あの日の僕たちは、ただ一生懸命にスケベだった
「ねぇ、これ君が書いたんでしょ!?」
机の上に突きつけられたのは一冊のノート、黄色い表紙の、どこにでもあるキャンパスノート。名前はどこにも描かれていないはずだ。だが、断定されている。
突きつけるのは、女子。クラスで委員長をやっている子だ。
視界の端には息を呑むように黙る男子たちの姿が見える。女子の方を見る勇気は、ない。
僕はそのノートの中身をよく知っている。僕が、僕たちが作った執念の結晶。だが、表に存在してはいけない存在。
ああ、おしまいか。そんな事を思った。
教室は静まり返っている。自分の息の音も聞こえるようだ。僕はあえて大きく息を吸い、彼女の目を見る。
これは14歳の僕と彼の物語。輝いてもいない、特別な出来事でもない、よくある話としてまとめられるような。それでも、僕の青春だった日々の物語。
僕が書いたエロ小説が、全校に広まってしまった物語だ。
『あの日の僕たちは、ただ一生懸命にスケベだった』
中学2年生の僕はいわゆるオタク君だった。身長は大きくもなく、背の順で並べば前の方。教室の隅でライトノベルを読み漁り、授業中は教師の声をBGMに自分の妄想をノートに書き出す。中二病を拗らせて飛び込んだ剣道部でも万年補欠。
なんとなく世の中が気に食わなくて、現実よりも妄想が大好きな、そんな普通の中学生。それが僕。
仮に名前を〝ニッカ〟君としておこう。特に深い意味はない。今これを書いてる現代の僕の手元にニッカのハイボールがあるからだ。
その日は少し風が冷たかったことを覚えている。廊下越しに見える空は薄曇り。半年ぶりに袖を通した学ランは以前よりも少し縮んだ心地がした。
自分の体の成長はとても喜ばしい。だが半年前の自分と変わらないものもある。授業に身が入らないのだ。半年前より5cm位伸びた僕は、半年前とまるで変わらずノートに妄想を垂れ流す。カッコいい自分の能力、武器、僕のことが大好きな妄想上のヒロイン。
楽しい楽しい自分の世界。いわゆる黒歴史ノートと呼ばれるものは何冊にも積み上がり、僕の世界は今まさに数学のノートにまで侵略を始めていた。
そんな毎日妄想に浸かってるなら、当然のように小説を書いてみたくなる。書きたい物語はいくらでもある。でも、50分の数学にも負ける集中力じゃ、長編なんて無理だ。短編、ギャグの効いたサクッとしたやつを書こう。
数学の先生がボソボソとお経のように数式を唱えている。完全に意識から数学をシャットアウトした僕はメモ帳を取り出し、教科書の陰に隠した。
昨日読んだライトノベルのギャグシーン、お気に入りのお笑い芸人のネタ、この間してしまった面白い言い間違い。自分の中の『面白いやつ』をかき集め、メモにまとめる。自分のお笑いのセンスに若干の不安を抱きつつも、僕は数学と、そして次の社会の時間もメモに鉛筆を走らせ続けた。
そうして出来上がった1作目。タイトルは『ユーキとヒナ』。100均のメモ帳に書かれたデビュー作は登場人物は中学生の男女2人のみ、内容も2人がただひたすらに会話するもの。特に恋愛要素も無ければ刺激的な非日常が繰り広げられるわけでもない。妄想に生きる中学生が書いたにしては非常にシンプル。詳しい内容については正直覚えていないしそのメモ帳が現存しているわけでもない。
おバカなユーキ君と真面目でツッコミ気質なヒナちゃんが主人公のコメディ作品、それしか覚えていない。正直内容にはそれほど思い入れもない。
だがこの凡百な一作が彼との接点となる。僕の運命を変えた、K君との出会いだった。
僕の座る席は物語の主人公のように窓際の後ろの方……などではなく一番廊下に近い列の中ほど。そして丁度僕の真後ろに座っていたのがK君だ。
K君は天然パーマ気味で身長も僕と同じくらい。部活は確か卓球部だった気がする。決してクラスで目立つようなやつではなかった。クラスというものはなんとなくグループとカーストが出来上がるもので、僕もK君もおそらく下の方。だがそれぞれ別の友達とつるんでいたので会話も挨拶程度だった。
このクラスの脇役。それが僕とK君だ。
その関係が変わったのは、よりにもよってトイレ掃除中だった。僕の学校は自分の教室以外にも掃除当番が割り当てられていた。廊下、保健室、音楽室などなど。中でも誰もがやりたがらないのがトイレ掃除だ。ジャンケンに負けた結果、僕とK君はトイレ掃除に割り当てられた。
トイレのタイルは薄汚れていて、クレンザーをぶち撒け擦ろうとも一向に綺麗になる気配はしなかった。便器の奥を擦りながら、どこからともなく現れるハサミムシを見て見ぬふり。不快なアンモニア臭は底辺の気分を僕に味わせる。こんなこと、適当に終わらせてやろうと思っていると、不意にK君が口を開いた。
「ニッカ君さ、授業中書いてるアレ、読ませてよ」
ジャー…。トイレの水が流れる。
「はい…?」
動揺して素っ頓狂な声が出た。K君の声はどこか軽い、だが興味を含んだ声だった。少なくともバカにしたような色はない。
「小説だよ小説。ちっちゃいメモ帳みたいなのに書いてるよね」
「なんで知ってんの……?」
K君はなんてこと無いように目も合わせず小便器を擦りながら答える。
「だってあんなに集中して書いてればわかるよ。ニッカ君は授業に集中したりしないじゃん。しかも縦書き。普通じゃないでしょ」
若干失礼な物言いだがそこに間違いはない。自分の秘密を軽々と言い当てられたこと、自分の浅はかさ、そしてまじめに授業を受けるようには見えていないこと。色々な理由がごちゃ混ぜになって僕の顔を熱くした。
なんだコイツと思う。どう言い訳しようかと悩む。言葉が見つからないが、大声で否定をしたくなる。
だが、それ以上に。
僕は読者を求めていた。
こいつは僕の作品にどんな評価をつけるだろうか。共感してくれるだろうか、楽しんでくれるだろうか。笑ってくれるだろうか。
何より、僕の書いた小説は面白いのだろうか。気になって仕方がない。
大したボリュームもない小説だったとしても当時の僕としては苦労して生み出した一作。自分で読み返してニヤつく程度のクオリティではあった。
これは僕にとってとても好都合なのではないか?
僕は手を震わせながら学ランのポケットに手を突っ込む。おずおずと取り出したのはメモ帳。『ユーキとヒナ』そのものだ。
「……掃除、あとやっとくからここで読んで。他の奴らにはまだ…見られたくないから」
震えた声を噛み殺すようにメモ帳を差し出す。我ながら〝まだ見られたくない〟という言葉に自信と自己顕示欲を感じる。その姿を見たK君は少しニヤリとしながら『ユーキとヒナ』を受け取った。
僕は平然を装いながら便器に向き合う。心臓の鼓動が止まらない。K君はどんな表情で僕の作品を読んでいるのだろうか。汚い便器もアンモニア臭も、タイルを這うハサミムシも気にならない。
恥ずかしさと期待と後悔と、色々な気持ちが混じり合いながら便器を擦る。ブラシが出す水音よりも自分の心臓がやけに耳に響く。面白いと言われたい、だがK君の反応が微妙だったら?はっきりとつまらないと言われたら?雑念をかき消すように掃除に打ち込むが、僕にはもはや汚れなど見えてはいなかった。
どのくらい時間が経っただろうか、掃除の終わりの時間を告げる放送が鳴り、僕を正気に戻す。
僕は顔を上げ、振り返る。そこにはぐっとメモ帳に目を凝らすK君が立っていた。少し猫背のK君、彼はメモ帳から顔を上げない。ただ、真っ直ぐに親指を立てていた。そしてニヤリと笑う。
「これはね、良いよ。すごく良い」
その言葉は彼の親指のように真っすぐ僕に届く。
K君は早口でまくし立てるように『ユーキとヒナ』を褒めた。小説なのに四コマ漫画のようにすすむ軽快さ、ギャグやパロディのセンスの良さ、ヒロインのヒナみたいな女子が本当にいればいい!など、など。
だが、正直なところ、本当に申し訳ないが、僕はその褒め言葉を半分も聞いていなかったと思う。『良いよ』という言葉、嘘なんて1つもないような笑顔、真っ直ぐな感情を示すサムズアップ。
便器の前で、ハサミムシが這うよう中で。最悪のロケーションで。なんとなく世の中が気に入らなくて、そのくせ何も持っていない小さくて弱い自分が、初めて認められた気がしたのだ。彼のそのたった一言で。
そうか、僕は誰かに認められたかったのか。
「ねぇ、ニッカ君」
K君は興奮した様子で僕に呼びかける。自分の名前を呼ばれたことで僕は少しだけ、感動から現実に引き戻された。
そして彼はとても重大なことを告白するかのように息を吸い、こういった。
「エロ小説を書かないか?」
「はぁ……?」
このときから僕とK君の奇妙な関係が始まった。決して放課後一緒に遊んだりはしない。だけどエロ小説で繋がる仲。
学校内で僕の書いたエロ小説が広まってしまう、そんな大事件の第一歩。
一番の読者で天才的な担当編集、K君との青春が始まる。




