僕達はセックスの実在を確認していない
放課後、教室の隅で「ケッシャ」の最初の活動が始まる。第一回の会合は博士の授業となった。本来日直が最後に黒板の板書を消したりするものだが、今回僕たちがケッシャの活動をする為に日直の仕事を代わりにやっている。
「博士、もう黒板は使うなよ」
K君はからかうように笑いながら言う。
「使わないよ!あの授業やってひどい目にあったんだから」
頬を膨らませながら荷物を下ろす博士。
「博士、せっかくチョークで文字書くの綺麗なのにねぇ」
残念ながら博士が博士と呼ばれる所以となった授業の再現とはならなかった。黒板の代わりに使われたのは学級だよりの裏紙だ。
博士は僕の席に座り、僕とK君が机を囲む。博士はわら半紙に鉛筆を走らせる。何か絵を描いているようだった。
「これは、乾燥剤?せんべいとかに入ってるやつ」
そのイラストは何かのパッケージのようだった。
「これがゴム、コンドームだよ。中にこういうのが入ってる。中身はこんな感じ」
そう言いながら博士は輪っかのようなものを描いた。
「ほら、やっぱり輪っかだよ!これでちんちんをギュっと……」
「だからそれだとちんちん血止まって腐るって!」
「そういうのもあるけど、これは違う」
「そういうのもあるのか博士!?」
「それは応用編で教えてやる。今は『正しいSex』の授業だ」
当たり前だがここにいるのは全員童貞の中学生だ。本物の正しいセックスなんて知っているはずもないのに。
「輪っかに見えるけど実際は薄い膜になってて、ちんこに沿ってくるくるすると……」
「ゴム風船みたいなものだね、コレ」
「まさしくそのとおりだねニッカ君。でもゴム風船よりずっと薄いしずっと丈夫。薄さ0.02mmしか無いのにね」
「はー、良くわかんないくらい薄いねぇ!」
博士の授業は続いている。いくつかの避妊具、その使い方、前戯、体位。流石は博士と呼ばれるだけある。今後の創作に大いに役立ちそうだ。
「これが正常位、まあ一番スタンダードなやつね……。逆に後ろからってのが……」
イラストを描きながら解説する博士。それほど上手い絵ではないが分かりやすく図解されている。彼は本当に教え方が上手かった。普段僕らに授業を教えている先生達よりも、ずっと熱の入った授業だった。
そんな博士の熱弁を聴きながら、だが同時に僕はこう思った。
僕達はセックスの実在を確認していない。
いや、当時の僕ももちろん理解はしている。数多の生殖活動を経て僕達は存在している。だが、こう、現実感が無かったのだ。
それこそ僕らが読んでいたライトノベルやファンタジーと同じように。魔法やモンスターのことは良く知っているけれども、それらが現実の僕の目の前に現れることはないような。
僕らは今これほどまでにセックスについて語っているが、それが僕らの目の前に現れることは無い。それはもう、ファンタジーと代わりがないのでは無いだろうか。
そんな事を考えていると博士の授業も終盤に差し掛かっていた。
「なるほど、財布にゴムを……」
K君は顎に手を当てて感心している。博士の話は僕にとっても新たな発見ばかりの授業だった。内心で自分とセックスの遠さ、実在性の無さに気づき、少し虚しさを感じていたものの、彼の授業そのものは目から鱗の発見ばかり。素晴らしい性教育だ。
授業は終わりとばかりに博士が立ち上がるその時、何の気なしにK君は博士に問いかける。
「博士はマジで物知りだな。ゴムを財布に入れとくとかどこで知ったんだよ」
「ああ、ウチの姉貴が入れてて」
「へー。………ん?」
僕は生返事をした。そして、
姉貴が入れてて?
たった一言、たった一言だった。だがその一言が僕の中で、それまで平面だった世界を立体へと書き換える、分厚くなっていく。
その瞬間、情報が『生』になった。
博士の姉は遠巻きにだったが学校行事で何度か目にしたことがある。当時は高校生か大学生だったはずだ。少しだけふくよかで、朗らかな印象の女性だった。
そんな彼女の財布にコンドームが入っている……?
博士の授業は言ってしまえば全て情報の羅列に過ぎない。だがその情報の出どころが実在の、自分が目にしたことのある存在だとしたら?
朗らかな彼女が財布を開いた瞬間、不意に見えてしまったコンドーム。そんな光景を想像した。
それはあまりにも、
「エロすぎるでしょ……」
愕然とするように、K君が僕の思ったことをそのまま口に出していた。
「K君、次回作はちゃんとしたセックスを書くよ」
「俺もそう言おうと思ってた。恋人同士のイチャイチャするような奴」
世界が色づくような生のエロさ。その日僕が体感したのは実在感だった。きっと恐竜の化石を見つけた考古学者はこんな気持ちだったのだろう。
今日見つけたものは決してセックスそのものではない。だが、それは存在するのだという証拠を見せられた気分だった。
セックスは、あるのかもしれない。
「とは言ったものの、納得できるものが作れない」
数日後、休み時間の階段の踊り場で書いてみた作品をK君に見せてみる。
今回の作品は純愛モノを目指して書いてみた。大学生のカップルの話だ。一人暮らしをしている男の部屋に、初めて呼ばれた女の子。カップルが同じ部屋に入ったらやることは一つ。そんな感じの話。
「いや、ニッカ君ちゃんとエロく書けてじゃん。博士の話を参考にしたのがよくわかる。ゴムつけるシーンとか」
K君の言う通り、今回の作品はかなり博士の話を参考にした。避妊具もそうだし、体位もいくつか描写してみた。
「そうなんだけどさ、物足りないっていうか……」
「うーん……。ちょっと待ってて、考えてみる」
K君が腕を組んで考え込む。僕も合わせて考え込む。無言の僕たちの間を女子が通りがかる。丁度何も話していない瞬間でよかった。
「とりあえず思いついた問題点、挙げていくか」
数十秒の沈黙の後、K君が口を開く。相変わらずK君は凄い。中学生にして問題点、改善点をまとめて挙げることができる。実際コレが十分にできる人間は稀有だろう。
「まず1つ、この物語には目的というか、ゴールみたいなのがない」
「ゴール?」
「例えばだけど、『羽化』は快楽を知らない女の子が快楽を知って、イくってのがゴールだっただろ?」
「ゴールって言うと変だけど、確かにそうだね」
「それに比べてると今回のにはそういうのがない。セックスして、おしまい。なんか物足りなくないか?」
変な話ではあるが、カップルがセックスすること自体は当然なことだ。たしかに物語としての到達点にはなりにくい。
「……普通のセックスの目的ってなんだよ」
「……子作り?」
「そうだけど、そうではないでしょ…。子を下手に作らないためにゴムつけてるんだし」
「そう言われるとわからないけどよ!!」
僕が今まで読んでいた小説にも男女がそういうことをするシーンはあったが、それはあくまで2人の関係性の表現であって、行為中に物語が大きく動くことはなかったと思う。
「エロ小説は行為の中で物語を動かさなきゃいけないんだよな」
気持ちよくなる意外に、物語としてセックスの中の目的を考える。それが課題1。
「あともう一つ思った問題点。残心はどこにいった?」
「そうなんだよなあ……」
行為の後の余韻、前作で掴んだ残心の美学。だが僕はこのとき残心の表現が浮かばなかった。
「もちろん僕も忘れてないし、この前博士の授業でも『ピロートーク』ってのは習ったからな」
そう、ピロートーク。男女が行為の後にする語らい。博士の解説を聞いたとき、まさしくセックスの残心じゃないか!と感動した。だが、
「何を話すの、ピロートークってさ」
「……そりゃわからないけどさ」
再び2人の間に沈黙が流れる。言葉はまとまらなかったが、僕はぽつりと思ったことを話し始めた。
「この前の博士の授業でさ、最後に博士の姉の話が出たときさ、急に凄いエロくなったじゃん?」
「うん、急に話が……生っ!て感じになったよな」
「『羽化』のときは激しさとかがエロに繋がったけどさ、今回は……何ていうか質感って言うのかな。実際に、本当にこういうことをしたんだよ!っていうリアルさみたいなのがエロに繋がると思うんだよね」
博士の授業はある意味情報の羅列だった。しかしそこに姉という要素が入ると、さも本当にあったかのように情報が質感を持ち始める。
「その説得力が、無いんだよね……」
こればかりはどうしようもない。何故なら僕達はセックスをしたことが無い、する予定も残念ながら、ない。
「1回だれか通しで最初から最後まで見せてくれないかなぁ!そうすれば書けるのに!!」
「ニッカ君、そこはヤりたいじゃないのか?」
「……そういえばそうだね」
やはり僕にとってはまだまだ、セックスはファンタジー作品のようなもので現実ではないようだった。自分がするという視点が抜けている。
結局、この日に答えが出ることはなかった。
実際の、リアルな行為の描写、こればかりは妄想ばかりではどうにもならなかった。
そんな膠着を破ったのは、やはりK君だった。
翌日、朝練を終えて教室に着くとK君が僕の席で待ち構えていた。
「ニッカ君!重大な発見をした!」
「おはようK君、重大って何さ」
K君は大きく息を吸い、そして荘厳に、こう言った。
「野球部にエロ本がある」
「はい!?」




