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助ける者たち

兵藤時雨は、脇に幼子を抱え、常軌を逸した速度で屋敷の門から遠ざかっていた。背後からは、醜悪な魔物たちの執拗な追跡の音が響いている。

彼は、自分と入れ違いに赤目が屋敷に入っていったことなど、知る由もない。彼の思考を占めるのは、迫りくる死の恐怖と、過去の不運の記憶だけだった。

(ダメだ、ダメだ、もう終わりだ!)

激しく息を切らしながら逃げる彼の頭の中で、走馬灯のように、自身の不甲斐なさと関わりのあった人々の顔が駆け巡る。

脳裏に蘇るのは、赤目の、全てを見透かしたような冷たい視線。

あの男は、僕が「どうせすぐに死ぬ」とでも思っていたのだろう。


そして、刀司の道を志した頃の、苦い記憶。

「あんたには無理だよ、時雨さん。才能がない」

そう言って、自分よりも年下で、優秀で冷徹だったぎんに先を越され、刀司の座を奪われたばかりか、小馬鹿にされた屈辱。自分は、悪魔と戦う力も持てず、ただの使い走りで終わった。

しかし、その一方で――。

「時雨は優しいんだから。自分のやり方で頑張ればいいんだよ」

そう言って、いつも自分を励まし、可愛がってくれた、みどりの温かい笑顔。

(なぜ、僕はこうなんだ……!)


極限状態の時雨は、自分の不甲斐なさを嘆いた。餓死寸前まで追い詰められ、もう死んだ方が楽だと願ったのに、今、幼子を抱えて必死に逃げている。


(死を覚悟したくせに、死にきれない。ただの不運な、臆病者だ……)

絶望と生への執着、過去の不運と今抱える小さな命。時雨の心は、激しい葛藤によって引き裂かれていた。

兵藤時雨は、息を切らし、肺が張り裂けそうになる激痛を感じながらも、足を止めなかった。

(僕が死んでも、この世は変わらない)

彼の頭を過るのは、自己憐憫と、自虐的な考えだ。

(むしろ、死んだほうが、僕の不甲斐なさのせいで面倒を起こすこともなく、この世のためになるかもしれない)

しかし、彼は腕の中にいる、恐怖で静かに泣いている幼子を見下ろした。

(けど、今僕が背負っているこの子は? この子はどうする)

この子の恐怖は、時雨自身の不運や借金とは、次元の違う現実だった。


僕も不幸かもしれないけど、僕より遙かに年端もいかないだろう? もっと可哀想じゃん)

時雨は、自己の存在価値を否定し続けた人生の中で、初めて、自分よりも守るべき価値のあるものを見出した。

(だから今、僕は死ねない。死んでも死ねないんだ)

不運な人生を呪い、死を望んだはずの男の心に、確固たる意志が灯った。それは、刀司としての大いなる使命ではなく、ただ目の前の小さな命を守るという、純粋な決意だった。

(この子だけは、守らないと)


宿屋を全て断られ、再び行き場を失った一刀たちは、町の裏手の目立たない場所で、どうすべきか思案に暮れていた。疲労と空腹が、松本を限界に追い込んでいた。

「俺はもう動けねえ。腹減ったし眠い、ここで寝る」

松本は、その場に大の字に寝転がり、本当に眠りに入りそうな勢いだった。

睡蓮は、そのわがままな態度に呆れ返った。

「なんてわがままな奴だ。よくこんなやつと旅をできたな」

一刀は苦笑いしながら、松本を擁護した。

「いつもの鞍馬は、ここまでではないんだけどね。連日の戦いと心労のせいだ」

その時、静が遠くを指差した。


遠くの道から、必死の形相で、全力疾走してくる人影が見えた。その速度は、並の人間ではない。そして、その特徴的な頭部に、睡蓮が気づいた。

「あの特徴的な頭は……まさか、あの兵藤時雨か?」

一刀は、時雨が尋常ではない様子で駆けてくるのを見て、訝しんだ。

「何だろう? あんなに全速力で」


次の瞬間、時雨が通過した道筋の砂埃の向こうに、おぞましく歪んだ影がはっきりと見えた。それは、黒い甲殻に覆われ、常軌を逸した形相で時雨を追う、複数の魔物たちの姿だった。


一刀たちの姿をいち早く確認した時雨は、幼子を抱えながら、泣きながら必死に助けを請うた。

「た、助けてくれえええ! お、俺、死にたくない! うわあああ!」

その情けない叫び声と、直後に迫る魔物たちの禍々しい姿を見て、静は瞬時に状況を理解した。

「難儀の魔物よ! しかも、この数は尋常じゃない!」

静は、地面に寝転がって動かない松本の襟首を、尋常ではない力で掴んだ。

「鞍馬! 起きなさい!」

テコでも動かず、高いびきの松本。静は松本を力強く引きずり、魔物から距離を取るべく、一刀と睡蓮に対処を一任した。


「一刀! 睡蓮! ここはお願い! 私は鞍馬を安全な場所へ持っていくから!」

静の迅速な判断に、一刀と睡蓮は無言で頷いた。

一刀は、光の短刀を抜き、その刃を憎悪の塊である魔物たちへと向けた。

「難儀を追ってきたと思ったら、難儀の方からやってきたか……!」

睡蓮もまた、左手の神具の痕跡に霊力を集中させ、覚悟を決めた冷たい瞳で、迫りくる魔物たちを睨みつけた。


一刀は、目の前の脅威を前に、睡蓮に言葉をかける必要はなかった。

「睡蓮!」

「あぁ」

二人の刀司は、無言の連携をもって、迫りくる魔物たちへと突進した。

一刀の光の短刀は、正確無比な軌道を描き、黒い甲殻を切り裂いていく。彼の斬撃は、魔物たちが醜悪な呻き声を上げる間もなく、その核を破壊した。

睡蓮は、まだ本調子ではないものの、左手の神具の力と経験を頼りに、的確に魔物を仕留めていく。彼女の一撃は重く、魔物を薙ぎ倒し、一刀の繊細な攻撃を補った。


二人の圧倒的な刀司の力の前に、三浦雪舟の屋敷から来た魔物たちは、次々と斬り倒され、肉塊となって大地に崩れていった。



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