「ありがとう」
「あの……すみません……」
放課後の教室、僕達を尋ねてきたのは見知らぬ生徒だった。
「えぇと、誰だっけ?」
身長も低く痩せていてオドオドしている。いかにも『僕ら側』という感じがする生徒だ。
「7組の板倉です……ええと、ケッシャの」
七組。このクラスからずっと遠く、校舎の端と端で分かれた遠くのクラスだ。まさかそんなところまでケッシャが広がっているとは知らなかった。
確かに全校集会などでちらっと顔を見た記憶がある。ただ話したことなんて一度もない。
「ここに来れば小説を読ませてもらえるって聞いて……」
「……誰から?」
「〇〇君が、そう言ってて……」
その名前を聞いてK君が少し苦々しい顔をした。
「……誰?」
「野球部の控えの奴。キャプテンからの紹介だけどな。悪いやつじゃないんだが、正直口が硬いとは思えない」
発足から一ヶ月、ケッシャの規模はこれほど大きくなっているとは。このナントカ君が小説の出どころを知っているとは思えないが、こう直に知らない生徒が僕のもとに来るのは心臓に悪い。
「あ、あの!エロ小説読ませてほしくて!」
「わかった、わかったからあんまり大きい声出すなって」
K君が取り出したのは『停電行為』のノート。他の作品は今それぞれキャプテンと博士に預けられている。たまたま今この瞬間貸出予定が無かったのが『停電行為』だった。
「読むならここでだ。持ち出しは駄目、この小説は皆のものだからな」
「う、うん!」
板倉と名乗った生徒は食いつくようにノートを受け取ると僕の机にそれを広げた。そして彼は持っていた鞄から別のノートを取り出す。
「ねぇ!写していい!?」
「はぁ?写す!?」
こちらの答えも聞かずに板倉はガリガリと鉛筆で内容を写し始める。
「写すって言ったって、いくら短編でも結構な量があるんだぞ。そんな休み時間の間に写すなんて」
板倉は一心不乱に書き写している。その執着に呆気を取られて僕たちは注意ができなかった。だが休み時間は限られている。時間は刻一刻と迫り、彼も焦り始める。文字は乱れ始め、最早何を書いているのか僕には解読ができない。
「……消しゴム、使わないのか?」
「時間っ…ないからっ……!」
板倉は間違えた文字に荒くバツをつけ、続きを書き殴っていく。答える暇もないと言わんばかりに唇を噛み締め、ページを送る音も荒い。
「これ、止めたほうがいいんじゃないか……?」
だが僕はその執念に呆気を取られ、口を挟むことができなかった。
それほどの執念を持ってしても、全てを書き写すには間に合わず予鈴がなった。
「悪いけどもう時間だから」
「あっ……」
たまらずK君はノートを丁寧に、だが毅然として回収した。板倉は反抗するかと思ったが大人しく引き下がる。
そして、中途半端に写した自分のノートを大事に抱えた。
「ありがとう」
驚いた。信じられないかもしれないが、あれほど真摯で、心からの感謝を、僕は後にも先にも受けたことがない。
あれほど急いで書き写した小説、正しく読めるとは到底思えない。それでも彼は大事そうに抱いて、あれほど純粋な笑顔を僕に向けたのだ。
見ず知らずの男の笑顔で、僕はなにか救われてしまった。
救われてしまったことによって、歯車は少しずつ狂い始めたのかもしれない。
「薄々わかってはいたが、話が大きくなってるな」
「7組までってことは学年中には広まってると考えていいよね」
部活終わり、暗闇の中での会議は今でも行われている。僕が到着するよりも先に3人は先にやってきていた。
「お疲れさま。最近のケッシャについての話だよね」
「そう。俺の考えも甘かったんだけど最近ケッシャのメンバーの管理が仕切れてない。今日も知らない奴が小説を読みに来た」
K君が今日あった板倉の件について皆に話す。博士も似たようなことがあったようだ。
「今はおれ達が小説を管理してるけど、今の規模じゃリスクが大きすぎる。それにケッシャの活動は楽しいけど昼休みに、休めない!」
実際それは大きな問題だった。休み時間の行動は制限され、そしてこの人数が集まれば目立ってしまう。
「ならさ、やり方を変えよう」
僕は手を上げて発言する。
「今ある小説を写本で流せばいい」
「何を言ってるんだニッカ君!?」
K君が驚き声を荒げる。それもそうだ、コピーは小説が無造作に広まるリスクを孕んでいた。
「だからこそ、無造作に増えない方法で増やすんだよ。今日彼がやってたみたいにさ!」
ヒントは板倉と授業で習った源氏物語だった。
「手書きでの写本ってことか?」
「K君、その通り。手書きでなら写して持って帰って良しとする。筆跡はバラバラになるから例え誰かに見つかっても僕が書いた証拠にはならない」
「……ニッカ君、元の文章と違ってたらどうするんだ?」
「多少変わっても本質は同じだよ。それに、僕たち以外にエロ小説をさらに良くしようなんて思う中学生がいるなんて思えないよ」
誰もすぐには賛同しない。皆迷っているようだった
「……ま、それもそうか。ニッカ君が言うんだしな」
こうして始まった『源氏物語作戦』。だがこの決断はそう簡単にするべきものでは無かったのだ。




