンの光だった。
地上に繋がる階段から、一人の婦人が降りてきたのだ。
年配の、落ち着いた雰囲気をしたその婦人は銀の盆を持っていた。
その上には傷の手当てをする為の薬や包帯などの用具が一通り乗っていて、他に水差しとコップも乗せられている。
婦人はガウェインとガヘリスの目の前に、牢の柵のすぐ側まで来ると、いたわしげに問いかけた。
「騎士様、お加減は如何ですか」
――と。
「…良くはありませんが、大丈夫です」
ガウェインは感じたまま、思ったとおりのことを口にした。
これまで感じたことがないほど痛くて苦しくて辛くはあったが、このままでは死んでしまうと思うほどの危機感は感じない。
だがこれまでの人生で、死ぬかもしれないほどの大怪我というものを受けたことがないガウェインには、どれほどの深手で死に直面するのかが正直良く分からない。
首や心臓への一撃が致命傷になることぐらいは分かるのだが、それではどれぐらい傷つけば命が危うくなるのか、どれほど出血してしまうと生命に支障をきたしてしまうのかとか、そういう細かなところがよく分
からない。
何だか身体が重たくて、意識がぼんやりしているように感じるのだが、それが生命の危機に関してのことなのか、それともただ単に肉体が疲労して休息を欲しているだけのことなのか、その見極めが今の自分ではつけられない。
もっともっと経験を積んで、沢山の死地を潜り抜ければ――そういうことも理解出来るようになるのだろうか……
それはまるで……己を知ることに似ているような気がする……
と、よくは働かない頭でガウェインはぼんやりとそんなことを思う。
「傷の手当てを致しましょう。随分と深い傷のようですから、消毒液がひどく痛むかと思いますが、どうぞ我慢して下さいましね」
幼子に言い聞かせるような優しい口調でそう言って、婦人は牢の鍵を開け、牢の中へと入ってきた。
婦人はまずはガウェインの傷の手当てをし始めた。
白い清潔な布にたっぷりと消毒液を滲み込ませ、それをガウェインの左肩の、一番大きくて深い傷へそっと当てる。
「…っ」
瞬間激痛が走り抜けた。
斬りつけられた時と同じぐらいの、激しい痛みだ。あの時は感覚が麻痺していたから、痛みもろくすっぽ感じていなかったように思うのだが、今はとんでもなく痛覚が刺激される。
「ああ、さぞかし痛いでしょうね。もう少し我慢して下さいましね。もう少しですよ。あと少し……」
言いながら、婦人は傷口を拭い、新しい布にまた消毒液を滲み込ませ、また拭い、そして止血して当て布で傷口を覆って、手早く包帯を巻いていく。
それは非常に手早くて、老いた婦人の外観からは想像できないほど素早い処置だった。
「ところであなた方はどのような身分の方々なのですか? お見受けしましたところ、随分尊い方達のようにみえますけれど」
ガウェインの身体中についた傷を手当てしながら、婦人は世間話のような口ぶりでこう尋ねてくる。
「ガウェインと申します。オークニーのロト王の長子で、今はアーサー王の宮廷に所属しております。こちらはガヘリス、私の弟で今は私の従者をしています」
滲みる消毒液に少しばかり顔を顰めながらも、ガウェインは整然と問いに答える。
「……では、あなた様は最近即位なさったブリテン大王の甥子様なのですね……?」
婦人の目が驚きで見開かれる。自分が思っていた以上にガウェイン達の身分が尊かったことが彼女を驚かせているのだろう……
「…ええ、確かにその通りです」
言いながらふと唐突に、ガウェインはアーサーに対し、申し訳なく思った。
華々しく栄光に満ちたアーサーの姿が、脳裏を過ぎっていく。
少し前なら誇らしかった自分の血統が、今ではあまりに重過ぎた。
愚かで粗野で、その上非人道的な行いをした自分にはその尊い血筋が相応しくない。
アーサーの甥でロト王の嫡子――
その高貴な血が、内側から不甲斐ないガウェインを非難しているようだった。
立派な血統に劣等感や引け目、苦痛や悲しみを感じたのは――初めてだった。
今、ガウェインは現実の自分というものをまざまざと見せ付けられていた。
そしてそれと同時に――理想の自分とでもいうのか……『かくあらねばならぬ自分』というものと、今明らかになった『真実の自分』との間の、深すぎる落差にガウェインは愕然としていた。
消え入りたいほどの恥ずかしさと、絶望的なまでの不甲斐なさに、ガウェインは完膚なきまでに打ちのめされていた。
「…分かりました。私から城の騎士達にとりなしてみます。あなた達をアーサー王のもとに帰すように、と。きっとここから出られます。気を確かにもってもう暫く、お待ちになって下さい」
最後はもう、慰めるようにこう言って、後はただひたすらガヘリスの傷の手当てをすると、婦人は去っていった。
「…僕達、何とか助かりそうだね……」
ガヘリスの小さな呟きが、暗い地下牢によく響いた。