鞍馬対吐影
激しい足音と共に、松本が漆黒の義手を剥き出しにして廊下に滑り込んできた。その後ろには、短い刀を構えた優蛇が続く。
松本は、静を捕らえている吐影に向かい、荒々しい巡査の顔に戻って、言い放った。
「お取り込み中悪いんだが、うちのじゃじゃ馬返して貰うぜ、トカゲ野郎」
松本は、「じゃじゃ馬」という言葉で静を罵りながらも、その行動は静を守るためのものだった。彼は、静を仲間と認識した今、彼女を悪魔の餌にさせるつもりは毛頭なかった。
「死ね!」
松本は、悪魔の義手を最大限に活用して、吐影めがけて渾身の斬撃を叩き込んだ。
吐影は、静を盾にするように身体をひねり、松本の刀をかわした。松本と吐影の激しい戦いが、母屋の暗い廊下で始まった。外は白み、夜明けが近い事を知らせる。日はゆっくりと昇り始める。
松本の渾身の斬撃は、静を盾にした吐影によって辛うじて避けられた。静は、その隙に吐影の拘束から逃れ、優蛇に庇われながら廊下の奥へと退避する。
「チッ、しぶといトカゲ野郎め!」
松本は、漆黒の義手を振るい、吐影を追撃する。彼の刀と義手には、小松を討ち果たした時の復讐の炎がまだ宿っている。松本の剣筋は、神道無念流の荒々しさと、悪魔の義手から来る暴力的なパワーが融合しており、一撃一撃が重い破壊力を持っていた。
しかし、吐影はトカゲの悪魔と契約しただけあり、常人離れした敏捷性と、影を操る能力を持っていた。
松本の重い斬撃が吐影を捉える直前、吐影の身体は、まるで影絵のように平坦になり、廊下の壁や柱にできた闇の部分へと滑り込んだ。
「遅いぜ、巡査の旦那! お前のその業の塊のような腕では、光の当たらない場所は斬れねぇ!」
吐影の声は、廊下の影から、そして天井裏の暗闇から響き渡り、松本を翻弄する。
吐影の爪が、廊下に差す松本の影を切り裂いた。松本は反射的に飛び退いたが、彼の着物の袖が、影に斬られたかのように、鋭く裂けた。
「くそっ、影か!」
松本は、光の届かない場所を斬れないという自身の弱点に気づき、苛立ちを覚える。彼の力は憎悪と業の具現化であり、闇と親和性を持つが、吐影は闇そのものを支配している。
松本の攻撃が力押しであるのに対し、吐影の攻撃は神出鬼没だ。吐影は、廊下の隅、床の下、柱の影から次々と現れ、その鋭い爪で松本の利き腕や足元を狙い、松本の疲労と焦りを誘っていた。
優蛇は、静を庇いつつ、その戦いを見つめながら、怒りと焦燥に駆られた。
「松本さん! 奴は影しか使えない! 光を、光を当ててくれ!」
松本は、吐影の神出鬼没な攻撃と、闇を自在に操る能力に翻弄されていた。このままではジリ貧だと悟った松本は、一瞬の隙を見て、悪魔の義手を床に叩きつけた。
「チッ、いい加減にしろ! トカゲ野郎!」
彼は、優蛇の叫びをヒントに、この影の支配を打ち破る唯一の方法を思いつく。
「おい、吐影! お前の狙いは、あのお嬢ちゃんなんだろう? それなら、俺を狙うより、そっちの獲物のほうが美味いんじゃないか?」
「ちょっとあんた何を言ってるのよ!冗談よしてよ」
松本は、静を庇っている優蛇と静の間に立ち、挑発した。
「早く食いついてみろよ、あの嬢ちゃんによお」
松本は、刀を敢えて下ろし、漆黒の義手を、まるで光を反射させる鏡のように、廊下の窓がわずかに見える方向へ向けた。
彼の狙いは、吐影を光の当たる場所へ誘導すること、あるいは、吐影が静を狙った瞬間を捉えることだった。松本は、自分の漆黒の義手の硬質な部分が、わずかな光でも反射することを知っていた。その反射光を、吐影の影の支配領域にぶつけようと目論んだのだ。
しかし、吐影は、松本の意図を簡単に見抜いた。
「フン。浅はかな罠だな、そんな手に乗ると思うか?子供でもあるまいし」
吐影の声は、今度は天井裏の梁の影から響いた。彼の瞳は、暗闇の中で鋭く光っている。
「俺は、お前の行動原理を全て見抜いている。お前が血相を変えて助けに飛んできた女を、囮になど使うわけがない。そこを動けば、お前の漆黒の腕を切り落としてやる」
吐影が松本の挑発に乗らず、暗闇に潜み続ける膠着状態に、松本の苛立ちは頂点に達した。このままでは、蔵を守る一刀が樹に追い詰められるか、静が吐影の忍耐の限界によって捕らえられてしまう。
松本は、一刀の人を殺すなという命令に縛られているが、物を壊すなという命令は受けていない。そして、この屋敷は既に荒廃し、悪魔の戦場と化している。
松本は、静を庇っている優蛇に向かって、声を上げた。
「おい、坊主!」
優蛇は、恐怖に顔を強張らせながら、松本を見た。
「何だ!?」
松本は、漆黒の義手を、暗闇の元凶となっている古い廊下の壁に向けた。
「この屋敷、壊してもいいか?」
松本の問いは、吐影の隠れ場所を完全に失くすという、荒唐無稽で強引な決断を意味していた。
優蛇は、一瞬ためらった。この家は、彼らの先祖代々の守り人の家だ。しかし、このままでは、家も、姉も、そして宝も、全てが失われる。
「ッ……姉貴は、宝を守るのが務めだと言った! 家を守れなんて言ってねぇ! やれ! 吐影を叩き出せ!」
優蛇は、自らの家を破壊するという苦渋の決断を下した。
「よし!これで影のトカゲも、日向のネズミだ! 悪魔の義手で、貴様ら根城ごとぶっ壊してやる!」
松本は、漆黒の義手に、静を救うための全ての力を込めた。
松本が義手を廊下の壁に叩きつけると、人間業とは思えない破壊力が放出された。木と土でできた古い壁は、岩盤を砕くかのように、一瞬で中央から大きくへこみ、ヒビが放射状に広がった。
そして、松本はさらに、次の目的を叫んだ。
「ついでに屋根もだ!」
彼は、壁を伝って廊下の梁と屋根裏を繋ぐ部分に義手を突き立てると、一点集中した破壊の力を、屋根の構造体へと叩き込んだ。
屋根瓦が吹き飛び、大梁が折れる凄まじい音と共に、廊上の天井が大きく崩落した。屋根が破壊されたことで、それまで暗闇に覆われていた廊下に、強烈な外の光が差し込んだ。外は行灯の灯りをものともしないほど一気に明るくなったのだ。
「ぐあああッ!」
吐影は、自分の支配領域である影が失われたことに、苦痛の声を上げた。彼の影絵のような体は、突然差し込んだ光の中で実体化し、身動きが取れなくなる。
「ざまあみろ! 日向のネズミになった気分はどうだ!」
松本は、すかさず光の中に孤立した吐影めがけて刀を振り上げ、致命傷を避けた腹部を強く一閃した。吐影は激しく吹き飛ばされ、呻き声を上げて廊下の奥へと転がっていった。
静は、その壮絶な破壊と、松本の強引な活躍に、言葉を失った。優蛇は、半壊した自分の家を見上げながらも、吐影が倒れたことに安堵し、静を庇いつつ、次の行動を促した。




