姉弟の絆
睡蓮は、血を流しながらも、処刑台の鎖を断ち切ることを諦めない。しかし、その手は震え、神具の力が弱まり始めていた。
鎖に拘束され、既に深く身体を刻まれている優蛇は、その様子を目の当たりにし、最後の力を振り絞って姉に叫んだ。
「無駄だ、姉貴!俺にかまうな!」
優蛇の瞳には、姉の命を守りたいという切なる願いが宿っていた。
「早く逃げろ! 蔵へ戻るんだ! 俺の命一つで、この難儀が解決するなら、本望だ!」
しかし、睡蓮の心は、弟を救うというただ一点にのみに執着しており、優蛇の悲痛な叫びは、彼女の執着をさらに燃え上がらせる燃料にしかならなかった。
「黙れ、優蛇! 私は、誰も失わない! この務めは、私が全うする!」
睡蓮は、羽根が突き刺さった右腕を震わせながら、なおも鎌で悪魔を牽制しつつ、優蛇を振り向いた。
優蛇は、鎖に刻まれ血を流しながら、痛みに耐え、歯を食いしばって叫び返した。
「黙らない! 姉貴の言う務めは、もういい! 俺はいつも、姉貴に迷惑ばかりかけてきた!」
優蛇の瞳には、過去の光景が走馬灯のように蘇っていた。自分は、姉と同じ刀司としての血を持ちながら、平凡な暮らしに憧れ、稽古からも責任からも逃げ続けた。家が代々担う貧しさと重すぎる責務に嫌気が差し、姉が刀司と守り人、二つの責務を一人で背負うのを、見て見ぬふりをしてきたのだ。
「姉貴は、俺が刀の稽古をサボっても、里を出たいと言っても、一度だって咎めたことはねえ! ずっと、俺を庇ってきた!」
処刑台の仕掛けが、ギィィと音を立て、優蛇の肉体を再び刻む。激痛に呻きながらも、優蛇は叫び続けた。
「だからこそ、最期くらい、俺のこの価値のねえ命をかけてでも、姉貴の務めを軽くしたい! 俺は刀司にはなれなかったが、世界を救うためなら、俺の命なんて安いもんだ! お願いだ、姉貴! 蔵へ戻って、あの光の男たちに合流してくれ!」
優蛇の悲痛な叫びは、失敗した弟が姉の重荷を最後に打ち消そうとする、自己犠牲の言葉だった。
睡蓮は、その言葉に、胸を突き刺されたような激しい痛みを覚えた。彼女の怒りは、悪魔に対するものだけでなく、優蛇にこんな言葉を言わせてしまった自分自身に向けられていた。
「優蛇の命は、そんな薄っぺらく軽いものではない!」
睡蓮の瞳は、憎悪と悲哀で揺れ動き、鎌の朱と群青の光が嵐のように荒れ狂った。彼女の怒りは、弟の犠牲の意志によって、悪魔が望む最高の絶望へと熟成しつつあった。
獣鳥の悪魔は、その光景を満足げに見つめ、嘲笑した。
「ああ、素晴らしい。その無力な兄妹愛こそが、私とバフォメット様の糧だ。さあ、憎しみの炎をさらに燃やせ、睡蓮よ! その業の絶頂で、お前もろとも喰らい尽くしてやる!」
「死ぬがいい、睡蓮!」
獣鳥の悪魔は、睡蓮の増幅した怒りが自分にとって最高の餌となると確信し、再生した翼で強く羽撃いた。再び断絶の羽撃が放たれ、硬質の羽根の嵐が睡蓮めがけて殺到する。
「死ぬのは貴様だ、悪魔!」
睡蓮は、優柔不断さや諦念といった過去の自分の全てを捨て去った。彼女の動きは、もはや悲しみの防御ではない。弟を救うという純粋な執念だけが、彼女の鎌を振るわせた。
睡蓮の鎌と悪魔の羽根が、空中で激しく衝突する。
獣鳥の悪魔は、高周波の音波で睡蓮の平衡感覚を奪い、鋭い羽根で彼女の急所を狙い、動きを分断しようとする。
対する睡蓮は、左手の鎌を高速で回転させ、朱と群青の光の渦を生み出した。これは、『業火の連舞』。鎌の炎が、飛来する羽根を空中で焼き尽くし、音波を憎悪の念で跳ね返す。
当初、負傷している睡蓮は、音波に苦しみ、劣勢を強いられていた。しかし、優蛇の苦痛の呻きが聞こえるたび、睡蓮の鎌の力は増した。
「姉貴のせいじゃねえっ! これは俺の……俺の責任だ!」
優蛇の叫びが、睡蓮の力を制御不能なレベルまで高める。
睡蓮の鎌から放たれる朱色の炎の輪が、獣鳥の悪魔を囲むように広がり、逆に悪魔の動きを封じ始めた。悪魔の翼を斬り裂いた傷口が、炎の熱で焦げつき、再生が追いつかなくなっている。
獣鳥の悪魔は、睡蓮の技が、逆に自分を焼く炎へと変貌したことに、初めて狼狽の色を浮かべた。
「馬鹿な……! 怒りが、力を制御しているだと!? お前のような半端な刀司に、これほどの力が……!」
優勢だった獣鳥の悪魔は、徐々に睡蓮に押し始められ、後退を強いられる。睡蓮の鎌の軌道は、狂気的な精度を持ち、悪魔の翼や四肢を的確に狙い始めた。
睡蓮の『業火の連舞』は、優蛇への愛を燃料とし、もはや悪魔の能力を超越していた。激しく回転する鎌は、獣鳥の悪魔の防御を全て粉砕し、悪魔の身体へ次々と深手を負わせた。
「馬鹿な……こんな事があるか……!」
獣鳥の悪魔は、ついに睡蓮の強烈な斬撃を避けきれず、鎌の一撃がその山羊の頭部を深く切り裂いた。
「グガァァアアアアアアアア!!!」
悪魔は、断末魔の叫びを上げ、その巨大な体は勢いを失って地面に崩れ落ちた。悪魔の肉体は、黒い煙となって急速に萎縮していくが、その僅かに残る意識は、睡蓮に憎悪の限りを込めて向けられていた。
「その愛が……お前を、地獄へ突き落とすぞ……」
獣鳥の悪魔は、呪詛の言葉を吐きながら、完全に消滅した。悪魔の残骸となった財宝の雨あられが睡蓮に降り注ぐ。




