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最後の晩

源兵衛からの途方もない提案に心を乱された静は、結局その場で明確な返事をすることができなかった。質屋を出た時には、すでに空は藍色に沈み、町外れにある自分の家まで帰るには遅すぎる時刻となっていた。


静は、女学校で唯一心を開いていた友人、千代ちよの家へと足を向けた。千代の家は、この近代化が進む都会の隅で、まだ辛うじて古い武家の屋敷の面影を残していた。静は事情を伏せつつ一晩の宿を乞い、千代は快く受け入れた。


「使いの者をやったので直、綾様もこちらに着くわね。そうしたら三人で私の部屋で眠りましょう」


そう言って千代は、微笑んだ。わざわざ遅くなるだろうからと使いの者に綾の分も握り飯を持たせ、車夫を向かわせたのだ。


間もなく綾が到着すると三人は床の準備をした。


床の中で質屋での一件について静は考えていた。


「――ねえ?静さん起きていらっしゃる?」


千代が上体を起こし、話しかけてきた。「ええ」とだけ答えて静もゆっくりと上体を起こす。


虫の音が廊下の側から鳴り響いていた。


「私ね、半年後に嫁ぐの」


「は?あ、え、いゃ……うっ、えっ?そ、そそ、そそう、ですの…お、おめでとう」


思わず素に戻ってしまう静。動揺が隠せない。


「だから、静さんとは学友として過ごせても後、三ヶ月といったところかしら。もう少し早まるかも」


「そ、そうなんだ」


静自身いずれはそうなることだとは理解していたつもりであったがまさか身近な千代がそのような事になるとは寝耳に水だった。とは言えそれは喜ばしい事でもある。なんとも複雑な気持ちが静を襲う。


「良い人なのよ。私の事を一番に理解してくださって。静さんもそのような方と結ばれればと思うのだけれども……。心に決めたお方とか本当にいらっしゃられないの?」


暗闇でよくは見えないが千代の事だ。憂いを含んだ優しい目できっと静を見据えているに違いない。かと言って見栄を張って嘘をつくことも出来ない。


静は「いないわよ」とだけ小さな声で答えた。そして、千代におめでとうと言う言葉を添えて力強く手を握った。


その時、階下で大きな物音がした。

二人は手を握り合ったまま雷に打たれてように体を震わした。

「な、何?」

その物音は小さくなったり大きくなったりしながらも続いている。

盗賊だろうか?

二人は体を寄せ合い黙って耳を澄ませる。

「お嬢様方、私めが見て参りましょう。」

綾が音もなく立ち上がる。元忍びの奉公人、こういう事態には心強い。

「気をつけて」

静の小さな声にも反応し、首だけを黙って頷かせた。

障子を慎重に滑らせると、すぐに見えなくなってしまった。

「大丈夫でしょうか?」

「平気よ。綾だから心配ないわ」

静はそう言いながら千代の手を更に強く握りしめた。何となく胸騒ぎを覚えるのだ。

自分を落ち着かせるためにもいやが上にもそうせざるを得ない。唇をキュッと引き締める。


物音が止んだ。

静寂な時が訪れる。

「綾、あーやー」

障子を開ける勇気はない。障子越し、遠慮した声で階下に向かって静が呼びかける。

返事はない。

軋む階段の音。徐々に近づいてくる。

二人は固唾を吞んで障子の方を見つめる。

「綾さん?ねぇ、綾さんなら返事をしてくださいまし」

恐る恐る千代が語りかける。

「――はい。お嬢様」

二人は安堵して顔を見合わせた。

「緊張が解れたら、急に喉が……。下に行って水を――」

そう言って千代は障子を開けた。


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