表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/44

戦う者

兵藤時雨が幼子を抱え、醜悪な魔物たちに追われながら必死に逃げ出すのと、ちょうど入れ違いに、一人の男が三浦雪舟の屋敷へと向かっていった。

それは、赤目だった。

赤目は、屋敷の外で繰り広げられた騒動の痕跡を、優雅な表情のまま見つめた。彼は、ここで何が起きるのか、また何が起こったのかを全て予期していたかのように振る舞っていた。

時雨がしたように、赤目も門の前で立ち止まり、柔和な笑顔を浮かべ、屋敷に向かって静かに声掛けした。

「頼もう」

しかし、彼の声は、歓喜の酒宴ではなく、血と絶叫の地獄へと変わった屋敷に、虚しく響くだけだった。

赤目は、誰も出てこないのを確信すると、躊躇なく、土足のまま屋敷の中へ足を踏み入れた。


彼の足音は、敷き詰められた絨毯の上ではもちろん、年季の入った床板の上でさえ、全く音をたてることがなかった。まるで、彼の存在そのものが幽霊の如く、音を立てることを拒否しているかのようだった。

赤目は、屋敷から恐怖に駆られて逃げ出す人々を尻目に、彼らを助けることもなく、ただ自分の目的のために屋敷の奥へと音もなく進んでいった。

彼の前方に現れる魔物と化した用心棒たちは、赤目の優雅な動きと銀色の針によって、音もなく葬られていった。彼らが発する異形の咆哮も、赤目の冷徹な力の前では、瞬時に絶たれた。

彼は、ついに屋敷の奥にある広間へと辿り着いた。

広間は、血に塗れ、調度品は変わり果てた姿となっていた。床には無残な肉片が散乱し、三浦雪舟は、血だらけの姿で、恐怖に顔を歪ませながら床に倒れ込んでいた。既に周囲には、雪舟を狙う数体の魔物が迫っていた。


赤目は、その地獄のような光景を前にしても、表情一つ変えず、優雅に雪舟のもとへと近づき、にこやかに話しかけた。

「お困りごとでも」

雪舟は、最後の希望である赤目を見て、狂乱したように叫んだ。

「見りゃわかるだろうが! 私を助けろ!馬鹿野郎。 そうすれば、お前に褒美をとらしてやる!」

赤目は、倒れている雪舟を見下ろしながら、興味深げに問い返した。

「褒美? それは、何でもよろしいので?」

「あぁ! 宝物でも何でも、望むものをくれてやる! 早くしろ、このうすのろめ!」

死の淵にあってもなお、傲慢さを捨てきれない雪舟の罵倒に、赤目は憐れむような目を向けた。

「それが人に物を頼む人の態度ですか? 滑稽ですねぇ」


赤目は、助けを求めながらも人を侮る雪舟の姿を、心底軽蔑するかのように見つめた。雪舟の足元では、魔物たちが醜い牙を剥き出しにし、更に襲いかかろうとしていた。


赤目の冷徹な嘲りに、死の恐怖が勝った。雪舟は、傲慢さを捨て、命乞いの言葉を絞り出した。

「お、お願いいたします……助けてください!」

赤目は、その醜い屈服を見て、満足したように微笑んだ。

「いいでしょう」

赤目は、銀色の針を一閃させ、雪舟に群がっていた魔物たちを、一瞬で殲滅した。その実力は、刀司の中でも群を抜いて恐ろしいものだった。

魔物がいなくなり、一時の静寂が訪れると、赤目は本題に入った。

「さて、お命を救いました。褒美として、あなたが持つ『難儀の蓋』をいただきましょうか」

雪舟は、その言葉に、一瞬にして安堵を捨て、顔色を変えた。命よりも宝の価値を重んじる彼の強欲な本性が顔を出す。

「そ、それはならぬ! それは私だけの宝だ! 他の物なら何でも……」


雪舟は、命の恩人に対して、頑として食い下がり、『難儀の蓋』を手放すことを拒否した。

赤目は、そんな人間の強欲さを、冷めた目で見ていた。彼は、交渉を続けるムダな時間を省くために、最後の手段に出た。

「ならば」

赤目は、たもとから、雪舟の想像を遥かに超える量の魔物の財宝、すなわち悪魔の残骸が凝縮した宝石の塊を取り出せるだけ取り出し、床に投げ渡した。その量は、屋敷の財宝を全て合わせても敵わないほどだった。


「これで十分でしょう。命か、宝か。選ぶがいい」

雪舟の強欲は、本能となって彼を支配した。彼は、偽物の『難儀の蓋』の存在など脇目にもふらず、血と唾液に塗れたまま、床に投げられた財宝の山へと這い寄った。

「ひゃ、ひゃっは! これだ、これこそが……!」

雪舟は、狂喜の叫びを上げながら、両手でその悪魔の宝石をかき集めた。そして、その悪魔の『業』の残骸を、貪るように全身に浴びた――。

見る間に、雪舟の身体は、その場で変貌を始めた。

強欲というトリガーと、大量の悪魔の残骸が、雪舟の肉体を急速に異形化させた。彼は、醜悪な魔物の姿へと変わり果てた。雪舟の難儀の蓋への執着は、彼自身を悪魔に仕える者ではなく、悪魔の餌食に変えたのだった。

赤目は、冷酷な満足感をもってその光景を眺めていた。

「これで、ムダな交渉は終わりですね」

赤目は、魔物と化した雪舟の傍らに転がっていた『難儀の蓋』を、優雅な手つきで拾い上げた。

赤目は、魔物へと変貌し、醜い唸り声を上げている三浦雪舟を見下ろした。その青い瞳には、一切の感情が宿っていなかった。

「人ならば、躊躇いもありましょう。しかし、悪魔なら、気兼ねはいらない」

赤目は、そう淡々と言うと、拾い上げた偽物の『難儀の蓋』を一瞥した。

「手間が省けて良かった」

彼は、躊躇なく、その手に持った銀色の針で、魔物と化した雪舟の心臓部を貫いた。一瞬の悲鳴と共に、雪舟は崩れ落ちた。

赤目は、死んだ雪舟の魔物の骸から、何らかの微かな光が立ち上るのを見た。その光は、純粋な難儀の業とは異なっていたが、この地で起きた悲劇の残滓だった。

赤目は、冷たい口調で、雪舟の無様な最期に言葉を投げかけた。

「外道が」

強欲に身を滅ぼした雪舟、そして悪魔の残骸を報酬とした用心棒たち。赤目は、彼ら人間の弱さと醜さを外道と断じた。


赤目は、血に濡れた床の上で、三浦雪舟から奪い取った黒い樹液のような塊、『難儀の蓋』を静かに観察した。

彼は、それを指先で弄び、その霊的な波動を読み取ろうとしたが、すぐに違和感を覚えた。

「偽物か」

赤目の美しい顔に、わずかな苛立ちが走った。彼は刀司であり、悪魔の『業』の真贋を見分ける力はあった。雪舟が偽物を本物と信じていたこと、そして本物の蓋が既に源兵衛の手に渡っていることを、彼はここで悟った。

「もう少し話を聞くべきだったか……。早計だったな」

彼は、邪魔者を排除したという事実には満足していたが、本物の情報を得られなかったことに、冷徹な後悔を覚えた。しかし、その後悔はすぐに次の行動へと切り替わった。

「ならば――」

赤目は、手にしていた偽物の蓋を、まるでゴミのように床に落とした。彼の目的は、雪舟の命ではなく、真の難儀の源と、それを売った者の痕跡だった。

彼は、優雅な足取りで、物色を開始した。雪舟の書斎や帳簿、宝物庫など、屋敷のあらゆる場所を徹底的に調べた。彼の目的は、偽物を売りつけた盗人、そしてその背後にいるであろう源兵衛に繋がる、些細な痕跡や素性を調べることだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ