それは残心、なのかもしれない
話は逸れるが、こう見えて僕もK君も運動部に所属している。サラッと触れただけだが僕は剣道部、K君は卓球部だ。
どちらの部も大会で優秀な成績を残すなど強豪と言えるだろう。もちろんそれに見合うように活動も活発なものだった。
特に僕の所属していた剣道部はとりわけ練習が厳しかった。毎日の朝練はもちろんの事、放課後、土日まで稽古があった。入部してから引退するまで竹刀を握らなかった日は1日としてなかったと思う。
では僕はそれに見合うほど強い選手だったか?と言われれば否だ。以前僕は中二病を拗らせて剣道部に入ったと言った。要するに中学生から始めた初心者ということだ。
そして当たり前と言えば当たり前だが小学生の頃から剣道をやっていた奴の方が圧倒的に強い。先に積み重ねた人間との差というものは埋まらないものだ。
そして僕は運動に対する才能というものが悲しいほどになかった。あまり認めたくはなかったが、僕は剣道部の中では落ちこぼれの烙印を押されていわけだ。
それでも剣道をやめなかったのは自分の中の向上心でも、中二病的な剣への憧れでも、ましてや剣道のことが好きだったわけでもない。
ただ、逃げたと思われたくなった。執拗にいびる顧問から、便利な道具扱いする先輩から、何かあれば責任を押し付ける同期から、僕を見下す後輩から、せめて落ちこぼれが尻尾巻いて逃げたと思われたくない。本当にそれだけだった。
毎日ボロボロに疲れて、居場所もなく、自尊心が底をつく日々。だからこそ僕は誰かに認められたかったのだろう。
だがまさか、この剣道が僕らにとって重要な『カード』になるとは思ってもみなかった。
模倣なくして創造なし、と誰かが言った。似たような言葉を数多くの偉人たちが残している。だから僕もまずは模倣から始めることにした。
エロ小説を書くにあたってまずどんなストーリーにするか、あらすじを考えなければならない。必然的に分かりやすく模倣できるカードは『その同人誌』だった。
簡単なあらすじとしてはこうだ。悪者たちに捕まってしまったヒロイン、隙を見て逃げ出そうとするものの、悪者達が使う能力によって、今まで感じたことがないような快楽に襲われる。そしてそのまま抗うことが出来ず、悪者達に屈してしまう。当時の僕たちは知りようがないが、『快楽堕ち』とか呼ばれる典型的なパターンである。
非常にシンプルながらそのシチュエーションは僕らにとってはとても刺激的で、そのシンプルさは模倣する側にとってはとても好都合と思った。
その結果がこれだ。
「ビクッビクッグチュッヌッピチャピチャどくんっ」
「K君、音読しないでよ」
僕の第一歩は悲惨なものだった。元々僕らのエロの目標点となっている『その同人誌』は漫画作品だ。当然のように小説とは表現方法が異なる。
「擬音だけ抜き出してもちゃんとエロいってのは、やっぱり『その同人誌』は凄いんだなってのはわかるけどよ。やっぱ文章にすると、こうじゃないんだよなぁ」
K君は自分のこめかみをぐりぐりとしながら黄色いノートに目を落とす。エロ小説用に新たに用意したノートだ。今まで書いていた『ユーキとヒナ』とこれから書くエロ小説は完全に別物にしようと2人で合意した。心機一転新たなノートでスタートを切ったはいいものの、やはりというべきか執筆は難航していた。
プロットとしては『その同人誌』のストーリーを踏襲したものになっている。美少女が悪い大人に騙され、捕まってしまう。逃げ出そうとする少女だったが感じたことのない感覚を与えられ、抗いきれず、次第に受け入れてしまう。そんな『快楽堕ち』のストーリー。
しかし漫画を小説の叩き台にするということは、巧みな絵で表現されていた柔らかさ、感覚、表情を全て文字に変換しなくてはならない。これは想像以上に難しいことだった。
特に多用した擬音。漫画では当たり前のように使われる擬音、興奮を煽る優れた表現だが、これを小説のように文字にすると途端に陳腐なものに感じられてしまう。
「いや、全部が全部悪いわけじゃないぜ、ニッカ君。感覚を電気に例えたりとか、こう体がグッと反る感じとか、揺れる感じとか。よくわかんないけど、こう、プロっぽい感じがあっていいよ」
K君は少し言葉を選びながら言う。
「うん、だけどこう…上手く噛み合わないというか……」
「それは僕も同じことを思った」
『その同人誌』は女性視点、女性がどう気持ちよくなったかが優先、行為の背後で激しいBGMが流れるような『乱れ』の強さを感じる。
カフカは男性視点、表現は詩的だがどのようなことを行ったかが優先。行為から発される音のみの『静寂』を感じる。
「参考にして書いてて、改めて思ったけどさ。エロという点は一緒なようで、実際のところ正反対に思えるんだよ…。このストーリーを文章に落とし込むには『乱れ』のような激しさがほしい…」
「激しさかぁ……」
考え込むK君。顎に手を当て、その場を数歩ウロウロした後、手を叩いて切り出した。
「とりあえず!俺が思ったこと!ニッカ君にはまだまだエロ語彙力が足りない!」
「エロ語彙力……?」
「俺達は辞書でエロい単語を調べてきたはず。だけどニッカ君、君はまだまだエロ単語を拾いきれてない!」
K君はまるで矛盾を指摘する探偵のように毅然とした態度で続ける。
「ニッカ君、例えばおっぱいを別の言い方で言ってみて」
「えぇ……?」
これだけノートに自分のエロい妄想をぶつけておきながら、まだ僕はとってそういった単語を口に出すことは恥ずかしいことだった。しかしK君は真剣だ。僕はおずおずとではあるものの答える。
「えーと、胸とか、乳とか?」
「乳房、豊乳、膨らみ、バスト、パイオツにスイカップ。何かに例えれば他にも幾らでも出てくる」
スラスラとK君の口から流れ出る数々のおっぱい。この男は一体、どれほどの時間、辞書と向き合ってきたのだろうか。
K君は黄色いノートに出てくる単語を一つ一つ指差しながら続けた。
「秘部に蕾に花弁に果肉。ニッカ君が書いてくれた単語はまだまだ改良の余地がある。その点は俺に任せて」
問題は1つ解決だと言う様に胸を張るK君。
「もう一つの問題は激しさがの追加だよね。」
激しさ。当たり前の話だが僕らはセックスの激しさを知らない。やったこと無いからだ。そして激しくセックスしてる姿を参考にできる資料も存在しない。何か激しい交わりを表現しているものは……
「…悟空とフリーザ」
ぽつりと、K君が言う。
「突然どうしたの」
「いや、悟空とフリーザに限らずだけどさ、バトルって激しいよな」
「そりゃ、めちゃめちゃに激しい戦いだったけどさ。」
「小説の戦闘シーンをさ、落とし込めないかな!例えばバトル漫画をノベライズした作品とかあるだろ!漫画だと絵の迫力とか効果音で激しさを表現するけど、それをノベライズするってことは迫力と激しさを文章にしてるってことだろ!」
「はぁ!?」
突飛なアイデアのように思えた。だが妙な納得感もあった。なるほど、これほど身近に、すぐに手に入る場所に、これほど激しい交わりがあるじゃないか。
放課後、部活の練習が終わった道場。僕は稽古終わりの掃除をしていた。掃除に始まり掃除に終わる、掃除も修行。そんなことをよく言われるものの、結局誰もが掃除なんて面倒くさいものと思っている。結果、面倒事を押し付けられるのは僕のような落ちこぼれだ。
だが、今日ばかりは好都合だった。人気のなくなった道場に僕は1人で立つ。
汗の染みた道着、持ち手が黒ずんだ竹刀。脳裏には、図書館で借りてきた小説。剣士の死闘を描いた一冊。
もし、今日の僕の今日の稽古を文字で描くのならば。無様に負けた、部内の練習試合。瞬殺だった。一撃で負けることはなんとか防いだものの、なすすべなく敗れた。そんな息をつく間もない一瞬の交差ですべてが決まる世界。コンマ数秒しかない世界を文字にするには。
拾え、引き伸ばせ。瞬間を無限かのように。細かな動きを見逃さず描写しろ。
この激しいぶつかり合いを、よりエロくするために。
自らの妄想を現実に重ね合わせる。僕を、僕自身を小説にするのなら。
ひたひた、と。11メートル四方に歩みを進める。誰もいないはずの空間に、先程僕に敗北を与えた『奴』の姿を見る。
面の奥から除く下卑た眼差しが僕………いや、『私』を貪るように絡みつく。実力差は明らか、これからどんなふうに弄んでやろうかという目だ。
床板が軋むたびに心臓が跳ねる。ひどく喉が乾く。打ち込もうと構えた竹刀が震える。
ひた、ひたと。間合いを詰められるたびに脚が竦む。逃げたい、だが逃げれば私はきっと壊されてしまうだろう。
竹刀の先が触れる。ぬらぬらと絡み合う。呼吸が、気配が、それを通じて皮膚を這うように纏わりつく。ねっとりと、嬲るように這い寄るそれは。
弾けた。
私の弱いところを擦るように。竹刀が跳ねる。既のところで防いだが、私の吐息は震え、既に絶望の色をしていた。
奴は低く嗤う。竹刀が肩を擦り、帯の上で弾ける。まるで肌を撫でるような、いやらしい音。痛みはない。ただ、屈辱だけが刻まれる。
ガクガクと腰が引ける。
竹刀の先が、喉元に触れる。ほんの軽い接触。けれど、私の背中には粟立つような悪寒が走る。
視界が狭まる。自分の呼吸音が妙に大きく、心拍の音と混ざって脳に響く。
もう一歩、また一歩と奴は詰めてくる。まるで四肢を縛るように、食い込むように間合いを狭め、そして私は逃げ場を失った。
そして次の瞬間、それは来た。踏み込まれ、竹刀が鋭く、淫らに、私の甘いところを貫く。衝撃が背骨を伝い全身に響く。敗北だ。
奴は打ち終えた姿勢のまま、しばらくこちらを見下ろしていた。無言のまま、嗜虐の余韻だけを漂わせて。
視線が戻る。もう目の前に『奴』はいなくて、『私』は明確に僕となる。
僕は現実に戻ってくる。女体を嬲るかのような表現、今の僕に出来るのはこれが精一杯だったが、それでも確かに何かを掴んだような感覚があった。
僅か10秒で敗北した試合、一瞬をねっとりと粘つくように引き伸ばす。なるほど、これがエロの描き方か。
これでK君が期待したような作品が書けるはず。僕は安堵して帰路につこうとした。
そして、違和感に気づく。
K君が期待したような作品?僕はアイツの指示通りに、オーダー通りの小説を書けば満足なのか?本当にその程度でいいのか?
違うだろ。
アイツの、K君の期待を、超えなきゃ駄目だろ。
僕は再び、無人の道場を見る。静寂、だがそこには確かに気配が、熱が残っていた。何か鍵がある。そんな予感がする。
そうだ、思い出した。剣道は技を決めただけでは完成しない。それはきっと小説も同じなんだ。




